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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
魔王とその続き

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「あんたが消えちまって、ウッカリ口を滑らせたばあさんがいたんで……たぶん山の中でここを守ってくれることにしたんだから、って。自分から生贄になってくれるなんて大したもんだって」


ラウラは足を組んだ。ああ、しょうがない、と思った。結局ここも宮廷と同じだった。力なく知識なく強くない者から食い物にされていくのは。


「グティエルは怒ったの?」

「あれから若様は変わっちまって。余所者をどんどん引き入れて本物のユルカイア人を冷遇するんです」


兄弟の悪行を母親に訴える子供のような口調で、禿げかけた額を光らせ男はとうとうと続けるのだった。


「ねえ若奥様、どう帰って来れたんだか知らないが、あんた相当強い魔法使いなんでしょ、若様に言ってくださいよ。マヌエラ様のご遺言を無駄にしちゃならないんだ。ここはエトナ魔王様とマヌエラ様の土地なんだから、ちゃあんとお二人のご意向に沿うようにしてないと」

「若様じゃないわ」

立ち上がりかけながらラウラは穏やかにほほえんだ。

「彼がユルカイアの領主よ。間違えないで」


男は豆鉄砲を喰らったような顔をする。ラウラはこの土地が百年前のまま、ずっと停滞していたことをやっと理解した。そしてそれこそがユルカイア人たちの矜持の源であり、だから自分たちを税制と権威で支配しようとするクォートのことは誰もが嫌っていた。ユルカイアはクォートより古く、正統な地球の後継者でなくてはならなかったのだ。


なんて古く尊く脆く変色した、高貴な伝統なのだろう。

ラウラは振り返らずに男を後にして、それから彼のことを思い出すことはなかった。


その夜、ラウラは寝入り端のグティエルの腹の上にまたがってその顔をつくづく眺めてみた。

「な、なに」

「お気になさらないでください」


彼は美しかった。びっくりするほどだ。三十間近になってすっきりした輪郭と、目の下に浮かぶようになった小皺、高い鼻梁としゅるりとした顎は完璧な形をしている。目の大きさ以外の要素が美しさに関係あるとは、昔のラウラは思いもよらなかっただろう。ちょっと伸びた黒髪は少年の頃と変わらずつやつやで、指を絡めてみるとまったく引っかからない。


ラウラは彼の髪の毛から手を放し、貝殻のような耳の裏をカリカリひっかいて首筋へうつった。ゆっくりと指先で筋肉の凹凸をたどり、鎖骨を撫でているとその手を掴まれた。


「誘ってるのか?」

「ユルカイアが生贄を必要とする未開の文明だろうが、あなたがそこの王子様だろうが私はひとつも構いませんよ」

グティエルの手が冷えた気がした。ラウラは彼の不気味に無表情になった顔じゅうに口づけた。ひとつずつの部品が愛らしい、と思った。


「ユルカイアのことを知りたかったのです。知らなかったのであなたを損なったと思ったからです。……十年は長かったですか?」

「ああ」

彼は躊躇わず頷いた。

「だが当然だとも思った。俺はお前を守れなかったのだから。何度も死なせかけた。一番危険な時に傍にいなかった。夫を名乗る資格はない。最初に――お前が山に呼ばれたとき、まるでなんてことないかのように扱って、本当にすまなかった」


剣タコのついた太い指がラウラの頬をなぞった。彼女としては、まさか彼がそんな懺悔を抱えていたとは思いもよらない。グティエルは常にユルカイアの中にあり、ユルカイアから離れたら溶けて消えてしまう鋭利な美貌の雪像のようなもので、その外見と同じく当然のように妻にも冷たい部分を隠し持っているのだろうと考えていた。貴族の男とはそういうものであるから。


例えその言葉が気の迷いでも熱に浮かされたからでも構わなかった。彼女は彼の指を掴んで、しっかりと目を合わせた。黒い目は山の暗闇の色、笑みはもう山猫のようではない。ただ不安と愛情と、それを表に出して嫌われたくないと葛藤するごく平凡な一人の人がそこにいるだけ。


「私は今のあなたの方が好きです。十年前、あなたは私を守ろうとしてひどいことになりかけていました。私がよく知っているひどい事態です。そうならなくて、よかった……」

「山に呼ばれるということの本当の意味を、お前が危うかったのだと知ったとき、死ぬかと思った」


グティエルの指はまだわずかに冷たい気がした。


「不法乗船者の子孫が平民で、俺たちは選ばれた合法乗船者の子孫なのだとマヌエラは笑った。だが山は無作為にお前さえ呼んだ。合法も合法のはずのクォートの末裔を。もうぼけてやがるんだ、あの山は。老人なんだよ。死すべき運命のものがまだ命にしがみついて眠っている。死の眠りを眠るために人を殺す意義なんてあるものか」


「私が母の、ローデアリア王国の血を継いでいるからだと思います。宇宙船に乗っていた人類は少なからず遺伝子改変を受けていましたが、ローデアリアの人々だけは一切の改変を受けない純血のホモサピエンスだったと聞きますから。それはきっと、平民たちのごった煮になった遺伝情報ととてもよく似ているのでしょう」


「はるか太古の昔、幾種類かの人類が混ぜ合わさったという、神話か」


類人猿から人類、そして改変を受けたミュータントやキメラたちの時代に至る歴史はすべて正しく伝承されたわけではない。だが貴族に与えられる教育の中にその情報が含まれていることは事実だった。


「一番守るべきものは一番数が多いものに似ている」

グティエルは不思議そうに呟いた。

「困ったことに、これがわかってしまう。お前はユルカイア人に似てきたよ、ラウラ。俺が守りたい土地と人々の気質を十年のうちに少しずつ受け継いだんだろう」

「嬉しいですわ」

ラウラはそっと微笑んだ。本心からだった。


いつの間にか両者の手が勝手に互いの身体を探り合っていた。羞恥心や痛みはどこかに置き忘れてきていた。もう何も怖いことはなかった。グティエルがいればラウラは生きていけるし、彼の方もそうだ。ならそれ以上を求める意味はどこにもない。理由もない。


ラウラは手探りでランプの灯を消した。その夜の眠りの中で母の夢を見た。彼女が膨らみ始めてきたラウラの乳房を指さして嘲笑し、こんな変な形の胸は見たことがない、中年男が太り始めたときの形だ、と言ったときの夢だった。目覚めたときにはそんなことは忘れていた。何しろ今のラウラにはグティエルがいて、彼の世話で忙しい。


このようにして彼女は過去から離脱した。ユルカイアの貴婦人として、これから生きる道の方が長いのだから。



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