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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
魔王とその続き

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ユルカイアの城は要塞化していた。

ラウラは息を吸い込む。清涼な荒野の空気とは似ても似つかない、鉄の粉の味がする空気だった。

「なるほど」

と、からんとした声が出た。


「十年経ったというのは本当みたいね」

一拍置いて、グティエルは弾かれたように笑い出した。

「信じていなかったのか! 疑り深いヤツ――」

「あなたのいうことを間に受けて、あなたとだけ一緒にいたのですもの」


ふたり、山の中腹にあるあの洞窟の入り口に佇んでいた。上へ下へ左右どちらにも、あらゆる道を縦横無尽に歩き通したあとだったからラウラの足は竦んでいた。最後の方はグティエルに支えられ、抱えられてここまで出てきたのだった。


眼前に広がる石造りの城壁は依然として堂々たる姿だが、随所に新しい石積み、白い漆喰の補強が見受けられた。頑丈さを増した壁には幾度も襲撃されたらしい焼け焦げあと傷があった。堀を渡る跳ね橋。鋼鉄製のバリケードと何重にも張り巡らされた鉄条網に攻撃魔法の呪符が貼られているのが見える。


警邏兵が巡回していたが、皆一様に手に槍を持ち厳めしい様子だった。うち何人かがこちらを見上げるので、気づいているのだろう。グティエルは城というよりそれを見るラウラの様子を眺め、何事かを思案している。


「魔物はもう収拾がつかないのね」

「ああ。マヌエラが持っていた魔物を操る能力は失われた」

ラウラは頷いた。

「あれは地球からもたらされたものだったの。マヌエラに力が現れたことも奇跡だった。エトナはうまく魔物の波を押しとどめたけれど、百年経って封印は破れてしまった。もう誰も魔物に命令できないわ。彼らは――人類から解放されたの。やっと」


グティエルがタイリーから引き継いだ山の中に魔物と人の境界線を敷くという作業。気の遠くなるほど地道で地味で面白みのない作業が、それでも彼らを山の中に下がらせていた。ささやかなハーブの香りや小さな魔石の魔力、聖水で湿らせた縄が。


「彼らは思うがままに人類を蹂躙するでしょう。ヴィザートの言う、正規の乗組員なんてもう残っていないんだもの」

グティエルはラウラの横を通り過ぎ、一面に広がる荒野の灰色のその向こうを指さした。


「クォートは大聖堂を中心に都市の守りを固め、この十年を耐え忍んでいる。ユルカイアもそうだ。ひたすら防御して立てこもること。それができなかった街や村は滅んだ。クォートは今でも叫んでいるよ。ユルカイア人が山の中から魔王を復活させ、人類を滅ぼそうとしているのだと。本当に魔王と呼ばれる者が、それさえ倒せばこの状況を終わらせられる王がいるのなら教えてほしい。俺が殺しに行くから」


「クォートは敵がなければ存続することはできない帝国です。ユルカイアを仮想敵としてなんとか国内を纏めている状況なのでしょう」

それはとても幼くギリギリの政局だろう。


「結界魔法はまだ存続しているのですか?」

「ああ、ユルカイアもまた結界に守られている」

「え?」

ラウラは目をしばたいた。


「大聖堂が結界魔法の技術を手放したのですか?」

「亡命者たちだ。大聖堂内部でもまた政治闘争があった。逃げてきた者たちが技術を伝えてくれた」


「左様ですか。では、こちらでも神の教えを元に一派を作り出そうとするでしょう。お気をつけなさいませ。領主の決定に神を持ち出して介入しますから」

「お前はよく知っているな。その通りになったよ」

「――お手伝いします。クォートの血筋が何らかの助けになるはずです」


グティエルはラウラに向き直る。まだ低い位置にある太陽が逆行になり、ラウラは目がくらんだ。彼の黒い目は山の中の暗闇の色。影になってしまうと、ラウラの目では何も見えない。


長い間ずっと手元の文字だけを見てきた荒野の魔女は、遠いところも高いところももう見ることができないのだ。


「ゴドリア・クォート神聖皇帝は崩御したよ。メイ皇后が女帝として立ち、息子を皇太子につけ、大聖堂の聖堂長が執政を名乗って宮廷と大聖堂を行き来しているようだ」

ラウラは足元が崩れた気がした。


「クォートは滅んだ。メイは権力を手放すまい。そして聖堂長は――あれは、この世の誰より権力欲がある。まるで世界の王になりたがっているかのようだ。結界に囲まれた、魔物に溢れる世の中の人類を牛耳る王に」


なんとか踏みとどまった。頬が急にヒリヒリした。いろんなことを思い出し、心臓が縮み上がる。ラウラは冷や汗が浮かんだ額に手を当てて、遠く山の頂を眺める。


「お前の家は、故郷は、残っていないよ」

労わりを込めた声だった。グティエルがこんな大人びた、深い声を出せるとは知らなかった。ラウラは首を横に振る。


「私の住処はユルカイアですから。それに、私の家など元からありません」

「そうか。なら、自分の立場が相当に悪いこともわかるだろう?」


かすかな理解と諦念に満ちた声でグティエルは頷き、そっとラウラの目を覗き込んだ。山猫のような笑みに父性と年月が添加されて驚くほど綺麗だった。人に騙されたことのある子供の目だ。人を騙したことのある男の目だ。あの少年のようだった人はもういないのだった。


「ひとつだけ頼みがあるんだ。大人しくしていてほしい、という頼みだ」

「……理由をお聞きしても?」

「お前は今やユルカイアの要だ。荒野に建ったアンティーヌの塔は山の内部と繋がり、外部から魔物の制御を助ける機関となっていた。お前はそこで十年を過ごすうちに歯車のひとつとなった。お前がユルカイアにいれば、ここの防衛機構はより強固になるだろう」


そんな理屈は聞いたことがなかった。だがラウラは目を伏せ、はいと答えた。グティエルは穏やかで優しい言い方をして、ゆっくりと動いたが、どこか必死に見えた。血走った目に見えた。ならばラウラが言うことを聞いてやらない理由はなかった。彼女はグティエルのために何かしたかったし、グティエルの望むようにありたかったのだ。


彼を犠牲にしたくなかったのは、犠牲になる彼はラウラの望む彼ではなかったからだ。だが今のグティエルは――ラウラが初めて会ったときと同じ、ユルカイアの一部である彼だった。


グティエルは従順な様子のラウラに裏があるのではないかと目をすがめたが、やがて口元をほころばせた。山猫のようではない、普通の笑みだった。

「いずれクォートの竜の血がユルカイアに入れば、もっと強固になる」


ラウラはそんな場合ではないのに赤面した。グティエルはそのごく平凡な幸せが、まるで当然のように降ってくると言わんばかりである。まるで未来を考えてくれているようで、嬉しかったのだ。


彼は彼女のうねる黒髪をひと房、指に巻き付けた。

「わかってくれるか? ここにいてくれ」

「はい」


そもそももうここ以外に行く場所はない。ラウラは一も二もなく笑う。十年。やっと腑に落ちた気がした。十年が必要だったのはラウラではなくグティエルだった。彼はこの年月の間に心をどこかに落としてしまったが、代わりに真にユルカイアを愛するすべも身に着けたのだろう。


「それじゃ、決まり」


ほっとしたように彼はラウラを抱きしめた。見られていることを知っていたので恥ずかしかったが、ラウラは彼の肩口に額をこすりつけてそれを受け入れた。


「これでやっと、全部よくなるよ」

とグティエルは囁いた。しんみりした声だわ、とラウラは思った。




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