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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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ルイーズの肩がびくびく震え出した。振り向いた愛らしい猫のような吊り目は潤んでいる。顔は真っ赤だった。

「違、違うわ。なんのことだかわからないわ」

「震えてるわよ」

ふええええ、とルイーズは泣きだした。ラウラはふと――マヌエラが心から泣くことができたらこんなふうだったのだろうと思い、苦笑する。もはや怒る気もなかった。


宮廷で毒は日常茶飯事だったし、むしろ毒だの熱だので寝込んでいるときは母からの仕打ちが止まるので心待ちにしていた時期さえあったのだ。こんな簡単にヘマをする暗殺者はさすがに初めてだが、警戒のやり方を思い出させてくれたという点ではありがたいと言えるかもしれない。


「私の身体は毒に慣れてるけど、私じゃなかったら死んでたかもしれなくてよ」

「ごめんなさいぃぃいい……」

「ああ、もう。鼻水」


びええええと部屋の真ん中で泣きじゃくるルイーズの元に歩み寄り、ラウラはその絹のような髪の毛を撫で、世話をしてやった。ルイーズの茶色が混じった金髪、大きな青い目、小さな赤い唇。見れば見るほど彼女はマヌエラに似ていた。


足元で子羊は二人を見上げ、どでんと後ろ脚を投げ出して尻もちをつき、呆れ果てたと全身で示す。

しばらくしゃくり上げる音が響いた。ルイーズはぐりぐりラウラの肩に頭をすり付け、ろれつの回らない舌で繰り返した。ごめんなさい、ごめんなさい。


「だって、だって。グティエルはあたしのだもの。あた、あたしが結婚するんだものぉ……」

「うん。ごめんね」

「横入りしたのそっちじゃん!」

耳元で唐突に叫ばれて鼓膜がじんと震えたが、甘んじて受けよう。

「あたしの、あたしの結婚式ぃいぃ……!」


ラウラはルイーズの頭を肩口に押し付けて、背中を撫でる。妹にこうしてやれていたらよかったと思った。彼女が母と徒党を組んで姉をいたぶることで、よりよい待遇、いじめられない立場、豪華なドレスを手に入れることができると学習する前に。あの愛らしい顔が優越感で醜く歪む前に、ラウラを踏みつける快感を知る前に。まだ彼女が人間に戻れるうちに――姉としてできることが、あったはずだったのだ。


ルイーズはまだ間に合う。ラウラは確信する。ルイーズはまだマヌエラに染まり切っていない。おそらくマヌエラは自分に懐いてくる子供相手でも駒は駒と割り切れる女性だったのだ。


「ルイーズ、聞いて。もしあなたがこの先どんな立場になるのだとしても、貴婦人としての誇りと礼節を忘れなければ、きっとグティエルよりよい貴公子と縁が結ばれるわ。一緒に頑張っていこう? 私はあなたの味方になりたい。あなたの味方する代わりにあなたにも私の味方に、仲間になってほしい。だって私、ユルカイアで味方がいないんだもの」


ルイーズはきょろきょろと視線を彷徨わせ、口をぱくぱく開閉した。損得を考えたくても考えられないでいるらしかった。少女らしい小さな悪が大きな目の中で目まぐるしく行きかう。

「そうして頂戴。お願い」

ダメ押しにラウラはそっとルイーズに礼をした。腰から身体を折る正式な礼だった。

「ね? お友達になりましょう。私たちはうまくやれるはずだわ」


ラウラにとって友人とは父親の勢力図が変わればうつろう雪のようなもので、自分に毒を盛った相手に頭を下げるくらいはなんともない。ルイーズの大きな目がわかりやすく揺らいだ。彼女の中で彼女なりの理屈づけが終わったのがわかった。


「そこまで言うなら、まあ、いいけど……」

「ありがとう。嬉しいわ」

ラウラは笑った。ルイーズも笑った。

年上の女として余裕があるように見せかけながら、ラウラは子羊を抱き上げ、何の気なしに聞いたのだと聞こえるように言った。


「毒なんてどこで手に入れたの?」

「マヌエラ様が残しててくれたのよ。いつか使うときにって」

どこか誇らしげにルイーズは答え、なるほどとラウラは内心、唇を噛む。

マヌエラ亡き後、彼女の私室はそのままルイーズのものになった。本当に勘が鈍っていたらしい。洗いざらい引っ掻き回して情報を得るべきだったのだ。たとえ侍女たちにどれほど陰口叩かれようが、そこを外してはならなかった。


ラウラはいつだって間が抜けている。まるでぽかんとしているうちに害されれば被害者になれると思っているようだ、と言ったのは母だったっけ、妹だったっけ? よくない。本当に殺されてしまう。メイに爆殺された弟妹たち、優しかったタラとその家族、子供の頃から暗殺されかけ続けて壊れた父。みんな十分すぎるほど警戒していたのに、それだけでは足りなかった。


「出して。私に頂戴」

「ええー? 何に使うの? ひょっとして全部嘘!? あたしのこと殺そうとしてる!?」

バチン、と音を立てて頬をビンタされる。

「イヤーッ、人殺し! あたし死なないもん!」

「誤解させてごめんね。ルイーズ、あなたその毒をうっかり自分で飲んじゃって死なないって約束できる?」


自覚はあったのか、ルイーズは言葉に詰まった。ごくんと唾を飲む喉まで真っ白で綺麗な娘である。

「きちんと管理できる? マヌエラ様は管理方法を全部教えてくれたの? それであなたはそれをちゃんと覚えてる?」

「……ない」

「じゃあ、頂戴。あなたが持っていたらいずれ死んでしまうわよ」


しょんぼりとルイーズは項垂れた。理解できるように諭してあげればそうそう反抗ばかりの娘でもないのだ。ラウラはほっとした。

「あたしに使わないでよね?」

「使わないわ」

「あたしのこと、殺そうとしたらグティエルが黙ってないんだから!」

「ええ」

「あたしのこと邪魔だって思ってるんでしょ。でもあたし、死なないもん」

「ええ」


ルイーズは素直で愛らしかった。ラウラは彼女のすることなら大抵は許せてしまうだろう自分を見つけて苦笑する。足元で子羊がわざわざでんぐり返ししている。


「あんたがあたしのこと殺そうとしたら、えっとえっと、もっと強力な毒を盛って殺してやる! あたしが持ってる毒、いっこだけじゃないんだからね!」

「ええ、分かった。そうしていいわ。私はあなたを殺さないけどね」

それで話はまとまった、はずだった。どちらも気づいていなかったのだが子羊は気づいていたかもしれない、扉の向こうにグティエルがいたことに。


彼は山から帰った直後だった。領民たちがまた何か燃やしている煙を、はるか山頂付近の洞窟の入り口から眺めたあと。城に裏口から入ってきたので、侍従二人が食糧庫の隅で隠した革袋の中身を覗き込んでいるのが見えた。


侍女が厩番の少年を鞭打つのが見えた。辞めたはずの使用人がおり、いないはずの村人が入り込んでいた。秩序は崩れ、無法地帯だった。

グティエルにはそれを止める気力がもうなかった。若いのに手足は泥のよう、頭全体と目の奥が常に痛かった。背中の骨は軋み、腰の骨から肉が外れそうにズキズキする。息は山の中の水蒸気の味がした。鏡を見たら頬がこけているだろうと思った。身体じゅうの水分が抜けきってカラカラに干からびている、そんな感触がした。早々に老人に、幽霊になってしまったような。


そんな中でラウラの存在は救いだった。彼は父親と違う男になると心に決めていた。妻を愛し、子供を愛し、彼らから逃げない。ユルカイアから逃げない。本当の戦士になるのだと。義務感から発生した愛だからといって、それが一目惚れだの燃えるような不倫の恋だのに比べて劣る理由になるだろうか? グティエルはラウラのことが大切だった。彼女に傍にいてほしかった。


だからルイーズに肩を掴まれているラウラ、赤い血に染まった洗面器、零れた赤い水、それから黒い血がこぼれた寝台の上の枕という視界にはいったものは、すべて、咄嗟に脳が理解を拒否するほどの衝撃だった。認めたくなかった。グティエルはルイーズが紅葉のような手をした幼児だった頃から妹として愛していた。


頭の中が白く、灰白色に光り、思うことを思うより先に身体が動いた。


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