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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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グティエルは再び山の中をさすらうためユルカイアを離れていた。人々は聞こえよがしに、なんのために行くのかと訝しがる。異変の大本を突き止めなければならないからだとラウラは説明する。では突き止められたのかと返ってくるので返事に窮する。すると、いつの間にか夫が邪魔になった奥様が彼を山へ追い払っているという話が出来上がっているのだった。


やれやれ、と思い許してやるのがラウラの務めだった。その前夜も苦笑しながら寝床に就いた覚えがある。見たのは悪夢だった。大事なものが全部燃える夢。


そして目覚めたラウラはそのまま枕に血を吐いた。さすがにおかしいと気づいた。夢見が悪く吐き気が続いていたが、いきなり血を吐くほど軟弱ではない。使用人たちの噂話や反抗などで弱るなら皇女などできなかった。


皇女といえば、これは、

「毒かしら」

と頭の一部分は冷静で、残りの部分はパニックに陥り叫んでいる。

「そんなに私がいると目障り?」


ちょっと笑った。おかしかったのだ。自嘲もあったがそれ以上に、

「私を殺したところで魔物が止まるわけでも、クォートの軍勢が留まるわけでもないのに」

という気持ちが大きくて、おかしくてたまらなかったのだった。


ラウラは思ったより冷静でいられた。少なくとも尼僧のヴェールをかぶっていた頃、なんの人違いだかそうではないのだか似たような目にあったときよりは落ち着いている。焦ったら毒はますます回るし、そうすれば毒を盛った奴の思い通りになってしまう。


(私は誰かの思い通りにはならないわよ)


と思って唇の端をひん曲げた。寝台の下から寝ぼけまなこの子羊が出てきて、ラウラを見上げ悲鳴を上げる。

「びっくりさせてごめんなさい、大丈夫よ。見た目は派手だけど死ぬような毒じゃない」


そういえばこの子が足にすり寄ってくるのも久しぶりな気がする。ラウラは最近、忙しいのかそうでないのかもわからないでした。あまり人と会話がなかったのだ。金銭の管理や蓄えられた食料を把握するため台帳を付けることはしたけれど。誰もラウラと話したがらなかったし、ユルカイアの外から逃げ込んできた避難民と接触させてくれもしなかった。


まるでマヌエラの遺志を継いでラウラが妙なことをしないよう見張ろうとしているかのようだった。人々は統括する者もいないのにそのことにばかりはよく結託した。


だからラウラは家畜の日以降、冬の暗い雪が降り注ぐ中、城でひとり、物思いにふけることが多い。油断したのだろう。常に宮廷にいるつもりで気を引き締めておくべきだった――もう遅いが。


ラウラは洗面器に水を張ってそこでよく口と喉をすすぎ、手鏡で喉の奥を確認した。赤く腫れていたがそれ以上の吐血はないようだった。腸の方は問題なく、問題あるのは胃の中がごろごろする感じ。胃に作用する毒なら確かに入手は容易い。舞踏会でお目当ての貴公子とライバルの貴婦人が躍るのを阻止するため、女の子が占い師のところに買いに行ける程度の等級の毒である。


よって死にはしない、とラウラは結論づけた。今日は診療室に顔を出さず、自分の部屋ということにした主賓室で大人しくしていよう。


子羊が膝に頭を乗せ、黒い目でじいっとラウラの顔を見上げる。彼女はその耳の後ろをかいてやり、じっとり湿った体温に顔をほころばせた。子羊はちっとも大きくなっておらず、生きているわけではないことを示すように呼吸も白くならないのだった。


手持ちのクズ魔石の加工品を飲み、暖炉の火をつつきながら胃の痛みが去るのを待った。足音は静かだった。

「――グティエルはこの羊を自分の中に戻す方法を忘れたようだ」

ラウラはひゅっと息を飲んだ。怒った肩がゆるゆると元に戻るにつれ、髪の毛の根本が静まる感触がする。


「エトナ様。いらしたならお声がけしていただけません?」

「毒か?」

「はい。でも死なないものですから、大事ありません」

「隙があるから毒を盛られる。クォートの者だというのに脇が甘い」

「面目次第もございません」


鉄錆色の狼に聞きたいことは山ほどあった。子羊は今後どうなるのか、魔物たちはどうして山から溢れたのか? グティエルは倒れてしまいそうだ、彼は大丈夫なのか?

ラウラはすべての疑問を飲み込んでこう言った。

「マヌエラ様がいなくなりましてから、城の中は弱肉強食の様相です。強い使用人が仕事を放棄し始め、グティエルは気づいていませんが一番弱い者から職を離れていきます。登城する必要のない人々もたまにやってきては備蓄を掠め取っていく。エンバレク家の威光が弱りつつあるのです」


「あれの怠慢の結果だな。当然の道行きだ。山にばかり気を取られて人を統治しなかった。辺境伯を名乗るならもっと強い男であらねばならなかったのだ」

あまりにも突き放した言いぐさである。ラウラはさすがに柳眉を逆立てた。


「なら、マヌエラ様のやり方がよかったとでもいうのですか。借金で追い込んで甘い言葉で誘惑して、あの方はまるで女王のようでした。グティエルは子飼いの騎士のようでした。人々の尊敬も畏怖も、本当は彼のもののはずでした……」

「本当は、ね」

雷のようにゴロゴロした低い深みのある笑い声だった。エトナは暖炉の前に寝そべり、そうすると火の勢いが強まったようにラウラには思われる。子羊が膝に乗り、挑みかかるように姿勢を低くする。


「本当は、本当は、本当は。本当を言うなら俺は今ここにいてはいけないはずだ。グティエルには両親がいたはずだ。マヌエラはいてはいけなかった存在だし、俺も狼となってまでユルカイアにしがみつく俺は怨霊みたいなものだろう」


くありと心からくつろいだ欠伸をして、エトナはぱたんとしっぽを振った。子羊が落ち着かなげにラウラの胸に頭をすりつける。彼女は子羊ごとすとんと椅子に腰かけた。木の脚がギイと悲鳴を上げる。


「本当なら君は今頃クォートの宮廷で皇女をしていたはずだ」

「……わかった。私が悪かったわ」

ラウラは肩をすくめて負けを認めた。エトナはくすりと笑うと、


「その子羊をグティエルに戻してやりなさい。そしてマヌエラの後を継げ。人を支配し、名実ともにユルカイアの貴婦人となるべきだ――アンティーヌがかつてそうであったように」


何でもないことのように言い切った。前から思っていたことだが、魔王と呼ばれるまでの権威をもつことができた男はひょっとして、力や才能のない者は逆立ちしても英雄に慣れないという基本的なことを知らないのかもしれない。ラウラはそのことについて指摘しようとしたが、扉のノックに言葉を飲み込んだ。


エトナの姿がするりと闇に溶け、盆を持ったルイーズが入ってきた。

「なあに? 羊と話してたの?」

「まあね」


「わ、どうして洗面器が真っ赤なの?――血を吐いたの?」

ぎこちなく、ラウラの方を見ない。

(ああ……)

と気づいてしまって、ラウラは怒るより失望するより先に脱力した。あまりにもあからさまだった。


「どうしてまっさきにそんなふうに言ってしまうの。それじゃあなたが毒を盛ったと認めたようなものだわ」


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