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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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ほとんどすべての人々が予想したのとは異なり、魔物たちはユルカイアを率先して襲ったりはしなかった。彼らはむしろ荒野に散らばり、群れ単位、あるいは一匹単位で行動した――行く先は分かり切ったことだった。都へ、クォートを襲いにいくのだ。


人々はほっとして互いににこにこ囁き合った、よかったよかった、今度こそユルカイアの終わりかと思ったが……。そしてラウラを見てますますにっこりするのだった。クォートの姫君がクォートを襲いに行けと言ったに違いない、あの人は淫欲皇后と一緒になって男と乱交していたそうだし、父親を暗殺しようとして失敗したのを恨んでいるから。


「魔物と一緒に進軍するかと思ったのに……」

「そのまま行っちゃえばよかったのにねえ」

とすれ違いざま若いメイド二人にくすくす笑われて、ラウラとしてはもはや苦笑も浮かばない。しょんぼりも、できない。


小さな小競り合いの後始末にグティエルは奔走している。マヌエラはあれ以降行方が知れない。人々はそのどちらもラウラのせいだろうと大っぴらに責めるのだった。グティエルに全部任せて自分は左団扇である、マヌエラはラウラが一時期行方不明になっていたことを気に病んで失踪してしまった――グティエルの父タイリーと同じに。

「ユルカイアに必要な人ばかり追い込んで、奪っていくんだから……」


冬が近づいていた。ほんのひと月と少しの夏、そして涼しい秋が数週間続いたかと思うともう雪がちらつきはじめる、ユルカイアとはそういう土地だった。

ラウラがすべきことは冬を乗り越えるため人々を取りまとめ、準備を擦ることだった。貴婦人の務めである。


一応、人々のうち面と向かってラウラに反抗する者はいない。ルイーズなどは好奇心まんまんに、どこに行っていたの? と聞いてくるくらいだ。みんなラウラのことがうっすらと嫌いであるが、貴婦人として仕事をこなすならいてもいいと思っており、いることを許してやったのだから陰口くらい我慢しろと思っているのだった。


勝手な奴らだ。だが平民とはそういうものである。彼らは自分を庇護する貴族の悪口ならいくらでも言っていい。その代わりに絶対服従と、反逆と認定された場合の厳しい刑罰があるのだから。……とはいえラウラが耳にした自分に関する噂話や陰口ときたら、彼女があの宮廷であの母の元生まれ育ったのでなければ参ってしまいそうなほどである。グティエルも出来る範囲で庇ってくれているが、やはりそこは年若い男だからそもそも気づかない部分が多いのだと思う。


(冬支度がすんだら塔に帰りたい……けれど。義務は放り出せないもの)


膝の上で丸くなる子羊を撫でながらラウラは窓の外を見る。まだかろうじて初雪が降っていないだけの、すでに風は冬だった。戻ってきた正妻のための部屋を自分の居場所だと思うことはできず、望んでここにいるはずなのに囚われているような錯覚をしてしまう。


グティエルは残りの兵士たちを集め、ユルカイアに残った魔物を殺して回っていた。山の中、山の表面、村と村を繋ぐ生命線の道、そして城の城壁のすぐそばまで魔物は出没した。皆、動きが奇妙だという。


「異常に活性化している。もう冬なのに。そのくせ個体数は少ない。山の中にあったコミュニティが瓦解している。今出てくる魔物は、言ってしまえば孤児ばかりだ。大人に捨てられて腹を空かせ彷徨っているんだ」

と彼は言う。

「まるで自分が殺戮者のようだ。ひ弱い魔物を集団で罠にかけて屠るんだ……」


ラウラは思う。彼の精神は――ひょっとして人というよりも、魔物の側に近いのかもしれない。貴族らしく平民たちを守らなければと気負っているだけならいいが、最近のグティエルは現実から乖離しているようで、危うい。


彼女にできたのは彼のそばに寄り添って背中を撫で、ぎこちなく、

「それでもあなたは悪くないわ。誰かを守ろうとする行いは決して悪ではないのだから」

どこかで知ったようなことを言って慰めるばかりだった。暖炉には火が燃え部屋は暖められていた。グティエルが短い帰還を終えると、誰も薪を運んできてくれなくなるので部屋は寒くなる。


ひと月ばかり、その繰り返しがあった。


都の方では大聖堂が張った結界に推しとどめられた魔物どもが近隣へさらに侵攻し、いよいよ帝国軍による本格的な駆除が始まると風の噂で聞いた。畑に出られなくなるほど年老いた老人たちが城に集まり、グティエルと兵士たちと共に会議を開いた。それははるか太古の昔の伝説、円卓会議に形ばかり似ていた。そしてその会議で、ユルカイアは静観を決め込むことを決定した。


クォートから出兵を命じられれば従うしかないだろうが、そもそもユルカイアにいる兵士の数からして百人に満たない。騎士はたったの六人、魔法が使える貴族出身の魔法騎士に至ってはグティエルだけというありさまである。ない袖は振れないのだからそのとき考えればいい――というのが、ユルカイアの人々に共通した諦念なのかもしれなかった。


そうした動きにラウラは働きかける手段を持たなかった。生まれた土地を懐かしく思い、その苦境に同情するはする。けれど宮廷と大聖堂以外を知らないのだから、仮に何かしら援助できたとして何が必要かもわからない。ユルカイアの人々はそんなラウラを見て、故郷を愛していないなんてと嘆くのだった。こんなにも奇妙な貴婦人と結婚せざるを得なくて、若様はなんておかわいそうに。


家畜の日と呼ばれる一斉屠殺の日が近づいていた。ラウラはユルカイアにやってきてもう一年が経ったことに驚愕し、たった一年であっという間に変質した世相に頭痛がする。部屋の中にと閉じ込められた子羊が不満顔で丸めた紙のボールを追いかけるのを見るときくらいしか、心休まるときはない。


晴れた日に計画通り魔物の襲撃を免れた農家から牛や豚を集め、城の中庭で屠殺した。男たちが絞めた家畜をぐらぐら沸かした熱湯につけ、毛を削ぎ落す。肉を切り分け、保存のためソーセージやハム、燻製肉に加工する。昨年のことを思い出しながら手伝おうにも、どうにも足手まといにしかならない。


この前とは明らかに人々の目つきの温度が違っていた。誰も目を合わせようとしない。ラウラはそろそろ本格的に、ユルカイアの敵と認定されかかっているのかもしれなかった。


日々の仕事の金銭の管理や人の割り当て、グティエルの衣服や鎧の世話。仕事はいくらでもあった。使用人の中で明らかに着服している者がおり、呼び出したところ彼はラウラが何を言ってもにやにや笑うばかりだったので解雇した。金の皿の最後の数枚と同時に彼は失踪し、人々はいい人だったのに追い出されたと噂した。金は返ってこなかったが、なんとか最低限の被害ですんだと思うしかない。


――どうやら人格に問題を持つ使用人たちは、今までマヌエラが抑えてくれていたらしい。彼女は優しく、賢く、出自やラウラとの対立は置いておいてもユルカイアのために生きていた。かけがえのない人だったのだ。


苦しさと悔しさと、ぐったりする虚無感にラウラは子羊を抱きしめる。小さな身体ですべてわかっている彼は、わざとじたばたのけ反ったり、ひづめで腕を叩いたりしてラウラを笑わせる。


子羊をグティエルに戻す、というのはどうやるのだろう? エトナ様もやり方を教えてくれたらよかったのに。自分はなんだってあんな簡単に承諾してしまったのだか。

何もわかってないくせに、グティエルに会える大義名分を手に入れたのが嬉しくて。


その夜、ラウラは夢を見た。ひどく重苦しい、内心が形を持ったような夢だった。


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