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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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死体は土に埋めてやらなければならない。身体が土に還ってようやく魂は天に昇れるのだ。ラウラは短い悲痛な呻き声を断続的に漏らした。


――彼らがクォートの騎士たちであることは、わかる。お揃いの刈り上げ頭、お仕着せ、何よりベルトのバックルに竜の紋章。人相はわからないが、ひょっとしたらラウラが挨拶を交わした相手かもしれない。


ラウラはへたり込んで顔を覆った。悲鳴も出なかった。


彼女の今の状態は、古く擦り切れた無地のドレス、化粧はなく、疲れ切って落ちくぼんだ目の周り、こけた頬、ぼさぼさの髪、それから裸足。つまり何が言いたいのかというと、彼女はヒロインではないということだ。苦境に負けず、必ず運命を切り開く強く美しい心優しい物語のヒロインではなく、ただ項垂れる女一人。膝に昇ってきてくれた子羊をただ抱え込むばかりの。


子羊はひづめで彼女の腹をひっかき、その下に頭を潜り込ませようとした。彼女はもはやそのぬくもりに縋るしかなく、自分の何分の一も小さな身体に顔を伏せる。


いつかの会話を思い出した。あの荒野で、子羊は馬と遊んでいた。ラウラはグティエルの横に座っていた。風は冷たく、土も湿っており下草には雪のかけらが残っていた。身体の芯まで冷え切っていたがそれを感じたのは塔に戻ってからのことだった。ラウラはただ、彼がいてくれたのが嬉しかった。


「あの狼は何を話した?」

「ユルカイアのことを。彼しか知らないことの断片を教わりました」

「俺には何も言ってくれなかった」

「私にはよくしてくださいましたのに、お身内に厳しいとは……」

「会話があったのか?」

「はい。話を聞いてくださって。思えば不躾なことをしてしまいました」

「そうか」

彼は柔らかな笑顔を浮かべた。

「お前が誰かに優しくされたのを聞くのは嬉しいよ」


――ああ!


ラウラは地面に拳を叩きつける。


グティエルは優しい人だった。たとえ不器用でも彼女に精一杯優しくしてくれようとしていたのはわかる。彼は誰にも心から愛されたことがない人だったのだ、ラウラと同じに。マヌエラもルイーズも彼に甘い言葉を囁いたが、それは彼本人を愛していたからではないとラウラにはわかる……彼女もまた、グティエルの辺境伯としての地位と立場、強引な婚姻がなければその心を知ろうとさえ思わなかっただろうから。


ラウラもしょせんマヌエラたちと同じ汚い女のうちの一人だ。けれど。

「……望んでこんなことをしたわけでは、ないわ。彼は。決して」


地を這うような声だった。腕の中の子羊が目を見開いたが、地面に突っ伏したラウラには見えないところである。ただ彼女は悲しく、悔しかった。

「こんなこと望んでする人間がいるわけない。私、私は……助けてあげなくちゃ」


灰白色の目に決意が宿った。彼女は拳を握りしめ、口を引き結ぶ。大聖堂は彼女にとって沈黙の楽園だったが、安穏とした静謐は神の教えと秩序がもたらしたもの。ラウラは神を信じている。グティエルもきっと救われるだろう。あれだけのことをしたラウラが今もなお五体満足に生きていられること自体、祝福に違いないのだから。


俯いた顔を上げ、ラウラはなんとか立ち上がろうとする。弛緩した膝はガクガク折れて、なかなか思い通りにいかない。自分の身体さえ思い通りにできないなんて、悔し涙が浮かんだ。


子羊が低い声で鳴いた。聞いたことのない声だった。


目の前に手が差し出され、ラウラは顔を確認せずともその手の主を知っていた。裸足の足の指がきゅっと丸まり全身が緊張した。


「――立ちなよ。説明するから」


疲れ果てた声でグティエルは言う。彼は泣いたあとのように目のふちを赤くして、かさかさの唇と少し痩せた身体、着古したシャツにズボンの軽装も相まって弱々しく見えた。


「何もしない。さあ」


ラウラはその手を反射的に取った。夫の手は子羊と同じに温かかった。子羊が警戒してラウラの後ろに回り、頭だけ出してメエメエ威嚇する。


彼の衰えてもなお力強い腕が彼女の身体を引き上げた。ラウラの胸がはちきれた。死体への恐怖だとか、会いたかったとか、グティエルのことを信じている、いいえこれは何かの間違い、マヌエラの怒りは怖かった、けれど私は負けなかった――思いは言葉にならないものもあった。彼女は腕を引かれる以上の強さでグティエルに飛びついた。もうなりふり構っていられなかった。情動は、総動員した理性より強かった。


グティエルの体温と匂い、額にあたる黒髪がぱさぱさしていた。間近に見た肌は少なくとも粉を吹くくらい悪くしていた。彼の大きな手が背中を押さえて自分に押し付けた。


してしまってから、あまりに近すぎる行動だったかと後悔した。素肌同士が触れ合うと、何を言っても嘘になる気がする。ふたり、しばらくそうしていた。離れがたかった。自分以外に抱きしめていい相手をはじめて得たからかもしれなかったし、ただ異様さと山とその鳴動を忘れたかっただけかもしれなかった。


「小屋に。ここは風が冷たいから病気になってしまう。――嫌じゃなければ、お入り」

「……ええ」


ラウラは子羊を手招いた。彼は尻込みした。だが結局は、馴染んだスカートに隠れたいと思ったのか彼女に続いた。

小屋は小さく整頓された心地よい空間だった。木の香りが漂い、乾いた風が小窓からわずかに入ってくる。

まるでその裏、ひさしの下に死体がいつつもぶら下がっていることなどないかのように、あまりに牧歌的な情景が広がっている。


小屋の行き止まりに大きな石製の暖炉があり、今は何も燃えていない。暖炉の上に吊るされた鉄鍋は使い込まれた証拠に油の輝きがする。小さな木製の椅子とテーブル、その上に散らかった蜜蝋ロウソクとナイフや羽根ペンなど。まるで彼が誰かに手紙を書こうとして断念したあとのようだった。


「山に入るのは俺しかいないから、ここに小屋があるのも俺しか知らない。どうやってここに来たんだ?」

「塔の中に穴が開いていたのです。それを辿ったらここに出ました。狼が、エトナ様がそうしろと仰ったのに従いました」

「そうか」

グティエルは手早く火を起こし、ポットに壁際の樽から水を汲み入れ、火にかける。


それから腰に下げた革の鞄を探り、くるりとラウラに向き直った。彼女は行く当てがない孤児のようにぽつねんと扉のそばにたたずんでいた。

彼はゆっくり彼女に近づいて、そっと取り出したのはあの石の花である。ラウラは反射的にそれを受け取った。変わらないきらめきで山の結晶は静かに手の中にたたずむ。


「なんで……?」

と言ったきり、二の句が継げない。

彼が今、これを持っている必要はまったくないはずだった。

「お前に会えるかもしれなかっただろう?」

グティエルの声は静かだった。当然のことをしたのだと。


「本当は荒野に逃げた日に持っていくべきだった。これはお前のものなんだから。俺がお前にあげて、受け取ってもらえた最初のものだから。お前が持っているべきなんだ」


ラウラは目に涙が滲むのを感じた。限界を訴える足がもうすぐだめになる。だがその前にグティエルの顔を見つめた。


「ありがとう。私の、持ち物についてこんなにも気遣ってもらえたのは、初めてです」

「そうか。――座れよ。ひどい顔色だぞ。って、まあそうなるよな。あんなものを見たらな」


グティエルは苦笑じみた温度のない笑顔を浮かべた。

「ごめんよ」

「いいえ、いいえ」


ラウラは激しく首を横に振り、黒髪が乱れて背中に波打つ。彼女は髪を留めるものを何も持っていなかったため、それらは結ばれもせずにただ彼女の首を覆い、うねっていた。突然、ラウラは自分の何もかもが恥ずかしいと感じた。驚くほど醜く、どうにもならないほど汚れていて、夫の、男性の前に出てくるべき姿ではなかった……。


「説明してくださるのでしょう? 聞かせてください」

石の花をしっかりと胸に抱きしめ、彼女はなんとか口の端を引き上げて笑った。

「私はあなたの全てが知りたいです」

「長い話になる」


グティエルは頷く。黒い髪と黒い目、まるで山の中の闇そのもののような。彼は完璧に彫刻された英雄の彫像の、少し若いときの姿そのものである。


ラウラの足元で子羊は唸り声をしじゅう上げていた。まるでこの空間とこの状況そのものがおかしく、早く気付くべきことに気づかない愚か者ふたりだと言わんばかりだった。


確かに狂っていた。ふたりは死体のかたわらで心を開こうとしていたのだから。


隙間なく組まれた丸太の壁は頑丈だったが、火の勢いを借りても冷たい風が室内の空気を荒らした。お湯が沸いた。グティエルが暖炉に向かうのを眺めながら、ラウラは寝床に引き寄せられる疲れ切った中年女のように椅子に沈みこんだ。床は粗削りの木材で、歩くたびに軋む音が響く。


子羊が膝に乗って来て、その温かさに眠気がやってきそうだった。目の前に湯気を立てるカップが置かれ、日常の気配に涙が出そうだ。


小屋の外では死体が揺れている。乾燥して、ぼろぼろになって、辱められ蹂躙され命を散らされ、顔がないから文句を言うことさえできない死体が。

「俺が生まれたとき母親に捨てられたことは知っているか?」


グティエルは眉に皺を寄せながらテーブルに腰かけ、話し始めた。

まるで小屋の外に世界など広がっていないかのように。


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