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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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「何を笑っているの? 何がおかしいの?」

「愛されたことを誇るあなたが……眩しくて」


ゆるく首を横に振り、


「ヴァダーが憎かったの? だからエトナを狂わせたの?」


両手を下腹の前で合わせながら尋ねると、マヌエラは叶うことなら目の前の女の首をへし折りたいという顔をする。金の髪がさやさやと揺れて、ラウラはその色合いが素直に羨ましかった。


「エトナ様は宴会で傭兵に絡まれた私を救ってくれたのよ。そんなことするはずない」


マヌエラはぴしゃりと言い切り、髪をかき上げた。


「愛されたことのない人には言ってもわからないのでしょうね。――私がどうしてあなたを訪ねたかもわからないのでしょう?」

「わからないわ。言って」


ラウラははっきりとマヌエラを嫌いになった。彼女の物言いは直接的で、だがルイーズより遠回し、ただ悪意だけが伝わってくる。なのに優しい笑顔は顔に張り付いたまま、まるで優しさの仮面をかぶっているようだった。


彼女はこの顔でたくさんの人を思いのままにしてきたのだろう。……母カティアと同じに。


「あなたにここから去ってほしいと思って。ユルカイアから出て行って。お金をあげるわ」

「どうして?」

「あなたは竜の、クォートの血筋だから。山はあなたを欲しがるわ。山の中には魔石の源泉があるのですからね」


ラウラは目を瞬く。


「一体何の話……?」

「知らないの?」


マヌエラの目に憐れみが浮かんだ。この目にラウラは何度も見つめられ、そしてそのたび、自分が求められる人物ではないと知るのだった。


「じゃ、知らなくていいわ。出て行って」


ラウラの足元に小さな革袋が投げられた。中身のコインがちゃりんと音を立てる。これほどの侮辱を受けたのは初めてだったので、ラウラはさっきからぽかんとしっぱなしだった。


「いらないわ。クォートの皇女は施しなど受けない」

「いつまで皇女サマ面しているつもり? あなたのいるべき場所はユルカイアじゃないのに。行きなさいと言っているのよ、わからない? この世のどこかにあなたを受け入れてくれるところがきっとあるから……ここじゃないところに出て行って。早く」


ラウラはかすかに口を開けたまま笑う。首を横に振る。この人は何を言っているんだろう? 心から不思議に思った。


「私がいていい居場所はこの世のどこにもないわ。だからユルカイアにいさせてもらおうとしているのに」


マヌエラの黒い目がとうとう一線を越えて三角にとがった。


ラウラはその目を知っている、憎しみと侮蔑の目だ。どうして自分より下の者相手に腹を立てなくてはならないのかわからなくて、この状況自体が腹立たしい。少なくとも母はそう言っていた。


母に憎まれたことは悲しいが、もう考えても仕方ないことだ。父が庇ってくれなかったのも呆れるが、今更どうでもいい。グティエルと一緒にいられなかったのは、悔しいことだった。それさえ思ってもどうしようもないことだ。


わかっていたことだ。諦めるべきことだ。開き直って運命に我が身を委ねるべきだ。でもその運命は特定の人間の姿を取っていてはならない。ラウラ・ローデアリア・クォートに流れる地球の血は他の誰よりも濃いからだ。彼女は他のすべての人より尊い身分だからだ。


――結局のところ、ラウラを突き動かすのは女のプライドと見栄だった。他の女や男とそりが合わないはずである。守ってくれる騎士もおらず有り余る金を持つわけでもない美しくもない口達者な女ひとり、よく殺されないで荒野に逃げ延びたものである。


「私を追い出したいなら殺しにかかってきて。お城の大広間であの人たちがそうしようとしたように。私は抵抗するけれど、殺されても恨まないから」


ラウラは目を伏せなかったし俯きもしなかった。マヌエラが冷静さを保とうと額に指を当てるのを眺めながら言った。


「最期まで生き延びようとするのはやめないけど、そこに理由はないけれど、やめさせようとしてくる人の言っていることを馬鹿にしたりしないから」


怒鳴る形に口を開き、だがマヌエラの表情はあくまで優し気で、目元の笑い皺さえ穏やかである。ラウラは彼女がそうしなければ生き残れなかった女であることに気づく。――灰白色の目に憐れみがよぎってしまったのだろうか、マヌエラの黒い目はますます怒り狂った。


意地の張り合いが最高潮に達したとき、わざと高らかに爪で石の玄関先を傷つけながらエトナは塔を覗き込んだ。ため息交じり声は年老いた男のそれそのもので、ラウラの胸に思わず罪悪感が生じるほどしょぼくれていた。


「こんなところでまで喧嘩をするな。ここがどこだと思っている?」

「アンティーヌ様の魔法の塔ですわね」


ラウラは肩をすくめて脇にどいた。エトナは鉄錆色の立派な体躯が半分に見えるほど肩を落としながら入って来て、大穴を前に耳を後ろに倒して嘆く。


「ああ、とうとう荒野と山がつながってしまった。これを避けるためヴァダーは死んだのに」


狼騎士ヴァダー・エンバレクが魔王との戦の後遺症によって早くに身罷ったのは有名な話である。暴れ竜のラベリアス・クォートは友の死を悼んではるばるユルカイアまで何度も見舞いに来て、その葬儀では華々しく泣いたそうだ。


「繋がっては不都合がありましたか?」

「魔物が荒野に出てくる。荒野には境界線がない。魔物が人の世に直接チャネリングされてしまう。ユルカイアは魔物から人の世を守る防壁だったのに、我らの存在意義が消滅してしまうことになるのだよ」


彼のこっくりした深い黒い目は悲しみに暮れていた。おすわりをして穴の中を覗き込む彼の横に子羊が忍び寄り、一緒になって暗がりを眺める。ラウラは螺旋階段の一番下にたどり着くと、壁に手をついて狼を眺めた。なんとなく、自分はもう蚊帳の外だろうと悟ったからだった。いつだってそういう役回りだったので、理解も早いのだ。


マヌエラがヒュッと息を飲み、ああ、とうめきながら半歩踏み出した。


「エトナ様……!」


その切なさ、胸を掻き毟りたくなるほどの後悔、痛切な悲嘆の大きさ。ラウラは胸に差し込む悲しみを見ないふりする。傷んだのは魔力嚢の皮であって、心臓ではないと思い込む。――ラウラがこれほどの愛と執着と献身をもって誰かを愛することができる日はくるのだろうか? 引き合わされた夫に対してさえ、自己保身を元にした愛着しか抱けない歪んだ女である自分が。


「エトナ様、私、私は! 決してあなたを裏切ってなんかいないんです。あなたの狼をだめにしようとは思っていませんでした」


悲しんでいるのは確かなのに、マヌエラは十歳も若くなったように見えた。心からの感情で相手に向かい合うとき、人間はこうなる。ラウラはつま先で床板の残りを叩いて子羊を呼んだ。腕の中にきてくれたぬくもりだけがよすがである。


「ああ、私のせいであなたが人間の姿を失ってしまうなんて。山に囚われてずっとずっと、未来永劫、戦わなくちゃならなくなるなんて知らなかったの。ああ、でも――エトナ様! またお会いできて嬉しいですわ。エトナ様! あなたに再会するため生きてきました!」


狼はくるりと反転してラウラを見据えた。


「ラウラ、その羊をグティエルに返せ。封じられた山から出られる道があると魔物たちが気づくまで、もう猶予はない。――封印が失われるまでにユルカイアを結界で囲い、魔物ごと完全に封じるはずだった。だがその技術は大聖堂に奪われた」


ラウラは子羊を抱き上げて頷いた。おそらくはエトナに話しかけられたという一点において、マヌエラの感じる憎しみは最高潮に達したらしかった。優しげな顔から優しさが拭い去られると、あとには年齢と心の内側しか現れないのだということをラウラは知った。


彼女はマヌエラの前をすり抜け、穴の中に躍り出た。もう何年も前に思えるくらい昔、似たような感じで坑道に滑り落ちたときがあった気がする。頭の上で大人たちが複雑な愁嘆場を開始していた。腕の中で子羊が不安そうに鳴いた。


魔石のかけらのきらめきを頼りに、ラウラはよたよたと走り始めた。山の方角へ、ユルカイアの城に向かって。


いつかまた塔に戻ってくることはできるのだろうか? ここに彼女の敵はひとりもいなかった。ここは安全だった。怒鳴り声、嘲笑、殴られる危険、殴るふりをされる危険、すべてがなかった。


荒野にはただラウラに似たものがたくさんあって、それだけだった。どこまでも続く平坦で面白みのない、彼女の心のような枯草が覆う地平線。彼女のうねる黒髪のような姿で枯れた木々と茂み、彼女の灰白色の目に似た地面の雪の名残り、痛みも苦しみもない時間の流れ。


ラウラはただ走る、走る。徐々に道に慣れてきて速度が速くなる。身体が温まり心が動き出す。


(グティエルに会いたい)


もはや狼の指示通りに動いているのか、心に突き動かされているのか、それさえわからないまま。ラウラは広大な荒野の地下を子羊とともに疾走する。



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