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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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「彼はユルカイアと百年前の己の物語を守るためだけに生きている」

とタイリーは言った。味気ないパンのかたまりを、文句を言わずたらふくたいらげたあと。


「狼になるとみんなそうなる。生前愛したものに執着し、決してその名誉を汚さないよう日々を過ごす。それ以外のことはしなくなるのさ。自分のことなんてどうでもよくなる。かつて愛した人のいたユルカイアを守る、それだけ」


「自我がなくなるということですか?」

「いや。自ら望んでお利口さんになるのさ。ユルカイアのためだけに時間を使うことが至福の喜びになる。ちょうど、そう、エルフの先祖たちが人間に尽くすことを喜びとしたように」


ラウラは苦笑した。布から解放された子羊は彼女の膝の上に顔を乗せ、恨みがましく毛繕いをしている。


「それを言われると弱いわ。確かに私たちの先祖はダッチワイフでしたもの」

「だ? なんだそれは」

「忘れて」


長い長い航海の中で喜びを忘れないように、人類は友となる生きた人形を作った。人間にとてもよく似たものすごく美しい種族に、古い伝説から名前を取ってエルフと呼んだ。人間と区別するために耳を長くした。当時の美意識に即した大きすぎるほど大きな目、すらりとした手足、暴飲暴食にも逆に粗食にも耐えてスタイルの変わらない身体、そして一族の末代までを見守れる寿命。


この惑星を新しい定住地と定めた人類はエルフたちを竜の体内に置き去りにしたが、長い年月のうちに竜は朽ち果て、エルフは地表へ彷徨いでた。それがクォートの先祖である。クォートの紋章は人類を地球から運んできた宇宙船の図柄なのだ。


いくつかの特徴は年月とともに失われたが、大きな目と長命が残った。おそらくエルフたちの元になった人間の遺伝子がなんらかの形で発露したのが自分の両親に似ない顔なのだと、ラウラは推測している。


「ユルカイアはいいですわね。先祖が狼で」

「星の向こうからやってきた人々を守るための、しょせんは番犬だったと言われるがね。まあ褒められて悪い気はしない」


タイリーは胸を張った。傷が目に見えるほどの速さで癒えていくのをラウラは感心して眺めた。超回復力はなにもグティエルの十八番ではなく、ユルカイアの一族の特徴らしい。


遠い遠い先祖たちが友としたのは何もエルフだけではなかった。ハーピー、ノーム、ワーキャットにフェアリーに、あらゆる種族がいた。大半は航海中に死に絶えたが、ワーウルフは生き残った。エルフと同じく作られたキメラである。エルフと違って歴史を誉として腐敗するまで抱え込むのではなく、記憶の中だけに留めたのは英断だったろう。


「さて、そろそろ山に戻らねば」

とタイリーは疲れた様子で立ち上がった。

「もうお行きになるのですか」


「最近魔物が騒がしい。ちょっと様子見に来たら大騒動になってしまったが、元々顔だけ見て帰るつもりだったのだよ。ああ、それと」

タイリーは少し考えた。


「グティエルは元気か?」

ラウラは頷く。

「少しおやつれになったかと。それ以外はお元気そうでした」

「わかった。ウン。それならいいんだ……」

子羊は不機嫌そうに足を踏み鳴らし、床は鳴った。


狼は牙を見せずに笑って再生した扉を抜けていく。ラウラはその背中に頭を下げた。まったく騒がしい御仁であった。彼のこぼした血は徐々に塔に吸収されつつあった。おそらく魔法を維持するための栄養になるのだろう。


「私たちも疲れてしまったわね。少し休みましょうか」


と子羊に声をかけ、ラウラは固まった。唐突に気づいてしまったのだった。この床は音楽を奏でる。つまり下に空間があるということだ。


子羊は面白く床のあちこちを跳ね回っていたが、動かなくなった彼女の足元までやってきて、メエメエ問いかけた。寝にいかないの?


ラウラは思い出した。あちこちに隠されたヒントを辿って辿って、次の手記を手にしたこと。まるで探しに来る者がいるのをわかっていたように、いつか真相を探られるのだと知っていたようにこの塔は荒野に聳えていた。


「知っていたというの? 百年前のことが、いずれ必要になると思っていたの?」


ラウラは床の一番高い音が鳴る部分を踏み締めた。リ……ン……と鈴より澄んだ木の空洞が心地よい音を立てる。


アンティーヌがこの塔を所有していた。塔にパズルを仕掛けたのも彼女だとするならば、自分が死んだあと、ここが探られると思っていたならば。


すべてが終わったと思っていたのは今を生きる人間ばかりで、本当は。

「魔物……っ」


ラウラは螺旋階段を駆け上がった。目指すのはあの小部屋、ヴァシーとアンティーヌの肖像画のある部屋だ。


貴族がものを隠す場所は大抵決まっている。それはいずれ探されることをわかっていて、恋人に向けた手紙を隠す貴婦人たちの遊びである。ラウラは小部屋に飛び込み、ためらわず絵の裏に手をやった。壁には小さなくぼみがあった。真四角の、明らかに人がわざと開けた穴。


どうしてこんな簡単な場所に気づけなかったのだろう? たぶん、手記のヒントを探す中であえて目をやらないだろう場所が計算されていて、それにまんまと引っかかったのだ。


ラウラは小さく畳まれたメモを広げる。古い油紙に書かれた炭のあとはひどく歪んで読みづらい。


「『魔王は終わっていない』『あの子の目的は』」

ラウラは息を飲んで上を向いた。心臓がトキトキ止まらなくなった。

「『あの子の目的はカランカとの幸せだった』『カランカは』……『クォートとの戦いで死んだ』。カランカ……は、断絶した家系。マヌエラの目的は果たされない」


パズルのピースがかちかち嵌っていった。


マヌエラが手記の通り先祖返りしたエルフなら、その魔力は強大である。今を生きているすべてのエルフより強いだろう。人もエルフもどんどん弱くなっていくばかりだから。


「マヌエラはクォートに復讐しようとしているの? そのためにグティエルを使おうとしているの?」


子羊が扉のところで悲痛な声を上げた。ラウラは振り返り、途端、部屋が崩れた。

彼女は走って、すんでのところで崩壊に巻き込まれずにすんだ。肖像画、小さな椅子、素晴らしく目の細かいレースのカーテン、壁を覆ったタペストリーと絵皿、いくつかのティーカップは暗闇に落ちていった。床板や石壁もともに吸い込まれ、足元に開いた真っ暗な無に落ちる。ラウラのスカートの端が境界線を超えると同時に扉がバタンと閉まった。


その闇は鉱道にとてもよく似ていた。少しの輝きがあり、湿った死のにおいがしていた。ラウラは閉まった扉のドアノブに手をかけたが、子羊が袖を噛んで引っ張るのでやめた。


「わかったわ、そっちには行かない。行かないから」

ふわふわの頭を撫で、彼女は一階に降りていく。


「魔王が死んで、残った魔物がユルカイアの山から溢れないようにするために、ユルカイア辺境伯とその軍は非常な努力を支払ったの」


トントンと彼女の足音は響き、やがて一階の木の床につくとますます響いた。


「魔物はそのうち徐々に少なくなったけれど、その頃には防衛戦に中央は十分な補填を当てなくなっていた。そうしてユルカイアは衰退したの、捨てられた武器が朽ちるようにね。魔物は神出鬼没で、軍の後ろから現れることもあったんですって」


言いながら跪いて丸い壁の隅へ。それは簡単に見つかった。古びた床板が少しだけめくれている。湿気にやられたのだと思えるが、おそらく故意だ。釘が抜かれたあとがある。ラウラは指を差し込み、苦労して床板を剥がした。少し血が出たが気にしなかった。子羊は低い唸り声を出した。


一枚、また一枚と床板は剥がれる。現れたのは穴だった。この下に空洞があるとどうして思わなかったのだろう?


「どうして魔物は魔王が死んでもまだ戦ったのかしらと疑問に思ったことはなかったわ。魔物に知性があると思っていなかった。でも。指示する者がいたら……その人の知恵の通りに魔物が動いていたとしたら」


穴のふちでラウラは笑った。土と汚れまみれの手で黒髪をかきあげ、顔にあとがついた。

「神出鬼没のはずだわ。こんな穴がいくつ、あるのでしょうね?」


その暗闇は坑道のそれだった。風の味も感じる温度も、においも、魔石のかけらのきらめきも。


ユルカイアの坑道は山とその地下だけではない。荒野からその先に至るまで無限に張り巡らされ、続いているのだ。


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