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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
荒野の魔女のはじまり

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睨み合いの静寂などなかった。おそらく鉄錆色のエトナは最初から黒いタイリーを殺すつもりで躍りかかったのだった。塔の扉は蹴破られ、分厚い木材のかけらが部屋と玄関先に飛び散る。二人は叔父と甥のはずだったが、そこに肉親の遠慮などひとつもない。ラウラに示された冷ややかな建前の愛情さえ示す隙間はなく、ただ揉み合う二つの獣の肉体だけがそこにあった。


二体は踊り合いながら外へ飛び出した。ラウラは子羊をパン籠の上の布で覆って隠した。竈の裏に彼を残し、狼たちを追って外へ。メエエエ、と後追いの声がするのに心臓が引きずられるよう。いつの間に私は彼の母親役をしていたのだか。


荒野は灰色に薄曇りだった。すでに夏の暑さは溶けて消え、短すぎる秋の気配が漂う。まだ青い下草、枯草、白い大地、石と岩、低木とその枯れた残骸が風に飛ばされている。


力強く筋肉質で逞しい体躯が本気で殺し合うとき、砂埃とともに殺気もまた飛び交うのだとラウラは知った。黒い狼が低い咆哮とともに相手に飛びかかる。鉄錆色の狼は即座に飛びのいて躱す。鋭い牙を剥き出した迎撃は空振りし、ほとんど同時に飛びのき、再び向き合う。同時に相手へ襲い掛かる。二頭の衝突は骨が砕けるような鈍い音を響かせた。もはや避けることに意味を見出さなくなったらしかった。鋭い爪と牙が互いの毛皮を裂き、血の匂いが立ち込める。


「やめて、やめて……」


呟くラウラにできることはない。魔力嚢が潰れたのがこれほど悔しいと思う日が来るとは思わなかった。ラウラは普遍魔法いくつかと血統魔法のごく初歩術しか使えない、出来損ないの皇族だったが狼二頭ならなんとか魔法で止められたはずだ。


「やめてよ……。グティエル!」

夫を呼ぼうが届かず、殺し合いは止められない。


狼たちは雷のような声で唸りながら噛み合っていたが、ボダボダと流れる血の量にますます興奮し、焦れて離れた。エトナは素早い動きで相手の背後に回り込もうとし、タイリーはその動きを見逃さない。素早く身を翻し、背中を守った。斜めに回り込んでは相手の首に食らいつこうとする。そしてエトナもまた、簡単には捕まらないのだった。喉と頭部を守るために体を捻り、隙を見つけようとぐるぐる回り合う。


知恵と技術と殺意がぶつかりあっていた。彼らは話せるはずである。ラウラはどちらの声も聞いたことがある。なのに何故、こんな野蛮な方法しか取れないのだろう?


そのうち嚙み付けないことを悟った両者は前脚を使い出した。野良猫の喧嘩で見たことがある、後ろ脚で立ち上がっての殴り合い。それを丘のような巨体同士が行うのである。飛んできた爪が小石を跳ね上げ、どろりとした黒い血が足元に広がる。轟く咆哮はラウラを竦ませる。


両者の体は傷つき、血が地面に滴り落ちる。だが、戦いの決着はまだつかない。最初のような飛びかかる動きは疲労のため少なくなり、地に足のついた血みどろの殴り合い、噛み付き合いが続いた。一度噛み付いたらどちらも離さず、そうこうしているうちに相手に噛まれ、延々と力比べをし続ける……。


絞首刑のような殺し合いだ。なかなか死なない。死ねない。傷つくこと自体がなんらかの意味を持った仕合い。


すでに夕暮れだった。夏の終わりの寂しい風、千切れた草のにおい、二頭の狼の動きは徐々に鈍くなっていった。だが両者の目ばかりはらんらんと光っている。お互いの首に噛み付き、たてがみのような首回りの毛皮ごと引きちぎろうと口を限界まで開けっ放しだ。


ラウラはふらつきながら、転げるように塔に駆け戻った。ばらばらに砕け散った扉はじりじりと修復されつつあったが、魔法もびっくりしたようで動きはのろい。床をがんがん鳴らしながら奥へ。竈の裏、子羊は布に絡まってベエベエ泣きわめいた。


「ごめん、待ってて!」


裏口を倒れ込みながら開けて、井戸に飛びつき、水を汲んだ。両手に水桶を持って狼たちのところへ急ぐ、急ぐ。水のうち大半は零れた。


意味のない行動かもしれない、愚かで馬鹿馬鹿しいの極みだろう、わかっている。だが何もしないわけにはいられなかった。あのままではどちらかが、あるいはどちらも死ぬだろうから。


ラウラは水桶を手に狼たちのところへ戻り、躊躇わず水を両者の噛み合った口にぶちまけた。一方が空になり、残りの水桶も逆さにした。


真剣な殺し合いを邪魔され、誇り高い戦士ふたりはギロリとラウラを睨みつける。彼女はハアハア息を整えながら、なるべく低く通りのよい声で言った。


「気は済みましたか」


皇女だった頃、経験した演説のための授業や小規模な茶会で話した経験がよみがえる。水桶を顔の高さまで持ち上げて示した。


「私はもう一度水を汲みに行かなくてはなりませんか?――いい加減になさい!」


やがてゆるゆると、あくまでしぶしぶとだが、両者の牙は互いの首から抜かれ、血が垂れた。毛皮を貫通して空いた牙のあとが、穴になってぽっかりと口を開けている。ラウラは叶うことならへたり込みたかった。


ふてくされたように黒い狼は尻餅をつき、ラウラの前でこれ見よがしに傷を舐める。ヒーンヒーンと聞こえよがしな泣き声までする。彼女はそっちを睨みつけた。義父はプイっと横を向いて、グティエルでもしないようなかわい子ぶりである。


鉄錆色の気高いエトナは傷口を舐めるような真似はしなかった。彼はため息をつき、歌うように言った。百年前の人間の頃の名残りを思わせる深い声だった。


「百年前のことに触れない盟約だ。破った罰は重いぞ、タイリー」


はじめて会ったときはあれほど謎めいて見えた黒い狼も、耳を下げて赤い舌を出した状態では形なしである。彼は叔父にあたる狼を上目遣いに見つめると、


「ま、そうなってもしょうがないことでしょう。あんたがリーダーだ。あんたの判断が正しい」

「わかっているならよい」


そして鉄錆色の狼は踵を返した。荒野の果てへ、消えてしまうのだ。

ラウラは思わず二、三歩彼を追いかけた。よせ、とタイリーのしっぽが揺れる。

「でも――お待ちください、エトナ様」

「いいんだ。追ったら山のものになるぞ。彼は山に帰るんだから。荒野を死なずに抜けて、魔石が眠る山の闇に溶ける覚悟があるのか?」


ラウラは黙った。エトナはまるきり彼らのことも、自分が突然襲い掛かって始めた凶行じみた戦闘のこと、それから魔法の塔のことも忘れてしまったらしかった。ラウラはやっと気づくことができた。彼はエトナであってエトナではない。人間のように接してはならないのだ。彼はすでに魔物であり、死んだ人であり、生きた人間の価値観で判断することはできない生き物だ。


「では、タイリー様」


夕暮れは足早く荒野に迫ってくる。さっきから塔の中で子羊が泣いている気がして、気が逸る。ラウラは丘のような巨体の黒い狼に一礼した。

「塔へおいでくださいまし。いくらかお手当いたしますから」

「それはありがたいね。そうしようか」


それでそういうことになった。案の定泣いていた子羊は、ラウラに続いて入ってきた黒い狼を見て抗議と恥ずかしさがまぜこぜになった激情の声で吠えた。



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