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竜と恋と石の花  作者: 重田いの
少女時代の終わり

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ずっと演劇しているような日々だった。大聖堂での束の間の休息、経典の説話を手作りの衣装で代わる代わる演じたささやかな楽しさをラウラは思い出し、それを夫と共有できたことを噛み締めた。夫婦というのは騙し合い憎み合うものだとばかり思っていたのに、そうではなかったのだ。


グティエルの一番大事な仕事は魔物の生息数を見極め、彼らが人間の領域に溢れないようにすること。魔物たちは繁殖期である夏に活性化し、冬の間は鈍くなる。とくに危険な大型の魔物は冬眠するものもいるという。


だから剣を持って追い払うばかりだというのはラウラの思い込みで、実際は魔物が嫌う香を置いたり餌となる魔石や虫型の魔物を追い込んだり追いやったり、まるきり森林官や狩猟地官のような作業が大半らしい。


「だから、もうそんなに怪我することもないよ。少なくともギデムがいた頃のような血が出る怪我はしやしない」


と彼は籠手に革紐を巻きながら言い、ラウラはひどく安心した。


「それならようございました。私はあなたが傷ついているのを見たくありませんから……」


顔を上げたグティエルが奇妙な、面映ゆいような歪んだ表情を浮かべ、やがて赤くなった自身の首筋を彼は抑えた。


「みんな俺が強いと言うから。そんなこと言われたのは初めてだ」

「ルイーズは言ってくれませんの?」


本当はマヌエラは、ミネルバはと聞くつもりだったがラウラの口から飛び出たのは目の大きな少女の名前である。一番驚いたのは彼女だったかもしれない。その口調があまりにひねた、恨みがましいものではなかったから猶更のこと。


正妻と愛人は外に出さない殺意を向け合うものである。立場の上ではラウラが正しい位置にいるが、ユルカイアの人々とルイーズにとって割り込んできたのはラウラだろう。


だがラウラ本人の中には、ルイーズに対する憎しみはなかった。そりゃ、あんな態度ばかり取られて腹立たしいという感情はある。けれどルイーズはまっすぐだった。大聖堂の中でさえあった、軽蔑に蓋をするやり方を取らなかった。あんな剥き出しの悪意をぶつけられたのは母カティア以来で、かつ母はいつも取り巻きにラウラをいじめさせたから、自分でぶつかってくるルイーズの正々堂々とした悪意はラウラには新鮮だ。


仲よくすることはできないだろう。それでも対等な立場に見てくれる相手となら、うまくぶつからずにやっていけるだろうと思う。未来への希望が見えた気さえした。


「ルイーズ?」

だが夫の反応はラウラの思っていたより鈍かった。


「なんでルイーズ?」

「彼女は……あなたと親しいと聞きました」

「まあ幼馴染みたいなものだから、そうかな」


と首をひねっている。


「あいつ、いつも押しかけてきて喋りたいだけ喋ってどっか行くんだよな」「まあ」「妹みたいなもんでもあるから邪険にできないけど。マヌエラが後見人を務めてるし。でもまあ、普通のメイドと貴族の関係だと思う」


ラウラは黙った。ひょっとして恥ずかしい勘違いをしていたのかもしれなし、騙されているのかもしれないし……。わからない場合は曖昧に微笑んでおくに限る。


彼女が黙るので彼も困惑して口を閉ざした。グティエルとしては、いったい何が妻の癇に障ったのかわからないので怖いのだった。


何度か魔石のかけらを取りに行く日があり、

「売れもしないこんなものが治療の魔石に変換できる技術があるなんて」

とグティエルは感嘆する。ラウラは首筋のうぶ毛がぞわぞわして、だが気持ち悪いのではなく嬉しいのだ、と自覚して押し黙る。


斜めに椅子と机を陣取ってそれぞれの仕事をするのが彼らの日課となっていた。人は不自然なほどに治療室を訪れないが、ラウラは次第にそれがユルカイア人なりの線引きなのではないかと疑うようになっていた。本心では治療を受けたいが表立ってラウラに接触できないため、この部屋で何が行われているか薄々わかっても放置しているのではないかと。


もしそうなら、それこそ演劇みたいだ。彼女は薄ら笑いをこらえて呪符を作る。古代文字と図形、どちらかを少しでも間違えたらことである。


グティエルが仕事をするときの手の動かし方は無駄がなかった。冬でも少し汗ばんで帰ってきて、黒髪をかき回し暑いといって菜園に出て、寒いと言ってまた戻ってくる。少し前なら不満が沸いただろう言動も、彼が年下だと知ってから気にならなかった。


作業中に汚れないように袖をめくり、大事な馬の背中をブラッシングするようにひとつひとつの魔石の出来を確かめる。その背中。人々のうち誰にあげるのかをすでに頭の中で考えていて、うまく配分する世渡りがうまいところ。


時折、手を止めて窓の外の雪を眺めるのだ。最近は細かい雪がちらちら踊るように舞い降りる、彼はそれを見るのが好きなようだった。


――彼が雪を見る目で私を見てくれたら、石の花を返してもいい。

ラウラは芯からそう思った。


(馬鹿娘)


と心の中で自分をなじった。人に利用されるためだけに生きているような、不幸な生い立ちでにこにこ笑ってひ弱で愛情に飢えた女の子に、とうとうなってしまった。彼女は決してそうなりたくなくてタラに手をかけたのだったが、その意味は消え失せあのときの激情さえ忘れてしまったかに思えた。


ラウラはいつまでも冬が続けと思った。グティエルと一緒にひとつの仕事を分け合って末永く、平民の職人夫婦のようにして暮らすのだ。彼の大きな手が繊細に呪符で石をくるむのを、大きな体躯を折りたたんで机に齧りつく真剣さを、ラウラは愛した。


そして彼女の勘違いでなければ――グティエルもまた、彼女に同種の感情を抱いてくれているようだった。


「俺たちの髪の色は似てると思わないか?」

と、彼がふざけて肩に肩で触れてきた休憩中。炎にかざした彼のまっすぐな黒髪と、彼女のうねる黒髪は確かに同じ色味だった。


「そうですわね。生まれが違うのに不思議です」

「似た者同士ってことかもしれないな。巡り合わせかもしれない」

「ええ」


ラウラの灰白色の目とグティエルの黒い目が合って、パチンと暖炉で火花が弾け、窓の外で雪が降り、ただ静かだった。床の穴も壁の崩れも気にならなかったし、服が古いのはむしろ火照った肌に心地よかった。


彼女は夫の顔にみとれた。目が顔の半分もない人相手にそうなるとは思いもよらなかった。


「俺が思い出せる限り」

小さな囁き声でグティエルは言う。

「俺に優しくしようと決意した女はお前だけだと思う」


彼女は頷いた。何かを言えばこのまなざしは逸らされ、口にした言葉はすべて無意味な話になることはわかっていた。口を閉ざさなければならなかった、経典にある通り、女とは無駄口が多すぎる生き物なのだ。

だが沈黙は重すぎた。


「聞いてもよろしいですか」

「何?」

「初夜のことです。私たちの結婚はまだ完璧に成立していません」


グティエルは呻いて上を向いた。曝け出される喉仏の陰影にラウラはうっとりした。齧りついてしまいたかった。


「急ぐことないと思って……いやだったか?」

「嫌というより」

ラウラは少し言葉を探した。

「屈辱でした」

「で、でしたか」

「ええ」

あのな、と言ってグティエルは座り直す。


「貴族は通常、二、三年は婚約期間を取ってお互いの相性を試すじゃないか。俺たちにはそんな時間はなかったし、俺は――お前が、もっと違った人間だと思っていた」

「違ったとはどのような?」

「高飛車で、傲慢で、召使いを鞭打つような」

ああ、とラウラの唇は自嘲に曲がる。


「淫欲皇后そのもののように思っていらしたのですね」

グティエルは頷いた。

「すまなかった。お前はそうではなかった」

「いいえ、疑われるのはもっともなことです。それでは今は? 違うとわかっても、私ではお相手になりませんか」


彼の絶望的な顔といったらいっそ見事なものだった。ラウラは返答を待ちに待った。グティエルはさんざん呻いて両手で黒髪を乱し、どうにかやっとの思いで彼女の目をしっかり見た。顎は震えていた。


「こ、これからもう少し時間を共有しても、神はお怒りにならないと思う。誓いはすでに済んでいるのだから」

「でも……」

「お前がどうしてもというなら、努力はするが。もう少し、近寄る時間が欲しい」


ラウラは迷った。彼女の想像していたのと現実は違っていた。血と悲鳴と夜と苦しみ、それから赤ん坊が元皇女の結婚のすべてだったはずだった。幸せになれるはずがないと達観していたはずだった。


やがて彼女が頷くと、グティエルは明らかにほっと肩の力を抜く。それに傷つくことはもうなかった。



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