王太子の浮気相手は女装した私の婚約者でした
「あの、ミネアさん。ちょっとよろしいかしら?」
とある麗らかな午後の事。伯爵令嬢であるミネアは玉を転がすような声に呼び掛けられた。ちょうど、友人と学園にある中庭でティータイムをしゃれ込もうとしていたところだったので、振り向いた顔は酷く抜けた表情であったに違いない。それでもミネアに声を掛けた令嬢は、嘲笑うでも顔を顰めるでもなく不安そうにミネアを見ていた。
声を掛けてきたのは意外にも公爵令嬢であるバルバラだった。輝く金髪に飴玉と見紛うような可憐な桃色の瞳、見る者全てを魅了する妖精のような姿はこの国の至宝とも言われている。当然その美しさであれば社交界の華だ。ミネアもそんなバルバラに憧れる少女の一人。
そんな憧れの人物が自分の名を呼ぶのだから、ミネアは腰を抜かさんばかりに驚いた。まさか国の至宝が自分を認識しているなんて思ってもいなかったし、接点があるとも思っていなかったからだ。
頭がくらくらとしたのは眩しすぎる存在を至近距離で見たからだろうか。頭は一瞬で真っ白になり、誇張ではなく息も止まる。だがどうにか持ち直し、疑問符が巡る頭のままミネアは淑女の皮を被り直し口を開いた。
「ごっ……! ごきげんよう、バルバラ様。どうされました?」
皮が上手く被りきれていなかったのか、最初の一音が弾けるように大きくなる。急いで取り繕い言葉を続けたが、体は動揺を隠しきれず細かく手が震えた。もしかしたら口端もピクピクと痙攣しながら笑みを作っているかもしれない。
どうして話し掛けられたのか全く分からず、ミネアはパチパチと何度も瞬きをした。もう耳に掛かっている髪を何度も撫で付け、バルバラの反応を待つ。庇護欲を誘う儚げな姿は女であってもドキリと胸が高鳴ってしまう。
激しい瞬き、髪しか撫で付けない右手、そして生唾を飲み込み上下する喉。挙動不審が過ぎるミネアの様子に友人の一人が咳払いをした。それと同時に冷たい視線を背後に感じ、ミネアはゆっくりとぎこちなく右手を下ろす。
その時、今更だがミネアはバルバラを見上げている事に気が付いた。ティータイムを楽しもうとしていたミネアはガーテンチェアに座りながらバルバラと対峙していたのだ。バルバラより下位の爵位であるミネアがしていい対応ではない。ミネアは急いでガーデンチェアから立ち上がり、両手を臍の位置で重ねると腰を曲げた。
「そんなかしこまらなくてもいいわ。少しお話がしたいの……二人っきりで」
「ふ、二人っきりですか?」
駄目かしら?と上目遣いでバルバラに言われ、断れる人もいないだろう。気付けばミネアも頷いており、友人達と囲んでいたガーデンテーブルには今、バルバラとミネアしかいない。
ミネアの目の前には国の至宝たるバルバラ、ティーカップを口元に運ぶ仕草は動いている筈なのに絵画のようだった。ミネアは赤らんだ顔をカップで隠しつつ、バルバラの様子を伺う。バルバラはカップを口元から離すと、暫し瞼を伏せていた。何かに耐えるような苦し気な表情はいつも柔らかく微笑んでいるバルバラには似合わない表情だ。
何故自分の前でそんな顔をするのか。ミネアは訳が分からず、小首を捻りながらカップをソーサーへ置いた。
「バルバラ様、私に話とは何でしょう」
努めて冷静に言葉を口にする。緊張のあまり口籠るかと思ったが、するりと言葉が出てきた事にミネアはホッとした。
バルバラは伏せた桃色の目をゆっくりと開くと、視線をミネアのティーカップへと向けた。
「ええ、そうね。……そう、少しお聞きしたい事があって」
歯切れの悪い言葉に、ミネアは「はい」と間を繋ぐ程度に相槌をうつ。バルバラはカップとミネアを瞬き毎に交互に見ながら、探るように口を開いた。
「この間の学園が休みの日、」
「はい」
「ノルベルトと街に居たわよね……?」
ノルベルトとはバルバラの婚約者である王太子の名だ。全く意味の分からない質問にミネアの口から間抜けな音が漏れる。
「…………へ?」
だがそんな音聞こえていないのだろう。一度開いた口は止まり方を知らないのか尚も話し続ける。
「この間出来たっていうハーリッツ公爵家の料理人をしていた人が開いたカフェでお茶していたわよね……?」
「…………ん?」
「彼は凄く楽しそうにしてた。10年婚約者をやっている私ですら見た事がない顔で笑ってたわ!……王太子の肩書を忘れてるみたいな、普通の……そう作ってない普通の顔をあなたに見せてた」
全く話が読めないが、一つだけはっきりしている。それは確実にミネアではないという事。ミネアは自身の婚約者の関係で王太子とほんの少し面識はあるが、夜会で婚約者のついでとばかりに挨拶される程度だ。街で偶然会ったとしても絶対に二人でカフェになんかには行かない。
それは何故か、理由は二つ。一つはミネア自身に婚約者がいるという事。もう一つは王太子ノルベルトがバルバラを溺愛している事が周知の事実だからだ。ノルベルトはバルバラを不安に思わせたくないからと令嬢と二人っきりで話す事はないと言う。そんな二人が街でお茶をするか?いいや、絶対にしないだろう。
(え、でもそのカフェで王太子殿下は女の人と二人でいたのよね?)
いやはや、それがもし本当だとしたらなんと悪い男か。婚約者を溺愛している顔をして、陰で女漁りをするなど男として、いや、人間として言語道断なやり口だ。
しかし、今はノルベルトの女たらし疑惑よりも自分の疑惑の方を晴らさなくてはならない。ミネアは瞬きもせず、泣きそうな顔で自身に話し続けているバルバラの前に身を乗り出した。
「バ、バルバラ様! それはかんち」
それは勘違いです、そうミネアは言おうとした。だが、バルバラはふるふると頭を振り、ミネアの言葉を遮る。
「いいえ、あれはあなただった! そのプラチナブロンドの波打つ髪、アクセサリーのセンスもあの時の女性と一緒……!」
「絶対に! 絶対に違います!!」
ミネアも負けじと即答をする。僅かに怯んだバルバラは大きな瞳を震わせていた。今にも泣きそうな顔でも美しく可憐だ。はっと息を止めてしまったが、今はそれどころではない。ミネアは雑念を払う為に細かく頭を左右に振った。
少し落ち着こうと乗り出していた体を戻し、カップに残っていた紅茶を全て飲み干す。幸いな事にバルバラもミネアと同じようにカップに口を付けていた。飲む量はミネアとは違うとは思うが。
「何故、自分ではないと言い切れるの? 絶対にあなただと思ったのに」
カップから口を離したバルバラがポツリと言った。先程よりも冷静な声で。
ミネアは十分に潤った喉を使い、絶対的な自信を持ってバルバラへその根拠を伝える。
「その日は婚約者の屋敷に行っていたんです。彼のお母様から色々と教わる為に」
そう、ミネアは来年に結婚予定なので絶賛花嫁修業中なのだ。休日はほぼ婚約者の屋敷に行っている。休みの日にカフェへ行く暇など皆無に等しい。
バルバラはミネアの言葉に息を呑んだ。しかし直ぐに疑いの眼差しを向けてくる。
「でも終日では無かったでしょう? 私が見掛けたのも夕方だったわ」
「いいえ、9時~20時まで彼の屋敷にいました。抜け出す時間も無かったです。休憩もお義母様と一緒でしたし」
その言葉にバルバラは漸く自分の勘違いである可能性に思い至ったようだった。困惑した顔で「えっと」と短い言葉を発している。
そもそもバルバラがミネアだと断じた理由も弱い。ミネアと同じプラチナブロンドの人間はこの国に多くいる。ミネアの婚約者だってその一人だ。まあ、彼の方がミネアの髪よりも少し明るく綺麗だが。
アクセサリーの趣味にしてもそうだ。ミネアが独特な趣味をしていたらミネアである証拠にもなるのだろうが、ミネアは至って普通の趣味である。似たものを持つ人は多かろう。
勢いを削がれたバルバラは次第に俯いていった。しゅんとする顔も可愛らしいが、これが自分のせいでなっているのであれば鑑賞している場合ではない。ミネアは慌てて席を立ち、バルバラの横に両膝をついた。
躊躇なく地面に膝をついたミネアの行動にバルバラは驚いたようだった。だが、彼女の表情は驚いた顔から段々と表情を無くし、今にも倒れそうな程青白くなる。
「バルバラ様?」
心配に思ったミネアはバルバラへ手を伸ばした。しかしその手は避けられる。
「あの日、ノルベルトはカフェであなたの髪を一房手に取ってたわ。そしてその髪にキスしていた。私、その光景を信じたくなくてその日の夜、城を訪ねたの。そしたら彼からいつもと違う匂いがした」
バルバラは表情を無くしたまま、淡々と言葉を紡いでいく。
「そう、今のあなたと同じ匂いだったわ」
そんな訳はない。絶対に会っていないのだから自分と同じ香りがするわけがない。ミネアは再度否定しようとした。だがやはりその言葉はバルバラに遮られてしまう。
「ちが」
「あなたは違うと言い張るけど、私はやっぱりあなたなのだと思う。愛し合う二人を割く事なんて出来ない。私は身を引こうと思うわ」
そう言ってバルバラは恐ろしく美しい雫を桃色の瞳から溢した。
◆◆◆◆◆
これはえらい事になってしまった。まさかミネアは自分がこんな事に巻き込まれるなんて思ってもみなかった。今日の朝は早起き出来たし、朝食も美味しかったので良い日になるに違いないと登校して来たのに、まさか放課後のティータイムにこんな事件がねじ込まれるとは。
ミネアは帰りの馬車の中で一人頭を抱えて悶えていた。
バルバラはあの後、ハンカチで涙を拭った後「ごめんなさい」と去っていった。二人っきりにされた当初は「何故!?」と困惑したが、今となってはバルバラの配慮にミネアは感謝していた。大勢の前で王太子ノルベルトの浮気相手じゃないかと言われていたら事はもっと大惨事になっていた事だろう。
「今も十分大惨事か」
自分の言葉にうっと胸が苦しくなる。何がどうしてこうなったのか分からないが、とにかくミネアはこの誤解を解かなければならない。誤解を解くならば早い方が良いと、ミネアは自分の屋敷ではなく婚約者であるハーリッツ公爵家へと向かっていた。
訪問する旨は連絡していない。だがしかし、事が事だ。理由を言えば許して貰えるだろう。何たって婚約者のレインはノルベルトの最側近である。婚約破棄騒動になったら被害を被る立場なのだから。
本当ならばミネアに公爵家のしきたりを教えていた公爵夫人と会いたかったのだが、残念な事に夫人は昨日から三日間領地である。しょうがなしに当日はディナー時にしか顔を合わせていないレインに協力を仰ぐのだ。
問題の時間、レインには合っていないが夫人以外にも講師がいた。それにハーリッツ公爵家の使用人達という大勢の証人がいる。その方々にまだ嫁いでいないミネアが証言して欲しいと言うのは中々言いづらい。その点、ハーリッツ公爵家の嫡男であるレインが依頼をすればスンナリに違いない。
揺れる馬車の中、ミネアはバルバラの涙を思い出していた。
アリバイを証明出来ればミネアに降りかかる問題は解消されるだろう。だが、それはミネアの問題だけだ。根本の問題は解消されない。
ノルベルトの浮気相手は誰だという問題に変わるだけだ。あのバルバラの動揺を見る限り、ノルベルトがバルバラではない誰かとカフェで睦まじくしていたのは真実なのだろう。
社交界の噂や惚気話を聴きすぎてうんざりしているレインを知っているミネアからしたら信じられない話ではあるのだが、誰だって表と裏がある。無い話ではない。
しかし、もしそれが本当であればとてもじゃないが許せない。
「おクソクソ野郎だわ」
ミネアは誰も見ていないのを良い事に舌打ちをした。脳内で泣いているバルバラの前にノルベルトを立たせ、あわあわと情けなく慌てる男の頬を想像で叩いてやった。
そうやって脳内でノルベルトを張り倒していれば、あっという間にハーリッツ公爵家へと着いた。ミネアは御者が開けた扉から降りると、出迎えてくれた柔和な顔付きの執事に要件を伝える。
快く屋敷へと迎え入れられ、ミネアは勝手知ったる他人の屋敷を迷いなく進み、目的の部屋の扉をノックした。
「私、ミネア。入っても大丈夫?」
相手の反応が帰ってくる前にミネアが名乗る。すると部屋の中から素っ頓狂な声がした。
「え、ミネア? え、え、何で今日来る予定だったっけ?」
その声は間違いなく婚約者であるレインの声である。しかしあまり聞いた事がない、お手本のような動揺声にミネアは眉根を寄せた。
何故そんなに動揺しているのか。中で何をしているのか。ミネアは不信感を覚えたが、それを察せられないよう軽やかな声を出した。
「ごめんなさい、急に。どうしても直ぐに解決しなきゃ問題があって」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!」
やはりおかしい。長年婚約者をしているがこんな事は一度もなかった。普段のレインであれば「どうぞ、どうしたの?」と自ら招き入れてくれる筈なのにこの挙動不審さは何なのか。
その時ミネアの頭に、ある人物の事が浮かんだ。
その人物は馬車の中、脳内で散々痛めつけた浮気者(仮)、彼の主人である「ノルベルト」。
主人が浮気者ならその下で働くレインもその可能性がある。何たって類は友を呼ぶという言葉があるのだ。そうだ、そうに違いない。きっとレインは中で浮気相手と仲良くやっているのだ。そうであればこの慌てようも理解出来る。
悲しみよりも怒りが勝り、ミネアは勢い良く目の前の扉を開けた。
「ごめんなさい! 急ぎなので開けるわね!」
「うわあ!!」
何度も通い、見慣れたレインの私室。その部屋にはやはり一人のスレンダーな女性がいた。スラっと長い手足に、輝くようなプラチナブロンドの髪。顔の作りも美しく、肌も透けるように白い。だがしかし、おかしな事に部屋にレインはおらず、彼女だけが怯えた顔で佇んでいた。
「ん? レインがいない」
まさか浮気相手を逃がすのではなく、自分が逃げ出したのだろうか。
「おクソクソクソ野郎だわ!」
まさか自分の婚約者がノルベルトよりもクズ野郎だったとは。怒り心頭のミネアは自分の顔を両手で覆った。泣くのではない、この怒りをどうすればいいのか考えているのだ。しかし、怒りで体が震えている事もあり傍目からは泣いているように見えるのだろう。
自分に近付いてくる足音を聞き、ミネアはキッと顔を上げた。
「近寄らないで! 私はあなたと仲良くなるつもりはないわ!」
「え、」
片手で制止し、ミネアは数歩下がった。
誰が浮気相手の慰めを受けるものか。図らずもあの時のバルバラの気持ちを理解し、ミネアは下唇を噛みしめる。
「私はもう婚約破棄する。来年結婚予定だったけど、もう結婚なんて考えられないからね。……だからあなたがレインの次の婚約者になればいい! お幸せにどうぞって彼にも伝えておいて! あとは全て親に任せるから婚約破棄の書類のサインは早めにしてとも伝えて欲しいわ! もうレインとは話したくないから!」
泣くものかと思っていたが、もう泣きそうである。ミネアは目元が熱くなるのを感じたが、みじめな姿を見せてたまるかと目の前の女を睨み付けた。女は端麗な顔に驚愕の表情を貼り付け、固まっている。そんな顔も綺麗だなんて腹立つこと。
(こんなところ一秒でも早くおさらばだわ!)
ミネアは扉を叩き付けるように閉めようとした。
その時である。
「ミネア! 婚約破棄なんて言わないでくれ!」
レインの声が聞こえた。
「え!」
ミネアは扉を閉めようとしていた手を止め、声がした方を見る。
「ミネア! 何を勘違いしているか知らないが、婚約破棄はやめてくれ!」
その声は間違いなく目の前の浮気相手から聞こえた。
「お願いだ……!」
浮気相手に懇願されるように傅かれる。長い髪が床に落ち、自分よりも少し明るいプラチナブロンドのつむじが見えた。
「ん?」
意味が分からず、取り合えず扉を閉めるミネア。扉の向こうから悲痛な声が聞こえてくるが、ミネアは状況の整理でいっぱいいっぱいな為その声を耳が拾えない。ノブを掴んでいる体勢のまま、ミネアは先程の光景を思い出していた。
浮気相手と思われた女性から婚約者であるレインの声がした。後ろにいるのかとも思ったが、女性の口の動きと声は合っていた。どういう事だろうか、とミネアは混乱する頭で考える。
「……どういうこと?」
怒りは吹っ飛び、疑問符が頭を占拠する。目を瞑り、先程の女性を思い浮かべた。
(背は高かった。多分、170センチは優にありそうだったわ。顔、顔もそういえばレインのお母様に似ていた……)
「んんん?」
ミネアはそっと扉を開けてみる。すると泣きそうな顔の、化粧の崩れた女性が扉のすぐ前にいた。いや、これは女性なのか?ミネアは白い首を見る。そこにはしっかりとした喉仏があった。
「レインなの?」
ミネアは問うた。問われた人物は力強く頷くと自身の頭に指を這わし、パチリパチリと何かを外す。そしてばさりと長い髪が頭から落ちた。
「そうだよ、俺だよ。だから婚約破棄なんて言わないで」
ミネアは緑色の瞳を大きく見開き、はくはくと口を動かす。驚きのあまり、声も出なかった。
◆◆◆◆◆
「つまり、レインは王太子殿下に言われて女装をしていたって事?」
ミネアはレインの私室にあるソファーに腰掛け、横に座る婚約者を見た。レインはまだドレスを着ており、その手にはしっかりとミネアの手が握られている。
先程はレインだと思わず女性かと思っていたが、ウィッグも無く化粧も落としているとあんなに似合っていたドレスも浮いて見える。
レインはミネアの問いに頷くと「実は……」と経緯を説明し始めた。
「殿下がバルバラ嬢とのデートの為に事前へ視察に行きたいと言ってたんだ。でも男二人でデザートが評判のカフェに入るのは入りづらい。だから女装を、と」
「いや、元はレインのところで働いていた料理人なんだから何とも思われないでしょう? 変に男女で行った方が噂になるわよ。だって相手が王太子殿下なんだから」
「いや、殿下も変装していたよ。二人とも変装していれば誰も不思議に思わないと思っていたんだけど、そうか……。バルバラ嬢は変装した殿下を知っている。最も見られてはいけない人に見られてしまったんだな」
「ああ、なんて事」
つまりは誰も悪くなく、レインが言うようにバルバラに見られてしまった事でこのようにゴチャゴチャしてしまったようだ。もしかしたら立っていれば「おや?」と違和感を覚えたかもしれない。レインの身長は175センチ程だ。男性であれば普通の身長だが、女性だとそう見ない身長である。だが残念な事に二人はカフェで座っていた。どのくらいの身長であるか等分かりようがなかった。
シュンと落ち込んでいるレインを見て、ミネアは溜息を漏らす。
「色々聞きたい事があるのだけど、良い?」
「全部答える。何でも聞いて」
レインはミネアの手をぎゅっと握り直し、頷いた。青い瞳は怖いくらいに力が入っている。
「何で私に似せたの?」
先程の女装姿は確かにミネアに似ていた。あれでは間違えられてもしょうがない。よくよく考えてみれば、ミネアのアクセサリー類はほぼレインからの贈り物だ。趣味が同じに決まっている。
「折角女装するのならば綺麗な方が良いと思ったからだ」
レインの迷いのない答えにミネアは半目になった。ミネアの見た目は確かに普通よりは整っているとは思う。だが幼少期からキャーキャー持て囃されていたレインに言われると素直に喜べない。女装した姿も公爵夫人によく似て綺麗だった。女装であそこまで綺麗になれる男にそう言われても嫌味にしか聞こえない。
レインは自身の発言を疑われていると気付き、握る手に力を込め祈るように胸の位置まで上げた。勿論、ミネアの手も一緒にだ。
「ミネア以上に綺麗で可愛い存在がいるわけないだろう!」
「わかったわ、もうそれでいい。あと次ね」
此処で下手に否定をすると長引きそうなので、ミネアはさらっと言葉を流す。
「バルバラ様は殿下が浮気相手の髪に、つまりレインの髪にキスをしていたのを見たと言っていたの。実際はどうだったの?」
「する訳ないじゃないか!……っと言いたいところだったが、もしかしてアレかな」
「え、まさか」
心当たりがありそうな様子にミネアは少し驚く。こればかりはバルバラの見間違いかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
少し胸がドキドキとしてきた。しかし、相手が自分の婚約者だと思うと少し複雑な気持ちとなるが。
レインはミネアの手を握っていた手を片手だけ外し、テーブルにあるウィッグを手に取った。
「これ、ミネアにあげたヘアーコロンをかけてあるんだ。それで殿下に香水も女物か?と言われたからヘアーコロンだけだと言ったら」
「あ、それで面白がった殿下が匂いを嗅いでいたと」
「そういう事」
確かにそれは髪にキスしているように見えるかもしれない。いや、ほぼしているのではないか?レインは全然違うという顔をしているが、他人の髪の匂いを嗅ぐなんて余程親しい人しかしない。寧ろその方がキスより嫌だと思う人がいるように思う。
しかし、それを指摘するとレインが狼狽えそうなのでミネアは口を貝のように閉じた。グッと真一文字に結んで、ついでに目も閉じて細かく頷く。
謎は大体解けた。アリバイを証明して貰おうと思っていたが、ノルベルトとカフェにいた張本人が見つかったので、もう全てをバルバラに打ち明けるしかない。
そうでないとあるのはバルバラとノルベルトの婚約破棄、そしてミネアとレインの婚約破棄だ。バルバラは今日話した様子だと意固地になっている感じがあった。
このままだと本当に自分がノルベルトと婚約するはめになってしまう。ミネアは背中に寒気を感じ、ぶるりと震えた。
「絶対に婚約破棄を阻止しないと」
ミネアが漏らした言葉にレインが反応する。
「え? 婚約破棄?」
「そう。バルバラ様は私に言ったの。私が殿下の浮気相手だって勘違いしていたから、二人の為に身を引くって。それって婚約破棄して、私と殿下でお幸せにどうぞって事でしょう?そんなの」
「そんなのさせる訳ないだろう!」
突然の大声にミネアは肩を大きく震わせた。
「そんな! ミネアと婚約破棄? あの殿下とミネアが結婚? させるわけないじゃないか! 俺がいるんだぞミネアには!」
そうだ、だからミネアは二人の婚約破棄を阻止しなければと言っている。声を激しく荒げるレインをどう鎮めようかとミネアはじっと彼の様子を伺った。
「そういえば」
まだ鼻息は荒いが、レインはミネアの言葉に反応した。
「なに? ミネア」
「どうして今日も女装してるの?」
ミネアの言葉にレインは顔色をドッと無くし、かと思えば次々に顔色を変化させ、視線を宙に泳がせた。
「ねえ、なんで?」
◆◆◆◆◆
あの後、顔色を取り戻したレインは急いで城へ行き、ノルベルトへバルバラが勘違いをしている旨を伝えた。するとノルベルトは、速攻単身でバルバラのいるエンダース公爵家へと向かったらしい。
しかし、その時既に娘の悲しみを知っていたエンダース公爵によって玄関先で追い返されてしまう。誤解だと必死に訴えても「浮気者の言葉は信用出来ない」と一蹴されてしまったようだ。しかし実際にバルバラの誤解なのだ。それは間違いなく。
ノルベルトは正面突破が難しいと分かると女装させたレインと浮気相手だと誤解されたミネアを伴って公爵家へと向かった。
結果だけ言うとエンダース公爵はバルバラとの面会を許してくれた。レインがウィッグを取って説明したのが効いたのだ。残念な人を見る目をしていたのが、ミネア個人的には気になったが。
応接室に現れたバルバラは酷く目を腫らしていた。その痛々しい姿にミネアの胸も苦しくなる。一瞬であったが、ミネアもレインが浮気をしていると勘違いしたのだ。その時の痛みを思い出し、苦しくてたまらなくなった。もう二度と経験したくない痛みだ。
その姿を見てノルベルトも泣きそうになっていた。抱き締めようと近付いたが、他でもない本人に拒絶され絶望した顔で引き下がっていた。
そして始まった状況説明。今度の説明はノルベルト本人が行った。
バルバラとのデートの下見に行った事。その際にレインに女装させた事、レインは婚約者が一番美しいと思っているのでそれを模倣した事。途中質問されれば丁寧に答えた。
最初こそまだ疑っていたバルバラだったが、ミネアとレインを見比べた際に大きな違いに気付いたらしい。
それは座高の高さだ。ミネアとレインは身長差が15センチ程ある。座っている二人を見て、自分があの日見たのはレインだと気付いたようだった。
それに気付いた時のバルバラのミネアへの慌てようは凄かった。ごめんなさいと何度も謝罪していた。
こうして二組の婚約破棄騒動はおさまった。何だかんだ、二組共愛が深まって結果オーライじゃないかと思われたこの話。
実は思わぬ盲点が生じてしまった。
場所はハーリッツ公爵家。その公爵家に相応しい美しい庭園でこれまた美しい二人の女性がティータイムを楽しんでいた。
少し明るさは違うが二人ともプラチナブロンドの髪を持ち、ゆるやかなウェーブのある長い髪をそよそよとそよぐ風に靡かせている。
見た目は姉妹のように似ているが、この二人実は婚約者同士だ。
「まさか新たな趣味に目覚めてしまうなんて」
そう口にしたミネアは満更でもない顔で微笑んだ。
「いや、自分でも驚いてる」
レインは口紅を落とさないよう綺麗に口を開き、クッキーを齧った。ミネアもつられて美しい婚約者を見ながらクッキーを一口齧る。
いやはや、まさかレインが女装にハマるなど誰が予想出来ただろうか。きっと予想出来た人は一人もいないに違いない。
女装を勧めたノルベルトもこれには驚いていた。事実を知った時、彼は「ごめん」と謝ったようだ。しかし、レインにとって別にこれは恥ずべき事ではないので、謝る事はないと伝えたと。
最初こそミネアも驚いたが、レインの趣味が変わっただけである。別に何を思う事はない。
レインはレインで変わりはないのだから。
クッキーを咀嚼し終わったミネアはわざとらしい溜息を漏らした。
「自分より綺麗な婚約者って」
言葉だけ聞けば不服そうだが、ミネアの口端は上がっているし、目も楽しそうに弧を描いている。
それを見てレインも楽しそうに微笑んだ。
「こんな婚約者は嫌ですか?」
長い髪を耳に掛け、小首を傾げる。ミネアはその姿を見て短く声を出して笑うとテーブルに両手をついた。そんなに広くないテーブルは身を乗り出せば簡単に顔が近付く。
ミネアはゆっくりと目を閉じ、まだ笑みが残る唇で触れるだけの口付けをした。
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