公爵令嬢はアホ係から卒業する
初投稿です。
やっぱりなろうに来たら、一度は書かなきゃ駄目かなと思った婚約破棄。
ざまぁ要素はないと思います。
誤字脱字報告、評価などもありがとうございます、励みになります!
アルフォード王子が土下座をしている。
私は思わず、我が目を疑った。
いつも突拍子の無い事をしでかす人だとは思っていたけれど、流石に目の前の光景が信じられなかったのだ。
「まあ……」
それでも動揺を押し隠して、淑女らしく優雅に笑ってみせる。
「王子殿下がお見えになったとの知らせを受けた筈なのですが。お犬様を客として、我が家に迎えた覚えはございませんよ」
「……君が望むのなら、犬と呼んでくれて構わない」
「見苦しいからお止め下さいと言っているのです」
嫌味がまるで通じない! そもそも、王族としての誇りはどこに行った!!
怒りを込めてビシャリと言えば、アルフォード王子はようやく立ち上がってソファに座った。
そして、近くにいたメイドに片手を上げて声を掛ける。
「喉が渇いた、紅茶を頼む」
さっきまでの土下座は何だったんだ。パフォーマンス?
「切り替えが早すぎでは? あなた、全然反省してないでしょう」
「ごく普通の要望ではないか。バーンフラウト家では、客人に茶のひとつも出さないのか」
「少なくとも、先程までお犬様だった方に“普通”がどうとか言われたくはないですけれど」
腹立つわー。本当にこの人腹立つわー!!
何をバカな事を、とでも言わんばかりの表情が、心底私の感情を逆撫でる。
そもそも先触れなしに現れ、止める使用人を「入れてくれなければここで死ぬ」「屋敷前で全裸でベリーダンスを踊り狂って、バーンフラウト公爵家に醜聞を撒き散らしてやる」と脅し、土下座という奇行で困らせる相手を、客人とは認めない。
仮にも王族なんだから、目的のためなら手段を選ばないの、本当にやめて欲しい。もっと他にやりようがあっただろうに。
ムカムカとした気持ちを抑えつつも、アルフォード王子の向かいに座った。
程なくして、メイドが二人分の紅茶を運んできた。
流石は、我がバーンフラウト公爵家が誇るメイド。仕事が早いし、相変わらず腕が良い。
美味しい紅茶で喉を潤して、本題に入る事にした。
「それで? ご用件を伺っても?」
「改めて婚約を結びたい」
「まあ、破棄したばかりではありませんか。先日のあなたの誕生パーティーで」
ぐう、とアルフォード王子が呻く。
『エルメリア・バーンフラウト! お前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!』
王子の18歳の誕生日パーティーでの事だった。
彼が貴族学院を卒業する最後の年……つまり、彼が成人する年でのめでたい祝いの場であるにも関わらず、彼はそう宣言したのだ。
その隣にはまるでお約束のように、どこぞの男爵令嬢を侍らせて。
……まあ、その数秒後にはタックルされる勢いで護衛騎士たちに令嬢共々強制退場させられていたけれど。
「真実の愛はどうなさったのです? ファロン男爵令嬢でしたか」
「レイニーは……あー……あれだ。そう、勘違いだった! 気付いたんだ。真実の愛は……君だ」
「あらまあ、真実の愛が大安売りですこと。そんな安い粗悪品、私は御免ですけれどね」
その安い“真実の愛”のせいで、ファロン男爵は爵位を返上せざるを得ませんでしたけどね!
当の本人であるレイニー嬢は、家から金目のものを持ち出して、懇意にしていた商人の男と逃げたらしいですけどね!! すぐに捕まって修道院に送られたけど!!!
本当に申し訳ありませんでした、と憔悴しきった様子で頭を下げたファロン元男爵の姿を思い出し、思わず視線が鋭くなる。
「その時に言われた事を今でも覚えていますわ、殿下」
「……それは」
「“お前はいつも気取って可愛くない”」
「うっ」
「“口うるさくて、話をするのも嫌になる”」
「ううっ」
「“お前がしてくれた事で、役に立った事など一つもない”」
「うぐうっ」
「そんな私が婚約者に戻るだなんて、とても恐れ多くて」
全てお前が言った事だからな、という圧を込めて、私は微笑んだ。
そこまで貶めておいて、すんなり元に戻れると思う方がおかしい。
苦しげに呻いたアルフォード王子は、あからさまにしょぼくれた顔になる。
その表情の分かりやすさは、相変わらず王族……というか貴族自体に向いていない。
「……父上にしこたま叱られた」
「それはそうでしょうね」
むしろ叱られてないとしたら、王宮にすぐさま乗り込み、断固抗議するつもりだった。
私達の婚約は、国王陛下の意向で取り決めたものだ。
たとえ王子だとしても、それを勝手に破棄する権利は無い。しかもその理由が“好きな男爵令嬢と結婚するため”だなんて、言語道断だ。
「それで、聞いたんだ。俺が王になる為には、お前との」
「お前??」
「君、との結婚が必要不可欠なんだと」
「……はあ」
「俺が悪かった! 謝るから、どうにか怒りを収めて結婚して私を支えてくれないか!」
勢い良く頭を下げるアルフォード王子を、私は冷めた気持ちで眺めていた。
考え得る限り、最低最悪のプロポーズである。
あれだけボロクソに言った女に、それでも自分が王になるために支えろと。
せめて嘘でも良いから、好きだとか適当な理由を付けて欲しい。それでも聞く気はないけれど。
そもそも、またいつもの調子で都合の良い部分しか聞いていないのだろう。
その事に気付き、思わずゲンナリとしてしまう。
そもそも、成人を迎える年齢になって尚“第一王子”という名称で呼ばれている事で、色々察して欲しかった。
全ての事情を知っている部屋の隅の家令が、疲れたように眉間の皺を揉み込むのが見えた。
ごめんね。私のせいではないけど、私の元婚約者がこんなにアホでごめんね。
後で何か美味しいワインでも贈るからね。メイドたちにも、お菓子か何かを贈ろう。そうしよう。
紅茶を飲んで心を落ち着かせてから、口を開いた。
「そもそもの話ですけれど、なぜ私があなたの婚約者に選ばれたのかはご存知ですか?」
「なぜ……?」
私の問いに、アルフォード王子は怪訝な顔をする。
……やっぱり知らなかったのか。何回もそれに近い事は言っている筈なんだけど。
「君が俺を好きだから……?」
「は???」
「……いや、何でもない」
思わず低い声が出た私に、アルフォード王子は流石に空気を読んだ。
この人の頭には、脳味噌ではなくプリンか何かが詰まっているのでは無いだろうか。
やはり、この人にはハッキリと言わなければ伝わらないらしい。
「端的に言えば、あなたがアホだからです」
「えっ」
「ア ホ だ か ら で す」
強調するように二回言えば、王子はとうとう絶句した。
ここまではっきり言えば、下手な勘違いは出来まい。
「ここまで来たら、ハッキリと申し上げます。あなたには“王としての資質”が無いのではないかと、常々疑問視されていたのです。ご自分が陰でなんと揶揄されていたか、ご存知で?」
「……“麗しの君”とか、“あまりの美しさに、見ると目が潰れる系王子”とか?」
「自己評価が高すぎやしません?」
いや、確かに顔だけは良いんだけども。
心底呆れながら、正解を教えてやる事にする。
「正解は、“必要のない嵐を引き起こすアホ王子”です」
「嵐を引き起こすだと……!? 格好良いではないか!」
「そこじゃねーよ」
前後の文章を無視するな! アホって言われてるんだぞ、アルフォード!!
目を輝かせる王子……いや、もうアホでいいか。アホに、つい口調が乱れてしまう。淑女失敗。
とにかく、こういう所がアホ王子と呼ばれる所以なのだ。
人の話を聞かない。
聞いても、自分なりに曲解してしまう。
勘違いで暴走し、面倒くさい問題を引き起こす。
その最たるものが、例の“婚約破棄”だ。
私も、彼の側近も、何回も諭した。
婚約者がいる身で、他の女性と二人っきりになってはいけない。ましてや、男女としての触れ合いなど、以ての外だと。
いくら“学園内では、全ての生徒は平等に扱われるべき”という決まりはあっても、限度がある。
あなたはこの国の王子であり、それに相応しい行動を取らなければならないのだと。
しかし、彼は聞かなかった。
それどころか、忠言した私と側近を鼻で笑ったのだ。
『婚約者に相手にされない醜い女の嫉妬だろう、エルメリア! お前らも、モテないからと言って僻むのではない』
……もうね、この男どうしてくれようか、と何度思った事か。
彼の側近たちも態度では見せなかったが、目が明らかに死んでいた。
そんな彼らとの間には振り回された者同士として、いつしか仲間意識のようなものが芽生えている。何だか悲しいね。
「そんなアホでも、あなたのお父君とお母君はどうしてもあなたを王にしたかったのですよ」
長男だからか、それともバカな子ほど可愛いというのか。国王陛下と妃殿下は、どうしてもアホを王位に就かせる可能性を捨てなかった。
勉強だけは無駄に出来たし、人と関係する以外の単純な事務作業については何ら問題が無い事が、彼らの心の中にかすかな希望を抱かせてしまったのかもしれない。
当然、周りは反対した。
あのアホが王になったら、国が潰れる。
勘違いや思い込みによって内乱の種をいくらでも量産する上、怖くて外交になんか出せやしない。
三歳下の弟殿下は聡明で人柄も良く、勉強熱心と聞く。普通に考えれば、彼に王位を継がせるべきではないのか。
しかし、国王陛下たちはごねた。
施政者としては尊敬するに値する方々ではあるが、息子にはとことん甘いバカ親だったのだ。
その会議に出席していた、何事もはっきりくっきり言う事に定評があるバーンフラウト公爵──つまり私の父は、バッサリと切り捨てた。
『あのアホ王子を王位に就かせるくらいなら、そこらに売っているクマのぬいぐるみを玉座に置いた方がまだマシです。可愛いし、害が無いし』
彼と国王陛下は従兄弟同士で親交も深く、身内の不始末ともあって、その言い方にはいつも以上に遠慮が無い。
そして当然、その不敬にも程がある言い様を咎める者は誰もいなかった。むしろ「せやな」「分かる」と頷き合った。
国王陛下や王妃陛下ですら、居心地が悪そうに黙って視線を逸らすのみであった。
アホの起こした騒動の後始末に尽力しているのは、間違いなく父である。
ここ数年で急激に老けたあの人の苦労を思えば、誰も文句は言えなかったのだ。
あれが王になるなら辞職して隠居する、との声まで上がって、悩んだ王は条件をつける事にした。
第一王子が学院を卒業して成人するまで、正式な王太子を選ばない事。
そして、それまでに少しでもアルフォード王子を軌道修正する事。
「あなたの婚約者を決める際、それはもう揉めたのです」
「なるほど、俺の取り合いか。美しさは罪、という事だな」
「はっ倒しますよ。……ちょっと、しばらく黙って聞いていただけます?」
話が進まないし、イライラするから。
視線に込めた私の思いが通じたのか、黙ったアホにハァと息を吐いて、話を続ける。
「そうではありません。誰もがみんな押し付け合ったのです。こんな不良債権を自分の娘に背負わせるなど、お嫌でしょうから」
「不良債権って。君、俺を王族だとは思ってないだろう」
「じゃんけんで決めるか、くじ引きで決めるかで迷った挙句、彼らは思い直しました。ちゃんとアホの舵を取れるような相手じゃないと、ただ泥舟に乗り込んで沈むのを待つようなものだと」
「聞いているか?」
やはりというべきか、私の思いは届かなかったようで、黙って聞かないアホを無視して話し続ける。
アホの婚約者、またはお世話係──すなわち“アホ係”と命名されたその役職を担う令嬢の選定は、困難を極めて……なかった。
むしろ、ほぼ満場一致で決まってしまった。呆気なかった。
それが私──エルメリア・バーンフラウトだ。
「私に求められたのは、あなたの足りない部分を補うための社交力。加えて、あなたの失態を直接指摘し、反省や自重を促す事でした。つまりは、遠慮と忖度が無いツッコミ」
「遠慮と忖度が無いツッコミ」
「あなたが口うるさいと称したアレは、私の義務であり、業務の一環だったのです」
とてつもなく教育熱心な父から英才教育を施されている上、アホとは幼い頃からの付き合いでいくらか気心も知れている。
更に父に似て、貴族令嬢には珍しいはっきりくっきりと物を言うタイプ。
アホ王子を任せるのなら、エルメリア・バーンフラウトの他にはいないのではないか。
むしろ、彼女以外では無理だろう。彼女でダメだったら、もう諦める他ない。
そんな傍迷惑な信頼を抱かれ、私は婚約者にさせられた。
もはや婚約者というより、ただの生贄だ。
父も「娘の人生を犠牲にしたくない」と抵抗したらしいのだが、「身内の不始末は身内でどうにかしろ」と取り付く島が無かったらしい。
確かに、現在の国王陛下と血が近い家、尚且つ年頃の娘がいるのは我がバーンフラウト家のみではあるが、普通は子供の教育の失敗は親自身がどうにかするべきではないのだろうか。
何より、そのアホと同年代の親戚の娘に押し付けるだなんて、何を考えているんだ。
アホのために人生を犠牲にしろというのは、あまりに酷ではないのか。
そんな事をオブラートに包んで伝え、何とかお断りをしようと頑張ってはみたものの、王には土下座、王妃には泣き落としまでされては、流石に断る事も出来ない。
王族内では、現在土下座が流行しているのだろうか。そんな王族は物凄く嫌だ。
「ですが、あなたはそれでも止まらなかったではありませんか。私はあなたにとって、気取って、口うるさくて、役に立たない人間だったんでしょう」
私だって、一応努力はしたのだ。
アホの側近候補たちと連携し、何かしでかす気配を感じれば事前に潰し、実際にしでかしていたなら即刻止め、何が悪いのかを事細かく指摘した。
それでも、アホは止まらなかった。その結果が今である。
「それは……いや、しかしだな」
「期待されていた私では無理だったのですから、お役御免ですわ。ようやく自由になる事が出来ます」
「自由……?」
私の物言いに何か嫌な予感を感じたのか、アホが恐る恐るといった風に口を開いた。
そのどこか縋るような視線に、私はにっこりと笑む。
「君は、私の婚約者だろう」
「そう“でした”ね」
今は違うと、過去形で言った。
「私が婚約を承諾した時、いくつかの条件を出しました」
皆が嫌がる役目を、嫌々受け入れたのだ。それくらいはしないと、割に合わない。
条件の一つ目は、もし駄目だったら素直に諦め、二度とバーンフラウト家にこのような類の面倒事を押し付けない事。
二つ目は、アホが引き起こす問題の原因は間違いなく彼自身にあり、それを悪い事だとも理解していない事こそが問題である。実の親でさえ止められていないのだから、その責任を私や彼の側近候補など、第三者に押し付けない事。
そして三つ目は──婚約破棄、もしくは解消せざるを得ない事態に陥った際には、理由を公表して私の名誉回復に努め、結婚相手を自由に選ぶ権利が欲しい事。
「好きな相手を選ぶ権利だと!? 婚約前から次の相手を見繕うつもりがあるだなんて、不誠実すぎる!」
「それ、婚約後に別の相手を見繕ったあなたがおっしゃっても、説得力は全く無いですね」
思わず呆れた。
自分こそ、不誠実の塊みたいなものじゃないか。
そもそも、そういう人だと分かっていたからこそ、出した条件なのだし。実際に婚約破棄されたし。
「それに好きでもない、好みでもない、気も合わない相手と無理やり結婚させられる上、その相手が明らかな事故物件なのです。少しくらい希望を持ちたいではないですか」
正直、この婚約が無くなったらどうしようと寝る前に考える事が、ここ数年の何よりの楽しみだった。妄想は、時に人を救うのだ。
そう言って再び紅茶を飲み、ふと異変に気付く。
「ちょっと待て……」
アホは、かつて無いほどまでに真剣な顔をしている。
突然どうした。
「俺が……この俺が好みではないだと!!?」
「ええ……そこ……??」
バンと机を叩き、アホが立ち上がった。
一番引っ掛かったのがそこで、本当に良いのだろうか。
「この美貌と頭脳、そして溢れんばかりの才能を兼ね備えたこの俺だぞ!? 頭がおかしいのではないか!!?」
「美貌はともかく、きちんとした頭脳と才能をお持ちなら、今このような状況に陥っていないでしょうね」
少なくとも、土下座をしたり、裸踊りをしなければならない事態になる前にどうにか出来るだろう。むしろ、そうでなくともどうにかして欲しかった。
「どこまで自己肯定感の塊なんですか、あなたは」
「ふ、褒めるな。照れるだろうが」
「褒めてねぇー……」
「どうだ、婚約するか?」
「する訳がないでしょう……」
キメ顔をこちらに向けるアホに、そろそろ本気で疲れてきた。
無駄にポジティブにも程がある。ある意味長所ではあるのだから、もっと別の方向に使えば良いのに。
尚も何事かを言うアホの言葉を聞き流していると、静かに室内に入ってきたメイドがこちらに目配せをしてきた。
……やっと来たか。
ホッと息を吐く。
「名残惜しいですが、お時間のようです」
「何だと?」
「あなたのお迎えがいらっしゃったようですわ。二度とお目にかかる事はないでしょうが、どうかお元気で」
その言葉が終わるか終わらないかくらいのタイミングで、部屋に数人の男性が入ってきた。
私にとっては馴染みの面々──アホの側近候補だった人たちだ。
「おい、何をする!」
「何をする、じゃありません! “謹慎”って言葉の意味を分かっているんですか!! 部屋から出るなって言われてたんですよ、あなたは!!!」
入ってきた彼らは、迷わずアホを拘束した。
体にロープをぐるぐる巻き、身動きが取れないようにして、一番体格の良い騎士が肩に担ぎ上げる。しかも、ちゃんとアホに怪我がないように、ロープの前に布を挟んだりする気配りもある。
例の婚約破棄宣言の時と同じ、鮮やかな手際だ。
そのあまりに手慣れた手付きに、彼らの今までの苦労が偲ばれる。
「俺を誰だと思っている!」
「はいはい、王子でしょ。知ってます。知ってて拘束してますよ、はい」
「撤収! 馬車に放り込め!」
「こ、こんな事が許されると思って……、アーッ!! エルメリアぁあぁぁあ!!!」
尚もわめき立てるアホは、側近たちと共にそのまま荷物のような状態で部屋を後にした。
最後に残った茶髪の男──マクライン・ラフレット伯爵子息が頭を下げる。
「最後の最後まで、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。バーンフラウト公爵令嬢」
「いいえ、あなた方も長きに渡り、ご苦労様でした」
ラフレット伯爵家には3代前に王女が降嫁しているため、アホと同い年である彼も私と同様“血縁枠”として、強引にアホ係にさせられていた。
そんな事を言い出したら、この国の殆どの貴族同士は血縁関係になってしまうだろうに。
あのアホはこれから廃嫡され、離宮に軟禁される事が決定している。
どこか辺境に送るなり、国外に出すなり、平民として放逐するなり、様々な案が出たには出たのだが、
『下手に遠ざけたり自由にさせると、何をしでかすか分からなくて怖いし、周りに迷惑がかかる。それならば、目の届く場所に閉じ込めておいた方が、幾らか精神衛生上良いのではないか』
という結論に、満場一致で至ったらしい。
実に英断だ。
……いや、そうじゃない。
過ぎた事はもうどうでもいい。私にとって、大切なのはこれからだ。
「あの……」
「はい?」
恐る恐る声を掛ければ、彼は首を傾げた。
そのキリッとした視線がこちらに向けられた事に、少しだけ胸が弾む。
「ラフレット伯爵子息」
「はい」
「ラフレット様」
「……はい」
「…………マクライン」
今まで呼んだ事の無い名を口にすれば、その緑色の眼がパチリと瞬かれる。
「私、婚約破棄されました」
「これで名実ともに、自由の身です」
「ですので、もう少し我が儘になっても良いと思うのです」
どこが、何事もはっきりくっきり言う性格だ。
かつてない程までに声が震え、なかなか結論まで至らない。
「……私は、私が好きな人と結婚がしたい」
彼を意識し始めたのは、いつからだったのだろう。
始めは同じ事を強いられた者同士という、単純な同情と共感だけだった。
けれど、次第に彼を視線で追うようになって、言葉を交わせるだけで嬉しくて。
隣にいてくれるのが、彼だったら良かったのに、と何度思った事か。
彼と過ごす未来を、何度夢見た事か。
彼はどこかの誰かとは違ってちゃんとした貴族だから、自分の感情を隠す事が得意だ。
けれど、時折背後に感じたあの視線が嘘じゃないのなら。
しかし、学院の卒業の年になった今になっても彼が未だに婚約者の一人も決めていない事が、私のうぬぼれじゃないのなら。
もうどうにでもなれと、ヤケクソのように叫んだ。
「あ、あなたを! 心から、お、お慕い、しておりましゅ!!」
噛んだ。
なぜ、大事なところで噛んじゃうの、私。
はっきり言えるとは一体。
恥ずかしさで真っ赤になって俯けば、スッと視界にマクライン様の顔が入ってきた。彼が私に跪いたのだ。
こちらを見上げてくる彼は、微笑んでいた。
嬉しいのか泣きたいのか、いつもの涼しげな表情を大いに崩している。
私は悟った。
──ああ、きっと。
私はこの後の言葉で、彼に抱き付くの。
「私も……あなたを心よりお慕い申しております。エルメリア」
***
余談ではあるが、離宮に移ったアルフォードは世話をしてくれた女性と恋に落ち、庭作業に勤しんだり、色々物を作ってみたり、なんだかんだ幸せな生活を送っているらしい。
ポジティブな人って強い。