第6話 十合目の鳥居と結界の向こう側
大豆マン事件があった次の日。
改良大豆を受け取るため、俺たちは葛葉様のいる“本殿”へとやって来ていた。
「……頼み事、ですか?」
「そうなんだ。ちょっと私も今回のことで結界のことが心配になってね」
白と黒のオーソドックスなメイド服を身にまとった葛葉様は、俺たちに紅茶を淹れながら神妙な表情でそう答えた。
場所は相変わらず和室なので、洋風のいで立ちはかなり浮いている。ちなみにコタツの上に置いてあるマカロンは葛葉様のお手製らしい。
彼女はこの空間から出られないはずなのに、いったいどこから仕入れてくるのだろう。
葛葉様と出逢った頃はそんな疑問を抱いていたんだけど、聞いても毎回はぐらかされるし、最近ではもう気にならなくなっていた。
「正直に言ってしまうと、大豆マンの暴走は私の想定外だったんだよねぇ」
「想定外? それはどういうことなんです?」
「たしかに付喪神となるよう豆に細工はしておいたけれど、自分で土から出て行動するほどの力は込めていなかったんだ。それがここまで自由を得るなんて、外部の力が混ざりこんだとしか思えないんだよ」
そう言いながら葛葉様は和室の隅に視線をやった。
そこには昨日の生き残りである大豆マンが大人しく座っている。置いてある昔ながらの箱型テレビが珍しいのか、映っている教育番組の着ぐるみを夢中で見ていた。
「外部からの力……」
「そう。もしかすると、ダンジョンから漏れ出ている妖気が、犬江村まで広がりつつあるのかもしれない」
「なんじゃと!? それは一大事ではないか。村の者たちは平気なのか!?」
隣で話を聞いていた朱里さんが思わず驚きの声を上げた。
だが、葛葉様は首を横に振って否定した。
「いや、まだそこまで影響が出るほどではないよ。それにあくまで可能性の話だし、もしそうだとしても私たちならなんとかできるはずだからさ」
「むぅ……。しかし、いつ大豆マンのような妖魔が再び生まれるか分からぬのじゃぞ?」
「うん、だからね。しどーくんたちに頼みたいことがあるんだ」
葛葉様がジッと俺の目を見つめた。金色の瞳が俺の心の奥底を覗き込んでいるような感覚を覚える。
俺は彼女の言葉を待ちながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「はぁ……はぁ……やっとたどり着いた……」
ゼェゼェと息を切らし、額から流れ出る汗を拭いながら俺は顔を上げた。
鬱蒼とした木々の中に一本の巨大な御神木があり、さらにその前には石造りの大きな赤い鳥居がそびえ立っていた。
鳥居の中は真っ暗な闇が広がっており、時折バチバチと紫電が走っている。
「ここが十合目の鳥居……」
そう、ここは犬江山の頂上付近にある場所だ。
鳥居の向こうからあふれ出す濃密な妖気が、俺の心臓を締め付けてくる。普段俺たちが挑んでいる一合目や二合目とは桁違いの威圧感だ。
「大丈夫かの、旦那様」
俺の隣には朱里さんがいる。
心配そうに俺の顔を窺っているが、釘バットを握る彼女の手も小刻みに震えていた。やはり彼女も、この先の領域に足を踏み入れることに恐怖を感じているのだろう。
「うん、問題ないよ。それよりも早く、頼まれた結界の確認をしよう」
「うむ」
不安げな表情を浮かべる朱里さんの空いている方の手を握り、俺たちはゆっくりと鳥居に近寄っていく。
葛葉様から頼まれたのは“十合目の鳥居にある鳥居の様子を確かめる”こと。
なんでもその鳥居は最も異界に近いらしく、妖気の密度も濃くなっているそうだ。妖気の濃度に比例するように、そこに潜む妖魔の強さも跳ね上がるらしい。
「まったく。あやつが直接ここを確認できれば、妾たちがこんな苦労をすることも無いんじゃがの」
「仕方ないよ。葛葉様は犬江山全体の封印するために“本殿”で結界を張り続ける必要があるんだから。俺たちが代わりに行かないと」
「分かっておるよ。ただ愚痴の一つくらい言わせてくれても良いじゃろ?」
そう言って朱里さんは不機嫌そうに頬を膨らませた。朱里さんも葛葉様の苦労を知っているから、本人に直接文句を言うようなことはしない。
そんな彼女に苦笑しながら、俺は鳥居の前へと辿り着いた。
「こうして見ると、ここの鳥居は異様だな……」
山の低い場所にある鳥居とは違い、十合目の鳥居はお札がビッシリと貼られていた。
これは葛葉様が封印を強化するために念を込めて作った特別製のお札らしく、このお札が貼ってある限りは絶対に誰もこの先へは入れない。それは妖魔に限らず、人間でさえも。
「……特に異変は無いようじゃの」
「うん、そうだね」
お札が破れている様子もないし、鳥居自体も異常は無さそうだ。
俺たちは顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろした。
「じゃあ妖気が漏れ出た原因は何だったんだろう。他に何か原因が――――朱里さん、どうかしたの?」
一人でブツブツと考察していると、隣の柱を確認していた朱里さんが、ボーっと鳥居の中を眺めていることに気付いた。
どうしたんだろう、俺が話しかけているのに全く反応がない。心配になってそちらに向かうと、彼女の顔が驚くほどに青褪めていることに気が付いた。
「ちょっ! 大丈夫!?」
ついにはその場に蹲ってしまった朱里さん。慌てて駆け寄り、彼女の肩を掴んで身体を揺する。
「アレはなんなのじゃ……妾の知るあやつではない……」
「ねぇ朱里さん! しっかりして!」
明らかに様子がおかしい。彼女はガタガタと身体を震わせながら虚ろな瞳で呟いた。
「……ほんとうに蒼月なのか……? いや、あの顔はたしかに……」
「蒼月?いったい誰のことなの!?」
朱里さんの見ていた方向を振り返る。だが、そこには暗闇が広がるばかりで何も見えない。
いや、違う。よく目を凝らすと、うっすらと人影のようなものが通った気がした。
「なんだあれは? まさか妖魔か!?」
咄嵯に身構えると、人影は徐々にこちらに近づいてくる。
そしてその姿がハッキリと分かる距離まで来ると、俺は思わず息を呑んだ。
「嘘だろ……なんで人がこの中に……」
現れたのは一人の少年。
長い白髪を靡かせ、ボロボロな袴姿をした美しい少年がこちらを見つめていた。
「あやつは蒼月じゃ……」
隣にいる朱里さんがポツリと声を漏らす。
「知っているんですか?」
「知ってるもなにも――」
朱里さんが震える唇で言葉を紡ごうとした瞬間、突如として地面が揺れ始めた。
地震のような激しい縦揺れではなく、まるで地の底から響くような低い振動だ。
「まずい、ここから逃げよう朱里さん……朱里さん!!」
「無理じゃ。あやつは絶対に妾を逃がしてはくれぬ……」
いったい何のことを言ってるんだ?
普段は強気な朱里さんがここまで怯えるのは初めて見た。それにこの感じ、前にどこかで……。
思考が纏まらないまま、俺たちが呆然と立ち尽くしていると、少年の後ろから巨大な黒い腕が現れた。その手は巨大な爪が生えており、地面に亀裂を走らせている。
さらにもうひとつ、今度は赤い手が見えた。
赤い手はゴムのように伸び、こちらへと一直線に向かってきた。
「狙いは朱里さんか――危ないっ!!」
咄嗟に朱里さんを突き飛ばす。その瞬間、俺の体を衝撃が襲う。
「獅童ぅうう!」
「かはっ――」
口から空気と共に鮮血が溢れ出す。
俺の腹部には大きな穴が開いており、そこから大量の血液が流れ出していた。
「駄目じゃ、獅童! 死んではならぬ!!」
「よか、た……に、げて」
朱里さんが無事だったことにホッとしながら、俺の意識はゆっくりと闇に落ちていった。