後日談 1
後日談は思いつき次第投稿なので不定期です、ご了承ください。
異世界に来てからというもの、日和は息をつく間もない程のイベントに見舞われていた。元々ブラック会社に勤めていた日和は勿論元の世界でも信じられない程仕事に追われていたのだが、それとは全く別の意味で。
――初めてこの世界に来たのが、(日和の意識のある範囲では)一昨日。目覚めてすぐ人攫いの手によって娼館に売り飛ばされたことを知り、その日の内に客を取ることになり、そうしてヨルク・ジンヴェスという男に出会った。ヨルクは信じられない程整った美しい顔をしており、一挙一動がまるで芸術作品かのような存在であった。そのあまりの美しさからか娼婦が最後まで対応できたことがないというその男を運良く初めての客とすることが出来た日和は、なんの間違いかその男と一晩過ごした後に求婚され。
そうして、日和は娼館に売られてからたった一日で、その身を買い上げられた。正直なところ、褥での睦言としてあまり真剣に受け取っていなかった日和は翌朝改めてヨルクに求婚されて尚どこか疑った気持ちがあったのだが、「それでは、また迎えに来ますので」とにこやかに去ったヨルク(これも信じられないくらい美しい笑みだった)は、結局その足でマルタに買い上げを申し出たらしい。
「アンタ、本当にあの男で良いのかい?」
ヨルクが去ってから身の置き所がなくひとまず部屋に留まっていた日和を訪ねたマルタは、怪訝そうな顔でそんな言葉を掛けながら入室した。ええと、と日和が戸惑っていると、「あのヨルクって男、アンタを買い上げる気でいるようだよ」と話す。その口振りと声は、どこか同情なのか憐憫なのか不思議な色を纏っていた。日和は違和感を覚えながらも、あの求婚はまさしく真実であったのかと信じられない心地で頷く。
「…そう、なら良いさね。まあよっぽど貧しい暮らしにはならんだろうし、あの男の顔が耐えられるってんならそれも一つかねえ」
どこか納得いったようないかないような表情で語るマルタに首を傾げながら、あの美しすぎるヨルクと暮らすことに対して(釣り合わなくて思い悩むことやあまりの美しさに心臓が持たないこと等を)心配されたと解釈した日和は、「まあ美人は三日で飽きるって言うし、大丈夫じゃないですかね。少しすれば慣れると思います」と呑気な言葉を返した。はあ?、と一瞬意味が分からないとばかりに声を上げたマルタは、「美人の考えてることは分からんね」と最終的には会話を放棄してしまう。
(まあ確かに、私みたいな平凡な女を買い上げるなんてヨルク様の考えることは分からないけど)
買い上げられた先で娼婦よりも酷い扱いをされることを考えないでもなかったが、あの日和から見れば純粋で少し前まで童貞だった男が、あまりに惨い仕打ちをするとは到底思えない(これは偏見である)。確かにヨルクは妻と言っていた気はするが、末端ではあるものの貴族の息子であるらしいヨルクが本当に一娼婦である日和を妻に娶るとは考えにくいし、もしかすると妻の役割に等しいことをしてほしいという要望だったのかもしれない。夜の生活を求められたり、日中に家政婦的なことをやったりするくらいで生活が出来るのであれば、正直会社勤めのときよりも随分と楽な生活である。
そんなことを考えていた日和の元にヨルクが訪れたのは、その翌日――つまり今日であった。
緊張した面持ちで娼館を訪れたヨルクは、待合室のような然程広くない部屋でマルタと共に待っていた日和を見つけて嬉しそうに顔を綻ばせる。そのあまりの神々しさにやっぱり三日では慣れないかもしれない、と日和は一日経たずに自身の発言を脳内で撤回した。
「こんにちは、ヨルク様」
「ヒヨリ……受けて下さって、ありがとうございます」
正直なところ(ヨルクの中での価値は不明だが)ひと一人買うという少なくないお金を払ったのはヨルクであるわけなので、ありがとうは日和の台詞だったしそう言おうと思ったのだが、ヨルクがあまりに感極まった顔をしているのでなんとか飲み込んだ。娼婦側にも買われるかどうかの意思決定が必要だとマルタから聞いたから、きっとそういう意味で言ってくれたんだろうと解釈する。
マルタはお金さえ払ってもらえればといった様子で、ヨルクから指定の(日和には金額は分からない)金額を渡されるとすぐに「じゃあ、元気でね」と部屋を去ってしまった。
「これからよろしくお願いします、ヨルク様」
「こちらこそよろしくお願いします、ヒヨリ。ひとまずは、私の妻であるという申請をしたいと思うのですが……大丈夫、ですか?」
妻、という言葉に日和は目を見開いた。確かにヨルクには求婚されたし妻になってほしいという言葉に対して日和も妻にしてくださいとは言ったけれども、仮にも貴族がそんなに簡単に娼婦と妻になろうとは思えなかったから。妻の役割ではなく真実妻を求められていたと知って日和が固まっているのをどう考えたのか、ヨルクが少し涙目になる。
「やっぱり、嫌になりましたか?」
「あ、いえ、その。……ヨルク様こそ、良いんですか?お貴族様だと聞いてたんですけど」
「貴族といっても、男爵家の三男で家を継ぐこともありません。領地の代わりにお金を譲り受けて今の屋敷に住んでいるだけなので、ほとんど平民ですよ。…それとも、ヒヨリは貴族に嫁ぎたかったですか?」
これ程までに整った顔立ちをしているのに何を話していても自信なさげなのは、自分が貴族なのに貴族と呼べない立ち位置にいるからなんだろうか――…そう思いながら、日和は首を横に振った。この世界の貴族社会なんてさっぱり見当もつかないし、平々凡々な日和が貴族の妻などが務まるとは到底思えない。それならば、ちょっと裕福な平民の方が気楽だし良い。というかそれこそがまさに日和の理想である。
「お貴族様の妻だなんて、考えるだけで大変そうで……。普通に暮らせたら、それで大丈夫です」
そう本音を言えば、ヨルクは安心したように息を吐いた。そもそも、ほとんど貴族でないとはいえヨルク程の美貌があれば妻などいくらでも探せそうであるが、職業柄(護衛と聞いていたが詳しくは分からない)女性との出会いがないのだろうか。
「ではまずは、神殿に行きましょう。本当は少しでも早く良いベッドで休んでもらいたいのですが、また人攫いに遭ったらいけませんし……夫婦申請して指輪さえ身に着ければ、ヒヨリがそういう目に遭うこともなくなりますから」
そんな人攫いなんて、と言おうとして日和は口を噤んだ。異世界に来て早々人攫いに遭った日和に言えた台詞ではないし、きっとこの世界は日和のように目立たない女でも人攫いに遭うような治安の悪いところなのだろう。法のようなものがあるかどうかさえ怪しい。
日和は頷きながら、「指輪かあ」と頬を染めた。彼氏がいたことはあるが、結婚まで考えたことはないし勿論プロポーズをされたこともない。ペアリングもしたことがないので、正真正銘初めての指輪だ。結婚願望が強いわけではなかったが一般の女性並みにはあったし、出会って一晩でとはいえこれ程熱心に日和自身を求めてくれる相手――しかも絶世の美男子――との結婚である。
「……ヒヨリ?」
黙ってしまった日和を心配してか、ヨルクが日和を覗き込む。突然視界に広がった美しい造形に見惚れながら、日和はなんとか「楽しみですね」と言葉を返した。はい、と答えるヨルクの顔は大層幸せそうでそれはそれは美しかったので、日和は再度黙り込むこととなったのだが。
◇
ヨルクに「質素な屋敷ですが」と案内されたちっとも質素ではない屋敷のリビングに当たる場所で、日和は左手の薬指に光る輪を見ながら、なんとなく人の妻になったことを実感できずにいた。指輪はシンプルな銀の輪に四つ石が埋め込まれており、これは夫と妻それぞれを表しているらしい。石の内二つは黒、一つは白金、一つは青の色をしている。髪と瞳の色が反映されているそれらの内半分が自分の所為で黒となってしまったことを日和は残念に思ったが、隣にいたヨルクは石を見つめながら恍惚とした表情をしていたので良しとすることとした。
ちなみに、一夫多妻等の場合どうなるかと考えた日和が「夫や妻が二人以上いる場合はどうなるんですか?」と問い掛けたところ、ヨルクがこの世の絶望を搔き集めたような顔で「ヒヨリは他にも夫が欲しいんですか……?」と綺麗な青色の瞳を潤ませたという出来事もあった。どうやらこの国では皇帝陛下が側妃的な形で二人目を娶ることもあるにはあるようだが、それも遠い血縁すらいない場合のみの話で、そんな特例中の特例でない限りは一夫一妻制であるらしい。日和は妻同士の闘争等がなさそうなことに心底安心したのだった。
「ヒヨリ、ぼーっとしてどうしましたか?」
既に夫となったヨルクからそう問われて、日和は素直に「なんだか実感がなくて」と答えて曖昧な笑みを浮かべた。心配そうに眉を八の字にしたヨルクが「やはりあのとき断れば良かったと思っていますか?」と聞くので、日和は首を傾げる。「あのとき」とはどのときのことを言っているのかと思いヨルクを見つめ返すと、ほんのりと頬を赤めたヨルクが「神官に問われたときです」と視線を逸らせながら返答した。
日和は漸くそのときのことを思い出して、ああ、と声を漏らす。
先程夫婦である申請をするために神殿に行った際、「夫婦申請の儀を行いたい」と申し出たヨルクの言葉を聞いた神官が、何故か日和の方を向いて「…本当に宜しいんですか?」と問うたのだ。日和は容姿端麗で相手に困らなそうなヨルクではなく自分に視線が向いたことが不思議ではあったが、きっとあまりの美しさ故にヨルクから視線が外れてしまったのだろうと理解して、神官の気持ちを代弁し「ヨルク様、聞かれてますよ。本当にいいんですか?」とヨルクに質問を流した。きょとりとしたヨルクに「ええと、私は勿論……。というか、ヒヨリが聞かれているんですよ」と返されて、日和は納得いかない気持ちを抱えながらも「私が駄目とか言うわけないんですが……」と思わず呟いたのだった。
その後は変な雰囲気の中粛々と神官のお言葉(崇高すぎて日和には理解できなかった)があったり、透明な石が四つ埋め込まれた指輪を差し出されたかと思えばヨルクと日和が触れたとたんに件の色へと染められるのを見て驚きで目を丸めたり、ということがあったのだが詳細は割愛とする。
「私の故郷では夫婦になるのにもっと時間がかかるので、思ったより早くてびっくりしただけですよ。断るなんて、考えるわけありません」
「そうでしたか。それなら良かったです。お疲れでしょうし、ベッドで休まれますか?」
「いえ、まだそんなに疲れてないので大丈夫ですよ。それよりも、お腹空きませんか?」
「あ……すみません。何か買ってきましょうか。それか、簡単なものでしたら私が作りますが……」
日和は一瞬ヨルクの手料理というものに興味を持ったが、大金を払ってもらい今後の生活も保障してくれる男に甘え切るのもどうだろうかと考えて、「材料があるなら私が作ります。…簡単なものですけど」と返答した。目を丸くしたヨルクが「作れるのですか?」と聞いてくるので、もしかしたらこの世界の料理というものはめちゃくちゃに特殊なんだろうかと怖気づいた日和はひとまずキッチンを案内してもらうこととする。
案内された先は、日和が元いた世界とそう変わらない設備が整えられていた。ただ、動力は電気ではなく魔石と呼ばれる魔力の込められた石であるらしい。うわあ、異世界だ……と思いながらも、日和自身が魔法的なものを使えなくても問題なく使用できるようだし、操作は特に問題なさそうだったので日和は心底安心した。食材や調味料も見させてもらったが、大きな違いはないようだった。
日和も料理が得意と胸を張って言えるレベルではないが、両親を亡くし一人暮らしで自炊していた期間もあったので、食べられるものは出来る。
座って待っていて良いと言ったのに、ヨルクはどうやら日和が料理をする様子を見たいようだった。もしかして不味いものを作りそうだと警戒されているのではないかと思った日和だったが、ヨルクの目があまりにも爛々と輝いていたので、妻の手料理というものに憧れがあるのかもしれないと思い直す。確かに、日和自身もヨルクが料理をすることになっていたら待っているのもむずむずするし、こうして料理の様子を見ていたかもしれない。
ご飯を炊くのはヨルクにお任せし、日和はおかずを作ることとした。とは言ってもあまり時間はかけたくないので、簡単に出来る豚の生姜焼きとほうれん草の胡麻和え、みそ汁と比較的味を細かく整えたりしなくても最低限美味しい手抜き料理である。仮にも(と言っても良いかは分からないが)貴族のヨルクに食べてもらうようなものでは当然ないが、この屋敷には使用人がいないと道中話を聞いていたし、ヨルク自身も適当に食事を済ませて生活してきたようだから、これくらい簡単な料理でも良いだろう。その内料理の出来る使用人を雇うかもと言っていたから、まあ暫く耐えてもらえば――と思う一方、使用人等がいたら落ち着かないな、という思いもある。その辺りはゆくゆくヨルクと検討しようと思いながら、日和は早速包丁を手に取った。
――この後、簡単な料理しか出していないというのにあまりに感動した様子で美味しい美味しいと手料理を食べるヨルクを見て、日和は逆に申し訳ない気持ちを抱くのだった。