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中編





「この男は、いつもウチを使ってくれてる客だよ。お貴族様ってやつで、婚約者には表立って手を出せないから、ここで発散してるんだ。上品だし、顔も良いだろう?」


 そう言われて「相手のいる人かあ…」と若干の罪悪感すら覚えながらマルタに姿絵を見せられて、日和は思わず手で口元を抑えた。なぜかって、生理的に受け付けない客だったからである。

 太く手入れもされずに繋がった両眉、他人のことは言えないがあまりに細い糸目。敢えて顔につけたのかと思う位に油の浮かんだ額と、中に綿でも詰めているのかと思えるくらいに膨らんだ頬。否が応でも目を引くたらこ唇を見て、一瞬キスする自分を想像し、大変失礼ではあるが吐き気を催した。

 日和も見目が良いとは言えない自覚があったので外見だけで差別はしたくないが、これは無理だ。だって、普通に話すなら百歩譲って良いとして、キスどころか身体を繋げなくてはならないのである。色々と達観視している日和も、流石に初めてではないとはいえ受け入れ難かった。


「……ごめんなさい。この人は、ちょっと…」

「あら、そうかい?良いと思ったんだけどねえ……。じゃあ、この男なんかどうだい。引く手あまただろうに仕事が忙しいらしくて、恋人も作れないらしい。来るのはたまになんだが、他の子も当たりだと言っているくらい優しくしてくれるよ」


 そう言って差し出されたのは、やはり日和には生理的に受け付け難い男の姿絵だった。無理です、と日和が今度はきっぱり断ると、マルタは不思議そうな顔をした。こいつもダメかい、と言いながら、一人一人出すのは面倒だとばかりに幾つもの姿絵をずらりと差し出したマルタの手元を見て、日和は小さく「ひい、」と声にならない悲鳴を上げた。ともすれば嫌がらせなのではないかと思うも、マルタの表情を見るにそのような様子はない。一応すべての姿絵を見たが、ことごとく吐き気を催してしまい駄目だった。


「うーん……いいとこを揃えたつもりなんだけど」

「……、あの、姿絵ってこれで全部なんですか?」

「いや、ないこともないけどねえ。他は行為自体ががさつだったり特殊だったり、金払いが良くなかったり……あと、物凄く顔が悪かったりなのさ。さすがに、アンタに最初に当てるには…、」


 困った様子のマルタを見て、日和は何が何でも客を取らなくてはいけない自分の置かれている状況を思い起こした。残念ながらマルタが選別してくれた姿絵からは生理的に受け付け可能な男は見当たらなかったが、すべての姿絵を見ればもしかすれば一人くらいは、妥協できる男がいるかもしれない。

 そんな一縷の希望を抱き、日和は「どんな人でも良いので、とりあえず全部見せてください」と頭を下げた。


 ――その結果日和が目を付けたのが、ヨルク・ジンヴェスという男だった。

 男爵家(マルタの口ぶりからすると貴族の中でもかなり平民に近い地位らしい)の三男だというその男の姿絵は、正直かなり盛っているのではないかと疑ってしまうくらいの美男子だった。となれば、何故マルタの中でお薦めできないリストに入ってくるのかが分からない。

 高級娼館だというから地位的に問題があるのかと言えばそうでもないようで、お金さえ払えば平民でも来て良いし、ジンヴェス男爵家自体もある程度領地収入があり金払いに支障があるような家ではないらしい。では性癖が特殊なのか?と問えば、マルタは大層渋い表情を浮かべた。


「パッと話した感じそういうのはなさそうだったけど、この容姿だからねえ……、誰も最後まで相手できたことがないのさ」


 その言葉を聞きながら、日和は首を傾げた。この容姿、とは、あまりにも整った容姿をしているからという意味だろうか。そう逡巡し、確かに人によっては「恐れ多くて触れられない」「隣にいるのも申し訳ない」という考えになるのかもしれないと思い至った。

 日和もそういう気持ちがないわけではないのだが、ただ、顔が綺麗な人とそうではない人どちらに抱かれたいかと言われれば、両方の性格を知らないのであれば前者が良いことは間違いない。顔で差別はしたくないが、身体を預けるという女にとって比較的大きな事柄については顔の好みもある程度加味されるものである。いや、ある程度どころではない。十分加味したいところだ。


「マルタさん、私、この人が良いです」


 そう言うと、マルタは一瞬きょとりとした後、訝し気に日和の顔を覗き込んだ。その瞳には、疑惑と憐憫の感情がちらちらと覗く。やはり今日連れてこられたばかりの日和が相手するには格が高いのだろうか、平民に近いとはいえ貴族のようだし……と思いながら返事を待っていると、はあ、とマルタが溜め息を吐いた。


「別に、客に同情する必要はないんだよ」

「…同情?ですか?」

「この顔で相手がつかないからといって、アンタが相手してやらんでも良いだろうに。他に娼館がないわけでもないし。……まあ、相手を見つけるのは大変だろうが」


 そこまで言ったマルタは、ああ、とどこか納得したような声を漏らした。


「もしかしてアンタ、初物が好みかい?」

「え?」

「なーんも経験がない童貞が好みっていう奴も時々いるからねえ。確かに、この男も経験がないんだと言ってたよ。そういう意味では、他のは大体一度はこの娼館に来て誰かがついたことがあるし……童貞はこの男以外難しいかね」

「えっ、ヨルクさんって童貞なんですか?」


 思わぬ情報に日和が驚いていると、マルタは顔を顰めて頷いた。ちと可哀想だけどね、と呟いたマルタは、真剣な顔で日和に向き直る。いいかい、と少し落ち着いたトーンで話しかけられて、日和は思わず姿勢を正した。


「基本的には、姿絵を見て一度客として取ると決めたなら、もう拒むことは許されない。客も当然それなりに高い金を支払っているからね。――だのに、この男は既に二度も受け入れると決めた娼婦からバツを食らってる。ただでさえ受け入れ相手が見つからないってのに、そんな例外を作っちまってるウチとしては娼館としての信用はガタ落ちだ。もう次の例外は許されない。ウチの都合で悪いがね。それでも、良いのかい?」

「はい」

「…ん、良い返事さね」

「……あ。その、ヨルクさん側から拒否されることもあります…よね?」


 恐る恐るの日和の問い掛けに、マルタは不可思議そうに橙色の瞳を瞬かせた。まるで何故そんなことを聞くのか分からないと言わんばかりの表情に日和が首を傾げると、ぷは、と今度はマルタが噴き出す。ますます反応が分からず日和が眉尻を下げたところで、マルタはああおかしい、と困ったように笑った。


「んなことあるわけないじゃないか。それかアンタ、よっぽど()()()かい?まあマグロでも、その辺の女じゃ足元にも及ばないさ、安心し。なんもしなくたって、アンタみたいな容姿ならいくらでも買いたい男はいるさね」


 マルタの言葉を聞きながら、日和はこの世界でもマグロなんて言い方するんだなあ、と呑気に考えた。もしかしたら、異世界に来てしまった日和のためにそれらしい言葉に変換するような翻訳機能でもつけてくれているのかもしれない。何も分からないまま異世界に飛ばされたというのに、親切なんだか意地悪なんだか分からないが。

 そして、日和は確かに積極的だとは言えないかもしれないが、かといって男を慰める行為をしたことがないわけではない。上手くはないが、初めてでもないので最低限の真似事くらいは出来るつもりでいる。処女ではないから痛みばかり訴えて行為が進まないなんてこともよっぽどでなければないだろうし、相手を手管で翻弄させる――まではいかなくとも、童貞を少しリードすること位は出来なくもない。多分。まあ、本物の風俗嬢(マルタの言葉を借りれば娼婦という言い方が正しいか)に言わせてみれば、マグロなのかもしれないけれども。





 ◇





 そんなこんなのやりとりを経て、日和は自分に与えられた一室で来訪者――ヨルク・ジンヴェスを待っていたわけだが。日和の心配していた通り、ヨルクに拒否されるという事態が起こってしまったのである。

 嘘つき、とマルタに心の中で悪態を吐きながら、ベッドから立ち上がる。日和は日和なりに覚悟を決めていたわけなので、ヨルクに一目見た瞬間「思っていたのと違う」とでも言わんばかりの反応をされて女としての自尊心や矜持がズタボロであった。あれが俗に言う「チェンジで」ってやつなのだろう。


 日和は改めて自身の身体を見下ろした。ナイトドレスとでもいうのか、日和が以前使用していた寝間着よりも随分とおしゃれで女性らしいそれは、着た瞬間は多少テンションが上がった。シルクのような上等な肌感のそれは、ワンピース型で膝丈まで伸びている。裾の方は少しだけフリル状になっており、可愛すぎないのも良い。

 ナイトドレスの中には勿論と言うべきか何と言うべきか、ネグリジェのようなものを身に着けている。キャミソール型のそれは着るものとしては心許なさすぎるスケスケのレース素材で、下も両端の腰の辺りをリボンで結んでいる所謂紐パン状のものなので、解いたら脱げてしまうという破廉恥仕様である。ここまで乗り気の服装でいながら、日和は美男子に全力で拒否されたのだ。


 ――確かに地味な見た目で身体に凹凸だってないが、なにもあそこまで明らかに拒否しなくても良いじゃないか。せめて、体調が悪くなっただとか今日は予定が出来ただとか、見え透いた嘘でも良いから気を遣ってさえくれていれば、日和も大人な気持ちで対応ができた筈だ。そう思いながら、木製の椅子に半ばやけくそ気味に座る。上等ではない椅子がギ、と音を立てたが、気にせず机の上の瓶からコップへとアルコールを注いで、それを一気に呷った。

 確かに、アルコール度数の強そうな酒である。というより、ほとんどアルコールの味しかしない。日和も酒に弱い方ではないが、ここまで度数の強いものを一気に呷ったことはなかったので、くらりと酩酊感がある。一気に飲んだとはいえ一杯分なので、気分が悪くなるだとかいう症状は出ないが、恐らく頬位は赤らんでいるだろう。燃えるように熱くなった喉をそっと抑えながら、日和ははあ、と大きな溜息を吐き出した。


「また選び直しかなあ」


 ぽつりと呟いた言葉に、けれども一目見ただけでチェンジされるような自分に客がつくだろうか、と嘲笑を漏らした瞬間、つい少し前に聞いたバタバタとした足音が再度耳に入った。何事かと思うよりも前に、勢いよく扉が開かれる。

 開かれた扉の音と共に日和の視界に入ったのは、先程退室したばかりのヨルクその人であった。






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