2項目 昭和大学ランデブー
2項目 昭和大学ランデブー
5月31日火曜日、曇り。
今日は板橋駅から近い昭和大学へ出張作業だ。なんでも花壇の花を植え替えたいらしい。近場の花屋はフローリスタだけ。手っ取り早いっていうんで頼まれたんだろう。その日俺は休みだった。だけど人手が足りないから、と休日出勤させられた。違和感丸出しだろう? これから向かおう、昭和大学へ。 佐月
中間考査が終わって落ち着いたのもつかの間、バイトが休みだったのに俺の携帯に電話がかかってきた。姉ちゃんからだ。なんだよ、うるさいなあ・・・。
「佐月! 今すぐ昭和大学にきて! 人手が足りないの!」
嫌だ、と言おうとしたら勢いよく電話を切られた。うわー、これは行かなきゃいけないパターンじゃないか・・・。姉ちゃんはそこが強引だ。でもバイト代がかかっている。俺はジャージに着替えて急いで家を飛び出した。
昭和大学。
板橋通りを過ぎて大正通り沿いにある大学。大きな門がシンボルマークで多くの学生が出入りする。そこは唯一の仏教が学べる大学お坊さん育成大学としてかなり知名度は高い。テレビとかで特集されるのをみたことがある。
しかも俺の通っている板橋高校の一直線上にある。昼に大学で食べることもしょっちゅう。しかも姉ちゃんの卒業した場所だ。なんの縁があるんだか。
たくさんのイチョウの木。今は緑色。これが秋になると黄色に染まる。仕事は花を運び花壇に植え替える。フローリスタのトラックからたくさんの花たちが出され、花壇に植えていく。
パンジー。最盛期は10月から12月、2月から3月。しかし出回るのは今の時期。スミレ科。花壇で飾るのをよく見かける。様々な品種があり色のバリエーションも多様。メジャーな花。
俺は花の勉強を始めていた。あの光景を目の前で見せられてしまったら俺も負けてはられない。意外と負けず嫌いだって最近知った。
花壇がパンジーの色とりどりの花でうまっていく。大学職員に礼を言われたが作業はこれで終わりじゃない。まだ別出口の花壇が待っている。フローリスタのお店の営業も考慮し、数日にわたっての作業になる。
「お疲れ様でした」
大学を後にしようとした時、話し声が聞こえて来る。荷物を持った男女。ポニーテールを揺らしてこちらへやってくる。
この大学の学生か?
すると女の人が俺たちの植えた花壇に近づいていく。
「うわあ。綺麗! いつの間に植えられたんだろう?」
今です。休日返上で植えました。心の中で言ってやった。こっちは休みを奪われた被害者なんだから! ったく・・・。
「夏子! いつまでやってんだよ。いくぞ」
「うん」
二人はサークル棟へ向かった。俺は彼女たちを見ていた。どうせリア充だろ、とイライラしながら。大学から出てくる人たちは2人1組、どうせカップルだろと俺はうんざりする。
店に戻ってレジ前でぼーっとしていると扉を開ける音がした。
「いらっしゃいませー」
入ってきたのは若い女の人。姉ちゃんよりは若い。19いや20か? もしかしたら昭和大学の学生かも。俺はダイアリーを取り出して書き始めようとした時、声をかけられた。
「すいません、あれください」
指をさされたのは紫色の花。俺はすぐに数本バケツから抜き取った。
「アヤメ。別名アイリス。最盛期は5月。日本でも古くから愛される花。アヤメ科で国の花に指定されているとかされてないとか・・・」
まさか俺が花を愛でる日がくるとは・・・。想像できん。
「プレゼント用ですか?」
「じゃあそれで」
まじかー。ついにきてしまった。ここは「いいえ」って言ってもらいたかった。今プレゼント用にできる人が今いない。ということはフローリスタ一の不器用が包むということだ。一番恐れていたことが現実になった。
長いリボンを切り、指定された包装紙に包む。あっ、ずれた! あっ、切りすぎた! 少しヨレヨレ。プレゼント用か、これ? 下手したらクレームくるひどさだろ・・・。
「お、お待たせしました・・・」
直そうとしても俺にはこれが精一杯だ。少し形の悪い包み方。結び目は少し汚いピンク色のリボン。女の人も少し驚いている。
「ありがとう。一所懸命包んでくれて」
女の人は驚いてはいたものの文句ひとつ言わず俺の花束を受け取ってくれた。お金をいただき、俺は頭を下げた。すると奥から中澤さんが顔を出した。嘘だろ、中澤さんいたの? ということは俺がプレゼント用にする必要なかった! やばい、完全に明日クレームくる!
「あの子、昭和大学の学生さんだね」
「なんで知ってるんですか?」
「板橋通りでよく桜祭りあるだろ? その祭りで昭和大学の学生が桜色の袴をはいて通りを歩くんだよ。その中で一番綺麗だった子だよ。たしか・・・、川西沙織さんだっけ?」
「へえ」
板橋を代表する祭り桜祭り。俺も見たことがある。確かにひときわ目を引く人がいた。多分、中澤さんが言って川西沙織さんって人だと思う。
「あの人、アヤメを買っていきました」
別にアヤメはそこまで特別じゃない。いうならちょうど今が最盛期。なんら不思議じゃない。でも何か引っかかるような。考えすぎも良くないからな。それ以上は深く追求しないでいこう。
店の掃除をしていると奥から姉ちゃんと中澤さんの奥さんが出てきた。奥さんは手先がとても器用でフローリスタの誇るフラワーアレンジャー。
「あら佐月くん、お疲れ様」
「お疲れ様です」
姉ちゃんがレジの横に置かれている俺の手帳を手に持った。そしてパラパラと流し読み。してほしくない。特に大したことは書いていないつもりだが、見られるのは恥ずかしい。それが姉ちゃんであっても。
「へえ。あんたにしては書いてんじゃん」
「ひやかし?」
俺がどういう経緯でこの手帳を書き始めたのか、あんまり話したくない。影響が姉ちゃんのメッセージカードだとは言えない。俺はそこにさっきやってきていた川西沙織さんのことを書いていた。メッセージカードはつけてないけど。どんな人がどんな花を買っていくのか、少し興味がある。
「アヤメ、か・・・」
「そうねえ。アヤメって可愛い花よね。たしか花言葉は『希望』とか『嬉しい便り』みたいなものだったわね」
すると奥さんがクススと笑う。ついに奥さんまで笑いだしたのか、と俺は引いた。何かありましたか、と俺が聞くと奥さんは、
「きっと恋が実ったのよ。嬉しい便りの花言葉はきっと恋が実ったのよ」
女心ってわかんねえな。奥さんたちははしゃいでいる。俺はただ見つめていた。
次の日。
また昭和大学へやってきた。裏の出口の花を植えた。また重労働。そして休日出勤。フローリスタをブラック企業だと考えたくない。
姉ちゃんのツテで来たけど多分、俺が高校生で若いからと言われてるからだろ。俺はあの人とすれ違った。アヤメを買いにきた川西沙織さんだ。そしてその隣には笑顔の男の人。
あれ、どこかで見たことあるような・・・。
俺は記憶を辿る。思い出せ、見たことあるぞ! 思い出せ! そうだ、昨日俺たちが植えた花壇を見ていた女の人と一緒にいた人だ。もしかして川西沙織さんの好きだった人ってあの人か---。
仕事途中だか俺はトイレへ向かった。出てくると女の人が一人柱に頭を寄せて肩を揺らしていた。俺はその姿を見てすぐにわかった気がする。あれは泣いてる。
声をかけるのは気が引けるが、なんか気になってしまう。俺は女の人に近づいて声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
女の人は涙を拭き俺のほうを向いた。その顔に俺は見覚えがあった。昨日俺たちが植え終わったパンジーを褒めていたあの人だ。
「大丈夫です。すみません・・・」
「何かあったんですか? 俺でよければ相談にでも」
俺はなんてお節介な人間なのだろう。普通は余計なことだって言って弾きかえす。どうせ大人ってそんなもの。俺の問いかけに女の人は口を開いた。
「好きな人に彼女ができたの・・・」
あ、かなり重かった。あまり面倒事には首を突っ込みたくないタイプだったのに---。俺は引き受けて後悔するタイプらしい。もう恨んでも恨みきれない。
「それは・・・。話してくれませんか?」
「初めて好きになった人だった。ずっと一緒にいるといつも楽しくて、自然にね。でも告白してフラれたら友情に亀裂が入っちゃう。だからずっと黙ってたんです。でも、私の友人に告白して付き合い始めたらしくて。私の気持ちは打ち砕かれたわ」
恋心より友情を優先しそれが崩れることを恐れ傍観していたために悲劇を生んだみたいだ。こんなのテレビ東京のトレンディドラマでも見たことがない。涙を流しているこの人の純粋さに俺は何かを感じる。
「落ち着いたわ。なんかごめんなさい」
俺はずっと引っかかっていたことを口にした。これは言っていいことなのかどうなのかわからなかったけど気づいたときには口から飛び出していた。
「もしかして川西沙織さんと一緒にいた人、ですか?」
顔色が変わった。どうやら本当のことらしい。また俺は何振り構わず人を傷つけた。後悔ばかりだ。フローリスタでバイトを初めていろいろなお客さんの接しているうちに俺自身も何かが変わり始めていた。
「なんで沙織を知ってるの?」
「俺のバイト先の花屋に来ていて、店主が教えてくれたんです」
「そうだったの・・・。可愛い子でしょ? 桜祭りの主役よ。あんな子に私が敵うわけがないのに・・・」
俺はこの人に花を贈って気持ちを慰めたいと考えていた。でもこの人にとってそれがいいことなのかわからなかった。迂闊に動いたら迷惑を与えるだけ。
「あの! あなたに花を贈らせてください!」
女の人は驚いている。当たり前だ。見知らぬ男子高校生がいきなりこんなことを言い出したらそんな反応するって---。
「私に? じゃあ明日桜祭りがあるのは知ってる? 私そこに出るの。そこで渡してくれないかしら?」
この人もあの桜祭りに出るのか。桜祭りの目玉と言ってもいい女子学生が道路を歩くメインイベント。そこに花束を持参してほしいという依頼だった。名前は夏子さん。俺は事前に代金をいただきフローリストに戻って花を選んだ。
女心なんて俺には理解できない。この鈍感、と姉ちゃんに言われるくらいだからな。姉ちゃんは「映画見ればいいじゃない? 『動物図鑑』とかおすすめよ?」とか言いそう。どうせ映画を観ても俺には理解できないと思う。最終結論はそれだ。
俺は店内にあるラジオをつける。するとアップテンポな女性ボーカルユニットの音楽が流れてくる。アイドル特集か。それを聞いた俺は何かが降りてきた気がする。俺はすぐに手帳に書き記した。『昭和大学 夏子さま。失恋。でも友情の縁を大事にしたいと要望』
俺はすぐに入荷リストを確認した。その花は明日の朝、やってくる。俺は先にメッセージカードを書き始めた。鈍感でもありったけの言葉を込めて。
そして桜祭り当日。
俺は急いで店へ出勤し、花束を作った。そしてそれを自転車に乗せて祭り会場へと向かう。祭りは始まっていて夏子さんをはじめとする女子学生はすでに道を歩いていた。赤い袴をきた夏子さんは手に桜の枝を持って笑顔だった。きっとまだ引きずってるんだろうな。
夏子さんたちの出番が終わり、昭和大学で待っていると夏子さんがやってきた。その隣にはあの川西さんもいる。
「夏子さん!」
夏子さんは早足でやってきてくれた。川西さんもお花屋さんと言ってやってきた。今から夏子さんを励まそうと思っているのにこの修羅場はなんだ?! 川西さんに罪はないけど夏子さんはきっと・・・。
俺は夏子さんに花束を手渡した。白い包装紙に風の流れを思わせる水色の線。水色のリボンにはハートのキーホルダー。花は赤と紫。これは? と夏子さんが聞いてくる。
「アネモネの花です」
アネモネ。最盛期は4月だが出回るのは3月から5月にかけて。地中海沿岸に咲く花で一輪草の仲間。赤、白、紫と種類がある。
なぜこれなの? と聞かれて俺はメッセージカードへ促した。夏子さんはゆっくりとメッセージカードを開ける。そこには、
アネモネの花言葉は『はかない恋』です。でもそれはアネモネ全般のこと。赤アネモネは『君を愛す』、紫アネモネは『あなたを信じて待つ』とあります。恋するようにあの人のことを信じて支えてあげてください。
From 板橋 florist
俺の精一杯のメッセージだった。これを見た夏子さんは泣き崩れた。大好きな人を愛するように支えていければいいのではないか、と。あのラジオで流れた曲もアネモネに切ない恋心をかけて歌っていた。俺には女心なんかわからない。俺の言葉を述べただけだ。理由を知らない川西さんはどうしたの? と連呼するだけだった。
店に戻ると姉ちゃんがやるじゃん、と声をかけた。アネモネは数本しかなかった。花に思いを託す人は意外にも多いらしい。
俺もついにデビューした。人々の様々な思いを手帳に綴っていくと見えてきた。みんないろいろ思っているんだな、と。夏子さんたちがどうなったのか、俺は知らない。でも、夏子さんは最後にこう言っていた。
「ありがとう、お花屋さん」と---。