Fightー8 碧すぎる空
礼拝の呼び掛けが静寂を突き破ると、東の空が白み始めた。
荒れた大地が暗闇の重圧を撥ね除けて立ち上がり、地平線から一筋の閃光がこぼれ落ちる。
世界に光が満ちる一瞬、赤色に染まる時間、頬に触れる暖かな熱。
一時、誰もが諦めた、新しい朝が来た。
砂塵と埃が汗に濡れた肌にこべりつき、誰もが酷く薄汚れた顔で、徐々に色彩を変えていく空の下、敬虔な祈りを捧げていく。
長い、長かった夜が、明けた。
「……勝った、の?」
パヴァーナの呟きを、ナーディヤが追認した。
「あぁ、勝ったね」
勝利、の言葉が人々の間に緩やかに伝播する。
「神に感謝を」
その言霊に、感謝が捧げられる。
そこに、歓声はなかった。
誰もが、床に額を着けたまま、疲労困憊で動けなくなっていく。
「ははははは、いや、本当に生きているとは……」
ユーセフ中佐すら、勝利を宣言する余裕が無かった。
かくいう私だってまだ、終戦を確信できていない。
けれど、もう、何もかも出し尽くしていた。
この一瞬、街の中も外も、あらゆるモノが活動を停止していた。
まず止まったのは、バッテリーの切れた黒鉄蟲だった。
総力戦による物理特攻で沈黙した機体も千を越えていたけれど、最期まで抵抗を続けていたゴキブリマシンも、遂にその脚を畳んだのだ。
周辺を索敵する。
もう、敵戦力は動いていない。
長い、長かった戦闘が、終わった。
力尽きた蟲がグルリと街の外周を取り囲み、それを抑えつけるようにして、土塊の獅子人形が固まって静止している。
世界はようやく、夕べのバカ騒ぎに気が付いて、トレンドの第二波が情報番組を席巻し始めていた。
何よりも、米国のセレブ女優が、ズバイダ女史がバラ撒いた動画にコメントしたのがデカかった。姫子を「ワンダープリティーガール」と褒め称えたその投稿は瞬く間に100万ビューを突破して、この国で今夜、これほどの蛮行と総力戦が行われていた事実を、全世界の白日の下に晒したからだ。
いくら何でもここまで世界の耳目を集めてしまえば、政府軍も無茶は出来まい。
おまけに投入しているのは、北国の軍の最高機密である。
「姫子のお手柄ってのが、悔しいけれどさ」
本当なら、この街の女達だけで完結させるつもりだった。
それが何より、この街の人々の自信と希望に繋がると信じたからだ。
まさか軍が、最高機密まで動員して、殲滅戦を仕掛けてくるとまでは予想していなかった。
と言うか、なんでこのバカ、降ってきたんだ?
その当人は今、私の足元で大文字に爆睡している。
例の動画、音声だけは鮮明だけれど、遠距離からのアップでしかも手ぶれが酷かったから、名乗っていない分個人特定は時間がかかるだろうけれど……思いっきり日本語で話しているから、まぁ、そのうちバレるだろう。いっそ「マフティー・ナビーユ・エリン」とでも名乗らせておけば良かったかね。
さて、とりあえず、街を一周グルリと囲んでくれている黒鉄蟲から片付けるとしますかね。これだけの数となると、政府軍も回収しきれないだろうし、何なら、修理して通販で販売するかね、これら?
さりとて、何かの拍子に再起動されて街中で発砲されても迷惑極まりないので、とりあえず、砲塔と多脚を分解しておく。
なにはともあれ、辛くも何とか、今日は生き延びた。
夕べのあれが、今のこの街の全力全開だ。
だが、耐えた。凌いだ。最終的には鉄骨散弾を地表に撃って、黒鉄蟲をまとめて捕獲する戦法まで編み出した。
後はとにかく、外からの介入待ちだ。
これだけネットで話題になれば、多方面からのオファーが舞い込むに違いない。
今日はきっと、潮目の変わる日になる。
そう、信じていないととても、昨日の苦労の割に合わないしね。
とりあえず姫子を、例の赤子部屋に投げ入れておいて半日。
抜けるような晴天の下で世界は目出度く、グルグルと回っている。
どのニュース番組も、この国でまた、深夜に民間人虐殺が計画されたことを批判し、かつ、この街がどうして狙われる事になったのかを、順を追って説明してくれていた。
革命運動当初から、政府軍と反政府軍によってシーソーゲームに巻き込まれていること。
ここ数ヶ月、インフラが止められて流通も制限され、兵糧攻めにあっていたこと。
月見里野乃華佐久夜比咩命が介入して、政府軍を蹴散らしたこと。
その後、「魔法」によって復興を始めていたこと。
その「魔法」が、地球温暖化を食い止めようとしていること。
全て、ネット上のまとめサイトに載っている情報だけれど、今まではそんなの、よほどの中東オタクでもなければ目を通していなかった。ズバイダ・レポートがバズったとは言え、世界は毎分毎秒、次のトレンドの津波が寄せては返し、1週間もすればどんなネタも風化してしまう。
革命当初はあれだけ世界中から非難され、明日にも総辞職やむなし、という風前の灯火に思えた大統領ですら、この数年で完全に立場を安定化させ、「民主的な選挙」を経て、大統領に再選されてしまっているのが現実だ。
このクソッたれな世界はそんな茶番を、「国内の治安を守り、経済を安定させられる大統領だから」という信じがたい詭弁で塗り固めて、消極的に民間人虐殺を黙認するのだ。
これまでは。
どの為政者も守ろうとしなかった「人道」に対する罪を、これからは思い知って貰わなければならない。
けれど、粛正なんてやっている暇は、ないのだ。
仮に、私と姫子が本気でこの国の大統領の暗殺を企めば、大勢の政府関係者の血の海の中で、その目論見を達成できるかも知れない。
が、それで平和が訪れるか?
壊れた街は、死んだ人は、元に戻るのか?
その混乱に乗じて更に、この国から領地領民を分捕ろうと、武力で他国が乗り込んでくるのがオチなんじゃないの?
もしくは、力で抑え込まれていただけの地方勢力が、次の覇権を取るために戦国時代に逆戻りして、結局民衆の暮らしは戦闘続きのままで解決しない。
そんなやり方、正しくないでしょ。
まずは、困窮している人々を救うのが先だし。
おまけに1000年先のことを考えるのなら、1秒でも速く、1グラムでも多く、大気から二酸化炭素を回収しなければ、生存環境そのものが破壊される。
平均気温が二度上昇して、食糧危機と環境破壊が進めば、人々が地球環境正常化のために団結して宇宙空間を目指すようになる、なんて保証はどこにもない。
実際、人類共通の危機に見舞われたとして、隣人の隙を突こうと企む為政者は大勢居ても、それまでの細かな諍いを忘れて団結しようなんて動きになんかならないだろう。
政治家の良心なんてものに期待していたら、手遅れになる。
それでなくとも既に、待ったなしだ。
社会がどれだけ遅々として進まない、神経が苛立つモノだとしても、だからこそ、泥沼の中の一歩であろうと、前へと意思を向け続けるしか、未来はない。
100万人の女で、地球を助ける。
痛みを知らない赤子のようにそんな夢でも掲げなければ、こんな馬鹿げたこと、やっていられない。
青すぎる理想だって? そんなの先刻承知で分かってる。けれど、そもそも人助けが主では無い。人の信仰がなければ消失してしまう、カミを救うのが主目的だ。
「杖」は、手っ取り早く信仰を得るための道具でもある。
が、それは私の都合。
今はとにかく、戦闘の後片付けがお仕事だ。
住人のほとんどは朝の礼拝後そのままダウンしてしまったので、午前中はひたすら黙々と、黒鉄蟲の解体を進めていた。
砲塔と、脚と、本体。
当たり前だけれど、軍用で自動運転なのだから、やたらと頑丈だ。下手に解体すれば爆発の可能性すらある。けれど、この街への突入に関して自爆攻撃がなかったのだから、単価が高すぎて自爆機能を躊躇った可能性もなくはない。自爆攻撃なら若者を騙した方が遙かに安いというのは、本当に狂った世の中だ。
本体のバッテリーが再利用できたら便利な気はするけれど、まぁ、その辺は技術屋さんたちの利活用に任せよう。
太陽が中天にさしかかる頃には、皆が眠りから覚めてきて街が再起動する。
寝て、食べて、生きる。
人生はひたすら、その繰り返しだ。
その繰り返しが当たり前では無いことを、この街の人々は、骨の髄からよく知っている。
今日という日に、お天道様の下で活動できている、この瞬間。
それは24時間前には、諦めかけていた瞬間でもある。
まさかまさか、超有名セレブ女優によって情報が拡散され、燎原の火の如く全世界を瞬く間に席巻し、迂闊に手出しが出来ない街へと変貌するとは、期待はしていたけれど想定は出来ていなかった。
逆に言えば、最新鋭兵器まで導入して、この街の完膚なき破壊を目論んでいた政府軍の方が、この危険性を予期していたとすら言える。
完全に回避できたなんて楽観はしていない。
けれども、手は複数に打ってある。
国連の難民キャンプをこの街に取り込んで、二酸化炭素事業を難民主導で進めていく。
先進国政府と交渉して、排出権取引の認定工場として国際社会に地位を築く。
多国籍企業と取引を行い、人流を強化して日常生活物資を潤沢にする。
究極的には、この街全体を一つの企業体として、単体で自給自足を完成させて、政府に頼らなくても暮らしていける社会を構築する。
「杖」は、その革命のための、力だ。
「魔法」は、不可能を可能にするからこその、「魔法」なんだ。
もちろん、そんな簡単な状況ではない。
国内は暴力が支配する無法地帯と成り果てていて、政府軍のみならず、外国からの傭兵部隊、多数の武装集団が乱立して各地で縄張り争いを繰り広げ、その境界線が容易に動き回るおかげで住民の気の休まる時はなく、周辺各国も政府軍支持と非支持に別れて占領地域を牽制している。大国は大国で、堂々と戦闘機を飛ばして空爆を繰り返し、石油利権や臨海基地の確保に躍起になっていて、膠着していると言っても、何かあれば暴発する危険性がないわけじゃない。
この混乱の中、宗教勢力や民族勢力が、どさくさ紛れに実効支配地域を拡大して「新国家」を建設しようとするのだから、尚更に状況はカオスだ。
だからこそ、理想はシンプルに。
ただ、寝て、食べて、育てられる。それだけの平和な土地を確保するために。
難しいことが考えられるのは、衣食住が満ち足りた後の話だ。
文化的で健康的な最低限の生活、それすら国民に供給できない国に、果たして「国」を名乗る資格なんてあるのか否か。
そもそも「経済と見かけの治安さえ安定していれば独裁者でも仕方がない」と人権軽視を認めてしまう国際社会って何なのよ。
国内では「法治」を求めておいて、他国が国際法に違反していても知らんぷりって、ダブスタにも程があるでしょ。
と言うか結局男どもは「力こそPOWER」から治世を脱しきれていないから、50万人以上も虐殺するような大統領を支持、なんて阿呆な判断が罷り通るわけよ。
そんなの、例え総理大臣が許したって、お天道様の代理である私が許す訳にはいかないでしょ、常識的に考えて。
世界や社会は理不尽なモノだと許容しろ、じゃないのよ。
暴力による支配を止めないことには、まともな社会なんてあり得ないでしょ。
力比べで悦に入ってマスターベーションしてりゃいい時代は20世紀までなのよ。
なんで男共は、それを理解できないのか。
と、鬱々していても仕方がない。
街はとっくに活気を取り戻している。
勝利の活気だ。
後片付けにも精が出るというもの。
男も女も老いも若きも、目の覚めた者から自発的に動き出して、非日常から立ち直っていく。
まずは飯だ。
次は各方面からの連絡責めだ。
ズバイダ女史を始め、親交のある難民キャンプからは続々と、安否の確認のメールが飛び込んできている。
前もって通信網を確保しておいたからこそ、だ。
SNSにも堂々と、生存報告を載せたら早速、数千を超える反応が寄せられている。
とりあえず周辺の安全が確保され次第、待機していた流通トラックが動き出す。
コチラもコチラで、二酸化炭素の回収と、合成燃料の準備を最速で稼働させた。
時間が経つにつれ、空気がざわつき、ザラついていく。
戦場の匂いに、人々はまだ、興奮が冷めやらないのだ。
ラシード医師の危惧していたことも、分かる。
この浮ついた空気をなんとか制御しないと、必ず暴走する跳ねっ返りが出てくる。
ましてやその原因を作ったのは、姫子だ。
あのバカは無自覚でやったのかも知れないけれど、夕べのあの演説、あれはただの煽動なんかじゃなかった。言葉の端々に魔力を込めた、洗脳だったのだ。私も気付いたのは今朝の事だ。そうじゃなければ、いくらリズムを刻んでいたって、それまで守りに徹していた人々が、一斉に吶喊なんかしない。戦場での恐怖を忘れさせるために覚醒剤を配るのと同じ事を、あのバカは音声に乗せて、全住民の戦意を操作したんだ。けれども住民達には、操られた、という意識は皆無だろう。どちらにせよ今後、姫子を担ぎ上げて攻勢に出るバカを出さない事を、意識しなければならない。
なんて事を、教会の屋根の上に浮かびながら考えていると、視界の端に、生き延びた喜びを互いの身体に刻みつけるように、愛し合う人々の姿が見えた。まぁ、人間、生命の危機が迫れば迫るほど、種の保存という本能が刺激されるそうだからな。
「なに、黄昏れてんの、独裁者のカミ様?」
目を覚ましたのか、バカが隣にやってきた……やけにズタボロな絨毯に乗って。
「姫子がこのまま、現代のジャンヌ・ダルクとして担ぎ出されて火炙りにならないか、心配してたんだよ」
「ジャンヌ・ダルク? ゼノビアじゃなくて?」
「ゼノビアって誰だっけ?」
「パルミラ帝国の女王さま。ローマ帝国に反旗を翻してアラブ民族を圧政から解放しようとしたけれど、結局再征服されちゃって、市中引き回された人」
「いや、負けちゃった女王と一緒じゃ駄目でしょ。ところで、その絨毯、あんた、まさか……」
「そのまさか。これで日本からすっ飛んできたの。勢い付けすぎて音速越えて、止まりきれずに街に激突しそうになったけど」
てへぺろ、と舌を出して誤魔化そうとするバカの台詞に、思い当たる事がある。
「2回目の超音速飛翔体って、お前か!」
思わず手が出て首を絞めていた。紛らわしいことしやがって、このバカ。
「ギブギブギブ! 結果的に勝てたじゃん、許されよ」
「いや、あんたな。自分がやった事、ちゃんと理解してるかよ?」
「戦意鼓舞して、ちょっと勇気をあげただけじゃん。実際、人的被害は出てないでしょ?」
その辺、奇跡的に、自爆的な軽傷者だけで済んでいるのは確かだが、
「まさか、あの銃火器類、姫子が用意させてたんじゃないでしょうね?」
「要撃メカ以外に、巨大ロボット作れないかは実験してたけど、あの銃器類は単に、この街の人らが自衛のために貯め込んでたやつだよ」
「とにかく、今後も専守防衛だかんね。勝手に男たちを焚き付けて、遠征とかすんなよ」
「こっちが言わなくても、男たちが余所の街を助けに征っちゃうのはどうすんのさ」
「そこまでは知らん」
「んな無責任」
実際、それをどうするかは、この街の住人が話し合って決めることだ。
ただ『杖』の効果に有効射程があるって事だけは、口を酸っぱくして伝えてあるし、なんなら実演して納得もしてもらってる。
魔法は万能だけれど、地域限定であるからこそ、魔法なのだ。
その「地域」が広がるかどうかは、ひとえに、昨日目覚めて貰ったアフラマズダー神の信仰状況に左右されることになる。
ゆえに「この街だけ」安全でも意味がないのは確かだ。
今後、海外と取引するにしても、物流の安全が確保されていることは最低限の条件だし、ましてや野盗や武装襲撃団が闊歩している治安状況では、荷物の警備だけでコストが嵩みすぎる。
「魔法の絨毯隊みたいに、杖の魔力を路線沿いにリレーさせてもダメなん?」
「あれもまだ試験段階だし、そもそも魔法の絨毯じゃ物流コストが高すぎるでしょ」
「杖の量産は、こっちでしないの?」
「それがネックなのよな」
実際、材料さえ揃えれば、『杖』の現地生産は不可能ではない。私が最後にパスを通せば良いのだから。
けれど、それが公になれば必ず、流出する。もしくは、過激派武装組織の襲撃に遭う。今ですら『杖』を狙った強盗騒ぎがあるのだ。その量産なんか知れ渡ろうものなら、この街を襲撃する格好の理由を与えることになる。
「いっそ、のののんが理想的な独裁者になって、この街の守護を絶対にすれば良いのに。神様なんだから死なないんだし」
「一応、私もあんたも、民主主義社会で生を受けて自由を謳歌してきたわけなんだがな?」
「人間は愚かだから、いつかは間違えるよ?」
「そうかそうか、私が間違えたことがないと、擁護してくれるんやな、姫子は?」
「うんゴメンそれは無理わたしが間違ってた」
「即手の平返しかよ! 少しはかばえよ!」
「けど、現地の人間に期待しすぎるのも、問題じゃね?」
だからって、貴族主義には傾倒できない。
別に特別なことをしてくれ、と言うわけでもないのだ。
戦争に巻き込まれない暮らしを望むのが、そんなに大それた願いなのか、人生?
と、
「ノノ!」
世の無常にナーバスになっていたら、下から呼ばう声がする。
「招かれざる客だ!」
あぁ、既に即日、面倒ごとは向こうから容赦なく、押しかけてくるのだ。