鬼さんパリへ行く -Le diable va à Paris- ・3
荒涼と荒れた岩山や、大きく広がる畑。
比丘尼国の超特急光號同様の、大きな窓から窺えるイスパニアの光景に目を奪われておるのは私の姉と、武士の格好をした人物。
「常長はん、めきしこしこの大地もそらぁ驚いたやろうけど、このいすぱにあっちゅうところも雨が降らんせいで、日の本とは全く違う暮らし向きらしいで」
「でございますなぁ…いやはや、石造りの屋敷が多いのも頷けようもの…」
(へっへーん、俺なんかおそろしあの訪問2回だぞ、あそこは雪ばっかだぞ人食い熊も毛むくじゃらの巨象も出るぞ)
(上様いやさ偽女種11号様、特使に妙な知恵を吹き込むのは程々になさいませ…)
(熊と相撲とか言い出したのは信綱、てめぇだろ…)
ええと、先代将軍様と、ほもだちの幕臣の大老様の会話はちょっと置いといて。
「支倉様…ご安心を。今から向かうマドリードはもちろんのこと、パリはもっと緑に溢れて暮らしやすくなっております…」
「ムッシュ・ハセクラ。セニョール・プラウファーネの言われる事に間違いはおまへん…なんせ私もパリ住まいの身ではありますからな」
で、この個室の座り順。
←カディス マドリード→
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⬜︎つねなが ふらこ⬜︎
⬜︎げどう いばらき⬜︎
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廊 下
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つまり、江戸幕府の特使にしてこれから1年間、パリで公使のお仕事をなさる支倉常長氏が今回の旅行の主賓で、私の姉の外道丸はその筆頭随行員…一行の旅程を仕切る立場らしいのです、一応。
「とはいえ、痴女島で拾ってもろてから、めきしこの軍艦でたいへいようを1日やからな…いちおうは飛んで景色を見せてくれたけど」
聞けば、痴女皇国のテンプレスやテンプレス2世と同じ「空飛ぶ貨物船であり軍艦」である聖グアダルーペという船、アカプルコまでは大きく広がる太洋の上を飛んで物見をさせてくれたそうです。
そして、アカプルコではフランシスカさん差し回しの車で女裂振珍帝国の俗都ティノチティトランを経由して神都ティオティワカンへと向かい、歓迎にあったと姉は申します。
「向こうでも米作っとるらしくてな、日本料理がええいうたら飯にしじみの味噌汁にはらますの奉書焼きやのとな…」
「気候が冷涼なので酒作りにもいいとはお聞きしましたけどねぇ」
そして、明日輝美人の神官に囲まれてデレデレとするかと思いきや、なんと神殿の一つで開催されておる、るちゃとか申すおなご同士の格闘で大いに盛り上がった模様。
「あそこの騎士、痴女皇国の騎士とちごて刀使わんと戦うんが流儀やと聞かされてな」
「フランシスカ局長がその格闘の達人らしいんですよ。で、体一つでできるから貧しい家の子でも身を立てやすいとなりまして、流行らせた経緯があるようです」
「さむらいも組手甲冑を習わされますからな…ま、太平の世となれば無用になるやも知れませぬが…」
そうそう、お昼はオリエンテ宮殿で頂けるそうですので、この汽車の中では飲み物と水菓子のみの給仕を受けております。
もっとも、この中で真剣にはらが減ったり、喉が渇くのは支倉氏だけですけどね…。
「何やらこの蜜柑、土地が乾いておる方が甘くなるとか伺い申したが…」
そう、バレンシアオレンジとかいう、この地の名物のみかんが出されておるのです。
「奇襲天領や伊予柑橙水国でも、わざと山坂で蜜柑を植えておるゆう話やしな」
ええ、姉も口をもぐもぐさせております。
「それと酒や酒。めきしこしこの酒できっついのとか、とうがらしみたいなんが瓶の中に入っとるんあったやん。支倉はんはポン酒の方がええゆうから、似た飲み口の透明な葡萄酒もろとったけど」
あー…。
で、鬼族の特徴ですけどね。
助平だけではなくて、酒も好きなのですよ。
私はどっちかというと節制してる部類なのですが、飲むとなったら飲めます。
ただ…姉も、どこぞのおかみ様のことをあまり悪しざまに言えない程度には酒好きなのです。
痴女島は暑い土地柄、あまり酒造りや酒の保存には向かないとは聞いておりますけどね。
(いや、まりあはんがれいぞうこを持ち込んだせいでその辺はかいぜんされとる。そもそも聖院島の時から、なんぼでもある水を使うて冷やす蔵があったとは聞いとるしな)
ええ、私の代でもなんだかんだあって、比丘尼国から酒を運ばせていたり、おかみ様用の在庫を置いておったりしましたねぇ…あと、クラブジュネスが出来てからは、そっちでも酒を出す必要があるということで、割に酒に困らなくなってるんですよ。
姉も、酒に不自由はしてないと申します…たまに、おかみ様に盗み飲みされて怒ってるくらいで。
「いや、私らもジャポンのナマザケとかレイシュ頂いたことがありますからな…ただ、イスパニアの酒はどちらかというと甘ったるいのが多いんですわ。ビエール…麦酒についてはフランスの隣から買う方がええもん貰えるゆうのもありますけどな…そうそう、ムッシュ・ハセクラ。食事についてはあまり心配せんといてください。オリエンテの歓待でも箸を用意しとけて向こうの厨房に命じてますし、リズは…ニホンとは少しちゃいますけど、イスパニアでもよう食われておりますし、昨今はフランスでも米の飯の有用性が着目されてましてな、特に黒んぼうの食事には飯が喜ばれるんですわ」
つまり、パリで米の飯に不自由はさせない。
フラメンシア殿下はそのように申しておいでなのです。
「ほれほれ、ベラ子陛下が海綿菓子国のイワシ料理を好まれるっちゅう話がありましたやん…イスパニアでも海鮮は食いますし、カレームと学校の連中が魚料理についても研究熱心なせいか、とうとうパリに寿司屋までもが店を開くありさまでしてな…」
(その裏には、わしとてれこの策略がありまして…フランスを美食の国とすることで、飯のまずいうちらの隣の大帝国の憎たらしいおばはん女王を何としてもぎゃふんと言わせて死にたいという念願が)
(それが裏目に出とるやろがふらこ…1年でええからカレーム貸してくれいう話になって、英国大使に随伴させて赴任させざるを得なかったんやぞ…)
ええ、その顛末、パリにおりました私も知るところなんですよ。
なんせその、フラメンシア殿下が申されるところの「食事があまりイケてないお国」、逆にフランスで修行した料理人を雇うのが向こうの金持ちの象徴になってるんです。
それと、フラメンシア殿下いわく。
(あとね、あっちは牛の肉をことさら喜びますやん…肉は牛だけやないというのはフランスにおったらわかるもんですけどな、イスパニアと似た理由で牛>豚または羊になるんですわ、あっちの肉の格付け…)
そうなんですよねぇ。
昨今は比丘尼国でも豚の有用性が着目されてまして、とんかつや焼き豚はもちろん…あ!
「そういえば支倉様、お国…青豆櫃飯国の名物である芋煮、あれも豚肉では」
「左様でございまする、茨木様…ただ、上杉家の方や最上の方では牛を尊ぶ気風がございましてな…米沢藩や山形藩、特に桜童貞国の者と鍋の席を一つにするなと主君も申しておる騒動になりまして…」
(あー、マリアだけど、ちょっと注釈させて。痴女皇国世界の最上騒動ってさ、最上家の当主をあわや毒殺って話になったんだけど、その原因が豚肉味噌仕立ての芋煮こそ至高って藩内の一派が仕掛けたものってことがバレて、しかも伊達藩青豆櫃飯国からも言いがかりだってことで挙兵して、あわや仙台と山形で戦争になりかけたんだよ…しかもその時は米沢藩も山形に味方してね…プラウファーネさんも、止めに行かされかけたから事情は聞いてるでしょ?)
(ですねぇ…鍋の具で戦争になりかけたってどんな理由だって大江山でも呆れてましたよ…)
「いや、食い物で戦争になったと言うのは…フランスと飯のまずい国との間ではしょっちゅうですわ…」
(それも注釈しとく。ドーバー海峡の舌平目とホタテ貝の漁業権を巡って揉めてんだよ…しかも、タラ戦争までもこの時代に起こしかけてくれるし…ドレイクさん、頼むからおたくの海軍に出漁させないでって頼んでるじゃん!)
(マリアリーゼ陛下…朝食の干しニシンや鱈の確保だけでもせめて…あと、平目はフランスに譲るとしても、焼き帆立はドーバーの沿岸の民の飯には欠かせんのです…)
どういうことなのか。
これ、フランスからも海軍戦力増強ということで紺碧騎士団の支援の話だとか、比丘尼国の海賊集団である村上家やら超助平家に九鬼のお家までもに話が行ってましてね。
私も、一応は公使の立場ですから幕府と朝廷に話はしておきましたし、そもそも痴女皇国の海事部長のナディアさんや紺碧騎士団長の瀬戸組四代目とも顔見知りですからそっちにも根は回しておきましたけど…本当に、魚を獲る権利で死活問題だってことで戦争しかけてたのです、その食事のまずい国とフランス。
そして、帆立の乱獲をされると聖母教会の聖地であるイスパニアの街にも影響が出るということで紛争解決の話し合いを何度か重ねていたんですけどね。
(問題は英国海軍が植民地の侵略に代わって、遠洋漁業を生業に始めたことにあるんだよね…うん、軍隊が漁師を始めたんだよ!)
(ねーさん、海上自衛軍にテンプレス級の操船を習いに行った際にF作業のやり方とか漁場や漁業権への配慮とか色々教わったんですけど、あれって覚えとくべきものなんですか)
(航海中の食生活を豊かにするための必須事項らしいからとりあえず覚えといてくれ。あと、あたしがまだ白マリと黒マリになってない時に伊勢で密漁したのは伏せといてくれ)
(ねーさんの悪事はともかく、おかみ様のお供えの鯛を獲る場所に行ったり伊勢エビを獲ってた時はあたしもいたじゃないですか…)
ええとベラ子陛下。
そもそも根本的に、さむらいが漁をするというのは超助平一家や村上や九鬼あたりでは半ば当然みたいなところもあったのですが。
(近代化された軍隊が漁船を保有して漁をするのは、国際的に問題があるんですよ…江戸時代の日本ならまだ多少は許されますけど、できれば漁業は漁師さんに任せてください…)
(善処は致しましょう。しかし、鮭の漁だけは何としても…)
(皮も捨てずに焼いて食べてるなら許す。あと、イクラも筋子も捨てないなら)
(マリアリーゼ陛下。北方帝国の鮭、ネヴァ川でも獲れるのですけど)
(そっちの支部はシベリア方面とか極東で獲れる分があるじゃん…)
(いくら陛下でも英国贔屓が過ぎると思えます。ことはフランス支部と英国支部のみの問題にあらず…)
(北欧支部ですが、日本発のわかめの胞子を英国周辺に放流しましょうか…嫌がらせに)
(あ、それダメだよミューレンフィーネさん。ニオちゃんが経緯知ってるけど、欧州の人たちで聖母教会に参拝するとワカメ食べられるようになるからね)
(だったら尚更わかめで我慢してもらいましょう。昆布まで乱獲されては困りますので…)
(マイレーネさん…あたし、この漁業権問題、欧州だけでも収拾お願いしてよろしいですか…)
(姫様…このマイレーネにも無理難題というものがあると今、思うております…次回の欧州地区幹部会の課題にさせて頂くことで、今は各位も納得されたし…)
ええ、マリアさんでも困るし、あのマイレーネさんでも困ることがある。
そして、この茨木もですね。
(アルトさん。今だからこそ言えますけど、女官食堂からの弁当の配膳が遅れて冷飯になったことあったでしょう…あの時はマリアさんがでんしレンジを持ち込む遥か前どころか、デルフィリーゼ様の御世。そしてその時の配膳担当女官がオルレーニャさんという女官だったこと、当時の地下の設備の連中、全員覚えてますからね…)
ふふふふふ、あのアルトさんにも弱みはあるのです。
そして、時々はこうしていじっておくのです。
(なんであたくしにとばっちりが!そしてなんじゅうねん前のおはなしなのですか!プラウファーネさんはおにですか!)
(ええと、私は鬼そのものです…それと、鬼になったついでに言っておきますが…アルトさんが上級女官になる前の出家名でしょ、オルレーニャって。しかもその時、クレーゼ様じゃなくてお母上のデルフィリーゼ様が金衣だったですよね)
(たしかにそのとおりですが)
(つまり、アルトさん…アルトさんの年齢の話になるんです、その弁当遅配事件を語り出すと…)
(それはプラウファーネさんもおなじではないですか…)
(だから私は鬼ですから、最低でも800年は生きるんですよ…アルトさんが駆け出しの女官で本宮に送られた時から、私は既に地下にいましたから、いまさらおっさんおばはん呼ばわりされてもこたえませんよ…)
(あううううう!)
ええ、泣いているアルトさんには気の毒ですけど、食べ物の恨みはかくも根深いのです。
特に、当時の聖院の食事のお米。
南洋米でしたから、冷めると特有の臭いがして食べられたもんじゃなくなるんですよ…あの時は結局、オルレーニャさんの先輩女官が熱を出して温め直してくれましたけど…。
ですから皆様も、くれぐれも食べ物の恨みを買うことだけは避けたほうがいいと思います…ええ、あの時の冷たいご飯を口にした私は、まさに「鬼の目にも涙」状態だったんですからね!




