ラ・マンチャの女 -Mujer de la mancha- 3
で。
地下トンネルの中を粛々と走る列車は、トンネルの断面が箱型から円形に変わるところを通過します。
その壁際には、青地の四角の中に、左向きの黄色い横向き◁三角形が描かれた閉塞区間開始標識が出されています。
そして、正面のディスプレイパネルに表示された速度計の円形グラフィックの外枠のカラー表示の赤色がぐいっと時計回りに回って、さっきからチカチカ点滅していた320の小さな緑数字が固定表示になって、円グラフがそこまで伸びて止まります。
同時に、ポンというTransmission Voie-Machine…略してTVMという車上信号装置/列車制御装置の告知音が。
「さきほど、同じ音がしましたけど…」
「あれは予告信号音です。まもなく制限速度が変わりますという告知と、次の閉塞区間での制限速度の値を示していたのですよ」と、該当する表示部分を指し示してお教えして差し上げます。
ATO制御時でもこの確認督促音や告知音の類、鳴ることは鳴るんですよ。
ですから、聞き慣れない音がしてまごついたり不安に思われないように、どの音が何を意味しているのかをお伝えしておきます。
そして、私の左手は2回目の告知音が鳴った時点で、運転時刻表などを載せておく小テーブル左側のレバーを前に目一杯押し込んでいました。
「信号320。予告、360」これは、TVM装置が告げている現在の指示速度の数値と、次以降の閉塞区間で制限速度が変わる予告の指示速度を確認しましたよ、という意味の確認呼びかけ…喚呼という鉄道屋さん用語です。
で、ここから先は山岳トンネルとして掘られたであろう、新幹線を思わせる複線円形断面のトンネル内を加速していくS1919型精気駆動電気列車。
真新しいトンネル内は高速道路のそれを思わせる白い結晶照明に照らされておりまして、薄暗いか下手すると真っ暗なことも多い鉄道トンネルには思えません。同じ高速線でも割と暗いアムステルダムからベルギーまでの間やパリ市内の地下区間とは全く違いますね。
そして、連邦世界のTGVや在来線車両に加速減速を合わせるための性能固定スイッチを切っていますから、加速は新幹線電車などと比べても引けを取りません。わざわざ機関車次位のクルブ車の三分の一を冷却機器と変圧器…サブインバータ用機械室に割り当ててまでして、通常型のTGVより駆動台車を増やしているのです。
その編成出力は1時間定格で15,000キロワット。故障列車を救援したり遅延回復運転を行う際に使う、30分限定の定格運転では最大20,000キロワットにも及ぶ出力を発揮します。
これ…新幹線電車はおろか、連邦世界で時速600キロ近い速度記録を樹立した二階建てTGVの第4402特別編成すら上回るのですよ…。私が時速600キロに挑戦しようとした気持ち、分かって頂けるでしょうか。
実際に、明かり区間というのですけど、トンネルから出て空が見えるところより格段に加速や最高速度への到達が厳しくなるトンネル内でもぐいぐいと速度が上がって行きます。
この気圧問題、新幹線でもお客さまの耳ツン問題などで技術者を悩ませましたが、もっと恐ろしいことが起きた事例を日本は経験しています。
かつて日本の北越急行ほくほく線という第三セクター路線において、狭軌特急電車の限界に挑戦する速度で営業運転しようとした際に大変な苦難をメーカーや鉄道会社が乗り越えざるを得なかったことがあるんですよ。
この北越急行線はもともと高規格ローカル線として建設されたために、単線が基本です。
そして、トンネルの中も列車の行き違いができる場所…信号場を除けば単線です。
で、単線トンネルに高速で突入すると、気圧のせいで車体が歪んで車内の自動ドアが閉まらなくなったり、果てはガラスの周りの気密を保っているはずのゴムシールに指を差し込めるくらいになったそうです。
そして豪雪地帯を通過するほくほく線では、トンネルの天井にできたつららが風圧でへし折れて列車の屋根を直撃して…強化工事をしておかなかった特急電車の屋根、ボッコボコに凹んだそうですね…。
ええ…新幹線もそうですけど、高速運転する区間のトンネルを複線断面で掘る理由は、この気圧の問題が大きく絡んでくるんですよ。
性感トンネルでも、新幹線を高速で走らせた際に貨物列車とすれ違うと、相手のコンテナが風で煽られて列車が倒れてしまいかねないと懸念が出ましたし、もっと顕著な例として、その北越急行のトンネル内に存在する美佐島という小さな駅が驚くべき重装備で列車の通過からお客さまを守っていたという事例が存在しますよね。
単線トンネルを時速160キロで突進してくる特急電車は、さながら注射器のシリンダーを猛烈な勢いで押し込むように、トンネル内の空気を前方に押し出して行きます。
その風速は最大で秒速60メートル…時速換算で210キロを優に超す突風となり、とてもではありませんが普通の駅のようにホームでお客さまに電車を待ってもらうようなことはできません。
そこで、この駅ではホームに繋がる通路に合計2ヶ所の扉を設けて人や駅設備を守るようにしていると。
なにせ、記録されるような強力な台風にも匹敵する暴風が列車通過のたびに吹き荒れますから、急激な気圧差を遮断するために宇宙船の気閘…エアロックにも似た仕掛けを設けて、トンネルからの風が一気に通路や地表に吹き上がらないようになっています。
この2枚の扉を開けておくとどうなるか、工事が完成した後で検査した際に起きたことですけど…特急通過の際、地表にある駅舎の待合室のガラスが粉砕されたそうです…。
ですから、ほくほく線をはるかに上回る高速運転を行うこのAVEでは、空気の逃げ場を作るためにも高速トンネルは複線以上の断面積で掘った方がいいという判断のもと…主にエマちゃんの能力で掘って掘って掘りまくって…そこのほもの方とか腐った趣味の方、興奮しないように。
(するかっ)
(しませんっ)
貴賓席にいる変な趣味の姉妹はほっときましょう。
「しかし、延々と穴が続くのも辛いものですわね…」私の隣に座って運転操作を見学しているスペイン王国女王のイザベル一世陛下が呟きます。
で、さっきも話に出ていたトンネル区間だらけの高速新線ですが、そうした理由はちゃんとあります。
まず、本当ならば鉄道や列車なるもの、あと200年は待たなくては世の中に出て来てはならないはずの中世時代相当のこの痴女皇国世界のスペインです。
で、イザベルさん…ステータス的には私の下位職となられる方なんですが、本当は百万卒クラスに昇格させたいものの、色々と理由があって万卒止まりにされているという若き女王陛下いわく。
「馬車…それも、盧馬に曵かせる荷車すら貴重なのがこの国の現状です。ましてや駆ける馬や突進する牛より速いもの、何も知らずに見れば驚き騒がぬ民はおりませんでしょう…」
つまり、下手をすると鳥より速い高速列車を見て腰を抜かしたり驚かれるのではないか。
あげく呪いや祟りだのという非科学的な噂を立てられたり、スペイン王室への不平不満につながると困るというのが、AVE…高速列車線区間の大部分をトンネル化した大きな理由です。
もちろん、うかつに線路の周りに侵入してしまい、事故を起こされても困りますが、金網や例の自律警備機械「めじぇど君」を使って立ち入りを禁じたところで、突っ走る高速列車に無用な恐れを抱いたり反感を持つ事までは容易に規制できませんよね。
これは他ならぬ日本が初めて蒸気機関車を走らせた際の、沿線の反応でも明らかでしょう。
当時としては比較的文盲率が低かった日本ですら、迷信的な考えで陸蒸気を否定し、果ては街中を通させなかった結果、衰退した町もあったくらいでしたから。
それに、騒音。
TGV系の車両はもともと、日本より騒音にうるさくなかった…と言うよりは、パリ近郊以外は人口密度が極端に低くなるフランスの事情もあって、騒音対策よりは車両性能や整備性に重きを置いていました。
特に前後の端にある機関車。
あちこちに開口部の蓋がつけられたり、外板の継ぎ目を隠そうとしなかったり。
確かに機関車はデザイン優先でかっこいいのですけど…トンネル突入時の気圧変動による出口側の衝撃波を考慮していない姿であるなどなど。
ただ、かなり以前から鉄道業界関係者の間では指摘されていた事でしたが、日本人のようにしゃがんだり正座をする習慣がない欧米の方々、電車のように補助装置が床下に吊られている車両の整備を苦手とする傾向があるようなのです。
で、そもそも機械文明自体の普及がまだまだこれからである痴女皇国世界には、整備性を優先して機関車に主な動力装置が集約されているTGVの導入が適切だろうと報告書を作成したのですよ…新幹線車両を製造しているメーカーに勤務する父親を持つ、この私が。
ちなみにイザベル陛下、ルルドの帰りにバルセロナまでのTGVと、そこからマドリードまでのAVEを体験されていますよ。
「あの時は女装者や男色者の捕獲で大変な目にあいましたが、未来のパリや…室見様の構想が形になるとどんな風になるかを見せて頂けたのは幸いでしたわ。ただ、バルセロナが相変わらず大きな顔をしている町なのがなんともはや」
ああ…これ、スペインの遷都問題があるんですよね…。
実はマドリード、お亡くなりになりましたけど、イザベルさんの旦那様がそれまでの首都だったトレドから王宮を移して新しい都にした経緯があります。
そして、先ほど話がありましたスペインの人口問題。スペインはイタリアやフランス同様に複数の貴族豪族領地の集合体でした。
で、アラゴン王国やポルトガル王国、そして連邦世界でも未だ独立運動がくすぶるバスクなどはもちろん、王国に帰順した貴族も強い権力を持っており、王室も貴族たちの影響力を無視は出来なかった事情があるとか。
(アナが謀反に至れたのも、そうした貴族同士の勢力争いをみての擦り寄り取り入りあってのものだね。亡夫はそれに悩まされたからこそ、都をトレドからわざわざマドリードに移したのですわ…)
で、セビリアまでの道のりですが、まずはその古の都だったトレドを目指しています。
実はここ、AVEまんまで線路を敷いていません。連邦世界ですとセビリア行きの線路は途中…トレドのはるか手前で分岐してしまいます。
むろん、そうなった理由ははっきりしています。トレド駅を何とかアースや何とかマップで見れば一目瞭然、行き止まり…つまり、トレドが終点なんですっ。
しかも、そのトレド駅自体はイスラム様式も取り入れたクラシカルな外観の綺麗な駅舎なのは良いとしましても、全力でトレド市街地の外れに作られています。理由はこれまた、トレドの町を何とか地図の写真で眺めたり街並みビューで眺めれば一目瞭然。
古くからの都市ということで、駅舎を町中に作れなかったのでしょう。
ですが、ここは駅舎の位置は妥協するとしても、エマちゃん大活躍のもと、全力で地下に穴を開けて線路を敷いた上で、停車列車は地上に出てきて在来線駅を兼ねるトレド駅にお邪魔する形をとりました。
つまり…通過列車は古都トレドの街並みを見ることなく、テージョ川にも影響を及ぼさない深度の地下トンネルで街外れを抜けてしまうのです。
あ、連邦世界でのAVEトレド高速線、本線から分岐している短距離の支線という事もあって、AVEに使われている車両でもあまり速度の出ないイタリア製車両を主に使う運用で、約72キロを35分未満で結ぶダイヤで走っているようですね。
ですが、こちらはトレド無停車。しかも通過列車が最高速度で通過できるように、わざわざ地下を通しているのです。
遠慮なく時速359キロで、トレド駅に向かう線路が分かれていく分岐ポイントを通過して行きます。
あ…これ、言っておく必要、ありますね…実はスペイン、鉄道も元来は右側通行。
しかし、痴女皇国世界では今後の直通先の英国やフランスに合わせる予定でもあり、左側通行でもろもろが作られていますよ。
ですから、トレド駅への停車列車が走る待避線は左側に別れて行きます。
そして、テージョ川河底トンネル区間とある壁の表記を見る直前で、トレド駅からの分岐線が再度合流してきます。
で、トレド駅手前の地下分岐線を通過した辺りで警告音とともに、列車ダイヤ管理画面がEstación de Toledo pasar.…トレド駅通過を確認せよと表示してうながして来ます。
そして、一応は運転士をやってますので喚呼をします。
「トレド。本線通過。場内。10時16分」
「トレド。本線通過。30秒延」
とまあ、日本式の喚呼を済ませます。
「トレドまで15分…でございますか…」イザベルさんが感慨深そうに呟いた、まさにその時。
ぷーぷーと鳴る列車無線電話機。
で、右手でごっつい電話機を取って話しますと、先行列車の遠藤さんからでした。
『あの…室見さん…ATO…切っておられませんか…指令からT103レがTVM通常モードで走ってると連絡が…』
あー…バレちゃった。
実はマドリード出発時に指導者権限でTVM通常モード…つまり、元来のAVE列車を走らせる要領でハンドル握ってたんですよね。
って言うか試運転時はATOを切って走らせてる事の方が多かったから、ナチュラルに半自動運転してました。
そうそう、通常モードではTVMというTGV一族用の自動列車制御装置、ちゃんと介入しますよっ。
(絶対わざとやってますよ、ねーさん)
(あたしもそう思う。りええ…帰りはちゃんとその自動運転装置っての、使えよ…あたし運転台で監視するからな…)
ちなみにベラちゃんとまりりはエロい仲ではありませんので、クルブの中で変な事を始めたあげく、上等なアンゴラ織の椅子を汚される事はありません。
この時代、革よりは織物…それもベロアのような糸屑がつきにくい張り物で椅子を仕上げるのが高級とされたみたいですね。
(それはそうと、そっちの居住性どうなのよ。エアコンもAVE向けのスペインの砂漠地帯仕様だから文句は出ないと思うけどさ…)と、後ろの開放室で自在腰掛けを向かい合わせにしてあーだこーだ言ってる皇帝姉妹にヒアリングしてみましょう。
(で、スペイン貴族好みなのはわかるんだけどさ、内装にオーク材入れたりしてるのは大丈夫なのかよ。あと、禁煙じゃないよな…既に煙草が流行りなんだぞ…)
(木材は難燃コーティングしてるし、薄いの貼り付けてるだけよ。で、煙草はこの時代だからある程度しゃーないわよ…スペインとイギリスの外貨収入のために、カリブに煙草畑を作って葉巻やパイプを流行らせてるんだし…)
そうそう、キューバではコーヒーやサトウキビに煙草と、嗜好品系の生産が既に始まっていますよ。
これら嗜好品は、海賊女王のグレース・オマリーさんが支部長を務めるカリブ支部のハバナ工場で製品化処理をされた後、以前に罪人頭だった黒ひげティーチおじさんの指揮する船団によってカディスに運ばれて行きます。
そして、インドや中国から運ばれて来るお茶の葉に…対麻の葉っぱや樹脂、そして阿片というダブルピースをしてしまいそうな「特殊薬品原料」ともども、ボルジア商会とバーソロミュー&エドワード商会の手で英国やイタリアにも流れて行ってる模様…。
ベラちゃん…私はクレーゼ様の管轄の通商局のビジネスにケチつける気はないんだけどさ、脚気防止のためと称して干した絶林檎の実をデーツみたいなおやつに加工して流行らせるとかさ、あげく対麻とか阿片を撒き散らす商売、何とかならないかな。
ついでに言っておくとさ、キューバ名産のコイーバって葉巻の銘柄あるじゃん。あれとか普通の煙草の葉っぱ、まともな煙草じゃないよね、絶対。
(パイセン。確かにニコチンチンを含ませたのはクリスおじさまですけど、おじさまに強く要望したのはねーさんですからね。おじさまは冤罪なのです!)
はいはい、ベラちゃんがクリスさんにべったべたなのはみんな分かってるから、ノロけは今更聞きたくないわよっ。
(何ですかパイセン。ジニアちゃんが茸島配属になったのをいいことに、ダリアさんとの仲の良さを毎晩毎晩おっきい声で離宮の中に知らしめなくとも。あげく娘さんの様子を見に行くと称して、茸島の絶林檎林の中で何してんですか。露出変態はジーナかーさまと早苗さんだけで充分なんですからねぇっ)
(ベラちゃんがクリスさんを女装させて淋の森であんなんとかこんなんしてなきゃ、あたしも話は聞いたかも知れないわね。しかも、あの淫らな瘴気漂うあまりに絶林檎の植え込みで囲ってる雅美さんのあの変態ち◯◯墓の前でわざわざする人って、いくら痴女皇国でもそうはいないわよっ)
(あ、あの…室見様がお話をされておられますのって…マリアリーゼ陛下とマリアヴェッラ陛下ですわよね…)
(ええイザベル陛下、間違いなくうちの国のトップツーですよ。あとさ、まりりもしれっと座ってないで…あんたが痴女皇国にSENKA系の変態性交を持ち込んだ張本人だって初代様やベルナルディーゼ様に聞いてるからね…)
(冤罪だ…)
まぁ、この手の話を続けると、それこそあちこちに火種を撒き散らす事になりますから打ち切りましょう。
それに、このお話は未成年も読めるようになっているらしいので、ゾーニングとやらの必要性があるみたいです。
詳しく知りたい方はR18版の聖院世界シリーズ、それも闇堕ちマリアに詳しく載っているようですから、良い子は大人になってから階段を登りましょうねっ。
https://novel18.syosetu.com/xs7167a/
まぁともかく、たばこの煙対策です。
空気清浄機は強力なのを付けましたし、かなり効果の高いヤニ除去剤での定期クリーニングも予定しています。そして、最悪はエマちゃんに再構成してもらう究極クリーニング方法が使えます。
そもそも、その開放室自体がデフォルトでは窓に対して斜めに座るヘリンボーンスタイルで着席する椅子が左右各五席、合計十席だけのクロ151…国鉄特急こだま号のパーラーカーのような展望席仕様です。
その椅子はレバー操作で好きな向きに回せますので、窓を背にした会議室めいた配置にすることも可能。
言うなれば走る社交サロンや会議室めいた使い方もできるわけです。煙草をくゆらせながら、コーヒーやお酒を片手に商談や政談もできるようにと。
そしてレッグレストがついているこの座席、電動リクライニングかつ、座席を回した向きによって傾斜限界を変える機能つき。
何でこんな事をしたのかと申しますと…。
(無茶して壊す人がいる。パイセンはそう言いたいのでしょう)
(一応、車掌の代わりのアテンダントを乗せるつもりだけどね。むろん、痴女種で女官なのは言うまでもないわよ…それと駅で、荷物運びの赤帽さんに罪人を雇用する話があるでしょう。あれ、思ったよりもお客さんが使ってくれないかも知れないわよっ)
(なんでよ。そもそもりええが見せてくれたミストラルの動画や、フランス提供の各種資料を参考にして付帯サービスとか決めたんだぜ…)
(それがね、お貴族様が荷物いっぱい持って乗るには高速列車って不向きじゃない。で、AVEには高い手荷物料金を設定することにしたのよ…ほら、この後で開通するバレンシアなんか在来線でも2時間かそこらで着いちゃうじゃん…そこから船に乗るために要する手間とかを考えると、リゾート地に向かうお貴族様がおっきな荷物を持って利用するには在来線の急行を使ってもらう方がいいんじゃないかって)
(ああ、なるほどな。だけどあのタルゴってのか、芋虫みたいなの。あれって、荷物車ついてたか?)
(連邦世界のタルゴなら専用の電源車がセットでしょう。だけどこっちじゃ、機関車からの給電があれば基本、サービス電源は動くからねぇ。で、電源荷物車にしたのよ)
で、これまた鉄道開通当時にさかのぼるお話です。
当時の富裕階級の旅行と言えば、まさに大荷物を抱えた大移動。食堂を利用したり、現地で人と会うための正装はもちろん、化粧品やら何やら、正に一切合切を持って行く勢い…召使いすら同行していたようですね…。
むろん、そんな大名行列まがいの旅行、大変なお金がかかるのは申し上げるまでもありません。更には、優等車両専属の列車ボーイさんが荷物を預かって管理するとか、リゾート地行きの列車ではあまりの手荷物量に荷物車を別に連結するような事が必要な場合も。
そこで、イザベルさんや臣下の皆様と情報交換しーの、実際の試作車や試運転列車に試乗頂きまして、鉄道旅行に向いた服装やカバン、日用品の類を流行らせたり、あるいは保養所のある町で消耗品や消費物が手に入るようにしようとしたり。
この辺りは徒歩で二週間を要する東京〜大阪でも意識改革や生活改善を図ろうとしています。
ほら、米沢編で旅支度の話が出ましたでしょう。
もしもイメージが掴めない人がいらっしゃいましたら、江戸時代のヲカマさんとその常連客だった人がほも旅行をした設定の東海道徒歩旅行小説、十返舎一九という人が書かれてますから、どうぞとは天の声の談話です。
(おい。りええ…と言いたいが、本当に喜多さんは陰間設定なんだよな…頭抱えるぜ…それはともかく旅支度だ。アルゼンチンやオーストラリアでの牛の飼育事業が上手くいって牛皮が大量に手に入るから、英国とイタリアの皮革職人に仕事を渡せるし、ミシンなんかが必要になるけど工業化と量産効果で次第に安く庶民にも行き渡らせる事ができるだろ)
そう、旅行カバンです。
旅をするには必ず入り用になるものですが、まさか連邦世界の化学合成品や金属素材使いまくりのものをそのまま売るわけには行かないでしょう。
更には、後に有名となるブランドの嚆矢にあげられる職人さんにデビューして頂く必要もあると思います。
そんな訳で、急ぎの商用旅行や身軽な旅立ちと、大旅行は分けて考えてもらおう…言うなれば、ゆとりある船旅と格安航空会社を利用したせっかちな旅行の違いを演出するのも良いのではないか、と我々が提案いたしましたところですね。
(なるほど…平民ほど駆け足の旅になるのですか。それでこの列車にはあえて簡便な立ち飲み酒屋めいた厨房を…)
(むろん、快速急行用のタルゴ列車はまだしも、普通の客車を繋いだ急行や長距離列車には食堂を用意しています。そして庶民のためには挟みパンやら何やらを売るための売店も)
これ、イタリアでかつて売られていた紙箱に入ってワインがセットになった駅弁なんかを参考にしたんですよ。
まぁ、登場当時の蒸気機関車列車だと、速度はだいたい時速30キロから60キロ。
しかも途中で機関車付け替えだのお水や石炭の補給のために長時間停車も当たり前で、乗客はそうした時間を利用して駅舎や駅前の食堂を利用したり、何がしかの買い物をするか…あるいは、おうちで用意したパンなどでお腹をふくらませる事でしのいでいたようです。
しかし、列車の速度が上がり、客車も大型化しただけではありません。本格的な厨房設備を備え、温かい食事を提供可能な食堂車が登場するなど、お金があれば快適な旅行を追求する志向は加速していきます。
第二次世界大戦前の大日本帝国の将軍さまが渡米した際に、蛍光灯や冷暖房完備の長距離列車に驚いたとかなんとか聞いたことがありますが、大陸横断用の大型寝台車や食堂車を連ね、鉄道会社同士で乗客獲得競争にしのぎを削っていたアメリカの当時の情勢を鑑みますと、そりゃあ驚くでしょうねと思いますよ。
何せ、当時の日本は蒸気機関車の煙やススで顔が汚れて当然、主な駅のホームには洗面台が当たり前のような顔をして据え付けられていた時代です。
そして、当時の日本の省線…国鉄列車の最高速度は時速95キロでしたし、そんな時代に百キロを超す高速運転を当たり前のようにこなしていた豪華な列車を走らせる国を見てきたら、戦争をなるべく回避するか、半年くらいで終わらせようとするでしょう。
(なるほど…あの、はにわ電鉄や悪くない電鉄が異常なまでに速度や性能に固執した理由がわかった気がするぜ…)
(悪くない社が参考にしたアメリカのインターバーン…路面電車を大きくしたような電車でも50マイル以上のスピードで走ってたからね…郊外の専用区間だと)
(しかしですよ。長距離を移動すると食べ物以前にワインやビール、更にはお水の提供をどうするかとか問題山積みでは…痴女種はよいとしても普通の人は喉も渇くし、おなかも空きますよね。パイセン、言うまでもありませんけど…この時代には紙パックもペットボトルも作れと言ってすぐに作れる設備も技術もないんですよ…?)
(そこで酒屋さん方式よ…ガラスびんは買い取るのよ…更には日本で昔は一般的だった汽車土瓶。あれよあれ、あれなら割れば土に還るしエコよエコ!)
(どっからそういう発想が出て来るんだか…釜飯の容器があれなのもそれが理由かよ…比丘尼国や龍皇国から竹筒輸入したり、生体分解素材セルロース素材の容器を作ってやった方がいいんじゃねぇか? )
(まりり…レトロなロマンが分からないの? TGVでもテーブルのとこに古めかしいランプみたいな照明ついてたじゃん…S1919やタルゴは近代化した内装だけど、ユーロフィマ客車はあたしの趣味全開で行くわよっ)
(あの個室ごとにドア付けた客車、本気で入れるつもりかよ…)
(乗降時間短縮にはあれがいいのよ!)
まぁともかく、山陽新幹線や東北新幹線盛岡以北…更には北陸新幹線の長野から先も真っ青なトンネルだらけにしたもう一つの理由は、山岳地帯に差し掛かった時に説明させて頂きましょう。
とりあえずはトレドを通過した我々の乗る列車、真南に向けて進んで行きます。
そして、次なる目的地のシウダード・レアル駅を目指しております。
ただし。
この駅の北側5kmほどのところにある、ビカリオ貯水池と名付けられたダム湖。
これは連邦世界同様に存在させたものです。
で、痴女皇国世界でも近郊の農業用や生活用水池として作ったものですけど、そこの湖底を通過した列車は40パーミル近い急勾配を登り、シウダード・レアル駅すぐ北で地上に現れ、地平を進んできた在来線と合流します。
そして、最高速度で駅中央部の通過線を飛ばして行きます。
そこからは盛り土で地面とは少し高くした状態で、半径6,000mの曲線を描きながら南西から南南西に進路を変えて山の中にあるプエルトリャノという町を目指します。
そして、プエルトリャノを出た後はコルドバを経て高速線としては終点のセビリア=サンタ・フスタ駅を目指すことになるのですが、差し当たってはシウダード・レアル付近の線路がどうなってるかを解説させて頂きましょう。
実はシウダード・レアル駅、連邦世界では在来線部分が行き止まりというよりスイッチバック駅めいた「ヨーロッパあるある」駅です。
ですが、AVEのような高速列車、停車する駅ごとに折り返して向きを変えるような非効率な運転形態だと、何のために時速300キロを出すのかということになりますよね。
そこで、AVEは通過線のある駅構造になっている専用の構内を通過することに。
更には痴女皇国世界では、在来線ホームを兼ねた上下線の間を通過させるようにしました。
つまり、この駅で在来線と高速線の乗り入れができるようにしてあります。
で、我々の列車は碓氷峠やドイツ南部にある「フランス列車への嫌がらせ高速線」もかくやの勾配トンネルを時速300キロ以上の速度で駆け上がります。
そしてトンネルから地面に顔を出すと、両側から在来線の線路が近づいてきます。
で、駅の前後にそれぞれ渡り線というポイントが設けられておりまして、高速線本線と待避線、さらには在来線と互いに出入り可能になっています。
(高速線と在来線でホームを分けていますからね…それと、通過の風圧で石でも巻き上げようものなら凶器になりますから、待避線と通過本線の間には透明の防御スクリーンパネルを張っています)と、右隣のイザベルさんに解説しながら、時速320キロを超える速度で本線を通過していきます。
実はこの駅で、スクリーン越しとは言えど、高速通過をわざわざ見られるようにしているんですよ。
これは現地の方への教育目的でもあり、高速列車がどれだけ速いかを見られる名所にもしたいと思っての処置です。
暫定ダイヤでは通過列車は限られますが、今も…招かれた地元の人たちがホームで見ているらしいので、例のドケヨホーンを鳴らしながらフルノッチ…全力で通過して差し上げます。
あたしたちの列車の前方5キロくらいを先行しているT101列車を先に見ているはずですけど、それでも歓声が上がるのは痴女種の読心感覚で感じ取れます。
「なるほど…ですが、これでは仮に貴賓車で手を振っても、普通の目の方々は認めて下さるかは難しい話かも知れませんわね…」
ええ、駅名標すら読み取るのは困難だと思いますよ。
あと、AVEと違ってこの駅構内はスラブ軌道…巨大なコンクリートブロックを組み合わせた路盤にしています。
これは、線路に敷いたバラストという砂利を巻き上げないための処置でもあります。
この路盤にすると、新幹線の通過音に近い音がより響くのが欠点と言えば欠点ですけど…。
ともあれ、2〜3秒でシウダード・レアル駅を通過した列車は南西に向けて市街地を大きく避けながら曲がっていくコースを取ります。
で、カントというのですけど、カーブ区間にわざとつけられた傾きと…それから、エアサスを制御する車体傾斜も相まって、かなり内側に倒れ込むような前方視界で猛然と進んで行きます。
このカーブでも加速しながら最高速度に戻れたり、最高速度のままで通過できるように、スペイン国内の高速線本線のカーブは基本的に半径6,000メートル以上にしたのです。
「それでこの箱、傾くようにされているのですか…」
「ちょっと計算式がややこしいんですけど、本当なら日本の新幹線に許されている左右のレール高さの違いは180mmまでなんです。そして、その傾きで最高速度360kmを出したまま無事に走り抜けられるカーブの半径は8,000メートル…8キロにもなるんですよ」
「曲がっているかどうか、前から見ていないと分からないくらい大きな弧を描いた道ということですわね」
「はい。そして、そんな大きな円弧を描くカーブで高速路線の全てを敷くのも大変ですから、車体傾斜…空気ばねの空気を抜いたりふくらませる事で、くるまの方もわずかに傾けるんです。ただ、そのわずかな傾きだけでもさせておかないと、遠心力という力が働いて、列車は曲線の外に飛ばされてしまいます」
とまぁ、イザベル陛下が理解して頂けるかどうかはともかく、頑張ってカント計算の理屈をお伝えします。
ちなみにレール幅1,435ミリで半径6000mを360km/hで通過する場合の必要カント量は元来は244ミリ。
では、半径8,000mを360km/hで通過する場合ならどうかと申しますと、必要カント量は183ミリで済みます。制限の180mmまであともう少しですね。
そして、この64ミリの差を補って、半径6,000mを最高速度で通過可能なようにするために取り入れたのが振子装置の亜種たるエアサス車体傾斜制御というわけです。
これは読者の皆様の世界では、日本の新幹線でも順次採用して乗り心地やスピードアップに寄与しているかと存じます。特に東海道新幹線では、わずか1度の傾斜だけで270キロ制限を285キロ制限に変えるなど、その威力を存分に発揮したかと。
で、カスティーリャ・ラ・マンチャの山地に向けて、再びトンネルに入ります。
さて、トンネルだらけにしたもう一つの理由。
スペイン女王にして、痴女皇国南欧支部長たるイザベル陛下には絶対に知っておいてもらわないとならない事が今後起きる可能性がありますので、それをお教えします。
「実は、スペインでは地震が頻発することになるんです…主に農業用に地下水を大量に汲み上げすぎたせいで、地盤沈下…地面が広範囲にわたって沈んで行きます。そして、断層と呼ばれる場所で沈みゆく土地が引っかかって、地面がひずんだあげく地震が起きるのですよ…」




