二話
玄関を出ると、すぐに草ヶ部時雨を発見した。
粗末な門のすぐ側でぼーっと突っ立っていた。ドアを開ける音で私に気づいたらしい。手をふってくる。
ばれないかと、緊張していたが、私は出来るだけ明るく見えるように手をふった。
「ごめん、遅かった?」
「さっききたところだから大丈夫だよ。杏」
しぃちゃんは、学校でいつも見せてる笑顔を見せる。
どうやら、私の事を杏だと思ってるらしい。ばれてない。
ほっと息をつくのもつかの間に、しぃちゃんは手招いてくる。
さっさと行ってさっさと家に帰ろう。
きしむ門を開けて、しぃちゃんのほうへ向かう。
しぃちゃんは私が傍によった瞬間、抱きしめてきた。
「な、」
狼狽える私をよそにしぃちゃんは手を離そうとしない。
逃げだそうと思ったが、やめておいた。
私は今現在<杏>であるから、しぃちゃんを拒否することは、杏としぃちゃんの仲に亀裂を入れる事になる。
それに、学校で人気がある男に抱かれるのも悪くない。
一瞬、そんな事を思ってしまった。何を考えてるんだ私は。
人目がない住宅街とはいえ、こんな所でこんなことをするとは……。
やっぱり男なんだな。当たり前だけど。
うるさいほど鳴り響く自分の胸の鼓動を抑えようと、私はそこらに視線を彷徨わせる。
黒色のコンクリート道路。道路の両端に立ち並ぶ、ほとんど同じ形の住宅。電信柱が等間隔に建てられている。
突然、私のポケットの携帯電話が鳴った。
「電話きたから、ちょっと離れて」
「あ、うん」
しぃちゃんは、ぱっと私から離れる。
私はポケットから携帯を取り出して、誰から来たのかを確認する。
カラフルに光る無機質な文字が杏と示していた。
しぃちゃんに聞こえないように声をひそめて、電話に出る。
「もしもし」
『梓、邪魔してごめんだけど、もうすぐ観嶋君が来るから家の前から離れてくれない?』
もしかして、見てるのかよ。
ちらりと家の方を見ると、私の部屋の窓から杏が控えめに手をふっている。
しぃちゃんにはばれていないようだ。
「わかったわかった。公園にでも行ってくるから」
『ごめんね。変な事頼んで』
「謝らなくていいよ。いい体験もできたから」
『ああもう。怒れないのが悔しいかも……』
「じゃ、しばらく消えるわ」
『うん。わかった』
通話を切ると、私はしぃちゃんに振り向く。
「映画でも見にいこうか」
「そうしよう」
しぃちゃんは控えめな笑顔で私の手をとり、歩き出した。
「杏って双子だったよね?」
「え? うん」
「今度、俺と杏と俺の友達と鹿沢さんとで遊んでみない?」
ここでの<鹿沢さん>とは私のことだろう。
しぃちゃんは何故か私をちらちらと伺う。
「いいよー。梓に今度みんなで遊ばないかって聞いてみるよ」
「え? いいの?」
「……なんで?」
「だって、杏っていつも鹿沢さんとは同じクラスだし、会わせないっていってるじゃないか」
「そうだっけ?」
杏のやつ、結構嫉妬深いのかもしれない。
でも、<会わせない>と言っているのに、私にしぃちゃんとデートする事の入れ代わりを頼んじゃ意味がないじゃん。
普通、観嶋と会う事に私を入れ代わりさせるんじゃないの?
まさか杏、観嶋と……。
私は頭をふってその考えを消した。
そんなわけない。そんなわけないよ。
あとで杏に聞いてみよう。それで万事解決だから。
「ね、なんの映画見る?」
「なんでもいいよ。でも、あんまりいい映画上映してないかも」
「私は別になんの映画でもいいよ。しぃちゃんといれれば別に良いし」
「……恥ずかしい事言うね」
あの場で抱きついてきたお前がいう言葉かよ。
「最近、杏が冷たいからどうしたのかと思ったけど、安心した」
「へ?」
唐突にしぃちゃんが言った。
あまりにも唐突だったので、私は世にも間抜けな声をあげた。
「話しかけてもずっと考え事してたり、あんまり笑わなかったり」
「ごめん。その日、私不機嫌だったんだー」
「そうだったの? 俺、何か悪いことしたのかと思った」
しぃちゃんがホッとしたように笑顔を見せる。
杏やクラスメイトの話通り、草ヶ部時雨はやっぱりいい人なんだろうなぁ。
改めてそう思った。