一話
「ね、お願い! 今日だけでいいからさ!」
もう一人の私である、杏は仏にでも拝むように手をすりあわせ、すがるように私を見つめた。
私は今日何度目かのため息をついて読んでいた本を閉じた。
今度こそ、今度こそ、ちゃんと断ろう。
「梓、付き合ってる人いないでしょ? あたしら双子だし、絶対ばれないから!」
「でもさ、杏の彼氏は杏本人とデートしたいのに、私とデートしたら意味無いじゃん」
「今日は絶対外せない用があるっていったでしょ?」
「じゃ、どちらかを断ればいいのに。二兎追う者一兎も得ずって言うよ?」
「やだー。観嶋君にもしぃちゃんに世話になってるし……」
「とにかく私はやだよ」
「でも……。お願いだよ。あたしの<フリ>してしぃちゃんに会ってよ! ね?」
思わず、もう一度ため息をついた。
私と同じで昔から頼まれ事を断れないところは変わってない。
でも、杏は私と違い、人望が厚くて頼りにされる事が多い(杏はそう思ってるが、本当は断れそうになさそうな風貌をしてるからかも)。勉強を手伝ったり、掃除を手伝ったり。いろんな頼まれ事をしてる。
その頼まれ事は、杏から私へと頼まれ、いつも私はそれを断ろうとしても断れなかった。
でも、今回の頼み事はだけは違う。聞いて迷うことなく断った。
だって、双子の妹の鹿沢杏は、私に杏の<フリ>をさせて、私のクラスメイトにして杏の彼氏――――<しぃちゃん>こと、<草ヶ部時雨>とデートしろと言うのだ。
<しぃちゃん>は、三十五度ぐらいひねくれた私から見ても、なんで杏なんかと付き合ってるのか疑問に思うぐらいの好青年だ。
格好いいし、性格も愛想もいい。頭はどうだか知らないが、生徒だけじゃなく、教師にもかなり気に入られているようだ。
実は私、<しぃちゃん>と話したことがあまりない。あったとしても、業務的な事を一言二言。あまり話したこともない奴といちゃつけなど、結構むずかしいことだ。
「帰りに駅前のケーキ買ってきてあげるから。ね、いいでしょ?」
「……うーん」
駅前のケーキか。あ、ちょっとだけ迷うかも。
私がうなっていると、杏のポケットの中から、イマドキなノリのいい曲が流れ出した。
杏はポケットから携帯を取り出す。メールか電話が来たようだ。
「あ、しぃちゃん? うん。ごめん。今から行くよ。場所は―――――、あ、そうなの? わかった!」
杏は早口でそう言って、通話を切る。
そして、私の顔を懇願するように見る。目が少しだけ潤んでいる。
「どしたの?」
「………しぃちゃん、家に向かってるって」
「ふーん。で、どうするの? 観嶋かしぃちゃん、どっちにするの?」
「……ねぇ、本当にお願い。今日だけでいいの」
少し可哀想かも知れない。
こんなにお願いしているのに。
自分と同じ顔を見つめながら、私はそんな事を思ってしまった。
そして、私は――――無意識に頷いていた。
杏の顔がぱぁっと輝く。
またやってしまった。
今度こそ断ろうと思ってたのに。これじゃあ、杏のためにはならないのに……。
ため息をついて、私は杏に囁いた。
「……今日だけ、だよ?」
「ありがとう!!」
杏は夏のひまわりみたいなまばゆい笑顔を見せる。
私の部屋を走って出て行き、すぐにきっちりとたたまれた服を抱えて戻ってきた。
それから、伺うような上目遣いで私を見つめる。
「ごめんだけど、服を着替えて行ってくれない?」
「はいはい」
最初から用意周到でしたー、な綺麗にたたまれた服を見ていると、なんだか……。
……最初から、私が頷く事を知ってた、ってワケじゃないよね。
さすがに、そんなわけないか。
杏から受け取った淡いピンクの小綺麗な服を着ていると、家のチャイムが鳴った。
杏は部屋の出口―――見えないはずの一階の玄関の方向に視線をむけから、私を見つめた。
「しぃくんが来たかも」
「はいはい。なんかあったら携帯にかけるから」
「……ごめんね」
ふいに杏が申し訳なさそうな顔になり、顔を伏せた。消え入りそうな声で呟く。
またこれだ。ため息をこらえて、私は杏の頭を撫でる。
「別にいいよ。その代わり、駅前のケーキ買ってきてね」
「うん。わかった」
杏は頷いて顔を上げる。その顔にさっきの陰鬱そうな表情ではなく、少し困ったようなひまわりのような笑顔だった。
私は立ち上がり、部屋を出る。
部屋を出る直前、杏が思い出したように口を開いた。
「あ、しぃくんはあたしの彼氏なんだからとらないでよー」
「あー、はいはい」
一瞬、奪ってやると言おうとしたが止めとく事にする。
冗談でも、こんなところで言い争ってちゃ<しぃちゃん>に迷惑だ。早く<しぃちゃん>がいる玄関にむかわないと。
私は一階へ続く、階段を早足に降り始めた。