実録:鬼怒川水害被災譚
作者の体験に基づいたノンフィクション小説。近年の水害を鑑み、2015年の私の体験を記録することはそこそこに重要であると思った。当時のストレスを思い出しこのような形にメタモルフォーゼしてしまったことは大変に遺憾なことではある。不謹慎?そんな言葉はリボンをつけて返品しよう。バカにされなきゃ逃げ遅れは減りやしない。
もし作者に気づいたとしても、本人に確認することすらせず、秘密は墓まで抱えて行ってください。
好きな作家は村上春樹先生と硬梨菜先生です。ゲーム経験はほとんどありません。
2015年9月10日。その日の朝、私は二日酔いであった。前日に一つの大きな仕事が終わり、同僚と打ち上げに行ったのだ。週末に研修会があるものの、それが終われば来週は遅めの夏休みが予定されている。テレビに目をやると気象衛星が捉えた南北に一直線に伸びる雲の帯、その上に赤文字ゴシック体で大雨特別警報の文字が躍っていた。
いくばくか速い心臓の鼓動は、遠くない未来を予感したものだったのか、あるいは遠くない過去に摂取したアルコールによるものだったのか。今となっては謎のままである。雨が窓ガラスを叩いていたが、過去に経験した台風ほどの脅威は感じなかった。この程度で特別警報とは少し騒ぎすぎじゃないかと辟易する。
広いワンルームとも狭い1LDKとも言える間取りのアパートに、私は妻と1歳に満たない娘と3人で暮らしていた。水海道駅から全力疾走2分の好立地である。おはよう、と目覚めたことを妻に伝える。彼女は私を見て、おはよう、大丈夫?と問うた。大丈夫とは時間のことか、体調のことか、天候のことか。朝食を抜けば遅刻は免れるが、テレビの画面を見る妻の不安そうな横顔に私は半日の有休取得を決意した。今週残り2日の仕事は報告書をまとめる程度、なんなら一日休んでも問題ないくらいだ。
スマートフォンに手を伸ばし、上司に電話をかける。天候が危険であり幼い娘もいることを力説し、少し様子を見てから出勤したいと願い出た。今思い返せば「そんなにやばいの?」という上司の問いに「いや、まぁ実はそんなでもないんですけど」と答えたあの日の自分に腹パンしてやりたい。とはいえ50年に一度の被害を齎さんことを警告する特別警報、その客観的判断材料は効果的だったようだ。かなり訝しげな返答ではあったが午前休の承諾を得られた。
よし、あと1時間寝よう。
私はホルマリンの中に浮かび、そこではナマズとキタキツネがぬるぬると絡まり合うように踊っていた。キタキツネは寄生虫に気をつけてね、と言った。ほら、僕の体にもいるんだよ、と。私はもっと彼らと戯れていたかったが、妻の声が私をそこから引きずり上げた。
「ねぇ、起きて?この地区、避難指示が出てるんだけど。」
避難指示、と私は繰り返した。私はもう少しホルマリンの中で脳が痺れるような眠りを貪りたかったが、会社への遅刻の理由を果たすために重い腰をあげた。
避難指示と避難勧告はどちらが上位のものだったか。そこに法的強制力は付随されるのか。どのような危機が迫っているのか。どこに避難すれば良いのか。その避難所はここよりも安全なのか。車で行くべきか歩くべきか。何を持っていけば良いか。
良いぞ、頭が働いてきた。
ナマズとキタキツネ達からは遠く離れた場所まで来てしまったが、きっとまた会おう、と私は彼らに手を振り、踵を返してテーブルの上のノートパソコンに向き直った。テレビでは鬼怒川が堤防を越水したと報道している。しかしその水量は小さく、私にそこまでのインパクトをもたらすことはなかった。さらにその場所は30km以上北の地点だ。まだ時間的猶予は十分にある。情報収集が先決だ。
まずは避難指示の意味について調べる。法的な強制力はないが速やかに避難せよ、とのことだ。勧告よりも強力。うん。あまり時間的猶予はないようだ。30秒前の自分を嗜め、妻に荷造りを依頼する。2日分の着替えと娘の紙おむつ。
そして私は避難所の場所を確認する。『水海道 避難所』と検索すると、常総市のハザードマップが見つかった。それによれば私のアパートは50cm程度の水没が考えられるとのこと。はて、床の高さは50cm以上あるから大丈夫じゃないだろうか?いや、過去のニュースを思い出せ、洪水で危険なのは取り残されることだ。よく見れば周辺は水没2mの帯で囲まれている。城を囲む堀のようなものだ。外敵の侵入を防げるが、一度籠城戦となれば水と食料の備蓄量が勝敗を分ける。その点において我が城は極めて心許ない。
最寄りの避難場所として指定されているのは小学校と市役所だ。その小学校は私のランニングルート上にある。
ランニングルートについて語ろう。アパートから300mほどの極めて緩やかな下り坂、50mほどの急な上り坂を経て神社があり、その脇から鬼怒川の堤防道路に抜けることができる。その道は4km続き、電気屋を挟んで幹線道路に繋がる。ここまでを往復するとおよそ10km。トレーニングに最適だ。くねくねと曲がる堤防道路の入り口を個人的に蛇の道と呼称している。残念ながら界王様に至ったことはない。
そう、避難所の話だった。小学校は神社の向かいにあり、つまり今いる場所よりも川に近づくことになる。妻に場所を伝えるとやはり抵抗感を見せた。しかしその小学校の海抜は高く、神社は古くから水害を受けていないことを示唆している。神様は安全な場所に祀るはずだ。一方で市役所の海抜は低く、アパートと同程度。籠城戦を強いられることが懸念される。
よし、と小学校への避難を決意し、外へ出て道路の様子を確認する。確かに雨は強いが、やはり特別警報や避難指示とはイメージが結びつかない。スーパーもドラッグストアも絶賛営業中だ。ハザードマップで2 mの水没が予想される地点を見に行くが、冠水の兆候すら見受けられなかった。それでも避難はしておこう、行政は私の手元にない情報をも用いて判断を下しているのだろう。妻に外の状況と車で移動することを伝えると、ニュースを見て心配した母から電話がかかってきた。
「大丈夫?仕事中?」
「ん、大丈夫。念のために様子見で、仕事は午後からにした。」
「午前中休めたの、それは良かった。安心したわ。」
「さすがは特別警報よ。んで避難指示が出たからちょっと小学校行ってくる。」
「え、そんなにひどいの?」
「見た感じたいしたことないんだけどね。行って夕方に帰ってくるだけかも。」
「まぁ避難指示が出てるなら、避難しといた方がいいのかもね。気をつけてね。」
妻も実家に電話をした。妻の実家はここから車で1時間くらいだ。あちらも避難勧告が出ているそうだが、大丈夫だろうか。自分も荷物を整理する。多めの下着とバッテリー代わりのパソコン、充電器をリュックサックに詰め込む。
よし出発だ、と妻の方を見れば大量の荷物を抱えていた。リュックサックを背負い、両手にボストンバッグ2つを提げて仁王立ちする姿は……
ステイ、妻よ。まるで夜逃げじゃないか。
聞けば娘の世話も視野に入れ、荷物を取りに戻らないためには最低限の装備なのだそうだ。スーツケースを選択しなかったことは評価しよう。幸いにも車移動である、全て詰め込み施錠を確認、アパートを後にした。
かくして我らの避難生活は幕を開けたのだった。
避難指示を目にしてからから30分(発令からは1時間であった)、午前11時に家を出た私たちは、スーパーに寄って食料を購入した。弁当とパン、水。明日の朝の分まであれば良いだろう。この店も避難指示地域のはずだが、店内はいつも通りで危機感などというものはカケラも見られなかった。
スーパーを出て、雨が降り続く中を小学校へ向かう。自分の足では走り慣れた道だが、車で走るのは初めてだ。小学校の駐車場は満車だったため、神社の脇のスペースに車を停める。妻がリュックサックを背負って娘を抱き、私は残りの荷物を抱えつつ2人に傘を差しかける。うん、荷物多すぎ。ボストンバッグは後回しにして、私だけもう1往復しよう。
避難所には体育館があてられていた。入り口の受付で名簿への記入を求められ、住所と名前を書く。スリッパを借りて体育館に入ると、中にはちらほらとしか人がいなかった。およそ3世帯だろうか。パイプ椅子を3つ借りてステージ前に陣取る。私は車へ残りの荷物を取りに戻った。
どうせここまで来たのだからと死亡フラグを立てに行く。神社の脇へ、蛇の道の入り口から河川敷に降りる通路を見下ろす。恥ずかしながら、私はここでようやく危機感というものを実感することになる。
テレビ画面と実物の違いもあるだろうが、見知った光景の変化という理由が大きいのだろう。通常であればこの地点から川は見えない。それは100m近く先、フットサルコートや野球場を挟み、茂みの向こうを流れているはずなのだ。
だが川はその距離もフットサルコートも野球場も全てを呑み込み、坂道のすぐ下を流れていた。茶色に染まった水が渾々と、とてつもなく広大な大河としてただ目の前を流れていく。静かに、だがどこまでも力強いそれは間違いなく命を運び去る力を孕んだ存在としてプレッシャーを叩きつけてくる。
とはいえ水量の増加に備えたバッファー、それこそが河川敷の持つ役目であり、現状は問題なく機能しているものと認識する。であれば30 km上流で越水したというそれはどれほどの水位を持っていたのかと、同時に恐ろしくもなった。
車から残りの荷物を運び出す。受付の人に車を停める場所を聞くと、駐車場しかないそうだ。近辺の堤防の越水はまだ先と考え、この後避難してくる人達のために車をアパートの駐車場に戻すことにした。
来た道を引き返すも、相変わらず冠水の気配は無い。アパートの駐車場に車を止め、傘をさして今度は自らの足で小学校へ走りだす。大きな水溜りを回避、縁石の上を駆ける。目の前に突然たたきつけられた非日常がアドレナリンの分泌を促し、若干テンションが上がっていたことは否めない。
警察に呼び止められることもなく無事に小学校へ戻った。受付の人に何か手伝うことはないかと聞いてみるが、特にないとのお返事。娘は妻の腕の中で寝ている。可愛い。
授乳場所としてステージ裏に目星をつけ、妻と交代で弁当を食べる。先ほど見た川の様子など話しつつ、どれくらいやばいんだろうねと鬼怒川の水位を調べてみると、昨夜から着々と上昇し、氾濫危険水域を超えていた。避難指示が出るわけだ。これが下がってきたら避難指示解除、晴れて自宅に帰還できるだろう。
しばらくすると娘が起きた。13時頃だったか。泣く。泣く。オムツ替えセット一式を持って先ほどの授乳ポイントへ。荷物番に戻ろうと腰を上げた時、町内放送が聞こえてきた。……カエルの歌よろしく、あちこちのスピーカーから少しずつ時間をずらして。
『……鬼怒……ミサ……で決壊…………東側……ミンは……』
んんんー、聖徳太子ぃ!!(某英雄的に)
断片的な情報から『決壊』の2文字を拾い出す。ニュースサイトを見てみると、冗談では済まない状況になっていた。三坂地区で決壊、河川が氾濫。……犠牲者もいるのだろうか。避難できていればいいのだが。とはいえ30km離れた場所の出来事であり、この時の私にとってはまだ他人事だった。
町内放送があってから30分ほどたっただろうか。段々と人が増えてきた。子供たちがステージで暴れまわる。まぁ仕方がない、暇だものな。私たちは地響きするステージを離れ、体育館中央付近に陣を移動する。隣の家族に挨拶し、座る。男の子が赤ちゃんだーと近づいてきて、娘にいないないばぁをしてくれる。「いないなーい……ばぁ!」ではなく「ないないばっ!ないないばっ!」といった感じだ。ふっ、そんな拙い技術ではうちの娘を笑わせるなど……笑ったね。やるなぁ少年。
椅子が不足している様子だったので3つのうち1つを放棄。ステージ裏に椅子があったため、受付に確認、おしりふきで拭いて適当に出しておいた。
18時頃、さらに人が増える。
「旦那さんの帰りを待ってから来たのかな」と妻。成程ありえる。ありえるが呑気なものだ。膝まで浸かったーとか声が聞こえた気がしたが……ちゃんと洗って来ただろうな、下水が混ざっているかもしれないぞ?それにしても、と周囲を見回し、妻に話しかける。
「人、増えてきたなぁ……。体育館じゃ収まりきらないんじゃね?」
「他の教室とか使えないのかな」
「椅子とか机とかあるから便利だよね」
後から思えば授業の再開に支障があるし、衛生的にもよろしくなさそうだ。
そうこうしていると運営の人がやってきて、高齢者優先で学童教室の畳の部屋を開放してくれるそうだ。赤ん坊のいる私たちにもどうぞ、と声をかけてくれたので、ちょっと迷ったがご厚意に甘えてそちらへ移動することにした。ありがたい。
学童教室は畳の部屋で、ごろりと横になることができた。1人1.5畳程のスペースが使えそうだ。実にありがたい。1人につき1枚の毛布とおにぎり1つが配られる。パンを持っているので遠慮したが、人数分あるからもらってくれとのこと。人手も足りているか聞いてみるが、そちらも大丈夫だそうだ。お兄さんお手伝いしたいのに。
隣の淑女がこちらを見ていたので、赤ん坊いてすみませんね、夜泣きは気をつけますんで、と声をかける。大丈夫よと言ってくれたが、目が本当は嫌だけどねとおっしゃっていた。そして今回の水害の話題に移行する。
「うちはそこの線路のすぐ向こう側でね、玄関まで水が来てないか心配だわ。あなた達はどちら?」
「スーパーと駅の間くらいのアパートですね。」
「え、あそこ割と高いところにあるでしょ。あんなところまで水が来てるの?」
「いやぁ、どうでしょう?避難指示が出てたので、昼頃からこっちにいるもので。」
文化が違うのか、淑女は2秒ほど不思議な生物を見るかのような目で私を眺めた。
「あ、うちは車を家に戻してきちゃったんで、そっちが心配ですね。駐車場、満車だったんですよ。」
「あら!うちは主人が校庭に停めたわよ〜。かわいそうにねぇ、おほほほほ!」
HAHAHA、良い笑顔で嗤うじゃないか。
てめぇんちこそ浸かってればいいのに。
紳士A、すなわち淑女の旦那さんが呆れた顔で彼女を見ていたので、前言撤回。
20時頃、妻の携帯に義父から電話があった。
「車で助けに来てくれるって言ってるけど、やめたほうがいいよね?」
良い判断だ。こんな暗闇でろくな情報も無い中を移動するなど危険極まりない。明日の朝、被害の状況が分かって来たらまた連絡すると伝えてもらう。
しばらくすると、まさに堤防が決壊した三妻から3人の男性が避難してきた。ニュース番組が好きそうな派手な避難劇の後、あちらの避難所が満員でこちらに移動してきたそうだ。彼らを送ってきた市役所の男性が、いやぁ、ほんと大変だったねぇ、とパンやらおにぎりやらを渡して帰って行った。大変だったのはあなたですよ、お疲れ様です。
三勇士は食事を取りながら彼らの逃走劇のあらましを語ると、兄ちゃん達はどっからだ、と聞いてきた。そこの駅前ですと答えると、先ほどの淑女同様、不思議な生物を見るかのような目をし、避難する必要あんのかと言ってきた。とりあえず念のためですと笑って答える。
避難指示出てますからねぇ、むしろあんたらの避難が遅いんだよ。
後で知ったが、三妻はちょっと避難指示が遅れていたそうだ。避難指示を基準に堤防の決壊時刻を考えれば、今回の私のタイムラインでギリギリのところだ。三勇士、失礼なこと考えてごめんなさい。
22時だったと思う。水道の供給が止まる。消灯。おやすみなさい。
24時。あまり寝付けなかった私は娘が泣き出す兆候を見事に捉え、抱きかかえて外へ脱出する。セーフ。セーフかな?泣き声が廊下に響く。雨が上がっているようだったので外へ出ると、気持ちの良い風が吹き、星が見えた。いや、月だったかな?なんだか明るかった気がする。
ヘリの音に続いて、再度、全方位時間差干渉町内放送が聞こえた。『……の捜索……停電……』……停電?そうか、行方不明者が携帯電話や懐中電灯で場所を知らせることがあると聞いた。そういった小さな灯を見やすくするため暗闇を作るということらしい。自衛隊の皆様、夜間にお疲れ様です。
ふと思い出して鬼怒川の水位を調べてみると、少しずつだが減少傾向にあった。このペースであれば、明朝8時頃には危険水位を下回りそうだ。行動可能になったら義実家にお世話になろう。水道の供給が止まった以上、ここに留まるのは悪手だろう。自宅を片付けるにせよボランティアをするにせよ、義実家を拠点に動くのが最善だ。私は避難所での働き手たり得るとも思うが、同時に乳児を抱えたいわばお荷物だ。それに支援物資の利用者が減ることは望ましかろう。義実家が無事でよかった。
そうして娘を抱きながら、後の対応を調べて夜を過ごした。洪水の水が汚水である可能性は直感していたが、ボランティアの推奨装備を見てその認識を更新することとなった。水害後の感染症リスクは軽視すべきでない。幼い娘もいる以上、やはり早めの離脱が最善手だ。
朝5時。やはり今ひとつ眠れなかったが、授乳後に妻が娘の面倒を見ていてくれたこともあって2時間くらいは睡眠を取れた。校庭の端から避難で使った道路が見えるそうなので、再び死亡フラグを立てに行く。校庭はひどくぬかるんでおり、車が数台停まっていた。うん、たしか数台だったと思う。何度か足を取られながら校庭を横断すると道路が……見えなかった。
茶色く濁った水が一面を支配していた。
堤防を破壊した水が国道294号に沿って30kmの道のりを一晩かけて移動してきたのだ。昨夜、もし義父がこちらに向かっていたら巻き込まれていたかもしれない。道路は完全に水没し、移動中に立ち往生したと思しき車は窓ガラスまで水に浸かっていた。建物は1階部分の半分近い高さまで水没している。見知った町の見知らぬ風景。不謹慎とは思ったが、1枚だけ、写真を撮った。
妻と娘を連れて戻ってくる。妻も呆気にとられていた気がするが、よく覚えていない。娘は可愛い。
8時。しまった、忘れていた。明日の研修会、場所が北海道なのである。この状況ではとても無理だと判断し、飛行機をキャンセルするために電話をする。キャンセル料2000円?鬼怒川の洪水で被災したという理由なのですが、勘案いただけないでしょうか……だめですか。ええ、分かりました、失礼します。……金額的にはたいしたことないが、精神的にはなかなかのダメージだ。全くもってどうでもいい話なのだが、未だに覚えているので記載した。
電話を終えると、三妻の三勇士が立ち去るところだった。市役所の人が迎えに来たそうだ。おお、移動できるのか、と期待に胸を膨らませ、お気をつけてと彼らを見送る。
三勇士と入れ違いに紳士Aが入ってきた。なぜかズボンが濡れている。そして次から次へと濡れた着衣をまとった紳士達が部屋に入ってきた。
紳士A「家に戻って服取ってきたぞ。途中、腰くらいまで水があったな。」
はじめから持ってこいよ。
紳士B「いやぁ、玄関まで行ったんだけどよ、鍵忘れちまったぁ。」
このドジっ子め☆
紳士C「こリャダメだわ、2階まで浸かってた。こう、胸が浸かるくらいまでは頑張ったんだけどよ、近づけなかったわ。」
何しに行ったんだ、水浴びかよ。
……絶句。絶句だ。
お前たちの服を濡らしているのは汚水だ。相手はただの川の水ではない、下水をすすり、肥溜めを食らって30kmの道のりを流れてきた歴戦の猛者だ。ショッピングモールのきれいな便器でも、その中に手を突っ込もうとは思わないだろう?突っ込んだとして洗うだろう?今はろくに手も洗えないだろうが!
キタキツネ、ステイ。お前に言われるまでもないしエキノコックスは現状において無関係だ。なんだこれはバイオハザードだ二次的人災だ。ええい、次亜塩素酸はないか?原液で構わん、汚物は消毒だァ!
淑女「あなたのお家だったら腰くらいで行けるんじゃない?」
だぁぁぁまぁぁぁれぇぇぇ!
行ったところで何になる?車を入手できても道路は使い物になりゃしない。汚水の他にもマンホールへの落下に釘の踏み抜き、etc……かすり傷でも破傷風で死ぬことだってありえるんだ。医療者もいない現状でリスクだけ負う意味がない。
どうにか絹糸のような理性を手繰り寄せ、「いやまぁ、特に取りに行くべき物もありませんし、下水混じりの水ですし、子供もいますんで」と返す私は、そう、あなたにとって不思議な生物!!異文化コミュニケーションンン!!!
流れるようなコンビネーション、圧倒的手数で叩きつけられる理不尽の連打。紳士A、お前まで敵だったなんてな……嘘だと言ってよ紳士A……。もうこの里はダメじゃ焼き払おう……。
絶望が私を支配しようとした時、携帯片手に妻が告げる。
「お父さんが近くまで来てくれてるらしいんだけど、どうしよう?ほら、あの294号の電気屋のところで通行止になってるみたいなんだけど……」
救世主ァァァ!いや、界王様ぁぁぁ!!そこ!そこ蛇の道の終点です!!行きます!絶っ対に行きますとも!あ、妻よ、4 kmくらいだけど歩ける?歩けるね。よし行きます!何としてでも行きますとそうお伝え下さいっ!!ちょっと道の様子見てくる!
飛ぶように立ち上がり、駆ける。その足取りは自分でも驚くほど軽い。躓きつつも靴を履き、神社の脇を抜け蛇の道へ。1台の車が立ち去ろうとするのが目に入る。私はその預言者を引き止め息を切らせながら問いかけた。
「すみません!この道はっ……電気屋まで……行ける、んですかっ?」
「ああ行けるよ。俺ぁそっちから来たんだよ。全然普通。いや、そこの工事中の家な、俺そこの現場監督やってるから様子見に来たんだけどよ、こりゃまた大変なこ
「ありがとうございますっ!!」
踵を返し、妻と娘の元へ。速やかに荷物をまとめ、隣の淑女に別れを告げる。親戚が近くまで来てくれたのでそこにお世話になる、運営の方に聞かれたらそう伝えて欲しい、ご武運を、的な。最後まで分かりあえることはなかったが、あなたのことはきっと一生忘れません。おっと、体育館の入り口受付へ。立ち去ることを告げようとしたが誰もいなかった。後で電話番号を調べて連絡しよう。
外へ出れば日差しが肌を焼く。昨日までの雨が嘘のような晴天だ。娘を抱き、ボストンバッグの1つを肩にかけ、リュックサックを背負い、背中との隙間に傘を差し込んで娘の日除けとする。いざ蛇の道へ。たった4kmだ。妻と頷き合い、歩き出す。
何人かが川の様子を見ていた。鬼怒川のことをすっかり忘れていたが、右手に広がるそれはこれでもピーク時より水位を落とした姿なのか、依然として脅威としてそこにあった。左手には冠水した道路を自衛隊の災害車両が走る。お疲れさまです。彼らが向かう先の避難民に対して後ろめたさを感じるが、淑女への嫌悪感を燃料に変えてそれを焼き払う。
そして正面に目を向ければ浸水を逃れるために堤防に揚げられた車の列……いったい何台あるのだろうか?中古車販売店?もはやそんなものではない、とても数え切れない。なんとか車が1台通れるだけの幅を空けて、両脇にずらりと車が並ぶその光景はなんといえば良いか……そう人間アーチのような趣があった。私たちの脱出劇を祝福してくれているようでもあるが、現状においては退路を塞いでいるようにしか受け止められない。いや、こうして車を退避させるのが普通の判断なのかもしれない。
こちらに向かってくる車がクラクションを鳴らした。義父だ、救世主だ、界王様だ。堤防道路のほぼ中間、2km地点で合流。クーラーの効いた車内に転がるように乗り込む。聞けば警察の制止を振り切って走ってきたらしい。この人もテンション上がって勇敢な行動をしてしまったか……いや、本当に助かる、嬉しいのだが、素直に喜べない自分を申し訳なくも思う。複雑で名状しがたい感情だ。隣を見ると、妻も困ったように微笑んでいた。私は本当に良い伴侶を得たと思う。お義父さんお義母さん、ありがとうございます。
避難所での話(主に愚痴)をしながら私たちは義実家へたどり着き、避難所へ連絡し、風呂に入った。職場へ安否報告のメールを送ると、上司から電話が来た。被災手当というものがあるそうで、わざわざ経理に問い合わせてくれたらしい。床下浸水か床上浸水かで金額が異なるから教えろとのことだが、あいにく私にも被害状況がわからないので確認後に連絡すると伝える。そんなことよりこのまま夏季休暇へ突入することの可否を確認すると、二つ返事でOKをもらえた。昨日の対応との変化に苦笑する。
電話を切り、再び被災地に戻る術はないかと調べる。すべての道路が通行止になっていた。ボランティアの募集情報もまだない。テレビでは常総市役所が孤立していると伝えていた。日が沈んだので諦めて、夕食と酒を頂き布団に入る。そうして私はようやく、ナマズとキタキツネとの再会を果たした。
翌日……だったと思う。実はここから少し記憶が曖昧だ。多分翌日、一部道路の再開によりアパートへ戻って車と部屋の無事を確認、通帳と印鑑を確保(!)。外壁の汚れから察するに30cmくらいの冠水だった。ハザードマップの有能さには驚きを隠しえない。その翌日、13日にボランティアとして被災地に戦線復帰。何の因果かアパート近隣に派遣され、ゴミ出しを手伝う。バールのようなものでタンスをこじ開けたりもした。人を殴る道具じゃなかったんだな。3日間の夏季休暇が明けると水道も復旧。土埃が不衛生という話なので私だけアパートへ戻り職場復帰した。
これにて我らの避難生活は閉幕となる。
さて、賢明な読者諸兄はお気づきだろうか。私たちは最悪の行動をとっている。そう、安全確認の取れていない堤防道路を利用した移動だ。堤防の上に多数の自動車が停まっていたこと。私たちはそれを邪魔に思いつつも、その存在になぜか安心もしていた。みんながいるから大丈夫という謎理論。だがそれは逆だ。水を吸って弱体化した堤防に多数の重量物が載せられた状況であり、崩落したとしてもおかしくない。
あの日の私は幸運な初期条件に助けられ、あらゆるターニングポイントで奇跡的に正解を選択し続けたと今日まで思い込んでいた。しかし今回この話を書いて初めて、自分の浅はかな行動を思い知った。最後の最後で乱数任せのクソプレイだ。互助の精神が足りないという見方もあろうが、そこは乳児連れで評価が難しいため今は脇に置いてほしい。自分と家族の命を守る行動としての選択ミス。非日常において、人はたやすくパニックに陥ることができる。逆にパニックに陥りにくくする正常化バイアスなる心理機構もあり、それが避難を遅らせる原因なのだとか。
偶然にも意識高い系小市民としての被災経験をした所感。それは災害時において必要なのは勇敢な行動でも派手な避難劇でもなく、情報収集と知性の発揮、そして百のクソゲーに耐えうる寛容性だということだ。
情報をもとにリスクを管理し最適な攻略チャートを組み立てる。感情に流されるな、論理的に考え行動せよ。だが現実は甘くない。ろくに攻略サイトも見ない他のプレイヤーがそのチャートをへし折り唾を吐きかけてくる。論理よりも感情が尊重され、クレバーな攻略よりも勇敢な行動や派手な避難劇がもてはやされる。それでも心を折られるな。最大限の知性と寛容性を発揮し、このクソゲーをクリアして欲しい。願わくは全てのプレイヤーが安全策を選択し、ノーダメクリアを目指されんことを。
あなたの人生は、リトライ可能なゲームではないのだから。
ご拝読ありがとうございました。
不謹慎な内容だと思ったら、その勢いであなたの災害に対する認識も確認してください。要するに皮肉です。地震や竜巻は難しいですが、水害は人々の意識で減災可能だと思います。
他の避難民の方の行動には驚きましたが、彼らに非はありません。情報がないのがいけないのです。私の嫌悪感は淑女にしか向いていません。
行政の皆様には本当にお世話になりました。自衛隊の皆様、今後もお世話にならぬよう最大限の努力をします。
マスコミの方は被害者向けや、復興の為の情報収集をしていただけると幸いです。対外アピールムービーの撮影はヘリ1台あれば十分では?鬼怒川の水害では道路調査の一部が徒歩になっていたそうです。
昨今の災害の犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
災害における早期の避難と理性的な行動の必要性、ならびに中距離への離脱の有効性が広まることを祈って。
参考文献:平成27年常総市鬼怒川水害対応に関する検証報告書
http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/kensyou_houkokusyo.pdf
ハザードマップは更新されたのか、ちょっと記憶と違いました。
http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/50/kouzihaza-domappu_kinugawa.pdf