掃討
呆然とする村人たちを横目に、長はキッカたちを屋敷の中へと案内する。
燃え続ける家から溢れ出した黒煙がチクサ村の天井に蓋をする中、その隙間を縫って光芒が差し込んでいた。それは、屋敷へと押し込まれたチクサ村に、天の使いが舞い降りてきたことを告げているようにも見える。
キッカとアスハの二人は胸を張り、長の後に続いていった。
「我が村から神と結ばれる者が出るなど、思いもよりませんでした…。それも、あの社に御わす志那都飯綱姫命であるとは…。キッカの持つ薙刀と、どこからともなく聞こえてくるその御声が、何よりの証拠でしょう。お初にお目にかかります…。この村の長を務めさせてもらっております、シロウと申します。どうぞ、お見知りおき下さい」
腰を低くし謙った態度を見せるシロウであるが、キッカはとにかく早く話を続けるように促す。
「それで、村の状況ですが、昨夜から、大量の餓鬼が村に押し寄せて来まして…。そのあまりの数に村の外で押し留めることは敵わぬと思い、村人を我が屋敷へと避難させております。避難の最中に怪我人こそ出たものの、幸いなことに死者はおりません。この屋敷はこのような事態も想定して作られていますので、何とかなっておりますが、餓鬼どもはいずれ塀を打ち破ってここになだれ込んでくるでしょう。隣村へと救援の要請のための使いをやっておりますが、それも何時になることやら…」
『大変な思いをしたのねぇ…』
シロウから現状を聞き出しているのだが、芳しいとは言えないようだ。事態が好転するとすれば、隣村からの救援が来た時だろう。シロウは、キッカと視線を合わせずに俯いている。飯綱の態度は、他人事であるかのように素っ気ない。
「志那都飯綱姫命が、此処にいらっしゃいましたことが何よりの救いなれば…」
キッカから目を合わせようとすると直ぐに逸してしまうくせに、シロウは度々飯綱の宿るキッカを、縋るような目つきで見つめていた。その態度を考えれば、先程要請したという救援の見込みは薄いのだろうと思える。キッカを矢面に立たせることに、心苦しさを感じているのかもしれない。
キッカは、シロウのような初老に差し掛かっている男性に、縋られることに心苦しいものを感じてしまう。キッカの中の飯綱しか頼りにしていないかもしれないが、それはキッカを頼りにしていることと同義であるのだ。幾ら神を宿しているからと言っても、状況を年若い村娘に託すほどに切迫しているのだろう。もちろん、村を救うつもりで駆けつけてきたキッカである。それに気負うことはあっても、厭うことはない。
『ここに来るまでに村の様子を確認したけどもぉ、寄せて来ているのは餓鬼だけよねぇ?それなら、アタイとキッカで何とかなるからぁ!そんなに心配しないで!あなたたちは、この屋敷の周辺だけを守っていなさい。キッカ、行くわよ!』
相も変わらず、飯綱は暢気な態度を崩さない。語尾の上がったその口調からは、陽気さすら醸し出しているだろう。
「そうしましょう!アスハは事が終わるまで、ここに残っていて」
アスハを屋敷へと残し外に出たキッカは、飯綱の力を披露した時と同じように塀へと一足飛びに移っていく。塀の上から外の様子を眺めると、獲物を見つけたとばかりに、キッカに気がついた餓鬼どもが群れを為して迫ってきた。しかし、キッカの手に光る薙刀を見つけ、そこに行くのに躊躇している餓鬼もいるようであり、その行動は散漫としていた。
「あんたたちなんか!」
餓鬼たちに向けて、キッカは全力で薙刀を振るう。真空の刃が発生し、餓鬼たちを切り裂いた。餓鬼たちが耳障りな奇声を上げると、踵を返し蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
キッカは塀から飛び降り、追撃をしかける。遠ざかっていく餓鬼たちの背に向けて鎌鼬の連撃を叩き込むと、餓鬼に空気の刃が触れ、その部位が綺麗に切断されていった。手が宙を舞い、脚が地面へと転がる。逃げ惑う餓鬼たちを逃すまいと、キッカは五体満足な餓鬼に優先して狙いをつける。次々と餓鬼たちの背中に鎌鼬が吸い込まれていく。餓鬼たちは完全に怖じ気ついてしまい、抵抗する気配を見せない。ひたすらに逃げていくばかりである。数匹の餓鬼は取り逃がしてしまったものの、キッカを獲物と勘違いして群れてきた餓鬼の大半を掃討した。
「キッカがやった!すげえや!キッカに神様が宿ったっていう話は本当だったんだ!」
塀に設けられた狭間から、キッカの奮戦ぶりを見ていた村の者たちから歓喜の声が上がる。その声に振り返ったキッカは、拳を上げその歓喜に応えた。反撃の狼煙は上がったのである。
『油断しない!』
廃墟とかした家の向こう側から、石の群れがキッカを襲う。飯綱の叫びによって、それに気づいたキッカは慌てて回避するが、間に合いそうもない。キッカは衝撃に備えようと身構える。しかし、身体から激しい風が巻き上がると、キッカを避けるように石の軌道が逸れていった。
『まだ、餓鬼はたくさんいるんだからぁ。油断しちゃだめよ!』
飯綱が風を操る神力でもって、助けてくれたのだろう。
餓鬼たちはキッカに対して無抵抗で逃げ惑うばかりであった。そのことに反撃はないだろうと、高を括っていたのが災いした。一筋縄で行かないのは、覚悟の上だ。
『これでキッカのことを脅威と認識するでしょうし、ここからは中々厄介よ!』
飯綱の言うように、今までの餓鬼はキッカを単なる獲物としてしか見ていなかったのだろう。それに手痛い反撃を受け混乱していたという所か。気を引き締めるように、薙刀を握り直す。
新たな石が投げ込まれてくるが、先程のように不意をつかれなければ問題はない。キッカは、横に飛び退くことで石の群れを回避する。石の飛んできた方向に餓鬼がいると当たりをつけ、投げこまれ続ける石を貰わないように注意しながら進んでいった。
進んだ先にある家の裏手に回ると、数匹の餓鬼が石を手に待ち構えていた。一斉に拳大程の石がキッカに向かって投げつけられる。この程度の大きさでも、当たりどころが悪ければ致命傷となりかねない。緩やかな放物線を描きながら迫ってくる石は、人の息の根を止めるのに十分な殺傷力を備えていた。
「そんな子ども騙しで!」
迫りくる石の群れを目の前にしても、キッカに動揺は見られない。薙刀を振り上げるとともに風を巻き起こし、石の軌道を逸していく。餓鬼たちに反撃を加えようと薙刀を構え直すと、既に餓鬼たちは後退していた。別の方角からも、石の雨が降り注いでくる。
「隠れて、逃げてばかりで!」
キッカは再度、風を巻き起こし、石の群れを撃ち落とす。反撃を試みるが、既に逃げ出した餓鬼を見送ることしか出来なかった。
『妙ねぇ、餓鬼がこんな組織だった行動をするなんてぇ…』
飯綱は餓鬼の行動が腑に落ちないらしい。キッカとしても、餓鬼はとても知能が低く、群れで行動することはあっても欲望に忠実でその行動様式は単純だと父さまから聞いたことがあった。確かに、餓鬼は集団でキッカを標的に行動しているように思え、組織化されていると言って良いだろう。飯綱の言うようにその行動は妙である。キッカの眉間に皺が寄っていく。
「アスハの言っていた、餓鬼以外の何か…」
キッカは呟くと、同時にアスハが、村へ向かう前に言っていた言葉を思い出す。昔から、妙に感の鋭い所のあったアスハである。今回もアスハの感じた通りに何かあるのだろうか。微かな不安が、キッカの胸中に波紋を広げていった。
『とにかく、此処まで村に入り込まれているんですもの、餓鬼の数を減らさないことにはどうにもならないわぁ』
再度、石が降り注いでくる。キッカの身体に風を巻き起こすことで、それを払いのけた飯綱は、キッカへと思考を切り替えるように促していた。餓鬼たちにどのような思惑があろうとも、村に平穏を取り戻さなければならない。
石の飛来した方向にある家の裏手へと続く曲がり角に差し掛かると、キッカはそこに何があるかも確認せずに、鎌鼬を発生させる。餓鬼たちがキッカを攻撃をすると同時に逃げ出すのならば、確認される前にこちらから攻撃を仕掛ければ良いのだ。待ち構えていた餓鬼たちが断末魔とともに切断される。
しかし、また別の方向から石が降ってくる。餓鬼たちの姿はこちらからは見えないのに、キッカの居場所を把握してるようだった。
『たぶん、風の起こった場所目掛けて、石を投げてるんじゃないかしらぁ?』
これまでキッカが攻防を行う際には、必ず風を発生させていた。そこにキッカがいると考えることは妥当だろう。しかし、餓鬼は本能で生きていると言っても過言ではない。そのような戦術に思い至るなど、考えられなかった。このことが、キッカの瞳に僅かな影を落とす。
「種が分かれば、簡単なんだから!」
キッカは、飛来してくる石を風を起こさずに躱す。そして、その場所から移動した。周囲に餓鬼の姿がないことを確認し、家の影に身を潜めると、石は先程までキッカのいた場所へと降り注いでいる。
『やっぱりぃ!』
飯綱の予想通りである。これで、有利に戦いを進められる…。
息を忍ばせながら、餓鬼が投石をしている場所に辿り着く。餓鬼はキッカの接近に気づいておらず、ひたすらに石を投げつけていた。まさに好機である。キッカは、あらぬ方角へと、石を投げつてけてる餓鬼たち目掛けて鎌鼬を放つ。空気の切り裂かれる音に餓鬼たちは反応するが、時既に遅く真空の刃は餓鬼たちを切断した。
餓鬼の行動様式を把握したキッカは同様の方法を以て、餓鬼の数を減らしていく。それに伴い徐々に投石の数も減ってきていた。ここまで始末した餓鬼の数は把握していないが、形成は確実にこちらに傾いているだろう。未だ燃え盛る家々はあるものの、村は着実に静寂を取り戻している。
『もう餓鬼の始末は粗方終わったかしらぁ?』
飯綱も、この戦いが終幕に近づいていると感じているようだ。次の獲物を求めて移動していくと、いつの間にやら村の端まで来ている。キッカの先には、無秩序に作物が食い荒らされてしまった畑があった。
「許さないんだから…」
キッカは、腹の底から怒りを感じていた。その目は釣り上がり、般若の形相を浮かべている。その胸中では、餓鬼たちを必ず逃さないと誓っていた。
それも、村の皆が必死で育てた畑が、見るも無残な姿と化しているからだ。決して裕福だと言えない生活をしている村の皆にとって、畑から収穫できる作物は生きていくために必要な糧だ。それがこうも荒らされてしまっては、例えこの事態を乗り越えたとしても、今後厳しいものとなってしまうだろう。それは、許せることではなかった。
逃げ出した餓鬼たちを追いかけ、キッカは村の外へと飛び出した。すると、餓鬼たちが突如振り返り、キッカに牙を剥く。好都合だとばかりに、その餓鬼たちに鎌鼬を見舞う。近づくもの全てを切り裂く刃と化したキッカが、次々と餓鬼を屠っていく。その圧倒的な光景に、恐怖を堪えきれなくなったのか、餓鬼が再び背を向けて逃走を開始する。
畑の先にある森へと駆け込んでいくのであるが、突如、咆哮が上がると肉片と化した餓鬼が宙を舞っていた。その肉片が血を撒き散らしながら、キッカの足元に落ちてきた。
「汚らわしい…」
僅かばかりの返り血を浴びてしまったことに、キッカは顔を顰める。肌に付いてしまった餓鬼の血を乱雑に拭う。
森の中からは、餓鬼とは違う何かが近づいてくる気配がした。キッカは、肌に突き刺さるような、悍ましい感覚に捕らわれていた。薙刀を正眼に構え、その何かと対峙することに備える。餓鬼とは異なり、押し潰されそうな重圧が伸し掛かってくる。
森から姿を表したのは、キッカの倍以上はあるだろう背丈と、筋骨隆々とした体躯を誇る牛の頭をした鬼であった。こめかみの辺りから雄々しい角が天に向かって生えている。手にはキッカの胴回りよりも太い巨大な棍棒が握られていた。その棍棒を力任せに振ると、逃げ惑っていた餓鬼が粉々に砕け散る。その鬼がキッカへと迫ってくる様は圧倒的な威容だ。身に纏う気配が、木々をざわつかせているようにすら見えた。キッカの頬を一筋の汗が伝っていく。
『牛頭よ…。これは強敵ねぇ…』
これまでの自信に満ち溢れた声色と違い、飯綱の声には若干の不安が混じっていた。