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大禍時より愛を込めて  作者: 児玉虎太郎
4/10

下山した先にあるもの

 日が昇り、世界が色付き始めた。木々のざわめきは、爽やかな風の通り過ぎることを告げ、草木に掛かった朝露は雫となってこぼれ落ちる。朝が来た。


 キッカは目を覚まし横を見やると、弟のアスハが穏やかな寝息を立てている。昨晩、この愛くるしい寝顔を守ることができたのは、まさに僥倖であった。かけがえのない大切な弟であるアスハを守ることが出来たのは、素直に喜ばしい。頬を突付いてみると、瑞々しい弾力となって返ってくる。


 「ふふっ」


 キッカの口からは、思わず微笑が漏れ出していた。


 今日という朝を迎えられたのも、付喪神の一柱である飯綱と縁を結んだことによる賜物である。キッカが飯綱の依代となり、その力を借り受けたことで餓鬼たちの撃退に成功したのだ。神という超常の存在が実在していたことにも驚いたが、その神の気まぐれで助力を得ることが出来たことが幸いした。その神力は、キッカの想像を遥かに超えており、触れることもなく餓鬼たちを一閃した。自身の振るった薙刀を通して、成された事象であるというのに、その実感は未だに湧いてこない。


 一連の出来事の後、飯綱はキッカの魂の一部を用いることで、その御身を顕現した。現し世へと、三本の尾を持つ白銀の衣に赤を纏った狐として形をなしたのである。その姿は、神であることを忘れさせるほどに愛くるしいものであり、その毛並みの触り心地は、キッカを感嘆させた。


 「…飯綱さま?」


 キッカが社を見渡しても、そこに飯綱の姿はなかった。昨晩の出来事は、微睡みの中で見た夢であったのかと思ってしまう。飯綱の居た痕跡は微塵もなく、昨晩と違うのは薙刀が無造作に壁に立て掛けてあることだけだった。


 『キッカ?もう朝なの?昨日は、久しぶりに力を使ったのよぉ、まだ寝かせてよ…』


 キッカの脳髄に飯綱の声が直接届いく。


 この声の主は、本当に神なのだろうかと疑いたくなる。その話しぶりは、威厳を微塵も感じさせない。まるで、空け者であり、キッカを呆れさせる。威厳を持ち、厳格さと慈愛の心に満ち溢れた超常なる存在という、キッカの神に対する幻想を完全に打ち砕いていた。


 しかし、昨晩と何ら変わらない飯綱の様子に、あの超常の出来事は事実だったのだと認識する。


 『ちょっとぉ…、今、変なこと考えたでしょぉ…』


 「いえいえ、お姿が見えなかったものでしたので…」


 キッカは、慌てて自然な様子を取り繕う。


 『やっぱり、寝る時はキッカの中が落ち着くのよねぇ…。もう朝だし、そろそろ起きますよぉ』


 身体から淡い光が漏れ出し、それがキッカの足元へと集まっていく。そこには、神々しい光を纏った白銀の狐が姿を現していた。


 神の依代であるキッカは、神の寝床でもあるのだろう…。まるで、自分自身が御神体になった気分である。神の依代になったキッカであるものの、それに対する疑問は未だいくつも存在した。しかし、命を救って頂いた飯綱へとそれを口にすることは、無粋である。このまま飯綱と行動を共にしていけば、自然と疑問は解消していくはずだ。


 「キッカ、おはよう!」


 起きるや否や、前脚を器用に使って毛繕いをしている飯綱の姿は、とても微笑ましい。未だ眠気の残る頭で、キッカはその様子をぼんやりと眺めていた。


 「何か眩しいよ…」


 飯綱が顕現する光に誘われたのか、釣られるようにアスハも目を覚ます。起き抜けに、凝り固まった身体を解すように大欠伸と共に両手を高く突き上げた。このアスハの仕草も見慣れたものである。キッカはその様子を暖かい眼差しで見つめていた。昨晩、餓鬼と対峙した時に、このような朝を迎えられるとは思いもしなかったのだ。キッカは、何気ないことであるのに、喜びを噛み締めると、自然と口角が上がっていった。


 そして、全員が目を覚ましたところで、朝餉の仕度をするために包を解く。その献立は、昨晩と同じ干し飯と焼き味噌という簡素な物であるが、キッカはこの簡素な食事でさえも、非常に美味なるものに思えた。


 「これからどうしようか?」


 二人と一柱は干し飯を齧りながら、今後の方針について話し合う。キッカとしては、村に残った両親が心配であり、その様子を見に行きたい。一方のアスハは、ここで待っていれば、両親がきっと迎えに来てくれるはずだと考えている。もちろん、キッカも両親は無事であり、山頂の社まで迎えに来てくれるはずだと信じているが、一抹の不安が脳裏に影を落としているのだ。


 「アタイとしては、村の様子を見に行った方が良いと思うなぁ。まだ、餓鬼がいたとしても、そこはアタイがいるからね!」


 飯綱はキッカの意見に賛成のようであった。飯綱はキッカと縁を結び、お互いの思考が共有されるようになったことで、キッカたちの事情を理解している。例え、未だ村が襲撃にあっていようが、餓鬼程度であれば飯綱の敵ではない。そのため、飯綱はキッカの意を汲み取ることにした。魂の部分で繋がっているキッカと飯綱であればこそ、口に出さなくてもキッカの抱える不安は伝わっている。


 「飯綱さまから、そのように仰っていただけるのであれば…」


 「昨日から、言ってるけど、その話し方は直してよね!」


 相変わらず飯綱は、キッカに口うるさく注意をしている。


 飯綱の言うことは頭の片隅に置き、キッカは餓鬼がいても昨日の様子から、飯綱の力で何とかなるだろうと考えていた。飯綱の存在ほど、心強いものはない。昨日に続いて、飯綱へと感謝の念を覚える。感謝の念が深まったことで、キッカは飯綱をより崇めることになった。呼び方に関しては譲歩したものの、その態度が軟化することを遠ざける。このことは、飯綱が知ることは出来ても理解できないことであるのだが、単純に感謝されることが嬉しかった。


 「アスハもそれでいい?」


 「僕は村にまだ餓鬼がいたらと思うと、怖くて行きたくないよ…。もちろん、父さまと母さまのことは心配だよ。でも、何だかそれだけじゃない気がするんだ…」


 何かから怯えるように、アスハは俯く。


 飯綱がいるのにも関わらず、アスハは餓鬼のことを恐れている。キッカは、そのことを不思議に感じていた。神の依代であるキッカは身体を通して、餓鬼を歯牙にもかけなかったその神力を実感している。今後も、その神力を振るうことは可能であろう。そのことが、餓鬼に対する危機感を低下させたためである。

 

 しかしながら、アスハは違う。何の力も持たない、普通の子どもであった。餓鬼という脅威に対する認識に、大きな隔たりが生まれることは仕方のないことだろう。


 それでも、キッカは、自己主張をあまりしないアスハから反対されるとは思わなかった。アスハが昔から、驚異に対して鋭敏な感覚を持っていたとキッカは思い出す。天候の良い日に、アスハが家から外へ出たがらない日は、餓鬼が村を襲うことが良くあったのだ。なればこそ、キッカは、アスハの後に続いた言葉を気に留める。村は餓鬼以外の脅威に直面しているのではないのか、それは何なのかと頭の中を目まぐるしく回転させていた。


 「アスハに気になることがあるなら、尚の事、村の様子を見に行きたい」


 今の自分なら、餓鬼以外の何かが村を襲っていたとしても、きっと力になれるはずである。何と言っても、キッカには飯綱が憑いているのだ。未だ底の伺いしれないその神力をもってすれば、大抵の脅威は打ち祓えるとさえ感じられる。元来、責任感の強い性格を宿したキッカである。自分が役に立てる可能性があるのなら、それを為すべきだと思うのだ。故に、村の様子を確認しに行きたいと考えてしまう。


 「でも…、怖いんだよ…、怖いんだよ!」


 眉間にしわを寄せたアスハの叫びが、社の中を突き抜けていく。その剣幕に、キッカは思わず腰を浮かしてしまった。アスハには、自分の意見を翻意する気はなかった。


 昨晩、餓鬼がこの社を襲ってきたことを考慮すると、アスハをここに一人で残していくという選択をすることはできない。また餓鬼が、やってくるのかもしれないからだ。村に向かうか、この場に留まって両親を待つのか、どちらの選択肢を取るにしても二人は共に行動する必要がある。アスハも、二人が共に行動すべきだという点に関しては同様であった。そのため、姉弟の意見が一致することなく、お互いに押し黙ってしまう。


 「アスハはアタイがいるってのに、心配性だねぇ…。そんなに心配なら、アタイの力を、そうだねぇ…、その着ている服に宿してあげるわよ」


 この沈黙を破ったのは、飯綱であった。そして、三本の尾を振るうと、アスハの身体を風が一巡りすると光に包まれていく。


 「アスハには、アタイの風の力を宿したわぁ。その身に危険が迫ったら、自動で発動するようになっているから。一種のお守りだと思ってちょうだい!」


 光が収まると同時に、爽やかなそよ風が、社の中を吹き抜けていった。その風の心地良さに誘われたのか、曇っていたアスハの表情が幾分か晴れやかなものに変わっている。


 アスハの身には、何の変化も見受けられない。それにも関わらず、アスハの身から飯綱の気配を感じ取ることが出来る。これが飯綱の言うお守りなのだろう。アスハは、それを抱きとめるように胸に手を当てていた。


 「飯綱さまの度重なるご厚意に、感謝致します」


 「飯綱さま、ありがとう!」


 二人が飯綱へと頭を下げる。そこには、今日始めて、笑顔を見せたアスハの姿があった。


 「可愛いアスハのためだもの!昨日も行ったけども、アタイだってキッカの影響を受けてるのよ。キッカがアスハのことを大切に思うように、アタイもアスハのことを大切に思うのぉ。当然のことをしたまでだわ」


 飯綱もキッカと同じくアスハに対して愛着を感じていた。飯綱は自身とキッカが一心同体も同然であると言っていたが、それは他者に向ける感情であっても同様であったのだ。


 何から何まで飯綱任せになってしまっていることを申し訳なく思い、キッカは飯綱から一瞬、目を逸してしまった。しかし、自分と同じ思いを抱いていることが知り、その手は自然と飯綱に触れていた。


 「アスハ、行けるわね?」


 「うん、飯綱さまのおかげで、大丈夫だって思えるから」


 アスハは飯綱の加護を経て、村へと向かうことにようやく決心がつき、キッカに向けて頷いている。キッカも頷き返すと薙刀を手にとり、その柄を握りしめた。


 「それじゃあ、時間ももったいないし、あなたたちの村へと急ぐわよ!」


 昨晩、一夜を明かした社を飛び出し、村へと向かうキッカたちであった。転倒せぬように、気を配りながらも出しうる限りの最大の速度をもって、山道を駆け下りていく。道中、何回か餓鬼と遭遇したのであるが、その対処は容易であった。餓鬼を視界に捉えると、キッカが薙刀を振るい生み出した鎌鼬で一刀の基に切り捨てるからである。葬った餓鬼たちに手短に祈りを捧げ、餓鬼たちを黄泉へと送り返しながら進んでいく。今や餓鬼の存在が、キッカたちの歩みを妨げる障害とは成りえなかった。


 そして、一刻と経たず、山頂から麓へと駆け下りてきた。キッカたちの暮らす村が見える。しかし、見渡す先にある村の所々から、煙が上がっていた。この様子では、餓鬼を撃退できているとは、とても考えられない。


 「「父さま、母さま!」」


 悲痛な思いを乗せた姉弟の叫びが、周辺へと拡散していく。受け取るもののいないその叫びは、波紋を広げるだけで霧散する。キッカは、一心不乱に村へと走りだしていた。


 呆然としていた飯綱とアスハは、キッカの行動に気付くのが遅れた。既にキッカは遥か先を走っている。


 「キッカ、逸らないで!」


 飯綱の叫びが、キッカに届くことはない。一瞬でも、早く村へと到着したい。キッカの衝動は、その一点にのみ注がれていた。


 門前に辿り着いたキッカが目にしたのは、村を破壊しながら徘徊する大量の餓鬼である。村は餓鬼に蹂躙されていた。キッカは悲嘆に暮れる。それは、少しばかり遅れてやってきた飯綱とアスハも同様であった。


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