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大禍時より愛を込めて  作者: 児玉虎太郎
3/10

志那都飯綱姫命

 『これでアタイとキッカよね?キッカは縁が結ばれたわ。今のキッカならこの私、志那都(しなつ)飯綱姫(いづなのひめ)の神力を奮うことができるのよぉ!餓鬼なんかに、家を荒らされるのは癪だからぁ…。さっさと餓鬼(がき)退治に行くわよ!』


 キッカの身体はその奥底から湧き上がってくる、今までに感じたことのない強大な力が熱を帯びていることを伝えてきた。これが神の御力なのだろう。これなら…と思うが、やはり餓鬼と戦うことは恐ろしい。志那都飯綱姫命は、井戸に水を汲みに行くかのごとく気軽であり、新しい玩具を手にした子どもがはしゃいでるかのようにさえ感じられた。

 

 志那都飯綱姫命の言葉は強制力を持っているのか、キッカは見えない手に背中を押されているような錯覚を覚えていた。押し出されるように、社の扉へとむかっていく。この先には、餓鬼が待ち構えているのだろうが、外へ飛び出すための一歩を踏み出すことが出来ない。キッカは、神力を得たといっても、餓鬼と戦うことを躊躇していた。キッカの心臓が激しく動悸している。


 「姉さま、大丈夫なの…?」


 心配そうにキッカを見つめるアスハは、その小さな手はキッカの服の裾を摘んでいた。その潤んだ瞳は、扉を開けずに息を殺していればいいのだと、語りかけてくるようである。


 「安心して、ここで待っていてね。姉さまに任せなさい!」


 キッカは、アスハの頭の上にポンと手を置き、頷いてみせる。そして、身体を強張らせたまま、扉へと手をかけた。


 「やれるわよね…」


 覚束ない手付きで、キッカは扉を開ける。その先には三匹の餓鬼が社の中を伺おうとしていた。外の様子を確認した時には一匹だけだったのに…、いつの間にかその数を増している。しかし、餓鬼は単独で行動することは少ないと、父さまから聞かされていたため、それも想定内であると気を持ち直す。未だ覚悟の決まりきらないキッカは、いざその醜悪な姿を目の当たりにすると足を竦ませていた。こめかみから頬へと一筋の汗が伝っていく。



 扉が開かれた先にいる餓鬼たちは、何が出てくるのかと周囲を警戒している。そして、社の中から現れたのが、年端もいかない少女であったことに下卑た笑い浮かべ、手を叩いていた。犬歯を舐めずり回し、涎を垂らしながら、社へと近づいてくる。


 「やるわよ!」


 薙刀を中段に構えたキッカは、柄を握る手に力を込める。初めて薙刀を握ったというのに、妙に堂に入っているなと感心したのも束の間、餓鬼たちがキッカに向かって、一斉に駆け出してきた。ギラついた目をチラつかせながら餓鬼は、キッカへと殺到していった。


 『このまま、薙刀を横薙ぎに振るって!』


 薙刀の間合いに餓鬼が未だ侵入してきていないが、言われるがままにキッカは薙刀を振るった。すると、空気が刃となって弾け飛んでいく。風切り音を響かせながら一直線に、風の刃が餓鬼へと到達する。そして、餓鬼たちを、一瞬で真っ二つに切り裂いた。臓物をぶちまけながら、餓鬼たちが崩れ落ちていく。その光景にキッカは、開いた口が塞がらない。


 これを成したのは自分なのだろうか、半信半疑になるものの、腰の辺りで二つに分離した屍がこれが事実であることを告げいた。キッカの手には、肉を切った感触が、一切伝わっていない。風に乗って、腐臭が漂ってくる。キッカは、眼前にある光景を見返し、身の竦む思いに囚われていた。


 「姉さま、やったね!それにしても志那都飯綱姫命って凄いんだ!助けてくれてありがとうございます」


 アスハが、姉の基へと喜色満面の、それでいて暢気な笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。


 『坊や凄いだろう!?餓鬼如きに遅れをとるアタイじゃないからね!アタイの鎌鼬で真っ二つさ!』

 

 褒められて嬉しいのか、志那都飯綱姫の声が心なしか弾んでいる。


三匹の餓鬼を一撃で切り裂いた空気の刃は、志那都飯綱姫の力が顕現したもののようである。鎌鼬というらしい。流石に神の御業だけあって、餓鬼など歯牙にもかけない威力を誇っていた。


 キッカは、一瞬で凄惨な光景を生み出したその力を恐ろしいとも思う。何はともあれ、窮地を救ってくれた神に感謝を述べなくてはならない。キッカは、自身に語りかけるように言葉を紡ぐ。


 「掛けましも畏き志那都飯綱姫命の御業を以てこの命救い賜われたことに…」


 『ちょっとちょっと、そんなに畏まらなくてもいいからぁ!アタイのことは飯綱って呼んでよ?それに、キッカと縁が出来たんだから、久しぶりに現し世に来れたのよ。ずっと退屈してたんだからぁ。』


 顔を綻ばせているだろう飯綱は、これまで以上に饒舌であった。そして、失礼すると言うと、キッカの身体から淡い光が漏れ出す。その光が、キッカの足元に一筋の道となって収束していく。これと同時に、キッカは、神との一体感が薄くなっていくことを感じていた。


 数瞬の後に光が収まる。するとそこには、白い毛並みに斑模様の赤を纏った小さな狐がおり、三本の尾を愛らしく振るっていた。

 

 「どう?すんごく可愛いでしょ?」


 先程までは、自身の中から響いていた飯綱の声が、目の前の狐から発せられている。この狐が、飯綱なのだろう。白銀の衣に赤を纏ったその姿は、神聖さを感じさせなくもない。暗闇の中にも関わらず、その姿をはっきりと視認することができる。四本の脚で立つ姿には、後光が差しているようにも見えた。しかし、前脚で器用に毛繕いをし始める。愛くるしいその様は、威厳のかけらもないその口調と相俟って、神の一柱であるとは到底思えなかった。


 「飯綱さまって、とっても可愛いんだね!触ってもいい?」


 その姿に心を奪われたアスハが、飯綱へと歩み寄って行く。確かに、飯綱の光輝く毛並みは汚れ一つなく艶やかであり、滑らかな手触りを予期させた。キッカ自身も、それを堪能したい欲求に駆られそうになるが、仮にも神である飯綱に失礼を働いては行けないと踏み留まる。


 「あら、わかってるわねぇ!アタイの身体に触れることを特別に許してあげる」

 

 「飯綱さま、ありがとう!嬉しいな!」


 飯綱は毛繕いを止めると、尾をピンと張り上がらせ、その四本の脚で誇らしげに立つ。


 「とっても、気持ち良いや」

 

 その小さな手で飯綱の背中を撫でるアスハは、心地の良い感触に思わず笑みを浮かべる。優しい手付きで前から後へと擦りながら、美しい毛並みを堪能していた。


 「ああ、良い心地だねぇ、坊や名は何というの?」


 「アスハだよ!」


 飯綱の方も、気持ちよさげに喉を鳴らす。


 「飯綱さま、私にも触れさせて頂いてよろしいでしょか?」


 その様子に堪え切れなくなったのか、キッカも飯綱の毛並みを堪能しようと願い出た。


 「キッカとアタイは、結ひで繋がってるのよ?これってもう、一心同体も同然ってことじゃない!だから、アタイに対して何も遠慮なんてすることないの」


 恐る恐る飯綱の背へ、キッカは手を伸ばしていく。そして、その感触に感動した。上等な絹のように滑らかであり、仄かな暖かさのあるその毛並みは、正に至高の質感だ。やはり、神は伊達ではなかった。


 「はぁ~、これは癖になるわね」


 キッカは思わず、恍惚の表情を浮かべる。


 「ところで飯綱さま、先程から結ひと何回も仰られていますが、それは何なのでしょうか?宜しければ私の質問に、お答え頂けますか?」


 依然として畏まった口調で飯綱に話しかけるキッカであるが、その毛並みを余程気に入ったのだろう、飯綱を擦る手が離れることはない。


 「そんなに畏まらないでって、言ってるじゃない!アタイが納得する話し方じゃないとぉ、質問に答えてあげないからぁ」


 憮然とした表情を、飯綱は見せる。


 神は奉るべき存在であって、飯綱さまと気軽に名を呼んでしまっているが、本来であればその御名を口に出すことさえ憚れる存在である。まして、命の恩人ならぬ恩神である飯綱に気安い口調で話しかけることに、心苦しいものを感じるキッカであった。


 「さっきから姉さまと飯綱さまの間で、結ひがどうのって何回も言ってるけど、それは何なの?」


 キッカの内心の苦悩をよそに、あっさりと質問したのはアスハであった。幼さのなせる業であろう。キッカは、その無垢な素直さを羨ましく思う。アスハと飯綱が触れ合う姿は、微笑ましい。


 「アスハは本当に気持ちの良い子ねぇ。それに何だか、良い匂いもするし…、もしかしたら、アタイみないなぁ、神に好かれるのかもねぇ?それは置いておいて、結ひについてだったかしら?」


 「うん、そうだよ。教えて!」


 どうやら飯綱は、アスハのことが気に入ったらしい。出会ってから間もないというのに、アスハと飯綱は何とも親し気な関係を構築しようとしている。この流れに置いていかれそうになるキッカであったが、アスハのように無邪気になれる歳でもないと、無理矢理に自分を納得させていた。


 「結ひっていうのは、神と人が結ばれるってこと。この場合は強い絆が結ばれるっていった方が、正しいかしら?キッカがアタイに祝詞を奉じて、アタイはそれを受け入れたのよぉ。それで二人、一人と一柱なんだけれども、面倒くさいから二人にするわ、二人の間に縁ができたのぉ。アタイはキッカを依代として、現し世に顕現する。依代となったキッカは、アタイの神力を使える。今のこの姿だって、キッカの御魂の一部を借りて作っているのよ。だから、アタイとキッカは、一心同体も同然というわけなのぉ。例え離れていても、アタイはキッカを感じることが出来るし、それはキッカも同じ。アタイはそんなに神格の高い神ではないからぁ、自分の力だけで現し世に来ることは出来ないしぃ。ちょうど高天原で退屈してた所で、こっちに来れて良かったわぁ」


 つまり、結ひとは神が現世に降臨するための儀式であり、その依代となった人間にもご利益がある。その結果として、神と人の間には強固な縁が結ばれるのだろう。それにしても…とキッカは思う。


 「どうして、知りもしない祝詞やアタイの名が頭に浮かんできのかでしょ?それと、何で私達を助けてくれたのかってとこねぇ」


 飯綱はキッカの疑問を正確に読み取り、一人頷いている。心の内を見透かされたキッカは、そのことを訝しがっていた。


 「キッカも薄々は感づいていたと思うけど、アタイたちは魂の部分で繋がれてるのよぉ。だから、お互いの心は伝わってしまうものなのぉ。アタイの考えてることも口に出さなくても、何となくでも伝わっていたでしょ?」


 確かに…とキッカも思う。狐の姿をした神の感情など分かるはずもないのに、その機微を感じ取ることができていたのだ。


 「それで、どうして祝詞とかが浮かんできたのかと言うと、その薙刀のおかげなのよぉ。この薙刀にはねぇ、少しだけだれどもアタイの力を宿してあったの。結ひのために必要な知識を伝えるために。これが触媒となって、結ひの手助けをしてくれたって言うわけ。キッカと結ばれた時点で、ただの薙刀になってしまったけどねぇ」


 薙刀の側へと歩いていった飯綱は、労うように前脚を薙刀の柄へとかけていた。


 「あなたたちを助けたのはねぇ、たまにアタイの社を掃除して、祈りを捧げてくれていたでしょ?あれ、実は感謝していたんだぁ。アタイは付喪神だから、ちゃんと神として扱ってくれる人は少なくてね。やっぱり、社が綺麗な方が気持ちいいじゃない?それで怯えいている二人を見て、力を貸そうって思ったのよぉ。もちろん、魂の相性が良さそうだったのもあるわぁ。アタイとしては、現し世の方が楽しいから、こっちで活動できる身体が欲しかったしぃ」


 日頃の行いへの感謝として飯綱はキッカとアスハに助力し、これによってキッカとアスハの命は救われた。飯綱は、以前からキッカたちのことを気にかけてくれていたのである。


 アスハがどう思っているかは分からないが、キッカ自身も長い年月を経た動物や物に霊魂が宿って神となる付喪神を、どこか軽視していた。生まれながらの神よりも、格が落ちると思っているからだ。それに加えて、通常であれば話すことや意志を持つことさえ出来ないものが神となることに、薄気味悪ささえも感じていた。今思えば、自身が意志を持ち言葉を操る人であったこから、それらのものを無意識のうちに見下しており、それが自分よりも格の高い存在となることが許せなかったのだろう。そんなキッカの心の内を見透かしているにも関わらず、飯綱には気にかけてもらい、(あまつさ)え命をも救ってもらったのである。


 「飯綱さま、改めてお礼申し上げます」


 この縁に感謝しなければならない。キッカは飯綱へと深々と頭を下げた。


 「もう、やめてよ。アタイもこっちに来たかったんだしぃ、お互い様よ。それといい加減、その口調は直してよね。くすぐったくて堪らないわ」


 口を尖らして反論している飯綱を見て、笑っているアスハの姿が横にあった。


 「それにしても、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類といえ死んでしまえば、何も関係ないの。本当は生き残った者が、この死を無駄にしないように何かに使ってあげるのが良いのだけども、素材を剥ぐための道具なんて、今はないかぁ。魂が安らぐように、ちゃんと黄泉へと流してあげましょう」


 飯綱は散乱している餓鬼の死体へと目をやると、三本の尻尾を振るう。それに合わせて、キッカとアスハは二拍した。

 

 すると、眼の前の屍から淡い光が漏れ出す。天へと昇っていくに連れて、餓鬼の身体がぼんやりと薄くなっていく。徐々に、屍は色素を失っていき、世界との境界線が定まらなくなる。その様に二人は放心しており、気がついた時には餓鬼の死骸は跡形もなくなっていた。


 「さ、やることもやったし、周りも暗いし、今日の所はアタイの社で休むとしましょう」

 

 餓鬼が黄泉へと還っていくのを見送った後、飯綱の後に続いて社へと向かう。そして、床に着くキッカとアスハであった。


 暗闇の中を月明かりが照らし、爽やかな風が吹き抜けていた。


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