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大禍時より愛を込めて  作者: 児玉虎太郎
2/10

山頂への逃避

 キッカとアスハの姉弟は、山道を駆け上がっていた。


 雲が影を作り出すことで、身体にためた熱を放射することを容易にするが、姉弟の行く手を遮るように、山頂から風が吹き下ろされていた。


 「あと少し、あと少しよ!」

 

 姉であるキッカは一旦立ち止まると、後ろを振り返った。弟のキッカとの間に、距離が広がっている。


 少女から女性へと変わっていく過渡期に、姉であるキッカはいた。丸みを帯びながらも、しなやかさを感じさせる身体つきをしている。無駄な脂肪はついておらず、女性特有の膨らみは未だ蕾だ。目鼻立ちに際立った特徴はなく、印象の薄い顔をしている。しかし、顔を構成するそれぞれの部位が、絶妙に配置されており、その容貌は、健康的で引き締まった肢体と相まって美しいと言えるだろう。


 一方、弟であるアスハは、姉よりも頭半分程背が低い。未だ、男性らしさは芽を見せず、幼さを隠しきれない面影をしている。手足は細く若干ひ弱さを感じさせるものであったが、姉よりも際立った目鼻立ちをしていた。中性的な雰囲気を醸し出し、その容貌は儚さを感じさせるものであった。

 

 「姉さま、大丈夫だから」

 

 アスハの肩は、上下に激しく揺れている。額には大粒の汗を掻き、頬を伝って零れ落ちると、地を濡らしていた。雲の切れ間から覗く日差しが、アスハの行く道を照らし出している。


 二人が目指すのは、山頂にある社である。それは、二人の暮らしていたチクサ村に餓鬼(がき)の大群が迫っており、そこから身を隠すためであった。他に人はおらず、二人だけの逃避行だ。


 稀にであるが、餓鬼が村を襲ってくることはある。といっても、普段、襲ってくる数は、片手で足りるほどであり、その撃退は容易だった。餓鬼は小鬼とも呼ばれ、子ども程の背丈にむき出しの歯茎から鋭い犬歯が覗き、額からは、小さな角が一本生えいる。また、その腕には異常に発達した鋭利な爪を備えており、餓鬼の持つ最大の凶器となっていた。酷く歪んだ容貌は嫌悪感を抱かせる程に、醜悪である。

 

 奴らは農作物を荒らしたり、女、子どもを襲うのだが、農具を武器とした大人の男が数的有利をもってすれば安全に処理可能であり、緊迫した脅威とは考えられていない。しかし、今回の襲撃では、これまでとは比較にならない程…おそらく100匹を超えるだろう大群が押し寄せてきた。二人の身を案じた両親が、大事をとって村から避難することを命じたのである。村に住む他の大人たちは今回の事態を楽観視しているのか、他に避難をしている者は、ここまでの道中で確認できない。

 

 「父さまと母さまも後で合流するから、急ぎましょう」

 

 今までと異なった対応の仕方を指示されたことで、キッカの瞳に影を落とすのだが、アスハ共々、自身を奮い立たせる。


 徐々に険しさを増す山道に足を取られそうになりながらも、一歩一歩、目的地を目指す。両親が後ほど駆けつけてくるはずだという希望を胸に抱きながら、二人は山頂へと登っていく。


 暫く進んだ頃、周囲とは隔絶した荘厳な雰囲気を持つ、日吉造りの社を視界の端に捉えた。目的地は、目と鼻の先であった。やっとのことで、そこに辿り着いた二人は、胸を撫で下ろした。鳥居を潜り境内へと足を踏み入れた時には、日は陰りを見せ暗闇が周囲を支配しようとしていた。

 

 「父さまからは、緊急事態だからお社の扉を開けて中に入っていいと言われているけども…」

 

 「早く中に入ろうよ」


 ここまでの緊張感は失せ、二人の興味は社の中へと移っていた。


 アスハたちの家系は代々、このお社を管理する役目を担っていた。その経緯は知らぬが、二人とも定期的に社へと足を運んでおり、境内の清掃などを行っている。しかし、これまでに一度も本殿が開帳されたところを見たことがない。父さまであっても、例外ではないだろう。曰く、この社の本殿には付喪神(つくもがみ)さまが祀られており、不用意に刺激することで、その怒りを買うことを恐れているらしい。


 「いざ、戸を開けるとなると、緊張するわね…」


 社の中に何が祀られているのかを、キッカは知ってみたかった。しかし、付喪神さまの不興を買うことを恐れた父さまから、境内ではしゃぐことを禁じられ、殊勝に振る舞うようにと命じられた。いざ、硬く閉ざされた扉を開けても良いと言われても、中々気が進まない。扉に手を掛けた瞬間、付喪神さまのことが頭を過ったが、意を決し、その扉を引き開けた。


 木々の擦れ合わせる音とともに、その中が露わになる。


 社の中には、台座の上に締縄(しめなわ)が巻かれ、紙垂(しで)を垂らした岩が1つ安置されていた。これが御神体だろう。奥の壁には、薙刀が飾られている。開かずの間である社の中は、御神体とおぼしき岩と飾られた薙刀だけという、拍子抜けするほどに簡素なものであった。


 「失礼します」


 恐る恐るといった体で、二人は社の中に入っていく。全てを木造で賄われた社は、暖かさを感じさせるかと思いきや、意に反して冷たさが肌を刺激してきた。黄昏時であるといっても、日中は汗ばむ陽気であり、夜になっても寒いということはない。それにも関わらず、本殿の中は外界とは隔離されているかのように薄ら寒い。キッカの知る限り十年以上は開帳のされることはなかったはずであるが、空気は澄んでおり、凛とした雰囲気を漂わせていた。


 「不思議な雰囲気のするところね…」

 

 「それよりも、お腹が空いたよ。ここまで休みなしで走って来たんだよ?」


 本殿の放つ雰囲気に、気圧され気味なキッカである。一方のアスハは、既に腰を降ろして固くなった足を揉みほぐしながら、飯の催促をしてきた。


 「それもそうね。母さまから頂いた干し飯と焼き味噌があるから、それを食べてもいいのかしらね…?」


 弟の言うことに最もだと頷きながらも、キッカは神の御前であるこの場で食事をすることに気が引けていた。しかし、腹が減っているのも事実である。背負った包を解き、干し飯と焼き味噌を取り出すと、その半分をアスハへと手渡す。普段であれば、固く味気のない干し飯に対して、アスハから文句の1つでも出そうなものであったが、余程腹が減っていたのだろう、無言で干し飯をポリポリと頬張っていた。

 

 「よっぽど、お腹が空いていたのね」


 キッカも、釣られるようにして干し飯を口に運んでいく。正直に言って、干し飯は美味しくない。塩気を求め、同時に焼き味噌も口に含む。その時、誰から見られているような気配がした。周囲を見渡すが、一心不乱に干し飯を食べ続けるアスハがいるのみである。


 「まさかね…」

 

 「姉さま、喉が乾いたよ」


 なんとも暢気なものだなと呆れながら、アスハに水の入った竹筒を渡すキッカである。それを受け取ったアスハは、竹筒に口をつけると勢いよく喉を鳴らしていく。一息で半分ほど飲み干しただろうか…。


 「ちょっと、私の分も残しておきなさいよ!」


 そんなやり取りを交わしつつ、食事を終える。既に月明かりが照らしている時刻であろう。食事の後片付けを終えると、二人は床に付くこととした。木の上に直に寝転んだキッカは、腰に多少の痛みを感じていた。アスハの方は、疲労が溜まっていたのだろう、床につく様すぐに寝息を立て始めた。キッカは寝付くことが出来ずに、ぼんやりとアスハの寝顔を眺めていた。


 「父さまたちは大丈夫かな?」


 両親の様子が気になるのか、キッカは呟く。明日になれば両親が迎えに来るだろうと考えてはいるが、これまでに餓鬼の襲撃で村から避難を命じられることはなかった。そのことに否応もなく、不安を覚えてしまう。それが原因で、キッカを眠りから遠ざけていた。しかし、疲労から来る眠気に抗うことはできず徐々に瞼が重くなっていく。


 キッカの瞼が間もなく落ちようとしていた。しかし、静寂が破られる。社の周囲から何かが蠢く気配が感ぜられた。耳障りな金切り声も木霊している。


 何事かと思い、扉を少しだけ開け周囲の様子を伺ってみると、境内の周りを餓鬼が彷徨いていた。その様にキッカは後ずさりするが、物音を立てないよう慎重に扉を閉める。餓鬼に見つかったとしたら、二人には抵抗する手段はない。無事に済むはずがないのだ。キッカの背筋を寒気が走り抜けていく。


 「アスハ、アスハ、起きて、アスハ」

 

 アスハを揺さぶって見るものの、呻き声をあげるのみで目を覚ます様子はない。餓鬼に気付かれないようにするために大声を上げるわけにはいかず、何回もアスハを揺さぶり続ける。


 「アスハ、アスハ」

 

 「うーん…、姉さま?もう朝なの?」


 アスハは寝ぼけ眼をこすりながら、身体を起こす。自身に触れられた姉の手が、微かに震えており、何かのあったことを察する。キッカへと目をやると怯えているように見受けられた。


 「どうしたのさ?」

 

 「大きな声を出さないで聞いてよ。今、お社の周りに餓鬼がいたのよ」


 驚きの声をあげそうになるアスハであったが、それを寸前で飲み込む。


 「何でこんな所に餓鬼がいるのさ!?」

 

 「そんなの、私にだってわからないわよ…」


 声を押し殺しながらも幾許かの問答を行う二人であったが、どうして良いのかわからない。不安ばかりが増していく。二人に出来るのは周囲に気を配り、見つからないように怯えながら祈るばかりであった。

 

 「とにかく、見つからないようにジッとしていなさい」


 キッカは両手を合わせ、御神体だと思われる石に祈りを捧げる。付喪神でも何でもいいから助けて欲しい。恐怖を押し殺して祈るキッカの横で、アスハは動揺を打ち消せずに震えていた。


 しかし、草を踏みしめる音が徐々に近づいてくる。荒々しさを持つその足音は、恐怖を運んでいた。

 

 『何々?アタイに助けを求めるの?』


 脳髄に、直接響いてくる声がした。台座に安置されている石が、微かな光を上げる。


 「誰なの?」


 この光景に、二人は動揺を隠せない。キッカとアスハの気持ちを無視するかのように、気の抜けた声は話続けた。


 『そこの娘と坊やは、たまにアタイの家を掃除してくれる二人だよねぇ?ありがたいと思ってたんだぁ。それに餓鬼なんかに家を荒らされるのも癪だしぃ、アタイとしては力を貸してあげてもいいかな?』


 二人には、声の主に感謝される心当たりはない。ただ、力を貸すという言葉だけを胸の中で反芻する。謎の声と同期するように、石は明滅していた。

 

 「力を貸す?どこのどなたか存じませんが、助けていただけるのですか?」

 

 「助けてもらえるの?」

 

 藁にもすがる心境である。二人にしてみれば、助かるかも知れないということは、願ってもみない提案であった。


 『実際に助かるかどうかは二人しだいだけどもね。アタイが出来るのは力を貸すだけだしぃ…。で、どっちがやるの?』


 二人のどちらかに何かをさせるらしいが、その提案を拒否するという選択肢はない。


 「…私がやります」


 僅かな沈黙の後、キッカが右手を上げる。幼い弟に負担を強いるわけにはいかない。自らが進み出て、謎の声の提案に乗ることにした。


 『娘の方ね。そしたら、そこにある薙刀を手に取って祝詞(のりと)を捧げてくれる?』

 

 「祝詞?神さまに奉じるために唱えるっていう祝詞?」


 『大丈夫だってぇ!あれを手に取ったら頭の中に勝手に浮かんでくるよ』


 薙刀が、独りでに宙に浮かび上がる。すると、ふらふらと揺られながら、キッカの手元まで運ばれてきた。言われるがままに、キッカは薙刀を手にとる。その重さがずしりと手に伝わる。これで戦えと、言うのだろうか。生まれて初めて持ったのだから、薙刀の振り方など知らない。背後にいるアスハのことを思うと、頼りない細腕が鉛のように重く感じられた。


 『そんなに緊張しなくても大丈夫!ほらほら、頭の中に祝詞が浮かんで来たでしょ?そんなに畏まったものじゃなくても、アタイは気にしないから』


 謎の声は、急かすように祝詞を催促している。薙刀を手に取らせたことからも、キッカを戦わせるつもりなのは明白だ。餓鬼と死合うという重圧が、双肩に伸し掛かる。キッカの背は、弟の命も負っていた。弟を守るのが姉の役目だと、自らを叱咤する。


 「わかってるわよ、やればいいんでしょう」


 一度目を閉ざし逡巡する様子を見せたキッカは、その双眸を見開く。薙刀を自らの正面に突き立て、その柄を力強く握りしめた。


 「高天原(たかまがはら)神留座(かむづまり)ます産霊(むすひ)御霊(みたま)に依りて、岩戸の開かれ此処に出で現しまする神の御姿を以て救いの教えのままに御業を授かりければ、禍事(まがごと)を祓い給へ清め給へ、神漏美(かむろみ)(みこと)以て禊祓い給へ、幸世(さちよ)の永久に栄えんと願ひ、この神床(かんどこ)に仰き奉る掛けましくも畏き志那都(しなつ)飯綱姫命(いづなのひめのみこと)に心を以て報い奉らんと慎み畏み(もう)す」


 祝詞を奉じ終えると、石が激しく輝き出し、溢れ出した光の奔流がキッカを包み込む。


 『意外と良く出来たじゃないの!あなたの願いは聞き届けたわ』


 どこから聞こえてくるのか分からなかった謎の声が、身体の中から響いてくる。この声の主が何者であるかを、キッカは直感的に感じ取った。これが、志那都飯綱姫命なのだろう。そして、その神霊との一体感に包まれる。手に握りしめた薙刀は羽根のように軽く感じられ、妙に手に馴染んでいた。

 一縷の望みが、湧いた瞬間である


祝詞は所々おかしいかもしれませんが、雰囲気と言葉の響きで…

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