アスハの決意
村人たちは、鬼の恐怖から解き放たれた開放感に酔いしれていた。はじめは肩を抱き合って喜ぶ程度だったのが、徐々にタガを外していく。今では屋敷に貯蔵してあった酒を運び出し、長のシロウを先頭に酒盛りをする始末である。飲めや食えやの大騒が、繰り広げられる。屋敷の隅の方では、肌を重ね合わせている男女さえいた。
餓鬼だけでなく、村人たちに根源的に死を予感させた牛頭と馬頭の恐怖から解き放たれた反動は、理性を飛ばさせる程に大きかった。大半の村人は、その悍ましい姿を見ただけでへたり込んでしまう程に、牛頭と馬頭に恐れをなしていた。それは、致し方ないことなのだろう。ただの村人が牛頭と馬頭に目を付けられれば、為す術もなく死を迎えるしかないのであるから。
村人たちは、我を忘れて乱いる。死を目の前にした状態から、刹那的にであっても生を掴み取った幸運は、理性を飛ばさせるのに十分なものであったのだ。
キッカの眠る部屋にアスハを残し、村人たちの方へと戻ってきたオズヌは、この乱雑な光景に苦虫を噛む。村は壊滅的な打撃を受けており、それに苦悩することができるのも生きていればこそである。今後、確実に訪れる苦悩から一時でも目を背けたくなる気持ちを理解できなくもない。しかし、この様子を見せつけられては、アスハの気持ちも分かるというものである。娘一人を危険の矢面に立たせ、その娘が酷く傷ついているというのに、村人たちのこの有り様は許容できるものではなかった。
オズヌは手近にいた村人へと声をかける。周囲には酒の匂いが充満しており、素面のオズヌは鼻の摘みたくなる思いがした。
「すまぬが、長はどちらに居られるのだろうか?」
「あんた、見ない顔だねぇ!?まあ、そんなことはどうでもいいかぁ。長?あそこで一人で酒を飲んでいる、白髪頭の親父がそうだよ。そんなことより、あんたも飲みねぇ!」
肌まで赤くなった村人が、奥にいる人物を指さしながら、酒臭い息を近づけてくる。オズヌはそれを手で制すると、目的の人物に向かって歩いていく。
「失礼…。あなたが、この村の長であるか?」
突如、予期せぬ方向から話しかけれたシロウは、酒が喉につまり咽ていた。声のした方へと振り向くと、白装束に鈴懸、結袈裟を纏った大柄な男がいる。咳払いをして、その佇まいを正す。
「如何にも、私がこのチクサ村の長をしておりますシロウですが…。なぜ、あなたのような行者がいらっしゃるのですか?」
シロウは、オズヌを警戒しているのか、その場所から一歩、二歩と離れていく。オズヌの顔は、微笑んでいるように見えるが、口が引きつっており、目は鋭い眼光を携えていた。何とも不気味な表情を形造っていたのである。
「チクサ村が、餓鬼の大群に襲撃を受けていると耳にしたものですから。其れに致しても、凄い騒ぎでありますな。危機は去ったと見受けられる。やや、名乗り遅れましたが、拙者は霊峰にて行を積ませて頂いております、オズヌと申す。以後、お見知りおきを…」
ジリジリと後退りするシロウの肩を、オズヌが掴む。そして、強引に自分の方へと引き寄せた。オズヌは、シロウの顔を真正面から見据える。取り繕った笑顔を排したその顔は、般若の形相を呈していた。
「この村では、年端も行かぬ娘に鬼退治を任せることを、習わしとしておられるのか?子を守るのが大人の努めであろう」
シロウの肩を掴んでいるオズヌの指が、その想いの丈を告げるかの如く噛み付くように深くめり込んでいく。その痛みに耐えかねたシロウは、思わず叫び声を上げてしまった。しかし、その叫びは、周囲のけたたましい騒音に飲み込まれ、シロウの様子に気づいた村人はいない。誰もが、自分のことに夢中であった。
「これは、済まないことをした」
オズヌは、慌ててシロウから手を離す。しかし、悪びれた様子もなく、オズヌは憮然とした態度を崩さない。痛む鎖骨を擦りながらシロウは、オズヌを睨みつけた。それは、一瞬のことであり、すぐに渦巻いて来る感情を圧し殺し、能面のような表情を作り出した。
「キッカのことを仰っているのですかな?それはあの娘が偶然にも神憑きとなり、自身が望んだことでありますから。村の役に立つことができて、本望でありましょう」
冷淡に言い放つシロウであった。オズヌと同様に、悪びれた様子はない。
「神憑きと申したか?」
「如何にも」
驚愕の表情を見せたオズヌは、手を胸の前で組み、得心がいったとばかりに頷いている。そして、何かを思案するように天を仰ぎ見た。
オズヌは、神憑きという言葉が何を差しているのかを理解していた。人が神と縁を結び神の依代となることで、人知を超えた神力を振るうことが可能となるのだ。オズヌが行を積んでいる霊峰には、神の依代となった者が幾人もおり、その強大な力を実際に目の当たりにしたこともある。オズヌが、アスハにキッカのことを尋ねた時の沈黙は、このことを意味していたのだろう。アスハはオズヌにキッカのことを知られるのを良しとしなかったのだ。
「なるほど…。それなら、牛頭や馬頭を退治することができたのも得心でき申す。しかし、そのキッカに労いの言葉一つでもあっても宜しいのでは?村が救われたのは間違いないのですぞ」
再度、シロウを見据えたオズヌは、未だ険のある表情を崩していない。両の手の拳は、固く握りしめられている。
いくら神の依代であったとしても、キッカはただの娘でもあるのだ。その働きに感謝の意も示さないことは、オズヌには納得ができるものではなかった。
「私も老いた身でありますから、鬼の恐ろしさに身を潜めていたのですよ。鬼が退治された喜びに、気が囚われておりました。今、キッカがどこにいるかなど、知る由もなければ」
シロウの表情からは、相変わらず能面のように感情の機微は見てとれない。
オズヌは、自身に詰問されても動揺を見せないシロウの態度に唾棄したくなるような苛立ちを感じていた。まるで、シロウが、力あるものによって救いの手を差し伸べることは、当然だと考えているように思えるのだ。
肺が一杯になるまで息を吸い込んだオズヌは、大きく息を吐き出す。シロウとこの件について、これ以上話しても無駄であろう。それよりも本題は別のところにあるのだ。固く拳を握りした拳を、弛緩させていく。
「左様であるか…。拙者も、歓喜に湧いている村の者に水を差したいわけではありませぬ。して、鬼によって受けた被害を受けた村に限っての話であるが、その復興に霊峰で手を貸す用意がある」
「それは本当でございますか?」
これまでオズヌを拒絶するかのような態度を見せていたシロウであったが、この時、初めて自分からオズヌへと近づいていった。そして、シロウの手を両手で握りしめ、目を潤ませている。
シロウの虫のいい態度に、余計に苛立ちを募らせるオズヌであるが、気に食わないからという理由で所属する組織の方針を捻じ曲げる訳にはいかない。
オズヌは、シロウに握りしめられた手を丁寧に払う。
「一つ条件があるが真である。それも霊峰の活動の一環であるゆえ」
「ありがとうございます。鬼が去ったとはいえ、このままでは、これからの生活が立ち行かないかと不安に駆られておりましたので。皆もそれを理解しているのでしょう。一時の快楽に身を任すことで、このことから目を背けたいのです。これで、絶望の中に希望を見出すことが出来ますれば、皆も落ち着きを取り戻すでしょう」
取って付けたような、シロウの物言いである。しかし、鬼によって悲惨な状況へと追いつめられた者たちに手を差し伸べるのが霊峰の方針なのだ。もちろん、それを為すことで、霊峰が得られる利もあるのであるが。オズヌは、奥歯に挟まっているものを未だ噛み砕くことのできないでいるが、これ以上余計なことを口に出すまいと、再度深呼吸をする。
「それで、条件なのであるが、今回退治された餓鬼と牛頭、馬頭の死体から使えそうな素材を霊峰で買い取らせて頂く。具体的には、餓鬼の場合は、角と爪、牛頭、馬頭については、角、肉、皮である。これで得られた銭を、復興の費用としてもらいたい。なお、鬼の解体とそれらの部位の収集は、そちらで行って頂く。ただし、牛頭、馬頭の角の一部については、それを退治した者に、討伐した証として与えるように。霊峰では、通例として角の一部を短刀に加工し、その証としていることをお忘れなきようお願い申し上げる。そして、鬼といえども死してしまえば、そこに貴賤や善悪はないため、供養して頂きたい」
オズヌは、事務的に条件の詳細を告げる。
「畏まりました。明朝より、村の者に早速作業に取り掛からせましょう」
「霊峰には、こちらから使いを飛ばして置きまする。後日、担当の者がやって参りますので、今後は、その者とやり取りを」
「承知いたしました。よろしくお願い致します」
恭しく頭を下げたシロウは、踵を返しその場を後にしようとした。慌ててオズヌがそれを引き止める。
「実は別件で、お願いがございます。拙者は霊峰からの命を受けておりまして、暫くの間、この村に滞在することを許可して頂けますかな?」
オズヌが、チクサ村の近辺に居たのは偶然ではない。霊峰にいる星詠みの巫女から、この辺りに鬼による災厄が降り注ぐ凶兆があるという啓示を受けていたのだ。そして、オズヌには可能であれば、その災厄を防ぎ、原因を調査することが使命として言い渡されていた。実際に、災厄はチクサ村を襲ったのであるから、ここを拠点に調査をすれば、何か手がかりを掴むことができるのかもしれない。
「村の恩人となるお方ですから、幾らでも滞在していただいて構いません。部屋の方は用意させておきますので、ご自由にお過ごし下さい。村の者にこの話を伝えて参りますので。それでは、失礼致します」
再度、頭を下げたシロウは、今度こそその場を後にして、村の者が騒ぎ続ける和に加わっていった。それを見送ったオズヌには、キッカとアスハの様子が頭に過ぎっていた。相も変わらず、酒を煽り興の赴くままに騒ぎ続ける村の者たちを尻目に、二人のいる部屋へと向かっていく。先程まで対峙していたシロウの卑屈さや、村人たちの刹那的な振る舞いには辟易した。しかし、自己を犠牲にしてまで、村を、姉を守ろうとした幼い二人の高潔さに惹かれているのだろうとオズヌは感じていた。あの姉弟の助けになれることがあるのであれば、協力することにしようと決意する。
二人のいる部屋の前へと帰ってきたオズヌは、閉ざされた襖の前に立っている。部屋の中からは何の音も聞こえず、未だキッカの目が醒めていないのだろうと思われた。
「アスハ殿、入っても宜しいか?」
「オズヌさま?どうぞ」
オズヌが、襖を開け部屋へと入っていく。キッカは穏やかに寝息を立てており、目覚めた様子は見られない。依然として、アスハは心配そうにその寝顔を見つめていた。
「まだ、目は覚まさぬか?」
オズヌは、アスハの横に腰を下ろす。
「はい…」
アスハの返事には、疲れの色が混じっている。一歩も動かずに、姉の身を案じていたのだろう、その顔は憔悴していた。
「直に目を覚ます。アスハ殿も休まれた方が良い。疲れも溜まっておろう。キッカ殿が目を覚まされた時には、アスハ殿の元気な姿を見せることが出来なくなりますぞ」
オズヌは、アスハの肩に手を置き諭してみるが、アスハは微動だにしない。アスハは、黙ってキッカを見守っている。この健気なアスハの姿に、思わず目頭が熱くなってくる。自己犠牲の精神が必ずしも素晴らしいとは思えないが、これほどまでに他者のことを思える尊さに、心に響くものがあるのを抑えることが出来なかったのだ。
「アスハ殿、拙者に出来ることがあるならば何なりと申してくれ」
この言葉に、アスハが僅かに反応を見せる。そして、オズヌが部屋へと帰ってきてから、初めてアスハがオズヌと目を合わせた。そして、意を決したように言葉を紡ぐ。
「オズヌさま、僕に戦うための方法を教えて下さい。守られるだけは嫌なのです」




