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大禍時より愛を込めて  作者: 児玉虎太郎
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狐面の者

日本神話を基盤にしていますが、完全にそれを踏襲しているわけではありません。度々、独自の設定が出てきます。

 原初は、混沌に支配されていた。そこに、世界を想像したとされる、別天神ことあまつかみが現れた。陰陽入り交じる混沌が分離して、天地となる。天地開閥である。そして、別天神は、その姿を消した。天は高天原と呼ばれ、神々の住まう地となり、地は中津国と呼ばれ、神々を祀る人々の暮らす大地となった。


 それからどれ程の時が、経っただろうか。天地の隔たりは大きく、神々と人々の繋がりも希薄になっていた。次第に、神々は中津国へと干渉することを避けるようになる。人の時代が始まったのである。未だ中津国には神の残滓が残るものの、それは伝説や伝承の類として扱われるようになった。神が実在したことを、覚えている者は少ない。


 ここに、神代の頃より禁足の地として封印された洞窟がある。天を衝く山の山頂付近に、それは存在していた。これまで訪れる者のいなかったその禁足の洞窟へと、一人の人間が入っていく。

 

 天井から染み出した水が滴り落ちる。岩を打つ水の音が、周囲へと木霊する。吹き抜ける風はなく、辺り一面には陰鬱としたカビの匂いが充満していた。


 この薄暗い洞窟の中を、明かりもなしに真っ白な狐の面で顔を隠した者がゆったりと歩いている。コツン、コツンと規則正しい足音が、水の滴りを掻き消しながら反響する。仄かに光苔に照らされ、その白い狐面が周囲から切り取られるように浮かび上がっていた。首から下は、黒一色に覆われている。素性を探らせる類のものは何も見当たらない。ただ、その腰には一本の太刀が差されており、その鞘から拵えも、全て黒で統一されていた。狐面は、洞窟のより深い闇の中へと歩を進めていく。

 

 白い狐面が、ゆらゆらと上下に動いている。宙に浮いた狐の面が、意志をもち一歩一歩、洞窟の奥へと進んでいく様は不気味であった。徐々に、闇はその濃さを増していく。ともすれば、恐怖に駆られそうになる程に漆黒に染まった空間であるのにも関わらず、狐面はそれを気にする様子を一切感じられない。漆黒に染まった空間を、優美さすら感じさせる拍子で、微塵の躊躇もなく、はっきりとした足取りでゆったりと奥に向かっていた。

 

 半刻ほど経った頃だろう、洞窟の中に広大な空間が出現した。その空洞部には、どこかに川が流れているのか、水のせせらぎが染み渡るように響いている。また、壁面には光苔が生い茂り、空間自体が仄かな薄緑の光を放っていた。その情景は、幻想的だと言って差し支えなく、この場所が特別であることを予感させるものであった。


 空洞の中心とおぼしき場所には、この場に不釣り合いな程に綺麗に形造られた木造の小さな神殿のような建造物があった。周囲との関連性を全く想起させないその建物は、本殿と鳥居のみが配置されているという小ぢんまりとした造りをしている。長らく放置されていたであろうに、それらには汚れの一つも見当たらなく、凛とした雰囲気を纏っている。さらに、光苔が壁面の半分を埋め尽くす程に生息しているというのに、この小さな神殿には全く苔が生えおらず、神殿が特別であることを誇張した。ささくれ1つ無い、張りを持った木々によって構成されたその神殿は、洞窟の中で周囲と隔絶しており、異彩を放つものであった。


 狐面は、無作法に鳥居を潜り、本殿へと歩んでいく。鳥居より先には、訪れた者に畏怖を抱かせようと静謐とした空気が張り巡らしている。本殿の方は、感嘆の息でも漏れそうな程の荘厳な趣を放っているのだが、狐面がそれを見て何かに思案するということはない。もちろん、その表情は伺いようがないのだが、何の感慨もないように思われた。


 「此処ですかね?」


 この神殿が目的地であるかのように、狐面から酷く小さな声が発せられ、甘美な響きを持って空間へと吸収されていく。その声は、男とも女とも捉えられる程に中性的なものであり、その性別を特定出来るものではなかった。


 そして、本殿に辿り着くと、最低限の礼儀だと言わんばかりに、僅かに背を折ることで一礼した。その慇懃無礼な態度からは、神殿に祀られているであろう神に対する敬虔の念は一切感じられない。


 「掛けましくも畏き八十禍津日神(やそまがつひのかみ)に畏き(もう)す」


 軽薄さを感じさせる形式ばった言葉を狐面は、口に出した。しかし、その呟きは、暗闇の中へと霧散していった。


 「ふむ…、どうやら、八十禍津日神はお休みになられているようだ」


 態とらしく両手を広げ天を仰ぎ見た狐面は、腰の太刀に手をかける。そして、流麗の手捌きを以て、鞘から太刀を振り抜いた。一瞬だけ、刀身が煌めく。


 「無理矢理にでも、お目覚め戴くほかあるまい」


 振り抜かれた太刀が再び鞘に収められると、本殿の扉がバラバラと音を立て崩れていく。顕になった本殿の中を狐面が覗くと、一枚の鏡が台座の上に安置されていた。


 「掛けましくも畏き…?」


 狐面が、先程と同じ言葉を鏡に向かって発しかけたその時、突如、台座に安置された鏡が浮かび上がっていく。狐面の目線の高さと同じくらいに鏡が浮き上がると、上から吊るされたように宙に固定された。淡い光を纏っていた神殿の座する空間は、いつの間にか深い闇に支配されていた。底なし沼とも言える漆黒の淵に指がかかると、そこから骸骨が這いずり出てくる。一体、二体、三体とその数は増えていき、鼠が通り抜ける隙間もないほどに狐面を包囲していた。


 骸骨たちはカタカタと骨を鳴らしながら狐面へと顔を向ける。干からびた腕を高々と振り上げると、一斉に狐面へと群がっていく。狐面は抜刀すると、迫り来る骸骨たちを一瞥をした。


 「お戯れを…、我一閃する!」


 狐面が霞に構え、小さく呟く。すると、刀身が輝きだし、漏れ出した光がその刃を伸長させた。そして、狐面は太刀を横薙ぎに振い、骸骨たちを言葉通り、一刀両断にした。纏まりを失った骸骨たちは、乾いた音を伴って地に散乱していくと、漆黒の沼に飲み込まれていった。

 

 『我に何用だ?』


 狐面の脳髄に直接声が響いてくる。その声は、身体の芯にまで響くように重厚であり、無意識のうちに畏怖の念を抱かせるほど根源的な恐怖を感じさせるものであった。


 「…まさか、これ程の力を感じさせるとは…。容易に手にすることができると思ったものなのだがな…。さすが、大禍時を司る神といったところか…」


 その声の放つ威圧感はすさまじく、空間自体が萎縮したように思える。さしもの狐面であっても、抗うことは難しいのか、僅かに後退っていた。一歩、後ろに下がらされると、自然と背すじが伸び、その手には薄っすらと汗が滲んでいた。


 「掛けましくも畏き八十禍津日神に結ひ、その御業を賜りたく白します」


 『我の業を以て汝は如何にする?』


 頭に響く声と連動するように、台座から浮かび上がった鏡が明滅している。


 「御身の司る災厄を以て禍津時を起こし、幽世(かくりよ)との扉を繋げまする」


 狐面は、気を持ち直す。その手は、硬く握りしめられていた。


 『何故?(うつ)し世に魑魅魍魎(ちみもうりょう)が溢れることになるぞ。それに、事を成したとしても、大神(おおかみ)たちに、直ぐに塞がれよう』


 「人に生きる意味を感じさせたいと存じます。災厄の中でこそ、人は強い輝きを発しますので…。大神たちも、災厄を引き起こすことが、八十禍津日神のお役目と受け取りこそすれ、お怒りになられることはないかと…」


 『汝は、災厄が人にとって、生きる意味になると申すのか?災厄は災厄に過ぎぬ。人の世にとって不幸を撒き散らすばかりで、それ以上の意味はない。確かに、我は災厄を起こす権能を有しているが、それは積もり積もった穢れを祓うために必要なことであり、未だその時ではない』


 「神なればこそ、災厄は単なる事象と成りましょう。仰るように、人の身なれば八十禍津日神がお与えになる災厄は不幸を引いては、人を絶望させます。しかし、絶望することで、その者は真に生きる意味を感じ取ることが出来るはずです。理想があり夢破れるからこそ、絶望するのですから!」


 仰々しい物言いで狐面は食い下がっていた。言葉使いこそ、殊勝であるものの、傲然さを隠してもいない。徐々に熱を帯びつつある狐面の声色は、自身の主張こそが正義であると暗示している。狐面は独白するかのように、その弁論を続けていく。


 「不幸は幸福の延長線上に広がっているのです。嘆かわしいことに、現し世には、希望も絶望も感じないものが、溢れております。このような者は、これからより増えていくことでしょう。日々を無為に過ごすだけでは、畜生と変わりませぬ。然らば、絶望を与えることで、無為の者たちに生を取り戻させたいのです!八十禍津日神も大神の一柱なればこそ、権能を振るい人を導き賜るようにと白しているのです。現し世から穢が無くなることは、有り得ませぬ。穢れによって引き起こされる災厄こそ、人を導くのです。何卒、その神力を私に賜るようお頼み白します」


 『我には汝の言うことが、解せぬ。絶望を与えずとも、生を与える方法など幾らでもあろう?』


 しかし、八十禍津日神が狐面の熱に(ほだ)されることはなかった。そのことは、狐面も理解しているが、ここで退くわけにはいかない。


 「神の御心など、矮小な人の身である私には到底理解できるものではないでしょう。しかし、矮小な人の身であるからこそ、偉大な神の伺い知れぬこともあるというものです。それに、これから先、人がその営みを紡いでいくためには、絶望から立ち直る力が必要なれば…」


 『…何故わかる?』


 狐面は徐に仮面へと手をやり、その面を外す。面の下は、男とも女ともつかない優しく、儚げな顔をしていた。顔の造りは、中性的ではあるものの、ある一点を除いて特徴のないものであった。しかし、その両の目は金色に輝いている。その金色の双眸には、自分の意志を貫き通すという強い光が宿っていた。


 『その金眼…。なるほど、汝は稀人(まれびと)であったか…。なれば、汝の為すこと、それ自体に意味があり、現し世にとって必要なことなのだろう…』


 「私の為すことに、意味などありませぬ。行為に対する意味と言ったものは、後から付いてくるものなれば…。私は、私の為すべきと思ったことを為すだけです」


 稀人と呼ばれた狐面は、神妙な面持ちを浮かべている。


 『左様であるか…。稀人である汝が、我の司る災厄が必要だと言うのだな?』


 「仰るとおりにございます」


 『良かろう…。汝と結ぼうぞ。名は何と申す?』


 「イセヒと申します」


 イセヒが、深々と頭を下げる。綺麗に直角に折れ曲がったイセヒの背からは、先程までとは違った熱を感じさせた。


 『祝詞を捧げよ』


 イセヒは鏡の前に跪くき、拝めるように手を合わせた。


 「掛けましくも畏き八十禍津日神の廣前に、畏み畏み白す。黄泉平坂より返り皇親の穢を払いし神の御業を授かりますれば穢きも穢きでなく、現し世の咎を打ち祓い、罪穢れを禊ぎ祓い給え。幽世と結び、現し世を清め給え。六根清浄を清め、神の座す尊き御魂に依りて、八千代の栄を奉らん。此の成就を聞き給えと畏み白す」


 『ここに、我とイセヒが結ひを得た。これより、我はイセヒとなり、イセヒは我となる』


 鏡から膨大な光が、イセヒへと流れ込んでいく。その奔流がイセヒを包み込み、より一層の輝きを放ち、溢れ出した光が空間を飲み込んでいた。洞窟全体が振動し、岩盤が欠け落ちてくる。


 徐々に光が収束していき、周囲は静寂を取り戻した。すると、宙に浮かんでいた鏡はその役目を終えたのか、地へと落下し、脆い音を響かせて砕け散った。


 膝を折っていたイセヒは、勢いよく立ち上がると両手を握りしめたり、開いたりしている。そして、その手を強く握りしめると、双眸から放たれる金眼の輝きが増していた。


 「これより私は災厄を与え、絶望を振りまく存在となろう」


 空洞内に響いていた水のせせらぎは止み、光苔はその色を失っていた。

 

掛けましくも畏きとは、名前を呼ぶのすら恐れ多いという意味です。

祝詞については、一応意味は考えていますが、それが何かと関係するということはありません。言葉の響きを重要視しています。

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