人間と死神
人間と死神のお話。ずっと書きたかったお話です。
少し長め。BLではありますが要素は薄め。
若干の残虐描写など含みますので、ご注意下さい。
屋上から見える景色をぼんやりと見つめる。とは言え広がる景色は17年見続けた住み慣れた町の光景だし、屋上から見える景色も高校入学後2年ではそれほど変わり映えもしていない。改めて何かを思う事もなく、見飽きたと言ってしまっても過言ではない景色だ。
それをわざわざ始業前、昼休み、放課後と欠かさず見下ろしているのは、いくら見慣れた景色とは言え1日1日違う顔を見せるし、時間によっても抱く印象が違うものだ。なんていう詩的な理由でもなければ、単純に高い所が好きだというワケでもない。
いや、高い所が好きなワケではないけれど、高所を求めてはいるのかもしれない。出来ればもっと高い所。ただ一介の男子高生に過ぎない新には、手っ取り早く且つ気楽に行ける高所と言うのが学校の屋上しかなかっただけの話だ。通学路にある校舎の1.5倍くらいは高そうなデパートは屋上立ち入り禁止。立体駐車場を構えている施設の屋上階もそれなりに高いが、歩行者がぼんやりと景色を見下ろすに適した環境ではない。
そんな風に絞って言った結果残ったのが、昨今では珍しく屋上への立ち入りが禁止されていない自分の通う学校だった。
繰り返しになるが高いところは好きではない。高所恐怖症でもないが、高所と聞いてバカみたいにはしゃぎ、足取り軽く向かうような人種ではないし、何とかと何とかは高い所に昇るみたいな言葉があるが、そのナントカでもない。
ただ、高い所に居たかった。
人間の体と高所は相性が悪い。
勿論高所といっても高さは様々だし、人間の体と一括りにしても体格は勿論、鍛え方だって違う。低身長で線も細く運動音痴でインドアの人間と、高身長でレスラーの様なガタイの良さを誇り、毎日のトレーニングも欠かさない日焼けが眩しい人間とでは、同じ転び方をしても怪我の負い方は違うだろうし、それは2階から飛び降りた結果に於いても言える事だと思う。
だから人間がどの高さから飛び降りれば確実に死に至るかなんて分からないし、2階から落ちて死ぬ人もいれば5階から落ちて生き残る人間だっているだろう。落ちた場所。落ち方。1番最初に体の何処が地面に接するか。エトセトラ。
それでも、と。
それらの可能性を踏まえた上で、まあこの校舎の高さからなら落ちた衝撃で大抵の人間は死の側に着地するだろうと思える高さ。覗けば死と目が合う様な高さが、新にとって重要だった。
自殺志願者ではない。しかし自殺志願者ではないと断言してしまうのは少し事実と異なる。
死に触れていたい。間近に感じていたい。叶う事なら生と死を分かつ境界に触れてみたい。そんな高校生らしかぬ、或いは少し患っている、もしくは本当に病んでいる様な願望を抱えてはいたから。
そうした思いを抱えながら今日も屋上から、夕日で赤く染まる町並みをぼんやりと見下ろす新の背中に突然声が掛けられた。
声量のあるものではない。それどころか少し小さな声。叱責するようなものではなく、歩み寄るような友好的な声音。教師の物ではなく生徒か、あるいは何故という理屈はさておいて中学生の物か、まだ子供の物だと言える声。
そんな声であっても背後から唐突に掛けられれば誰だって大なり小なり驚愕を抱くだろう。放課後の屋上と言う誰も残っていない時間であれば尚更だ。現に毎日の屋上通いを始めてもう数ヶ月経つが、それまで1度も、少なくとも朝と屋上は誰かがやってきた事はなかった。
放課後となれば尚更で、最早校舎内に生徒の気配はなく、気付けば吹奏楽部の演奏は止んでいた。反対側から見下ろせるグラウンドでももう運動部員達が切り上げだしているのか、威勢のいい元気な声は聞こえてこない。
そんな環境に慣れてしまえば、誰かが来るかもしれないなんて思わなくなる。そんな心構えの中いきなり声を掛けられれば、それは怒声でなくとも心臓に少なからず負担を強いる結果になるのは仕方ない。驚愕に一瞬高鳴り、直ぐに落ち着いたもののまだ平時よりは少し煩い鼓動を感じて胸の辺りを押さえつつ、恨めしげな感情は若干だけ表情に出して振り返る。
そこには声から大抵の人間が抱くだろう背は低めとか、気が弱そうだとか、そうした印象と違わぬ少年が経っていた。眉が申し訳なさそうに情けなく垂れ下がり、今にも泣いてしまいそうに見えるのは新の驚愕が少年の目にも映った所為か。
博愛主義者ではないし、売られた喧嘩は買うが、所と相手構わず喧嘩を吹っ掛ける様な性分でもない。自分の驚きは幸いにと言うのも妙だが僅かであったし、心拍だって既に落ち着いている。少年を責める気持ちにはなれなかった。
「……あー、悪い。驚かせたか?」
「い、いえ!大丈夫!僕の方こそ驚かせたみたいでごめんね!!」
新の謝罪が少年にとっては予想外であった様で、かえって焦ったように謝罪されてしまった。少年がそれだけ臆病とも言えるだろうが、新の人相がそれだけ悪いとも言えるだろう。自覚はあるため思わず苦笑が漏れ、弱った様に頬を掻く。
人相が悪く、性格も決して手放しにやさしいとは言えない事を自覚しているものの、血気盛んでもなければ自分の強さを武器に威張り散らす性分でもない。逆に目の前で怯えられてしまうと、気まずいと言うべきか、困惑すると言うべきか。とにかく新にとって物騒な言葉を獲物片手に吐き出されたり、見当違いの説教をされたりするより、遥かに弱ってしまう事態だった。
とにかく今は目の前の少年を落ち着かせる事が先だろう。ここで相手を安心させるべく微笑んでみせられればいいのだろうが、悲しいかな、それが逆効果になる事を新は嫌と言う程分かっていた。元々目付きが悪いからか、慣れない事を無理にしようとするからか、自分の微笑みは引きつって、相手に恐怖こそ抱かせど、安堵には程遠い。新の微笑みを怖いだの不気味だのと表さず好感を抱く人間なんて、家族を除けばこの世にいないだろう。
従って多少相性は悪いだろうが、これ以上気弱そうな少年を怯えさせないために新は無表情を貫く事に決めた。
「別に、そこまで謝る程じゃねぇよ。だから少しは落ち着けって」
「だ、だけど……」
壊れた電子のおもちゃのように、ひたすらぺこぺこと頭を下げていた少年は新の一言で頭の上下運動こそ止めたものの、不安は消えていないらしい。じっと窺うように新を見つめている。
「……怒って、ない?」
「…………あー」
そして恐る恐る告げられたのは十分予測出来る内容で、新は思わず苦々しげな表情を浮かべてしまう。頭の後ろを掻きつつ、己の人相の悪さを少しだけ恨めしく思いながら、少年に怒っていないと伝え、落ち着かせる事が出来るのか。
外見から誤解されるが新は学校の成績がいい。頭を使う事も苦ではない。その教師でさえ舌を巻く頭脳を必死で駆使して少年を落ち着かせる言葉を考えるが、人は見た目が9割と誰かが言っていた様にどんなに言葉を尽くしても人相が悪い新の無表情は先述の通りだし、笑ってみせれば怯えさせるのは明らかだし、ああどうしたものか。身長差も悪いだろう。背が低い少年を普通に見ようとすれば、長身の新では自然見下す感じになってしまう。新の顔つきもあり、威圧感抜群だろう。
「悪いな。怒っちゃいねぇよ。本当はここで笑ってみせれば信用度も少しは上がるんだろうけど、逆にお前を怯えさせちまうだろうし」
あまりに沈黙していてはまた誤解を生んでしまいかねない。結局短時間とは言え出来がいい頭脳を駆使して考えた結果新に出来た事と言えば、膝を少し落としてそのまま話して聞かせるだけだった。これでも怯えられたらお手上げだ。
果たして効果はあったらしい。少年の首の運動が上下から左右に切り替わった。
「ぼ、僕の方こそやっぱりごめんね!別にキミの事を怖いと思ったワケじゃなくて!確かに少しびっくりしたけど、でも、えっと、怒っているならちゃんと謝りたいなって思って、それで」
「分かった分かった。だからちょっと落ち着け。な?」
人柄を誤解されるのは新にとってもはや慣れっこである。いちいち胸を痛める事もなければ、怒りを感じる事もない。それこそ笑って流せてしまう程度の話題だ。
また壊れた電子のおもちゃに戻りつつある少年に声を掛けながら、何気無く少年を見つめる。背は新が平均より高い事を踏まえても低く、気弱そうな印象は相変らず。服装はワンピースの様に長い丈の黒いシャツに藍色のジーンズは裾を黒の編み上げブーツの中に収めている。黒を基調とした格好が少年の白い肌をより目立たせていた。
似合うか似合っていないかだけで語るのなら、似合っている。
しかし新が通う学校の制服はどこか退廃的な印象を抱かせつつも洒落た物ではなく、何の面白味もないブレザーにスラックス、夏服はYシャツにスラックスといった一般的なもので、仮に少年が着ていたのがどこかの学校の制服であったとしても、ここの生徒ではないだろう。あるいはここの生徒ではあるが帰宅した後何らかの必要に迫られ校舎へ戻ってきたものの私服で戻ってきましたという場合。
どちらにせよ校舎に入った段階で警戒心が過剰になるのも不自然ではない。私服で校舎、場合によっては他校の校舎に入るというのは馬鹿げた探検心で臨まない限り、どこかで罪悪感を抱いてしまうものだろう。そう考えれば少年の怯えようも納得出来る。
卒業生が遊びにきたのであれば私服でも問題ないだろうが、この少年が18以上にはとてもじゃないが見えない。
と、新がそこまで考えたところで。まるで新の思考を遮るように少年の声が掛けられる。
「うん、もう大丈夫。ありがとう。……ところでキミはここで何をしていたの?」
どきりと。
今度は急に声を掛けられた時の比じゃない。心臓が嫌な高鳴り方をした。
勿論それは会ったばかりの他人にプライバシーを暴かれる不快感からではない。それくらいで不快な心音を刻む程新の心臓は繊細でもなければ、狭量でもない。
確信を、突かれた。
この質問をされた時の言い訳なら用意していた。現に今までは淀みなくその言い訳を口にしてきた筈だ。それにも関わらずまるで頭が真っ白になったように適切な言葉が出てこない。口の中が渇き、糸で縫われるか接着剤で貼り付けられたかの様に唇が開かない。
嫌な鼓動を刻み続ける心臓や脳と心を占める動揺は顔にも出ていたのだろう。少年が新との距離を詰め、案じる様に見つめてくる。本人にそのつもりはないだろうが何故か余計に責められている様な、言い訳という言い訳を全て封じられてしまうかの様な、そんな錯覚に陥った。
「だ、大丈夫?僕、変な事聞いちゃったかな?」
折角少しは落ち着いてくれたように見えた少年が、また慌ててしまう。別に少年の心の安定を保つ義務など新にはないが、少年が動揺するのは何故か嫌だった。叶うのならこの少年に怯えも動揺も感じて欲しくないと、幸せになってほしいとさえ思ってしまうのだ。
いや、本当は理由も全て分かっているのかもしれない。ただ新本人が認めたくないだけだ。だからこそ新の記憶はその理由に直結する部分に触れる事を拒み、新の心は少年に嘘を語る事を拒む。
だからと言って初対面の人間に全てを語ってしまう事は難しい。初対面であるというだけではなく、そもそも誰かに話すような内容ではないのだ。
「いや、構わねぇよ。ちょっと思うトコがあって、な」
何故か嘘は吐けない。だからと言って本心を口にするワケにもいかない。結果として新の答えは少年の質問をはぐらかす様な形になった。下手に明かさないより少年を追い詰める形になってしまったかもしれないと後悔しても遅い。
この話題を続けて少年によくない気持ちを抱かせないようにと新は別の話題を探す。
いくら新の頭がいいとは言え、まだ17の少年とも呼べる年齢であり、かつ今の新は冷静や平常とはほど遠い。そうした中で何か別の話題を探すとなれば、制服がある高校の放課後の校舎に明らかに制服とは異なる格好で現れた少年の、その服装についてになってしまうのは無理もない。
「お前は何でここに来たんだ?その格好からして、ここの生徒じゃねぇだろ?」
「僕はキミに用があってここに来たんだ」
「は?」
思ってもいない事を言われると人は間抜けな声を漏らすと言う。今の新が正にそれだった。
記憶力に自信はある。つまらない喧嘩を売ってきた人間も全て把握こそしていないが顔を合わせれば思い出す事は可能だ。そうでなくとも目の前の少年は特徴のある人間、新と接点を持つには珍しい人種である。顔を合わせば思い出す以前に忘れる事もなさそうなものだが、少年の事がまるで記憶にない。
それならばと別の可能性を考える。新が顔を合わせた誰かの知人。少年は復讐に来るようなタイプには見えず、復讐を望むのであればわざわざ声を掛けずとも不意をついて背中を押してしまえばいい。もっともそこまでの復讐を望んでいないと言われれば声を掛けた事は頷けるが。
考えても答えは見付からず、新は自分で答えを出す事を諦めた。失礼だろうし、復讐に来たのなら少年の復讐心を無闇に燃え上がらせるだろう。しかし答えが記憶にないのだからないものを考えていても仕方がない。
ただ少年本人は全く知らないがどこか似た人間なら知っている。勿論少年がその人物である筈はないが。
「悪い。オレはお前の事知らねぇんだけど、どこかで会ったか?」
「会ってはいないと思うよ。でも僕はキミに会いに来たんだ、古祝新くん」
「じゃあ何でオレの名前を知ってんだ?」
純粋な疑問は困惑もあって責める様な声音になっていた。少年の方が小さく震えた事で自分の言い方が相手を怯えさせるに十分な物だったと悟ったが、気にかけている余裕は無かった。記憶にないというのに自分の心を揺さぶる少年。それだけでも動揺するというのに少年は会った事がないと言いつつ直ぐに新の名前を呼んでみせた。
他校生から喧嘩を売られる事は珍しくないが、広く名前を知られているとは思いがたい。やはり知人あたりの復讐を目的に来たものの、殺す気はなかったため背中を押す事は躊躇ったというところか。そうなれば互いに面識がなくとも少年側が新の事を一方的に知っていて不思議はない。
殴られれば殴り返す。殴られる可能性があるのなら防御する。それが新の常であり、相手が復讐者の可能性である事を考えれば本来の新はこの時点で身構えている。しかし身構えるだけの気は何故か起きなかった。自分はこの少年であれば復讐を甘んじて受けても良いと思っているのだろうか。自問するが答えは見付からない。
「復讐か?」
「違うよ」
少年は少し震えながらも、きっぱりと言いきった。気弱そうな印象こそ変わらないが、どこか先程までとは違う人間にも思わせる。
「僕は死音。古祝新くん、キミの魂を狩り取りにきた死神だよ」
「死神」
突然吹っ飛んだ発言をされ、それを反芻した場合。発言者の方はその発言を信じていないと考えて不思議はないだろう。少年こと死音も同様だったらしく、少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
だが新は信じていないから反芻したワケではない。むしろ死神が自分を目的にやってきた事に納得は出来たし、ようやくかという気さえしていた。
死を間近に感じたい。生と死の境に触れたい。そう願っていたからこそ飛び降りれば高確率で死ぬだろう屋上へ毎日通っている。今まで飛び降りずに過ごしてきたが、それは時間の問題といったところ。何か些細な事を切っ掛けにして向こう側へ足を踏み出すだろう事は自覚していた。そう自覚しながらも1歩を踏み出さずにいたのは周囲の環境が少なからず影響していると思っていたが、要因はこの少年にあったのかもしれない。
死神の存在を今日の今日まで信じていなかったが死神が実在するのであれば、彼等の存在なしに命を断つ事が難しいと言われれば納得出来る。あるいは今まで自殺に適した環境に恵まれなかったのは死音が姿を見せていなかったからか。
「ああ、信じてないワケじゃねぇよ。お前が本当に死神なら、濁す必要もねぇしな。オレは死を感じたくてここに来てる」
「そっか。非情だと思うけど、僕はキミを止めないよ。キミを止められないの、分かってるんだ。死神は担当が決まるとリストを貰う。そのリストを渡されて正式に任命されたら絶対不変。変えられないの。それで昨日、僕は正式にこの仕事を任命された」
「ああ、それで納得した。だから今日に限ってオレの望む環境が整っているんだな」
他人の事をわざわざ気に掛けないが、自殺をもっともな綺麗事で止められたくない事や誰かを巻き込みたくないという意思から人目のあるところで飛び降りるのは避けていた。他人であっても自殺の瞬間を目撃してしまうなんてとんだトラウマものだろうし、地上にいる誰かを着地地点にした結果巻き添えにする事も、それで自分が助かってしまう事も避けなくてはいけなかった。
その結果今日まで延びた。正確に言えば今日に限って死音が現れるまで人っ子1人、屋上にも落下予測地点及びその周囲にいなかった。
死神が渡されるという書類にそこまで書かれていたのか、あくまで死神にとって人間の死など仕事の一環でそういうものに過ぎないからか、新の呟きに死音は首を縦に動かした。
「だけど、まあ、オレの魂を狩りに来たのが死音なのは良かったかもな」
「え?」
新の言葉がそんなに意外だったのか死音は目を丸くし、首を傾げる。確かに自分の命を奪いに来た死神に喜びを語るというのは少し妙な話かもしれない。死神事情なんて分からないが感謝される事も少ないのだろう。十分察せるし、死音の表情からも簡単に読み取れてしまう。
死音が渡されたという書類に何処まで新の事を書いてあったかは分からない。死音が新の事をどこまで知っているかも同様であり、どれだけ興味があるかも分からない。
自己陶酔の自分語りなどあまり好いていないし、無意味だと感じているが、何故か死音には伝えておきたいという思いが首を擡げる。それはやはり、死音が似ているからかもしれない。新が自殺を決めた理由である1人の少年に。
「こんな事言われても困るだろうし、聞き流してくれて構わねぇよ。お前、似てるんだ。オレの恋人に」
「……そっか」
この状況でそれを言う事が何を意味するのか分からない程死音は鈍くない。死音が見せた悲しそうな顔は新の胸も締め付ける。
死神と言えば全身に黒い服を纏い、血も涙もなく淡々と相手の命を奪うものだという印象を抱かせるものの、この少年はその概念を打ち崩すかの様だ。死んでしまった恋人に似ているからという理由ではなく、似ているという事を除いても冷酷な印象を無条件で抱いてしまう死神とは異なりまるで人間よりも人間らしい。
「まあ、性格とか見た目とか印象とかは結構違うんだけどな。なのにお前を見て似てるって思っちまった」
「うーん、魂の色が似てるのかな?」
「魂?死神にもあるもんなのか?」
オカルト関係の話は時折目にした事がある。その僅かな知識によると死神は魂を持たないと語られていたようにも思う。それを本人に向けてそのまま語ってしまった事にやってしまったと己の失態に気付き、慌てて謝罪の言葉を口にした。
死音は少なくとも見た目には怒った様子も傷心した様子もなく、それどころか少しだけ考える仕草を見せた後で微笑む。死神という字面から想像する様な冷たい印象はまるで感じさせずただの人間、あるいは人間に愛を与える天使のようにさえ見える。
「魂はないよ。でもね、ある程度魂を運ぶ事で死神も魂を授かって転生できるんだ。死神長さんの話によると僕の仕事は新くんで最後。新くんの魂を運んだと同時に、僕は転生するみたい。だからもう、魂の形は出来ているのかもね。転生しても魂の本質は変わらないって語られるし」
「なるほどな。死神の事情は分からねぇし、それを素直に喜んでやっていいのか分からねぇけど、お前にとってめでたい事ならお前のその瞬間に立ち会えて尚更良かったぜ」
「人間になれる事は喜ばしい事だよ。僕も最後の仕事が新くんで良かったです」
にっこり微笑んで死音は言う。
新は恋人の後追いが漸く叶い、死音は念願なのかはともかく、喜ばしい事である人間になるという死神にとってのゴールを果たせる。それはいいこと尽くめではないか。それも新は恋人に似た死音の手で魂を狩られ、自分の魂をもって恋人によく似た死音を人間にできるのだから。
「こんな言い方でいいか分からねぇけど、よろしくな、死音」
「うん。お疲れ様、古祝新くん」
最期に死音の言葉を背中に受けて、新は漸く境界の向こうへ飛び込んだ。
※
骨が砕け、人間が潰れる様な音が聞こえた瞬間、死音は自分の中に大量の情報が流れ込んでくるのを感じた。
人間の脳の許容量を無視しやたらと詰め込まれる情報。その洪水の様な勢いに圧倒され、脳の回路が焼ききれそうになる。熱や痛みが発生していても不思議はないが、情報の荒波に対抗するのが精一杯で痛覚を働かせている暇がない。あるいは死神が人間になる瞬間はこの痛みと熱に耐えうるべく、痛覚が遮断されているのだろうか。
情報の荒波に揉まれ、心も頭脳もパニックを起こしそうな現状。死音はふと思い出す。死神になる時生前の記憶は全て奪われる。その奪われた記憶も転生と同時に戻ってくる、と。転生した姿がある程度の年齢であればその人間に対する基本情報も流れ込んでくる。そこに生前、転生を果たしているから前世とも言うべきだろうか、その情報が詰め込まれれば勢いは凄まじくて当然だろう。
死音の思考は、止まる。
全て飲み込めた。だからこそ思考が白で染まり、血の気が引いていく。
死音の新しい体となったのは新が通っていた学校に通う2年生。花揺里都乃。先程まで目の前にいた、死音を都乃にしてくれた新と同じ制服を着ている。他にも都乃に対する知識は大量に流れ込んでいる。
しかしそれら全て、死音にとってどうでも良かった。
これから先、死音は花揺里都乃として生きていくのだ。都乃に対する知識がどうでもいい筈がない。それは分かっているが、それでも死音にとってはどうでもいい。死音にとって重要なのは、戻ってきた記憶の方。
縺れる足で屋上の手すりへと必死で駆け寄り、おそるおそる下を覗き込む。そこに何が広がっているかなんて、自分が1番よく知っている筈なのに。もしかしたらなんてどこかでそんな期待を抱いているのか、見たくも無い光景が広がっている筈の場所へ目を向けてしまう。
新の手足はおかしな方向に曲がり、血だまりの中に力なく倒れている。そうしている間にも新の頭から血は流れ出ており、止まる気配を見せない。健康で血の通う人間の体を手に入れたはずなのに、死音は自分の体から血の気が引いていくのが分かる。
新は死音を死んだ恋人に似ていると言った。当たり前だ。死音は、死音こそが新の恋人である小鳥遊琴莉だったのだから。
転生を果たせた暁には何をしたいか、死音も考えた事がある。死神になった当初は脱け殻の様で特に何も考えていなかったものの、務めを重ねていく内に人間の物とは程遠いながら心に少しだけ似た物を抱いた死音は、数度自分の来世を夢想した。結局死音には琴莉の記憶がなく、琴莉の記憶が一切ないということはかつて人間として暮らした記憶もないという事だ。親しい人に会いたいとか、好きな事をしてみたいとか、そうした願望は沸いて出ず、それでも下界で見たあの食べ物を口にしてみたいとか、そんな漠然とした望みを持ってはいた。死神長は死音に記憶が戻れば1番の望みも見付かるだろうと笑いかけつつ、今はそうした下界の物への情景があれば十分だとも語っていた。
天国に行くでも地獄に行くでもない。死後死神になった自分が少し特殊な死に方をしたのだろう事は、死音にも薄々察せた。それでも地上への憧れはおぼろげながらも持っており、記憶が戻るのを怖いと思う反面楽しみにしてもいた。死音が新に告げた言葉に嘘はない。人間になれる事は喜ばしい事で、心の類似品を持ち出した元人間の死神のほとんど多くはそこを目指し、自分の務めに従事する。奪われた記憶に対する恐怖と期待を抱きつつ、終わりを迎える魂を運ぶ。
死音とて例外ではなかった。
新が死ぬ前に死音は告げた言葉も、紛れもなく本心からのものだった。新はまっすぐで、死音に対して不器用ながらもやさしく、気の弱い死音が畏縮しないようにと振舞ってくれていた。それこそ、まるで、琴莉に出会ったばかりと同じように。
死神の仕事をしていれば嫌な場面もいくつも見ている。人殺しだと糾弾された事もあった。そんな仕事の最後が、新のように不器用ながらもやさしい人であった事が死音も確かに幸せであった筈なのに。まだどうなるかも分からない来世への希望さえ抱けるほどの幸福と、解放感による安堵を抱いていた筈なのに。
いざ転生を果たし、花揺里都乃を手に入れ、小鳥遊琴莉が帰ってきた際に彼を襲ったのは。
ただの絶望。
死神としての務めを果たせば人間として転生すると死神長に聞かされた時。どんな姿で転生するかは人によって様々だが琴莉の場合は死んだ時と同じくらいの年代だろうと伝えられた時、琴莉のままだった彼が転生後に抱いた希望はまた新に会えるのだという1点だった。
恋人という関係に戻れなくとも友人として傍にいられるかもしれないし、あわよくば同じ関係に戻れるかもしれない。もし性別すらも変わっていれば世間から白い目を向けられる事もなく、当たり前の幸せを手に出来るかもしれないと、そうしたかすかな期待を抱いて琴莉は己を捨て、死音となった。
勿論死音となった瞬間、自分がかつて人間であった実感はなく、新の事も忘れており、感情も乏しかったが、楽ではない任務の中死音の心を支えていたのは、琴莉の希望だろう。忘れているそれらは本来死音にとって他人事の筈だが、理屈ではない。そう、新が死音と琴莉が似ていると語り、死音が魂の色が似ているのではと言ったように。
そうやって短くない間死音を支えていた、琴莉の最後にして最大の望みは、人間に戻るという1つのゴールを切ったと同時に消え去った。あるいは、死音がゴールを迎えるのと引き換えに琴莉の転生する意味は消え失せた。
恐ろしいもののように語られる事が多いが、本来の死神はそれほど強い力を持たない。死神長ともなれば別だろうが一介の死神は上から渡される書類のまま誰かの魂を運ぶだけであり、1度書類を渡されれば最後、どう頑張ったって対象の死の運命は変えられない。
もし仮に死音の最後の仕事が新になるよう仕組まれていたところで、新の死自体は誰かが操作出来るものではないし、ましてやただの死神に過ぎない死音には新の事を思い出せたところでどうにも出来なかった。だから何を悔やんでも、誰を憎んでもどうにもならない。もし恨むべき相手がいるのであれば他でも無い、小鳥遊琴莉という今はもう、この世にいないとされている少年。かつての自分。
「はっ、これがあの時のツケだって?」
震えた声が皮肉を漏らす。世間ではこれを自業自得だとでも言うのだろうか。
頭を抱え、嗚咽を飲み込む。このまま座り込んで子供の様に泣き出してしまいたいし、不条理を叫んで屋上の床へ拳を叩きつけたい。一種の破壊衝動の様な物さえ抱きつつ、そのどちらも都乃は選ばない。
一説に子供はとある年齢まで己の前世を覚えているという。花揺里都乃の年齢は17で、どう見てもその年齢を軽くオーバーしているが、同時に都乃は今正に転生したばかりの、言い換えれば生まれたての子供のようなもの。
だからだろうか。それともそれが死神が人間に戻るという事なのだろうか。
幸いにもと言うのか、不幸にもと言うのか、今の都乃には全ての記憶があった。これから都乃として生きるために与えられた都乃の記憶。琴莉として生きてきた17年間。死音として死神稼業をこなしていた時期。
死んだ琴莉が死音になる直前の記憶。
それら全て。
頭痛さえ覚えそうな膨大な情報量を抱えたまま、しかしそんな事は気にも留めず都乃は震える足を1歩前に出す。急がなければ。震えている時間も、泣き叫んでいる時間も、ましてや八つ当たりしている時間なんてどこにもありはしないのだ。
そうして都乃は、潰れた新の体を目標地点に、空へと飛び込んだ。
※
天国や地獄というものについて考えた事はなかった。だからこそ確かに死んだ筈の自分にまだ意識がある事に新は驚くが、その驚きも一瞬で消える。自分は死神の姿を目撃した。死神がいるのなら閻魔がいても、死後の世界が存在していても別に驚くべき事じゃない、と。
少し頼りない足場を感じながら新は思考する。ここはどっちだろう。極楽浄土と謳われる天国へ行ける程善人であるとは思ってもいないが、では釜茹でだの、針の上を歩かされるだの、聞くからにおぞましい地獄に堕ちるほど悪人かと言われれば、自己評価としてはそこまでではないと訴えたい。一説に自害は最も罪深く、許されたものではないと言われているらしいが自身はともかく、新にはそれを認められない事情があった。
もしかしたらどっちつかずという事で保留にされるのかもしれない。天国と地獄の狭間で生活し、そこでの生活態度によって中途半端な人間はどちらに向かうかを振り分けられる。
そんな事を考える新に、突然声が掛けられた。死音の時と同じだと思うだけで、今回は特に驚かない。それは驚愕に跳ねる筈の心臓がもう止まっているからか。そんな事を自嘲的に考えながら新は声がした方に目を向ける。おそろしいほど善人めいた笑顔が目に入り、思わず背筋が寒くなる感覚に襲われた。
薄暗い中では溶け込んでしまいそうな黒だけで纏められた服装の中、太陽のような金髪と、不釣合いな程善人めいた、言ってしまえば胡散臭い笑顔が気持ち悪いほどに不似合いだ。とは言えこと笑顔に関しては新があれこれ言える立場ではないが。
浮べている善人めいた笑顔は親しみやすそうに見えつつも、どこか威圧感を抱かせる。俗に偉い人と言われる人間が浮べる笑顔であり、そうなると眼前の人物が何者なのか察しが付きやすい。実際どれくらいの時間が経過しているかは定かでないが、体感時間だけで言うのなら今し方死音に聞いたばかりだ。
新は確実に死んでいる事を前提。死後の世界があると仮定して、その審判役として日本では最も有名だろう閻魔様というヤツか、はたまた死音が口にした死神長か。後者であれば自分の行き先は分かり易い。死音と同じ死神になるのだろう。
「古祝新くん、だね?」
「ああ」
「キミはこれから死神になってもらうよ。突然の事で驚くかもしれないけど、自殺した人間は基本死神になるんだ」
見た目の印象と違わぬ穏やかな声は、穏やかな声のままとんでもない事を言ってのけた。死ぬ直前に死音に会った事で多少の事は受け入れられていた新の思考が止まる。そうなると話が違ってくるのではないか。琴莉の直接的な死因。魂が似ているのかもしれないと語った、琴莉に似た死神の死音。
死神になるという事実に拒否権がない事は穏やかでありながらも有無を言わせぬ声音で分かる。今更新とてだだを捏ねるつもりはない。しかし、それでは。
「はっ、何してんだよ?新」
不機嫌そうな声が、動揺の中にいる新に、しかし真っ直ぐに届いた。ここ最近聞く事のなかった、何度も何度も焦がれた声。2度と聞く事が出来ないのだと分かっていながら、また聞きたいとどこかで焦がれていた声。
期待と僅かな恐怖を感じつつ、新はゆっくりと振り返る。だからその時眼前の青年が呆れたような、それでいてやさしい苦笑を見せていた事には気が付かなかった。
さしずめ、冥界から恋人を取り戻した帰り道の、竪琴弾きの心境だろうか。もっともその場合、振り返る事こそ最大の禁忌なのだが。
果たしてそこにいた少年の姿が、嘘の様に掻き消えることはなかった。
どこか自信に満ちた光を目に宿し、楽しそうに笑っている。無邪気と言うには険があり、しかし嘲笑と言うには綺麗な。新に悪戯をしかける時、琴莉が決まって浮べていた懐かしい微笑み。
「新しい体を用意してくれたのに、自殺に使って悪かったな。でもオレとしては新の傍にいないと転生しても意味がないんで、追いかけてきた次第ですよ、死神長サン?」
「まあ、こうなる事は薄々察しが付いてたけどね……」
2人は何やら会話が通じるらしく話をしているが、新にとってはそれどころではない。今新の思考を支配しているのは驚愕であるが、それは先程の様な嫌な類の驚愕ではない。ここが死後、それも自殺の後に辿り着く地であるというのなら不適切な発言だろう。それでも。
それでも新を支配する驚愕は期待と歓喜、言いようのない幸福が作りあげた物だった。
新が死に触れたいと願い、一介の高校生に過ぎない立場で簡単に立ち寄れる高所である校舎の屋上へ通い詰め、死を覗きたいと懇願していたのは全て一線を越えてしまった恋人である琴莉に少しでも近寄りたいと願っていたからだ。会える事はないと頭脳で理解しつつ心は理解を拒み、だからこそ足は屋上へ向き、琴莉のいない世界は捨ててしまおうと頭脳へ現実的に後追いという結論に至った。
そうした経緯で新は今、ここに立っている。だからこそ転生を果たした死音が琴莉であるという結論に擦れ違いに絶望し、だからこそ今、不謹慎であるなんて有り触れた道徳心など通用せず、新は純粋な幸福だけを今、抱いている。
「死音が……それとも琴莉と言うべきなのかな?戻ってきちゃったからね。少し予定を変えさせてもらうよ。キミ達には2人1組の死神になってもらおうと思うんだ。またキミ達を別々にして片方が転生したら片方が死んで、なんてイタチゴッコをやられては、ボクも閻魔もてんやわんやだからね。多少閻魔に無理を言って例外を通したよ。まあ、記憶はほとんど奪わないといけないし、転生後のキミ達の関係にまで責任は持てないけどね?」
死神長は新の感情など気にせずといった様子で言葉を続けていく。いくら出来のいい頭を持っていても理解出来ない事はある。現状もそれだ。ただ事態を正確に読み込めないながら新には1つ理解出来る事がある。それは新の期待が生み出した都合のいいものではなく、おそらく真実だと思っていいだろう。
それを示す様に、少なくとも新よりは事情に通じているだろう琴莉が驚愕に目を見開いた後、死神長の方を嬉しそうに見つめている。誕生日やクリスマスの前にプレゼントを楽しみにする子供のような笑顔は、普段冷静に見える琴莉が何か嬉しい事があった際、新の前でだけ見せてくれたもの。死神だの、転生だのといった現実離れしたあまりに突飛な話には追いつけずとも新にとって1つだけ確かな物がそこにはあった。
喜びを全面に表す、琴莉の顔。
それこそが何よりも間違いない、死神長の言葉が新と琴莉にとって悪い結果にはならないという証明。
「じゃあ、琴莉はもう分かってるだろうし、古祝新くんも賢い子だから察せているだろうけど、これは必要な形式だから言っておくよ。自殺したキミ達には死神になってもらう。記憶はなくなるけど、一定数魂を運んでくれればキミ達は人間に戻れるし、その時に記憶も戻ってくるから。まあ、精々任務に励んでね?」
※
この日、新しい死神が生まれた。
新しい死神が生まれる事は珍しい事ではない。閻魔と各死神長の心労や無駄な手間を思えば、少しくらい死神となる人間を減らして欲しいと思ってしまうが、こればかりは決められた運命なのだ。その道を選ぶ人間が皆無にならない以上仕方がない事なのかもしれない。
しかし死神誕生自体はさして珍しい事ではないながら、この日生まれた死神は前例のない、異例の物である。
本来死神とは1人だけで任務に臨み、1人だけで魂を運ぶ。特に元人間の死神となればそれが当たり前で、そもそも仮に生前親しくしていた人間が自殺しており、自身も自殺して同時期に死神となっていたところで、彼等に記憶はない。従って仮に一緒に置いても無意味であるし、そもそも死神になったばかりは魂も感情も欠片さえ持っていないが、任務をこなすにつれ感情は芽生え、魂の類似品が形作られていく。
そうしたシステムを踏まえると仮に親しかった人間同士を引き合わせたところでどうしてもズレは生じるもの。命に対する価値も違えば、仕事に取り組む仕事も違う。またかつての魂も何もない自分を思い出すようで誰かと組むというのは望ましい事ではないだろう。つまり死神にとって誰かと行動するというのは効率を下げこそすれ、上げる事はない。大抵早く人間に戻る事を望む死神本人にとっても、日々仕事に追われる閻魔や死神長としても、効率の低下は出来る限り回避したい。人の命を扱う立場である以上、効率云々と語るのは非人情的だと糾弾されるおそれはあるが、死神当人にとっても死神長や閻魔にとっても、そうした人情味溢れる考えを口にしている余裕はない。
だからこそ、この日生まれた死神は、正に新しい死神だった。
今までに存在しなかった、2人で1人の死神。
その異例な存在が、この日初めて誕生した。
「じゃあ、初仕事にいってらっしゃい」
死神長の言葉を受けて2人は機械的に首肯する。それは魂も持たず、記憶も持たない、誕生したばかりの死神が見せるには自然な姿で、死神長とてもう何人も元人間の死神を見送っている身である。今更胸を痛める事はない。
それでも死神長としては思う所がありながら彼等の様子を見つめていた。
生前は親しい者同士でも彼等の記憶は今、死神長側が管理している。記憶が戻る時は彼等が人間として転生を果たす時のみで、彼等にとって互いの認識は精々が仕事相手といったところか。
それにも関わらず、死神の1人である死斗は、隣に立つ自分の相棒へ手を差し出した。悪魔か魔物かと思われかねない人相の悪い顔に、それでもどうにか微笑みを浮べてみせて。それは魂と記憶、感情の持たぬ身である事も加わって酷く不気味にも見えてしまいかねない。魔界の住人でさえ特に子供は泣き出してしまうだろう。
そんな微笑みであるにも関わらず、彼の相方であるところの死亜は同じく魂や記憶の欠落からからっぽになった顔に微笑みを浮べてみせる。まるでその微笑みが好きでたまらない、幸せだと言わんばかりに。
そして極々自然な動作で死斗の手に自分の手を重ね、2人はそのまま、まるで仲睦まじい恋人同士がデートにテーマパークにでも行くかのように仕事場になる下界へと向かっていった。
2人の背中を見つつ、死神長は小さく息を吐く。
「無理を通して異例のパターンを作ったんだし、ボクも閻魔も、結構大変なんだからね。今度こそ転生したら、ちゃんと2人で仲良く幸せになるんだよ」
もう見えなくなった2人の背中に対して、そんな言葉を投げかけて。