第55話 世間話
「──父さん」
そう呼ぶのに、どれだけ練習をしたか。父に自分から話しかけるなんて、本当に何年ぶりだろう。
昨日叱られたこともあるし、話しかけるのには本当に勇気が必要だった。
必死で呼んだその声に、父は読んでいた新聞から顔を上げた。
「……何だ?」
眼鏡の奥をキラリと光らせて、冷静に訪ねてくる父。少し決意が揺らぎそうになる中、俺も心を落ち着かせて答える。
「……話したいことがあるんだ」
父は一瞬目を見開いたが、すぐに新聞を閉じると、咳払いをする。
「……座りなさい」
「……うん」
昨日話をしたテーブルに同じように座る。
「……で?話は何だ?」
「……世間話でも……どうかな?と……思って……」
「……は?」
少し間抜けな父のその声。俺も、緊張から話し方が途切れ途切れになってしまう。
「話したいことなんて言うから、もっと重要な話かと思ったら……世間話か。まあ良いだろう」
「……仕事どうなの?やっぱり大変?」
「そりゃあな。大変じゃない仕事なんて無いだろう。お前もいずれ分かるさ」
「そうだよね」
少しの沈黙を挟み、再び質問する。
「……楓奈さん……とは、会社で知り合ったの?」
「え?あ、ああ。楓奈は俺の部下でな。その内にお互いに惹かれ合って……結婚した」
「……いい人そうだよね」
「いい奴だよ」
再び少しの沈黙。すると今度は父が質問をしてきた。
「学校楽しくないのか?」
「……え?」
「最近学校に行ってなかったみたいだから……何か気に入らないことでもあったんじゃないか?」
「……学校は楽しいよ。いい友だちも出来たしね」
「……そうか」
そう話をしながら、お互いの口角が少し上がっているのが分かった。何でもない会話。他愛もない話。
でも、今の俺たちにはそれで十分だった。
その時、父親の携帯が鳴り響き、リビングから出ていった。
「……はぁ、緊張したわ……」
緊張感から解き放たれて、俺はうーんと伸びをする。椅子にもたれて、天井をボーッと見ていた時、目の前に顔が現れる。
「──!?」
俺が驚いた表情をすると、覗き込んだその人もビクッと震える。
態勢を元に戻し、そこに立つ人物……楓奈さんを見る。照れ臭そうに笑顔を浮かべていた。
「……どう……したんですか?」
「……いや、嬉しくてね……。孝明さんと湊くんが、ニコニコしながら会話してるんだもん」
「……見てたんだ……」
「別に覗いてた訳じゃないんだよ!?……でも、あまりに二人が幸せそうだったから、つい立ち止まっちゃって」
そう言う彼女があまりに嬉しそうなので、俺も呆れるように笑う。
「……でも、あなたのお陰なんですよ」
「……へ?」
楓奈さんは、どういうこと?とでも言いたそうな困惑した表情で、俺の言葉の続きを待っている。
「あなたが昨日叱ってくれたから……。それに、春哉やおばあちゃん、僕と向き合おうとしてくれたから」
「……湊くん」
彼女は、俺の言葉に何度も何度も頷いていた。
「……孝明さんはね、本当に家族思いで素敵な人よ。お義母さんから送られた写真や手紙は、全部大事に保存したり、部屋の中に飾っていたり……。でも、不器用だからそれを表現はできないの」
本当に愛しい人の話をしているんだなと、表情から読み取れる。彼女の顔からは、優しさと嬉しさが滲み出ていた。
「孝明さんが、あなたたちの事を考えなかった日はないと思うよ。それぐらい、春哉くんの事も、湊くんの事も本当に大切に思っているから」
「……そっか」
「それに、私もあなたたちと本当の家族になりたいと思ってるよ!」




