第40話 過去②
「──こんにちはー!」
「あ、綾人くん、いらっしゃい!」
家庭教師の綾人くんが、通ってくるようになって半年が過ぎていた。一学期の成績も、二学期の成績も、今までとは比べ物にならないほどになった。菜月も、志望校の選択肢が広がり、皆彼に感謝していた。
そして、それと同時に、菜月の綾人くんに対する恋心も明確になってきた。最初は、かっこいいからという理由だけで、気にしていたと思っていたのだが、そうではなかった。一緒に、勉強を進める内に、彼の中身も含めて、菜月は好きになっていたのだ。
「綾人くん、ごめんね。今日、菜月風邪引いちゃったみたいで……勉強できる状態じゃないの」
「あ、そうだったの?それなら連絡くれればお見舞いの一つでも持ってきたのに」
「あの子強がりだからね。ギリギリまで頑張るって言ってたけど、綾人くんにうつしてもいけないからって諦めたんだ……。ごめんね?」
「凪沙ちゃんが謝ることないよ。それに、受験に向けて大事な時期だしね。じゃあ、軽く挨拶してくるよ」
「うん。ありがとう。菜月も喜ぶと思う」
そう言って彼の背中を見送った後、深くため息をつく。
綾人くんが、同級生だってことを知ってから、私たちはあっという間に仲良くなった。連絡先も交換したし、休日に菜月も一緒に遊びに行く事だってあった。でも、距離が近づけば近づくほど、私は自分の気持ちに嘘がつけなくなっていった。
私……綾人くんのことが……好きだ。
菜月が好きだって言ったから、応援してあげなきゃいけない。彼女ともそう約束をした。でも、日に日に大きくなるこの想いは、もう止めることなんて出来なかった。
ていうか、菜月の受験が終わってしまったら、もう綾人くんにも会えなくなるのではないだろうか?同じ学校に通っているという訳でもないし、家庭教師の仕事が終わってしまえば、ここに来る理由も無くなる。
もしかして、別れはもうすぐそこに迫っているのではないだろうか……?
そう考えると、私の気分は更に落ち込んだ。
と、その時ポンポンと肩を叩かれた。
「──!?あ、綾人くんか……」
「ごめん。声かけても気づかなかったから。何か考え事してた?」
「あー……ちょっとボーッとして」
「凪沙ちゃんも風邪引いてるんじゃない?ゆっくり休んだ方が良いよ」
「う、うん。ありがとう……」
「じゃあ、菜月ちゃんの体調が回復したらまた連絡ちょうだいね。そしたら、家庭教師再開するから」
そう言って、荷物をまとめると玄関へと向かう。私も、いつものように見送ろうとついて行くが、知らない内に手を伸ばしていた。
ガシッ。
知らない内に掴んだ彼の腕。綾人くんは、驚いてこちらを振り向く。私も、自分のまさかの行動に驚いて、目をパチクリさせるしかなかった。
「……どうしたの……?」
綾人くんに尋ねられ、ハッとした私はそのまま手を離す。
「あ、ごっ……ごめんっ……。な、何でもないのっ……!」
私は、そう言いながら前髪で必死に顔を隠す。恥ずかしさで、彼の事が見れない。しかも、情けなくて視界が少しずつ滲んできた。
すると、綾人くんが私の腕を掴む。そして、真剣な顔で私の顔を見つめてきた。
「……何でもない人が、こんな悲しい顔する……?」
そう指摘され、私は何も言い返すことが出来なかった。そう尋ねてきた綾人くんも、少し悲しげな表情をしていた。
「……苦しいの」
私が話し始めると、私の手を掴む手の強さが少し弱まった。
「……何が苦しい……?」
「……綾人くんと話してると……苦しい」
「……僕のせい……か」
綾人くんは、そう弱々しく呟いたかと思うと、私のことをギュッと抱き締めた。驚く私をよそに続ける。
「……あのさ、もっと苦しめてもいい?」
「……え?」
「僕、君の事が好きだ──」
***
結構な時間、話をした。机の上に広げられたお菓子は無くなってるし、時計を見るともう夜中になっていた。
「……なるほど……樋野くんは、妹ちゃんじゃなくて、凪沙の事が好きだったんだね」
「うん。綾人くんも、菜月の気持ちは薄々気づいてたらしい。だけど、それ以上に私の好意にも、気づいてたらしいの」
「……それで?凪沙はどう返事をしたの?」
「私、その時何も言えなくてね。綾人くんは、返事はいらないから。って帰っていった」
「ふーん……なるほどね」
「でもね、実はその場面を菜月に見られてたの」
「……えっ……!?」
「菜月はその事で、すごく塞ぎ込んじゃって。私も、菜月のことを裏切ってしまった気持ちが大きかったから、何も言えなくてね……。この日から、全く話をする事も無くなった。それで、今まで頑張って勉強してきたのに、受験にも失敗して……ずっと家に引きこもってるの……。私のせいで……菜月の人生……めちゃくちゃにしちゃった」
凪沙はそう言いながら、目に涙を浮かべていた。私は、そんな彼女にハンカチを差し出す事ぐらいしか出来なかった。凪沙の抱えているものは、思っていたよりも大きいのかもしれない。私は、どう支えてあげるべきなのだろうか……?
自分に問いかけても、簡単に答えは出てこなかった。




