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2 近づく

 入学式の翌日。早朝の生徒玄関前で、さっそく新入生に対する部活勧誘が始まる。

 派手な運動部の勧誘の横で、わたしたちの部は地道にビラ配りを続けていた。

 旅行研究同好会――実は部ですらない、同好会。耳慣れない名前ではあるが、活動内容はその名の通りだ。


「旅行研究同好会でーす。よろしくお願いしまぁす」


 柏木泉――明るくて、可愛くて、優しくて、純粋で。非の打ち所のない、わたしの友人が配るビラは、次々に捌けていく。

 

「紗己子も配りなよ。結構楽しいよ? プラカード、代わるから」


 隣でプラカード持ちに徹するわたしに、泉は屈託なく言った。


「いいよ。今日はもう終わるし……」


 始業時間まであと十分に迫り、登校してくる新入生はほとんどいなくなっていた。わたしたちもそろそろ引き上げなければ遅刻になってしまう。


「じゃあ明日は、交代ね」

「うん。ありがとう」


 本当はプラカードを持って立っている方が楽だから嬉しい、なんて言ったら泉はどんな顔をするだろう。

 言えるわけない。だけど、取り繕うことだけが得意なわたしは、いつかこの友人に全てを見透かされてしまいそうで、時々怖い。

 今、この瞬間も、わたしの中にはどす黒い感情が渦巻いているというのに。

 



 登校する新入生の中、異母弟の姿を探してみた。だけど、見つけることはできなかった。見逃したのかもしれないし、見た中にはいなかったのかもしれない。

 まあ、見つけたところでどうするのか。それはまだ決めていなかったわけだけれど。


 急ぐことはない、時間はたっぷりあるのだから――と、そんなことを考えながら、引き上げるために荷物を片付けていた時だった。


「柏木、菅原。朝から悪いな」


 背後で知った声を聞いた次の瞬間、泉の声が弾んだ。


「部長! 遅いですよぉ。もう終わっちゃいましたから!」

「悪い、悪い。明日からは俺も手伝うし」


 もうすぐ校門も閉められる――そんな時間になって、ようやくやって来た旅行研究同好会の部長。彼は、じゃれあうように泉と挨拶を交わした。

 そんな二人を、わたしはただ眺めていた。二人が眩しく見えるのは、太陽のせいだけではない……と思う。


「菅原も、助かったよ」


 不意に笑顔向けられて、どきりとする。


「いえ、わたしは……何も」

「ありがとな」


 いつも通りに微笑めば、ぽんと頭を叩かれた。

 ずるい。そんな風に言うのは。


「でも部長が遅刻ぎりぎりなんて、珍しいですよね。何かあったんですか?」

「電車が遅れてさ。人身事故」

「ああ……最近なんだか多いですよねえ。私もこの間……」


 すぐ近くにいる二人の会話を遠くに聞きながら、わたしは荷物を持って歩き出した。

 お似合いの二人。邪魔をする気にもならないほど。




 始業時間まであと五分。今日は一限から数学の小テストがある。準備はしてきたけれど、見直す時間があるに越したことはない。

 来週には校内模試もある。気を引き締めておかないと――と、思ったその時だった。


「あっ……紗己子っ!」


 泉がわたしを呼んだ。しかし、振り向いた時にはすでに遅く。

 死角になっていた角から飛び出して来た人影に、わたしは思わず目を瞑った。


「――っ!」


 互いの肩がぶつかってよろめいた次の瞬間、聞こえてきたのは焦ったような男の子の声だった。


「すみません! 大丈夫ですか!?」


 目を開けると、そこには不安にわたしをのぞき込む真新しい制服の一年生。

 その瞬間、目が離せなくなった。

 彼だ――父のもう一人の子供。わたしの弟。

 そう認識した途端、自分でも不思議なくらいに、するすると唇が動いた。


「いえ――こちらこそごめんなさい。わたしも不注意だったし」

「そんな……僕のせいです。怪我はないですか?」


 心配そうに言った彼は、校門の方から走ってきたようだった。入学早々遅刻しそうになって焦っていたのだろう。もしかしたら、部長と同じく電車の遅延かもしれない。


「大丈夫。ちょっとぶつかっただけだから」


 そう言って笑顔を作れば、安堵したように顔が緩む。


「そうですか……よかった」


 間近で見る弟は、予想以上に普通の――善良な少年に見えた。それに、ある程度の品もある。

 生意気だ、と思った。汚らわしいあばずれの腹から生まれたくせに。


「きみ、新入生だよね……これ良かったら」


 わたしは醜い嫉妬を笑顔の下に隠して、荷物の中から余ったビラを取り出した。


「旅行研究同好会っていうの。興味があったら部室に来てね」

「旅行研究……ですか?」

「珍しいでしょ? 部員も多くはないけど、楽しいよ。見学もやってるから」


 彼は渡されたビラを興味深そうに眺めた後、「はい」と折り目正しい返事して自分の教室へと駆けていった。


「紗己子! 大丈夫ー?」

「うん、平気だよ。ついでに勧誘しちゃった!」


 弟を見送った後、追い付いて来た泉と部長に笑って答える。


「でもあいつは入らないだろうなぁ……」


 泉の隣で言ったのは部長だ。


「あの一年生と部長、知り合いなんですか?」

「知り合いじゃないよ。一方的に知ってるだけ。一部に有名だから、あいつ」


 首を傾げたわたしに、部長は答える。


「ほら、俺前水泳やってたじゃん。二つ下で全国でも入賞するようなすごい奴がいるって部内で有名だったんだよ」


 部長は昔、水泳部だったらしい。だけど、怪我をして、選手を続けられなくなってやめてしまったと聞いたことがあった。


「そんなにすごい選手なんだぁ……でも、うちの学校の水泳部って普通じゃないですか?」


 泉の言葉にわたしも頷いた。

 弟が水泳をやっていたとは知らなかったけれど、それほどの選手なら強豪校から推薦も来るだろう。しかし、この学校はそもそも運動部に力を入れていないし、水泳部の成績も至って普通でしかない。


「そりゃ、部活ではやんないだろ。クラブで続けるんじゃないか」

「ああ……なるほど」

 

 がっかりしていない、と言えば嘘になる。

 わたしと弟は、今はまだ同じ学校というだけで他に接点がない。学年も違うことだし、部活なら近づくのも不自然でないと思ったのだが。




 それから二週間が過ぎた。

 校内模試も終わり、勉強が一段落ついた頃には、新入生の仮入部期間が終わろうとしていた。一年生たちはいよいよ所属する部活を正式に決めることになる。

 わたしも数日ぶりに部室に顔を出した。とはいっても、もともと毎日活動しているような部活でもないのだけれど。


「今日は泉ちゃんは一緒じゃないの?」

「ああ、泉は委員会で……」

「そっか。住吉くんもなんだよね。今日から一年生が入るのに、部長がいなくてどうすんだっての」


 少し困ったように言ったのは、三年の長谷部先輩。旅行好きの長谷部先輩は、部長以外では唯一の三年生。他にわたしと泉を含む二年生四人。これが現在のこの同好会の全てだ。

 ただでさえ少ないというのに、今部室に来ているのはわたしと長谷部先輩の二人だけ。広い空き教室が更に広く見えて、寂しい限りだった。


「そういえば……一年生、入るんですか?」

「うん。私も今年は駄目かと思ったけどね、仮入部で興味持ってくれた子がいてさ」

「そうなんですか。良かった」

「この状況見てがっかりされなきゃいいけどねぇ。まあ、うちは旅行以外で全員集まる日の方が珍しいか、あはは」


 長谷部先輩の話を聞き流しながら、わたしは弟のことを思い出した。

 部長の言った通り、彼は来なかったようだ。ここは兼部もOKだけど、水泳の練習が忙しいのだろう。

 仕方ない――わたしは、そう思った自分が意外とあっさりしていることに気がついた。

 最近では勉強に追われていたこともあって、弟を見かけることもなく、すっかり忘れてしまっていた。

 あの日、感じた妬みも憎しみも、時間と共に薄れていく。それも悪くないかもしれない。悪い企みなんて、そうそう上手くはいかないのものだ、と――思った。




 新入部員は女の子の二人組だった。二人は中学からの友達同士で、片方の子が旅行好きらしく、もう一人の子を誘ったのだとか。

 実際、この同好会は旅行好きの集まりのようなものだ。丁度一年前、わたしも泉に誘われて入ったのだし。

 もっとも、わたしの場合は今の部長――住吉先輩の存在が大きな理由でもある。だけど、この秘密は誰にも話さない。一生わたしの胸の中だけに秘めておく。

 だって、泉は部長が好きなのだ。そしておそらく部長も。

 いくらわたしの性格が悪くても、大切な人を傷つけてまで幸せになりたいとは思わない。だから何もしない。二人が幸せになるのを見守っている。

 それで十分満足していた。だから。

 だから、もしもこの日、陸がわたしの前に現れなかったら。

 わたしはいつか、部長を忘れ、新しい恋をして、穏やかな人生を歩んでいた可能性だってあったはずだ。




 長谷部先輩が新入部員の二人に、この同好会のことやこれからのことを説明している間、わたしは特にすることもなく、隣でただ相槌を打つだけ。

 そんな風に暇をもて余していたので、部室の扉がノックされた時、わたしは真っ先に立ち上がった。


「はーい、どうぞ」


 本当は別に、訪問者を立って出迎える必要なんてなかったのに。おかげでわたしは、不意打ちを食らったのだ。


「遅くなって、すみません。旅行研究同好会に入部したいんですが」


 扉を開けると、そこには忘れかけていた弟が立っていた。

 真新しかった制服も身体に馴染んで、それほど時間が経ったわけでもないのに、前に比べると随分凛々しくなった。

 そして――その手には、しっかりと入部届けを持って。


「えっ……入部希望? 本当に?」


 後ろで、長谷部先輩の驚いたような声が聞こえる。

 わたしは一瞬真っ白になった思考を徐々に取り戻して、なんとか言葉を紡いだ。


「こ……この前校門で会った子だよね。ありがとう、来てくれたんだ?」


 その時のわたしの作り笑顔は、今までで一番ひきつっていたに違いない、最低の出来。

 だけど彼はそんなことは少しも気にしないかのように、わたしに眩しい笑顔を向けてくる。

 

「はい。一年二組の椎名陸っていいます。よろしくお願いします!」


 知っている。きみは知らないだろうけど。

 きみの父親も母親も、二人が何をしたかも。きみたちがわたしから何を盗んだかも。

 なのにきみは何も知らない。知らないから、そんな綺麗な顔ができる。


 ずるいよね。卑怯だよね。

 だってわたしたち、半分は同じ血を引いているのに。


「わたしは、二年の菅原紗己子。今日はちょっと集まりが悪いけど、とりあえず入ってね」


 優しく言って陸を部室に招き入れる。

 そんなわたしは、甘言を囁いて誘い込む魔女のよう。


 だけど、きみが悪いんだよ?

 何も知らずに笑っているから。

 だから、きみも傷つけばいい。

 その時のきみの顔を、きっと、そばで見ていてあげるから。

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