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14 対する

 血の繋がった姉弟でありながら、求め合う。禁忌に手を染めたわたしたちの罪が、一度きりの過ちで終わることは当然なかった。

 誰の咎めもないのをいいことに、わたしたちは学校が終わると人目を忍んでホテルに通った。それは本当に依存性のある毒のようで、囚われ、溺れ、次第に抜け出し方が分からなくなっていった。


 ――だって、好きな人と身体を合わせることが、こんなにも満たされることだなんて知らなかった。


 彼の熱が、わたしに触れる。交わりあう。それだけのことなのに、自分が自分でなくなってしまったみたいだった。目の前の彼のこと以外は、何も、考えられない……




 快楽の瞬間は、本当に幸せだった。理性をどこかに置き忘れ、夢の中にいるような気分。

 ただし――ひとたびそれが覚めれば、一気に現実世界へと引き戻された。


「……ごめんね」

「どうして謝るんですか?」


 行為の後、ベッドの中で囁くわたしを、陸は軽く笑って腕の中に引き寄せる。


「だって、最近お母さまと口も聞いてないんでしょう? 今更だけど、わたしはきみの家族を壊してしまったんだと思って……」


 陸によれば、わたしが彼の母親を脅した日以来、彼女は家にいる時はほとんどを自室に閉じこもって過ごし、息子とは顔も合わせないらしい。

 加えて父も、長らく帰ってきていないとか。家の中が冷えきってしまっていることは容易に想像できた。


「そんなこと気にするなんて、先輩らしくないですよ?」


 そう返してきた陸の言葉には、苦笑するしかない。

 まさにその通りで、わたしは元々、彼の家庭を壊したかった。想定していた過程とは多少違えど、その願いは叶った。それなのにわたしは、何故かそれを憂えている。

 当然親達への同情などない、でも彼は……何も知らなかった。何も知らずに当たり前の幸せを謳歌していた彼が、突然それをなくしてしまったらどう思うのだろうか。


「そうだよね。何言ってんだろう……」


 わたしは、今急に怖くなっている。彼に恨まれることが、憎まれることが、そうして嫌われることが。


「気にしないで下さい。育ててもらった恩はあるけど……どの道、俺あんまり母親とは上手くいってなくて」

「え?」

「過保護っていうか、なんて言うんでしょうね。幼い頃から、やることは全部母親に決められてきました。習い事も塾も、遊ぶ友達も。それが嫌だって言ったら、全部俺のためだからって、言いくるめられるんです」


 おかしいですよね、と言って陸は笑った。


「中学の時にようやく異常に気づいて、反発するようになりました。それからは割りと険悪で、成績も下がって、水泳もやめたし」

「未練はなかったの……? かなり強かったって聞いたけど」

「はは、そんなのありませんよ。泳ぐことは嫌いじゃないけど……全然、楽しくなかったから」


 そう言う陸は不自然なほど淡々としていて、まるでわざと感情を込めないようにしているみたいだった。

 わたしは陸の腕の中から離れて、その顔を正面から見る。そんなわたしに、彼は首をかしげた。


「先輩?」


 父母に愛されて、わたしの欲しいものは全部持っていると思っていた弟。わたしから盗んだ幸せを謳歌しているのだと思っていた――いや、そう思いたかっただけだ。そうでなければ、憎めそうになかったから。何の罪もない弟を、恨めそうになかったから。


「ごめん……」


 わたしはどこまでも愚かで醜い。そのことをただ実感させられた。

 わたしに、彼の側にいる資格があるのだろうか、とも。


「だから、謝らないで下さいよ。俺が母親と折り合い悪いのは全く先輩のせいじゃないし。それに、今すごく幸せなんです。こうして先輩が側にいてくれるから」

「陸……」


 わたしは思わず彼に手を伸ばし、自らその唇に深く口づけた。

 きみが望んでくれるなら、わたしは。


 ――そばにいる、から。




 名実共に陸の恋人になってから、しばらくは幸せな日々が続いた。

 陸は母親とは相変わらずだと言う。わたし達の関係に何も言ってこないところを見ると、あの脅しが効いたのかもとも思う。

 このままわたしたちは血縁を隠したまま関係を続けて、大人になって、そして……そんな浅はかな夢を見る。けれど、夢はやはり夢でしかなかった。

 その日は、唐突にやって来る。


「サキちゃん、お帰りなさい」


 帰宅したわたしを出迎えた祖母に、違和感を覚える。そして次の瞬間、玄関に見慣れぬ男物の靴を見つけて、悟った。


「お父さんがいらしてるわよ」


 祖母はいつも、父が訪れるとそわそわと嬉しそうにする。「おばあちゃんは騙されている」――口が裂けても言えないその言葉を、わたしは飲み込んだ。

 あの男のしたことを暴露してやりたい、そう思うのに、祖父母を傷つけたくないというジレンマに苛立ちながら、ふと二人はどちらをより悲しむのだろうと思った。

 大切に育てた娘が、夫に一切顧みられず不幸のうちに死を遂げたことか。それとも、たった一人の孫娘が異母弟と関係を持っていることか。

 きっとどちらもひどく悲しむだろう。

 歪んでしまったわたしには、それくらいしか分からない。




「紗己子、ちょっといいか」


 なるべく父の存在を無視して自分の部屋に上がろうとしていたが、私はあえなく仏間から顔を出した父に呼び止められる。


「……なに?」


 仏間に入るよう促されて渋々従うと、父は後ろ手に扉を閉めて、白々しくも笑った。

 嫌な予感はこの男の靴を見た時からずっとしている。そしてそれは多分――当たる。


「最近、元気にしてるか」

「……うん」

「お前も年頃だ。その、なんだ……彼氏なんかはいるのかと思ってな」


 わざわざ呼び止めて偶然を装うには、明らかに不自然な話題だ。

 陸の母親と繋がっているのだから当然だけれども、父はおそらく私と陸との関係を知っている。

 しかし同時に自分の不倫も認めることになるので、何と切り出したものか悩んでいるんだろう。笑える、今更。


「彼氏くらいいるよ? もう高校生だもの」


 祖父は留守で、祖母ははりきってキッチンに立っている。この仏間には、私の父の二人きり。会話が他の人間に聞かれることはない。死んだ母を除けば――だが。

 母の仏壇は祖母が甲斐甲斐しく世話をしているから、いつもきちんと整えられて仏間にある。今日も置かれた写真の母は笑っていた。


「……というか、回りくどいことを言わないで、はっきり言えばいいでしょう。お父さん」


 私が言うと、父はため息をついた。

 そして、諭すように口を開く。


「……その彼氏とはすぐに別れなさい。理由は分かってるはずだ」

「嫌だよ、絶対に」

「紗己子!」


 この男は卑怯だ。自分のしてきたことは棚に上げて、わたしと陸を引き離そうとしている。


「よくも父親面してそんなことが言えるね! 誰のせいだと思ってるの。お母さんがいながらあんな女と通じて――これはその結果でしょ!」


 抑え込んできた感情が溢れ出す。もう隠している必要もない。ここまで来たら、言ってやらなければ気がすまなかった。


「隠したって無駄。全部知ってるんだからね。あなたのこと、父親だなんて思ったことない。そんな人間に指図される筋合いはない。わたしが付き合う人は、わたしが決める」

「お前が怒るのはもっともだろう。だが、それは別の問題だ」

「別の問題?  そう言って自分の罪からは逃げるんだね。一度くらいお母さんに謝ったことがあるの? 何も知らないであなたを歓迎してるおばあちゃんたちに、頭を下げたことがあるの?」

「お前はそうやって話をすり替えようとしているだけだ。今は、お前と陸の話をしている」


 違う、と叫びそうになる。わたしは陸と別れるつもりはない。父が邪魔をするというのなら、徹底的に戦うつもりだ。

 だけどその前に、この男が許せない。自分の罪は何も認めないのに、わたしたちだけを糾弾しようとしているこの男が。


「聞いたよ? 彼のこと認知してないんだってね。おじいちゃんとおばあちゃんにばれるのが怖いんでしょう? 二人が知ったら何て言うかな。きっともうお金は貰えないね」

「……何が言いたい」

「自分だけが何のダメージも受けないで、わたしたちを引き離せると思わないでねってこと。そんなことしたら、絶対に許さない。わたし――何をするか分からないよ」


 父は祖父母へ自分のしたことをひた隠しにしてきた。彼らから多額の金銭の援助を受けている父としては当然のことで、わたしにとってはそれが唯一の武器だ。

 互いに秘密を握っている、だからこうした脅しに意味があるのだと――思っていたのに。


「お前に何ができる――あまり大人をなめるなよ」


 父は静かに言ったが、何故か有無を言わせぬ凄みがあって、思わず肌を粟立たせる。

 おかしい――だって、陸の母親はこれで黙ったんだ。当然のように、それがこの男にも通用するものだと――わたしは。


「認知くらいその気になればいつでもできる。戸籍を調べでもしなければそうそう分かるものでもなし……今までそうしなかったのは、単に念には念をいれただけだ。それに、お前は勘違いしているようだが」


 父は笑った。呆れ返ったように、嘲るように。


「息子の将来を守るためなら、この家と縁を切ることなどなんでもない。よく考えろよ、何が一番自分のためになるのか」


 遂にその本性をあらわした父。それは想像していたよりもずっと、大きな障害となって立ちはだかり、ようやく悟った。

 甘かったのだ――わたしは。この男の狡猾さと冷酷さを、軽くみていた。母と自分の復讐を果たせると信じて疑わなかった愚かで幼い自分は、完全にこの男に敗北したのだ、と。


 そしてやはり、父には愛されていなかったのだと――知った。


 愕然としてただ立ち尽すわたしの横を、殺したいほど憎い男が通り過ぎてゆく。その男は何もなかったような顔で、祖母の前に顔を出し、笑い声を響かせた。




 目の前が真っ暗になったようだった。

 陸とはもう、一緒にいられないかもしれない――そんな絶望感に支配されたわたしのもとに電話がかかってきたのは、翌日の授業中のことだった。

 「お父さんが会社で倒れた」と、祖母からの電話を受けた教師が告げた。

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