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10 搦め捕る

 旅行研究同好会、夏休みの旅行は静岡に決まった。富士周辺の観光と、夜は富士山の見えるコテージでキャンプ。

 多分そんな感じだったと思う。同じ二年の三原さんが、山の素晴らしさを力説していたのは覚えているから。


「紗己子、本当に大丈夫なの?」


 ミーティングが終わって、皆が帰って行く中、泉の声で我に返って、わたしも帰らなければと思う。


「ごめん。本当に大丈夫なの。ちょっと考え事しちゃって……」

「本当にそれだけ?」

「うん」

「そっかあ。じゃあ、早く帰ろ?」


 無理矢理笑顔で頷いて立ち上がった――その時。


「柏木、ちょっといいかな」


 それは、少し緊張したような部長の声だった。

 部長は泉に謝りに来たんだと思った。いつも自信に溢れている部長が、少し頼りなさげに見える。


「……なんですか?」

「話があるから、来て欲しい」

「……でも」

「時間はとらせないから」


 初めは近づいてきた部長に警戒心を示していた泉も、迷ったようにわたしの方を見た。


「わたしなら、大丈夫だよ」


 泉が心置きなく部長のところへ行けるように微笑む。それから、耳元で「仲直りしておいで」と囁けば、泉は申し訳なさそうにしながら頷いた。


「本当に、ごめんね」


 「いいよ」と言って手を振る。泉と部長が出ていくのを見送ると、部室にはほとんど人がいなくなった。一人を――除いて。

 しまった、と咄嗟に思った。陸は旅行の資料を座って眺めていて、帰るには彼の横を通らなければならない。

 完全に無視するのもなんだか変だ。軽く挨拶だけかけて、すぐに帰ろうと思った。


「椎名く――」

「旅行、楽しみですね」


 陸の横を通った時、声が重なってわたしのそれはかき消された。

 目があった瞬間、思わず息をのんだ。目の前の陸は――笑っているのに、どこか有無を言わせぬ雰囲気がある。


「そっ……そうだね」


 わたしは声が上ずるのを抑えられなかった。一度は落ち着いたはずの心臓の鼓動が、再び激しく脈打つ。


「俺、静岡って行ったことなくって。先輩はありますか?」

「……ある、けど」

「へえ! どんなところでした?」


 当たり前のように何気ない会話をしながら、陸は机の上の荷物を片付け、自分の鞄にしまう。そして立ち上がると、自然にわたしの隣に立った。


「先輩? どうかしました? 眉間にしわ、よってますよ」


 困惑するわたしをよそに、陸は茶化すように笑う。


「……どういうつもり?」


 わたしは我慢できなくなって言った。

 確かに、こうして一緒にいるのは普通の事だった。だけど、それは昨日以前までの話だ。

 こんなのはおかしい。わたしは彼を騙して傷つけた。それなのに、彼は何事もなかったかのようにわたしに笑いかける。

 ありえない。いっそ、気味が悪い。


「え? 一緒に帰ろうと思って。それとも、今日は用事あります?」

「そうじゃなくて! 白々しい言い方はやめてよ。どうして今更……こんな……」


 こんな茶番は、もう終わらせたはずだった。


「確かに――昨日のことは、ちょっとショックでしたけど。もしかしたら、とは思ってたんです。先輩みたいな綺麗な人が突然現れて――彼女になってくれて。都合が良すぎじゃないかと。まさか、ああいう話だとは思わなかったけどね。まあ、別に、別れたわけじゃないし」

「――何、言って……」


 わたしには、陸の言葉の意味が全く理解できなかった。


「何って、そのままの意味ですよ。先輩は俺の彼女、だから俺のもの」

「ちょっと……自分の言ってる意味が分かってる!? わたしたちは腹違いの姉弟なの! 血がつながってるんだよ!?」

「――大丈夫」


 不意に陸の手がわたしへと伸びる。わたしはまるで金縛りにあったように動けず、その手を容易く搦め捕られてしまう。

 陸は優しくわたしの手を包むと、その甲に自らの唇を落とした。


「法律上は、赤の他人です。昨日母さんを問い詰めたら、色々喋りましたよ。俺、父さんに認知されてないんだって。だから、大丈夫」


 何が大丈夫なのか。もはや、そう問い返す気にもなれなかった。

 何を言っても、きっとわたしの言葉は届かない。これ以上付き合っていたら、こっちがおかしくなってしまう。


「無理だから! あなたは気にしないのかもしれないけど、わたしにはそういうのは無理。大体……勘違いしてるみたいだけど、わたしはあなたのことなんて、これっぽっちも好きじゃないの!」


 わたしは叫んで、陸の手を振り払った。


「……それとも、これはわたしに対する復讐なの? 気持ちの悪いことを言って、困らせて!」


 その時初めて、陸は気味の悪い薄ら笑いを浮かべるのをやめた。振り払われた自らの手を一瞥すると、驚くほど冷たい視線をわたしに向ける。


「なあんだ、分かっちゃいました? だけどそれくらいの権利、俺にだってあるでしょう?」

「そんなの――」

「案外世間知らずなんですね。やったらやり返される、って常識でしょ」


 ぐうの音もでないほどの正論だった。

 けれど、とても受け入れられない。自分の行為は当然だと、信じ込んでいたわたしには。


「俺から――逃げられると思わないでくださいね」


 そう言った陸は、不意にわたしの腕を掴んだ。

 動揺から油断していたとは思う――彼は抵抗するより早く、わたしを自分の方に引き寄せると、そのまま強引に唇を重ねた。

 主導権は自分にある、とでも言いたげな乱暴で傲慢なキスがわたしを踏みにじる。

 ――数十秒にも及ぶキスの後、陸は再び得意気に微笑んだ。


「そばにいて下さい。ずっと、死ぬまで」


 乱れた呼吸を整えながら、わたしは恍惚と陸を見上げる。


 ――どうして、こんなことになってしまったのだろう。


「じゃ、帰りましょう」


 キスの余韻がまだ完全に消え去らぬ中、目の前に陸の手が差し出される。それを拒む気概は、もうわたしにはなかった。

 今更後悔しても全てが遅い。きっと、彼の言う通りなんだろう。

 逃げられない。これは多分罰なのだと思う。




 これまでは付き合っていることを秘密にしてきた。だから、校内を陸と手をつないで歩くのは初めてだった。

 陸は相変わらず、何事もなかったかのように振る舞う。この不自然に比べればどうでもいいような他愛ない話をする陸に、わたしはただ相槌を打った。

 こんな時間は早く終わって欲しい。けれど、どうしたらいいのか、分からないのだ。

 そして、とうとう恐れていたことが起こる。


「あれっ、紗己子……と椎名くん?」


 靴箱の前で、わたしたちと同じく手を繋いだ泉と部長に鉢合わせた。二人の雰囲気を見たところ、おそらく仲直りはうまくいったのだろう。


「今帰りなの?」

「はい」


 泉に答えたのは、陸だった。彼が今更、手を離してくれるようなことは勿論なく、わたしはその意図を嫌でも理解した。


「えっと……」


 案の定、一見恋人同士のようなわたしと陸を見て、泉と部長は何かを言いたげな顔をする。


「あ、実は、僕たち付き合うことになったんです。ね、先輩?」


 陸は当然のように言って、わたしにも同意を求める。


「……うん。そうなの」


 わたしが頷くと、泉も部長も嬉しそうにして祝福してくれた。その時の会話からすると、陸は以前に部長に恋愛の相談をしたことがあるらしかった。

 泉も泉で、陸の気持ちに気づいていたから、後輩の想いが叶ったのが嬉しいのだろう。

 他人の幸せを素直に祝福できる、純粋な二人。

 だけど、違うの。わたしたちは、あなたたちみたいに綺麗じゃない……




 泉と部長の仲睦まじい背中を見送りながら、いつか誰かとあんな風になりたかったと思った。

 復讐のために、あえて異母姉との関係続けると決めた陸。

 わたしは今更全てが露見することを躊躇して、そんな彼に従っている。

 歪で壊れた、姉弟の関係。この先に何があるのか、わたしには見えない。

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