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【七】

 目覚めると薄明かりの中、美しい女がじっと顔を覗き込んでいた。

 まばゆい金髪と同じ色の瞳、透けるような白い肌、艶やかなくちびる……その美しさに一瞬我を忘れ、そしてここが天国というやつかと思った。

 「……の、騎士殿、気がつきましたか」

 ああ、女神よ、なぜそんなに悲しそうな顔をしている。

 「しっかりして、人間の騎士殿」

 「……ここは……?」

 起き上がり周囲を確認しようと思うが、まるで体が動かない。

 「なぜ、このような無理をしたのですか」

 なぜ?

 そうだ、俺は愚かな争いを止めるために……!

 「く……と、討伐隊はどうなった!」

 女の手を払いのけ強引に起き上がると、全身にかつてない激痛が走った。身体中の骨が折れている。少し動くだけで肉が裂け、大量の血が噴き出した。

 「動いてはいけません。本当なら死んでいてもおかしくない怪我です」

 「俺のことはいい。討伐隊は……」

 彼女の視線が揺れ、俺も追う。

 「――ッ!」

 腹の底からこみ上げてくるのは怒り、悲しみ、絶望。

 「俺は……俺は、護れなかったのか」

 開け放たれた扉の向こうに見えるのは、無残な姿で血染めの床に転がる部下たち。かろうじて死を免れた者は、虚ろな瞳で吸血鬼に傅いている。

 「……容赦はしないと言ったはず」

 美しい女吸血鬼は、感情のない声で言い捨てた。

 「――っくしょう、ちくしょう!」

 たとえ罪深くとも、同胞を喰われて許せるはずがない。

 だが、俺が大剣を掴むより先に、彼女の鋭い爪が喉元に食い込んだ。

 「あなたも剣を抜きますか?」

 「……」

 見下ろす彼女の瞳が赤みを帯びる。背後に控える吸血鬼どもも、皆。

 動けない。本能が、恐怖しているのだ。

 しばらく睨み合った後、女吸血鬼は一度目をつむり大きく息を吸って、吐いた。瞳の色が戻る。

 「……私の眷属になりますか、それとも死を選びますか」

 決まっている。誰が魔物などに魂を売るものか。

 「と、本来は問うのですが。あの子はあなたに意思を聞かぬまま力を与えてしまいました。力を消すことはできますが、今は我慢してください。私は、あなたを死なせたくない」

 「ふん……選ぶ権利がないなら、さっさと眷属にでも何にでもすればいい」

 自棄になって剣を捨てた俺を睨みつけ、女吸血鬼はくちびるをわななかせた。握りしめた拳も震えている。

 「私たちはいつでも、私欲のために人間を眷属にしたことはありません」

 あの少年だけが禁を破り、俺にひとならざる力を与えたのだ、と。

 では、いったい何のために眷属を作るのだ。

 「あなたの神と同じです。私たちは無益な殺生を好みません」

 魔に魂を売ったかつての部下たちは吸血鬼どもに従い、遺体を運び床を磨く。誇り高い国王軍の兵士が魔城の床を!

 その中には俺を断罪した司教と副官の姿もあった。

 「……彼らにも同じ質問を?」

 「はい」

 俺は頭を抱え、奥歯が砕けそうなほどきつく食いしばった。

 神の名のもと吸血鬼の討伐を叫んだ彼らは、じつは吸血鬼の城を乗っ取りさらに他国への侵略を企てていた。そしていざ命の危機にさらされた時、簡単に神を裏切り闇の契約を結んでしまった。

 一方、魔物と忌み嫌った吸血鬼は、愚かな人間の争いを防ぐために国境を護り、人間を救うために力を使っていたのだ。

 信じていたものが揺らぐ。

 「それでも俺は人間で、おまえたちが人間の血を欲する限り相容れない」

 女吸血鬼は何か言おうとしてそれを飲み込み、そのまま部屋を出ていった。

 静寂の中、聞こえてくるのは風が窓を揺らす音のみ。

 耳の奥で響く自分の鼓動がうるさい。傷が疼き、息をするのも辛い。

 「……何の用だ」

 厚いカーテンが膨らみ、闇がひとの形に変わる。差し込む月光を受けて金髪がほのかに輝いた。俺に力を与えた、ヴァイトとかいう少年だ。

 少女のようによく整った顔がひどく腫れ、大きな切り傷がある。

 「クイーンに……」

 ヴァイトはうつむき、傷を撫でた。

 「ひどいんだ。指輪をしている方の手で……」

 「殴られたのか? は。きれいな顔が台無しだな」

 不死のくせにそんな傷も治せないとは。

 俺が笑ったのが気に障ったのか、それとも落ち込んでいるのか、窓辺に立ったまま動こうとしない。

 「用がないなら寝るぞ。傷が痛む」

 「……ごめん」

 「ん?」

 消えそうな声でもう一度ごめん、と呟いた。

 「あんたがそんな無茶すると思わなかったんだ。血をくれたお礼のつもりだったのに……」

 あの生意気な少年がこれほどしおらくなるなんて。よほどきつく叱られたのだろう。

 そもそも、俺が号令をかけなければ、こいつが怪我をすることもなかったのだが。

 「おまえが力をくれなければ、今頃俺は死んでいた。仲間は止められなかったが……感謝はしている」

 ヴァイトは驚いたように顔を上げ、そして俺の方に近寄ってきた。枕元に座り、じっと見つめる仕草は仔犬のようだ。

 「ねえ、なんでボクを助けたの? ヴァンパイアが嫌いなんだろ?」

 生意気で、しかし懐こくて、どこか憎めない。

 いや、これが幼いながら吸血鬼の能力なのかもしれない。きれいな顔で人間を惑わす……ひとはなんと弱いのだ。

 俺は毛布を頭からかぶり、ヴァイトに背を向けた。

 「……おまえの血が、人間と同じく赤かったからだ」

 理解したのかしていないのか、ヴァイトは黙っている。

 そう、そんな些細な理由で俺は憎いはずの吸血鬼を助けたのだ。

 ……なぜ、俺はそれほどまでに吸血鬼を憎んでいる?

 親を殺されたわけでも、恋人や友人を失ったわけでもない。せいぜい、あの愚かな討伐隊を全滅させられたくらいだ。

 なぜ彼らを憎いと思い込んでいたのだろう。

 頭の奥に靄がかかっているようですっきりしない。考えるのも面倒だ。

 「……なぜ俺は他の眷属のようにならない?」

 城を守っていた眷属もかつての部下たちも、みな意思を失くし虚ろな瞳で吸血鬼に付き従っていたというのに。

 「きっと、ボクの力が弱いから。だってボク、ひとの血を飲んだのは、あれが初めてなんだ」

 それで他者に不死の力を与えるのだからたいしたものだ。やはり彼らの能力は恐ろしい。

 「……残念だな」

 「え?」

 「どうせなら、あの美人の眷属になりたかった」

 腕に触れた細い手、くちびる、潤んだ瞳、思い出すだけで胸が熱くなる。信じていたものが崩れた今、もはや神も国王もどうでもよかった。

 そう、俺は、あのくだらない査問会で一つだけ嘘をついていたのだ。

 「美人ってクイーンのこと? なんで?」

 「ふん。なんでもないさ」

 俺は人間で、彼女は吸血鬼の女王。許されるはずがない。

 俺は愚かな人間で、彼女は慈悲深い吸血鬼……

 扉の前でうっかり立ち聞きしてしまった女王は、じっと宙を見つめ、静かに泣いた。




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