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【四】

 ブランパニア城は主に三つの館から成る。

 まずは城門を抜けるとすぐにそびえる逢魔の館。ブラド・ドラキュラ伯をはじめとする武に長けた者が護りを固めているため、人間はこれより先を知らない。

 続くは美しく華やかな黎明の館。夜毎ヴァンパイアたちが集い、終わることのない彼らの未来について語り合う。

 そして女王であり、最古のヴァンパイアが眠る宵闇の尖塔。城の最北に位置し、暗く日の差さない塔はかつて罪人を悔い改めさせるために使われたという。

 なぜそのような場所に女王が眠るのか。

 人間との戦いで負った傷を癒すため、あるいは人間との争いを嘆き悲しみ、否。彼女は許されぬ恋を胸に、愛しいひととの再会を待つために永い眠りについたのだ。

 今宵も月は穏やかに、ほのかな光で彼らの城を照らし出す。

 さて、人間たちが恐れる逢魔の館では今、甘い香りに包まれ優雅な茶会が開かれていた。

 「ねえ、あなた、聞いてくださる? ヴァイトったらひどいのよ」

 ばら色の頬をさらに赤くして、愛らしいくちびるを尖らせているのは館の主ブラド・ドラキュラ伯の奥方エリーゼだ。

 「私、ヴァイトのために新しく覚えたケーキを焼いたのに。ヴァイトのお土産は、私のより上手に焼いたケーキなの」

 まるでひよこが親鳥を追うように、会合から戻ったばかりのブラドの後をつきまとう。ブラドはやれやれと肩をすくめ、脱いだマントを女中に預けた。

 「では、私はヴァイトのケーキをいただこうか」

 「ひ、ひどいわ、あなたまで!」

 エリーゼは悔しそうに、夫の広い背中をぽかぽかと殴る。その仕草が愛おしくて、ブラドは目を細めてやわらかい髪を撫でてやった。

 「おまえがヴァイトのために焼いたケーキをヴァイトが美味しく食べ、ヴァイトが私たちのために焼いたケーキを私たちが美味しく食べる。何か問題があるかね?」

 「いいえ……いいえ、問題ありませんわ。そうね、心をこめて焼いたケーキですもの。ね、ヴァイト、あなたのケーキより美味しくないかもしれないけれど、食べてくださる?」

 「もちろん」

 今日はそのために訪ねてきたのだから。特別に甘いものを好むわけではないが、さすがに鼻先にバニラが香ると食欲がそそられる。

 丁寧に切り分けられたケーキを一口頬張ると、やわらかなクリームと爽やかな苺の酸味が口いっぱいに広がった。

 「ん、おいしい。エリーゼ、ボクのより全然おいしいよ」

 「本当? 嬉しい。ラウラ、ヴァイトに美味しいって言ってもらえたわ」

 エリーゼは控えていた女中と手を取り合って喜んだ。

 「よかったですわ、奥様! 私もがんばった甲斐がありました!」

 「え?」

 「あら、ラウラ。内緒よって言ったのに。ふふ。でもそうね、ラウラが手伝ってくれたおかげね」

 はしゃぐ二人を余所に、ヴァイトは鋭い瞳で女中の顔を見つめた。

 彼女はどう見てもヴァンパイアが力を与え、主従の契約を結んだ人間なのだが。彼女には意思があり、楽しそうに笑っている。

 「失礼しました、ヴァイト様。私、先日奥様に助けていただいたラウラと申します」

 お辞儀をしたせいで赤毛が揺れ、そばかすだらけの頬に残る大きな傷痕が露わになった。彼女はそれを気にして、きれいな顔のヴァイトから視線をそらす。

 「さ、山菜採りに夢中になって、ついうっかり足を滑らせてしまったんです。崖の下で動けなくなっていたところを奥様に見つけていただいて……」

 「私、彼女を助けたかったの。でも、きちんと治してあげられなかったわ」

 優しいエリーゼは申し訳なさそうにラウラの頬に触れた。

 「そそそそんな、奥様! 命を助けていただいただけで十分です! 奥様が、生きていたら、いつかまた父に会えるって言ってくださったから!」

 恥じらったり、照れたりと、やはり彼女には意思と感情が残っている。

 ヴァンパイアの眷属となった人間は、その強い力に支配され心を失うというのに。

 「おそらくエリーゼの力が弱く、干渉しなかったのだろう」

 「そう……ですね……」

 ヴァイトは思い出す。かつて、心を持ったまま眷属となった男のことを。

 「どうすればクイーンも……」

 それは考えても詮無いこと。最古にして最強のヴァンパイアである女王の力は、どれほど抑えても人間の心を破壊してしまう。

 だが、もしその方法が見つかれば、女王の眠りを覚ますことができるのだ。そしてまたあの男と巡り会えたときに、今度こそ永遠の愛を貫くだろう。

 ヴァイトはため息をつき、冷めた茶を飲み干した。

 「ごちそうさま、エリーゼ。お茶もケーキもおいしかったよ」

 「も、もうお帰りになるんですか?」

 自分のせいでヴァイトが不機嫌になったと勘違いしたラウラは、泣きそうな顔でヴァイトにすがる。

 「あまり長くクイーンを一人にしたくないからね」

 「そう……ですか……」

 がっくり項垂れ、ヴァイトの上着を用意し帰り支度を手伝う。そしておずおずと問うた。

 「あのう、ヴァイト様。また来ていただけますか?」

 「え? あ、うん」

 途端にラウラの顔が輝く。人間贔屓のエリーゼではないが、これは見ていて面白い。

 「よかった! では、あの、一つお願いがあるのですが……」

 「何?」

 「ヴァイト様、あの、またおいしいケーキを焼いていただけませんか。今度は、奥様のお腹の中の赤ちゃんのために」

 「え?」

 驚き振り返ると、エリーゼはほんのり頬を染め、いつもよりゆったりとしたドレスの上から腹のあたりに手を添えた。隣でブラドが咳払いする。

 「え? まさか……?」

 「ええ。赤ちゃんがいるの」

 ヴァイトはただ目を丸くして彼女の腹を見つめた。

 いったい、どれくらいぶりの新しい命だろう。最も若いヴァイトでさえ、もう数十年は生きているのだ。

 「さ、さわっていい?」

 「ええ。元気に産まれるようにって、お祈りしてあげてね」

 ヴァイトは自分の手が汚れていないかよく確かめてから、そっと触れた。

 温かく、やわらかい感触に胸がいっぱいになる。

 「すごい……すごいよ、エリーゼ! ケーキなんていくらでも焼くよ! そうだ、血族全員でお祝いしよう! ボク、特大のケーキを焼くからさ!」

 「ありがとう、ヴァイト」

 無邪気に喜ぶヴァイトを見て、感極まったエリーゼはほほ笑みながら涙をこぼした。それはまるで愛を凝縮した宝石。

 「男の子だったら、いいな」

 「ふふ、そうね。でも、もしも女の子だったら、ヴァイトのお嫁さんにどうかしら」

 「えっ!」

 恋の意味さえ知らぬというのに、結婚の約束など……ヴァイトは耳まで真っ赤にして慌てた。

 降り注ぐ月明かり、よく手入れされたバラの花びらに夜露がきらめき、遠く聞こえるフクロウの声さえ新しい命を祝福しているように思えた。

 「気をつけて」

 「ん。あのさ、エリーゼ」

 まだ興奮覚めやらぬ瞳は月の光を吸い込み金色に輝く。

 「僕のお嫁さん、エリーゼに似た可愛い子がいいな」

 「なっ!」

 お世辞にもハンサムとは言えないブラドは目を釣り上げ、不服そうにそっぽ向く。その様子が可笑しくて、ヴァイトとエリーゼは顔を見合わせて笑った。

 優しい夜が更けていく。




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