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【十一】

 深い深い闇の中、わずかな松明の火を頼りに一行は進む。

 「吸血鬼の城はまだか? なんと悪い道だ。これでは着く前に疲れてしまうわ」

 山道を行くにはそぐわぬ豪華絢爛な輿に寝そべり、よく肥えた枢機卿が醜い顔をさらに醜くして不満をもらす。従者たちは冷や汗を浮かべ、機嫌をとるのに忙しい。

 「まったくです。枢機卿殿が従軍なさるというのに、このような危険な道を」

 「やはりあやつは田舎者。わかっておりませんな」

 聞えよがしに声を張り上げてみるが、気にも留めずに先を行くのはかの吸血鬼討伐隊長ヴァン・ヘルシング。

 国王軍の紋章が入ったマントを羽織り、聖十字を模した大剣を携える若い騎士は、ただまっすぐに闇の先を見据えていた。

 続く部下たちの目は冷ややかに、良からぬ噂が蔓延する。

 「前回の討伐で唯一の生き残り……」

 「聞けば吸血鬼どもの女王はたいそう美人だとか」

 「もしや吸血鬼と通じ、我々を生贄として差し出す気では」

 今宵は新月、いつもより濃い闇が彼らの心を暗くする。

 ようやく森が拓け、荘厳なブランパニア城を目の当たりにした枢機卿はほう、と満足そうにうなずき、下卑た笑みを浮かべた。

 「ふむ、なかなか立派な城だ。これはなんとしても手に入れたい」

 細めた目には、すでに玉座に就く自身の姿が見えていたのかもしれない。

 一陣の風が吹き抜ける。

 急激に温度が下がり、一行は全身が総毛立つのを感じた。

 「……現れたな、吸血鬼ども」

 ヘルシングは城壁を仰ぐ。

 闇色のマントを纏い、彼らは静かに哀れな人間を見下ろした。

 中でも一際美しい女吸血鬼はその金色の瞳に怒りを、悲しみを、愛を浮かべて若い騎士と見つめ合う。

 「ほほう、噂に違わぬ美女。あれが闇に穢されているのは神の本意ではない。ぜひとも儂が浄化してやろう。さあ、皆のもの、あの女吸血鬼を生け捕るのだ!」

 枢機卿の言葉に討伐隊が色めき立つ。

 呑気なものだ、とヘルシングは薄く笑い、剣を抜いた。

 美しい女吸血鬼は一つため息をこぼし、やがて意を決したように手を挙げた。続いて彼らは黒翼を広げ、音の速さで隊列の中心に舞い降りる。

 数名が、何が起きた理解せぬまま絶命した。

 「な、な、何をしておる! 反撃せぬか!」

 まるで静かな湖面に立つ波紋のように、陣形が崩れていく。彼らの強さは圧倒的だった。

 「ぐぬぬ……情けない奴らめ。それでも神に祝福された国王軍か!」

 すでに安全な後方に退いた枢機卿は声を荒らげて怒鳴り散らす。

 吸血鬼たちはうんざりと眉をひそめ、冷ややかな声で問うた。

 「我が眷属となるか、死か」

 答えられる者は少なく、恐れをなして逃げ出すか、それすらできずにただ立ち尽くすばかり。名誉ある死を選んだのはほんの一握り。

 戦闘を放棄した兵士たちは、虚ろな瞳で吸血鬼たちにつき従った。

 堕ちていく同胞を横目に、ヘルシングは単身馬を駆る。

 「降りてこい、女王よ」

 女吸血鬼とともに城壁に残っていた少年がぴくりと反応した。

 「まったく無礼だね、人間は」

 風に混じって耳元で少年の声がする。ヘルシングはふんと鼻を鳴らした。

 「またきれいな顔に怪我するぞ」

 「え?」

 少女のようによく整った顔は驚きを隠せない。確かに女王は彼の記憶を消したはず。なぜ怪我のことを覚えているのだ。

 ヘルシングは口の端を上げ、聖剣を一振りして少年を追い払った。

 美しい吸血鬼の女王は細身の剣を抜き、ヘルシングの前に降り立つ。ヘルシングもまた下馬し、聖十字の銀剣を構えた。

 ぶつかる視線に愛憎の火花が散る。

 「あなたがた人間と私たちは相容れぬもの。早急に剣を収め立ち去るか、さもなくば……!」

 あふれる想いを胸に隠し、女王として血族を護るため気丈に振る舞う。

 それを愛しむように、対峙する男の瞳は穏やかで優しい。

 「……思い出すのに苦労した。目を閉じるたびに浮かぶおまえの姿……愛しいのか、憎いのか、それすらわからずに」

 ささやく声が甘く、心震える。

 「女王よ、俺と来い」

 ああ、差し出されたその手を取れたなら。

 女王はきつく奥歯を噛み、剣を握り直した。魔力を吸った刃が妖しく光る。

 次の瞬間には、ヘルシングのすぐ胸元に迫っていた。間一髪、反射で払った剣がそれを弾く。夜闇に響く高い金属音。

 続けざまに二度三度と繰り出され、わずかに遅いヘルシングの頬に、腕に、血がにじんだ。

 芳醇な赤い血に喉が鳴る。

 悲しいまでの闇の本能。

 やがてヘルシングは笑みさえ浮かべ、自身の剣を地に突き立て両手を広げた。女王の動きが止まる。

 「剣を取りなさい」

 「無駄だ。俺に勝ち目はない。一思いに殺すか、それともこの血を飲み干すか。おまえの中で生きられるならそれもいい」

 華奢な剣先は躊躇い、そのわずかな隙にヘルシングは女王の剣を蹴り上げた。あわてて爪を立てる女王を抱き寄せる。

 やわらかな温もり、重なる鼓動、どうして憎めよう。

 「おお! でかしたぞ、ヘルシング!」

 美しい女王を生け捕ったと勘違いした枢機卿は、無邪気に膝を叩いて喜んだ。すでに衛兵も従者もいないことなど気付きもせずに。

 もはや彼らの敵ではなかったが、生かしたところで利点もなし、強面の戦士の長剣がきらめき、ようやく辺りは静けさを取り戻した。

 残る排除すべき人間はヘルシングのみ。赤い瞳が四方から二人を見つめる。

 「離しなさい、無礼者」

 女王は逃れようと身悶えるが、たくましい腕はますます力を強めた。

 「俺と来い。女王の地位も一族も捨てて、俺とともに」

 「どこへ……どこへ行くと言うのです。あなたと私が共に暮らせる国など……」

 闇に属するこの身は光あふれるひとの国には住めぬ。ましてや血族を捨てた女王を彼らは許しはしないだろう。

 たとえ逃げ延び、二人だけの隠れ屋を見つけたところで、所詮彼は百年も生きられぬひとの身。のちは骸を抱いて暮らせと言うのか。

 「おまえとなら、地獄の先でもかまわない」

 ヘルシングはそっと女王にくちづけ、逆手に剣を拾い、女王を抱いたまま自身の胸を貫いた。

 冷たい剣が二人を結ぶ。

 慈悲深い吸血の鬼たちは、愚かな人間の騎士が息絶えるのを見届け、彼らの城へ引き揚げていった。

 せめて来世は同族にと祈りながら。




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