~結婚が決まるまで~
2012年、新年明けてから第一発目に「ねぇ、香夜。いつ結婚するの? あんた、もう後3ヶ月もしたら27歳でしょ。私が27歳の頃は、もうあんたも弟も産んでるんだけど?」といういつもの嫌味を言う母の一言から始まった。
それまで結婚の「け」の字はあんまり考えてこなかった。
まぁ、ゆくゆくはするのかもしれないけど、正直言えば仕事柄、音楽講師なんてものは夕方から夜に働いていて、土日も催事イベントがあれば出て行かなければならない。
当時から週6で、しかも一日2教室かけもちしていたりして、仕事人間と言えば仕事人間なタイプだった。
だが、そんな紫月香夜に追い打ちをかけるような一言が。
「多分だけど、弟の方が結婚早くなりそうな気配なのよね。だから、先にあんたが出てってくれてれば小姑が居なくてラッキーじゃない?」
昔から、母は自分が一人っ子であったせいか頼るところ可愛がるのは弟でした。
確かに、彼女らしき人が弟には居たけど、弟がまだええ年こいても会社員にはなれずにロングパート扱いで働いていて、相手の女性はまだ十代後半と聞いていたから、そんなにさくさくと結婚には至らんだろうとは思っていたけど。
ちょうど届いた年賀状には、三十路を超えた従姉(未婚)がついに実家から離れて一人暮らしすることにしたらしい。
「ほらねー。紫月家はそういう家だし、あんたは20歳からは居候って言ったでしょ。まぁ、一人暮らし出来る程の稼ぎがあんたにないのはわかってるから、どうすりゃいいかはわかるよねー?」
と、母に押し切られ。
でも、まぁ……一つ私には気にかかる身体の不調が続いていたので、いつかは迷惑がかからないように家を出なければならないだろうとは思っていたが。
気のせいってこともあるし、重い病気じゃないかもしれないし……うじうじとしながらも、2月になってから始めてインターネットの婚活サイトを利用してみました。
月額制だったので、合わないなぁと思ったら1か月で辞めようと思ってました。
そんな中で、メールのやりとりを続けて一度会ってみようということになったのが、今の主人である小川大地さんでした。
だけど、私は会うとは言ったものの、その二日前に病院へ初診で伺いました。
4月頃から頭痛が激しく、動悸や過呼吸になることもたびたびのため、近くの脳神経科でCTやMRIを撮ったけど、異常なし。
内科に行って呼吸器検査をしても異常なし。
ただ、その内科の先生は幼少期からお世話になっているので、病状を話すと「すぐにでも心療内科にかかった方が良い」と言われて、それは12月の頃だったのですが、心療内科に電話すると2月まで予約で一杯ですとのことで、ようやくその予約診察日だったんです。
心療内科は重度の方も見えますが、そうでもない人も見えます。
個人名で呼ばれず、受付で番号カードをもらってから番号で全て呼んでもらえていました。
半分どきどきしながらも受けた診察の結果、「仮面うつ病。まだ軽度のものですね」という判断で、抗鬱剤・安定剤・睡眠導入剤・偏頭痛予防薬が処方されました。
実際に、この仮面うつ病という診断を下されたのは5月頃でしたが、処方された薬から、やはりうつ病なのかという思いがありました。
うつ病にもさまざまな種類があり、私は精神的に凹むことも時々ありますが、基本的にストレスを抱えると頭痛・咳・肩こりなどにきてしまう、身体にストレスが蓄積されるタイプでした。
この仮面うつ病は、うつ病の中でも軽度なものだということでしたが、治療の仕方はうつ病患者さんと変わらないので、薬物投与です。
眩暈も酷かったので漢方薬なども飲んで、延々と頭痛に悩んでいた毎日が解放されるようになって吃驚しました。
しかし、軽度とはいえ仮面うつ病なんて面倒くさそうな女を結婚相手に選ぶだろうか。
出会ってすぐに昼食を摂りに行ったのですが、その席ではっきりと告知しました。
というか、心療内科で薬を処方された時に、結婚なんてどうでもよくなってしまって、無気力というか、このまま頭痛で死ぬのかなぁってぼんやり思っていました。
ところが、「別にかまわないけど」という今の主人の一言から、あれよあれよという間に婚活サイトに登録して実に20日間ぐらいで、結婚を前提でお付き合いすることが決まってしまったのでした。
そう、ここまでの2月は良かったんです……。
紫月家には「私、結婚するけどイイ?」と聴いたら「はぁ? いつー?」なんて言うので「詳しくは決まってないけど、まぁ、段取りも色々あるし一年後ぐらいかなー」とぼんやりした返事。
実際、会った日の一年後である2013年2月吉日に婚姻届を提出して、現在は紫月香夜から小川香夜になってしまいました。
主人の家はとても複雑な家庭環境で、平々凡々と育ってきた私にとっては非日常的に世の中が回っていて吃驚することばかりですが、これ絶対ネタになるよな……。
なんてことをこっそり思いながら、起きたこと全てを記憶と記録に記しています。
その記憶と記録を追いつつ、拙い文章ではございますが、この嫁姑戦争を読んで頂けたら幸いです。