一弥捕物帖
陸奥守伊藤一弥狗羆が、江釣子江戸藩邸に入り一月が経過した。密かに期待していた幕閣への登用もなく、主立った仕事と言えるものもない。節季毎の将軍への挨拶以外は、藩邸で過ごすが、家老の鉄斎は別邸に居住しているため、話し相手もいず、無聊を囲う毎日だ。早くも望郷の念に囚われ始めた。
「和賀山塊に厚く積もった雪も漸く解け、ぶなの巨木に蓄えられた大量の雨水。昏々と湧き出す清水。水芭蕉の群生。里一杯に広がる水田は、この清水を満々と張ってもうすぐ田植え。村中のうら若い早乙女達の歌声。鳥が歌い、蝶が舞う。花盛りの野原。嗚呼、考えただけでその美しさに酔ってしまう。早く帰りたい・・・」
「ご家老鉄斎殿、お越しでございます」
近習が告げる。
「そうか、すぐ通せ」
「殿。おはよう御座います」
「おう、鉄斎。良きところへ参った。ワシはヒマを持て余していたところだ。何か面白い話でも聞かせてくれ」
「左様でございますか。私は梨絵姫様と楽しく暮らしております。昨日は南蛮渡来の洋菓子、摩訶論を二人で仲良く食し、ついで茶屋で食事を共にしながら、四方山話に花が咲きました。退屈どころか毎日が喜びにあふれ、精気に漲っております」
「気楽で良いのお。ワシはもともと働き者故、斯く何もせず日を過ごすことに耐えられぬ。お主、ワシに何か為ることを考えてくれ」
「う〜む。お殿様のご身分では、気楽に街中に出るわけにも参りますまい。市中には面白いことも沢山転がっているはず。・・・然らば、良き考えが浮かびました」
「ふむ。なんじゃ、それは。早く聞かせろ」
「されば申しあげます。元江釣子藩徒歩組に永井秀柚木という男がおりましたが、先般出奔。江戸は八丁堀の見廻り同心、叔父の永井玄馬の養子となりました。この程、叔父隠居が認められ、永井自身が同心に取り立てられ、腕利きの見廻り組として活躍しております。永井はもと私の腹心。頼めばなんなりと聞き入れる筈」
「うむ。しかし同心に何を頼むのじゃ」
「はい。実は私も梨絵姫も今の堅苦しい暮らしに飽き飽きしていました。ここで妙案がございます。私が永井の手札を貰った岡引、姫が私の糟糠の妻、そして殿は私の手下の下っ引きになって頂き、江戸市中に毎日のように起こる、難事件を解決していくという案でございます」
「何っ?ワシがそなたの配下となるのか?」
「おイヤですか?でしたらこの話、無かったことに致しましょう」
「おい。少し待て。イヤだとは言っておらぬ。しかし余りに突飛な案故、少々戸惑っておる。じゃが面白そうだの」
「そうです。殿様には町人のなりをして頂き、おお、そうだ、かって我らが討ち取った厩橋の安芸山の屋敷、あれは今取り壊され、棟割長屋が多数立ち並んでおります。あちらに住んでいただく。下っ引きは給金も少なく、他に仕事を持って稼ぐ必要がある。棒手振りの八百屋なんか如何でございますか」
「おい、左様早く話を進めるな。ついてゆけぬ」
「私の名前は鉄斎ではチト町人に相応しくない。「哲次」と名を改めましょう。姫は仮名で「りえ」、殿様は「かず」と呼ばせていただく」
「早とちり致すな。ワシはまだヤルともヤラヌとも申しておらぬ」
「殿様。退屈を持て余しておられるのでしょう。だったらヤった方がいいに決まっています。練習して見ましょう。おい、かず。ぼやぼやしねえで、ほれ、裏のお稲荷さんで賽銭がくすねられたと聞いた。行ってこい。怪しい野郎がいたら構わねえから、引っ括って来い!」
「へ、へい。親分。がってん承知。行ってめえります。おかみさん。あっしの夕飯、用意しておいてくだっせえ」
「上手いじゃないですか。そう、その調子だ」
家老の鉄斎におだてられすっかりその気になってしまった藩主、一弥狗羆。こういうことになると滅法に大活躍する梨絵姫も大乗り気で早速準備にかかる。三日後、殿様の大名髷は町人髷に、古手屋から薄汚れた縞の半纏、股引を買い込み、足袋裸足に草鞋を履くともう立派な下っ引き。出入りの棒手振りから天秤棒と大笊を買い、野菜を入れれば、しがない野菜売りに変身する。
「おいっ!かず。手前ェサマになってるじゃねえか。そこいら野菜売って歩くんだ。町場のおかみさんやばあ様に可愛がってもらえ」
「へいっ。じゃ親分。精々売ってめえります」
「お前ェが帰ってくる前に厩橋のヤサ、しっかり用意しておく。ついでにオイラのヤサはお前ェの三軒隣の、ちいっと小奇麗ェのしもた屋だ。そこで嬶アのりえと暮らす。十手や取り縄も用意しておく。早く帰ェれ」
「へい。親分。行ってめえります」
かくして、下っ引きで野菜売りのかずに身をやつした殿様。よろつきながら、町人の住む下町に向かった。
「ええ、野菜、野菜でごぜえます。陸奥は岩手産のうめえ茄子、南瓜、大根、牛蒡もごぜえます」
「ちょいとオ、あんた見慣れない顔だね。それに声が小さくて聞こえないヨ。八百屋っていうのはネ、まず第一に生ものを扱うんだから、威勢が良くなくっちゃいけない。それをなんだね、お前の声聞くと、野菜が皆萎びて聞こえる」
「へ、へい。なにせ今八百屋始めたばかりでごんすから」
「お前、訛りがあるね。クニは何処だい。何、岩手。そうか、そうか。あたいの爺様は何でも、岩手で百姓やってたんだが、食い詰めてこのお江戸にやってきた。お前さんもその口かい?そりゃ、気の毒だなあ。いいよ。買ってやるよ。お〜い。長屋のみんな。出ておいで。この兄さんの野菜買っておやり」
下町のおかみさん達は親切で優しい。慣れぬ一弥も長屋を一回りすると野菜は皆、売れてしまった。
「ぐ、ぐすん。おいら生まれてこの方、こんなに親切にしてもらったのは初めてじゃ。ありがとござんす」
空になった笊を担ぎ、意気洋々と厩橋の戌隈長屋に帰る。角にこ洒落た瓦葺の仕舞屋。哲次親分の居宅だ。玄関の格子戸をがらっと開ける。
「親分。只今戻りました」
「おお、かずか。早かったじゃねえか。どうだ、ちっとは売れたか?」
「へ、へい。お陰サンで。何とか売り切りました」
「かずさん。お夕飯の支度できてますよ。召し上がって行きなさい」
「へ、へい。ご新造さんのりえ様。毎度有難うごんす。え、遠慮なく頂戴します」
「おおよ。子分と言えば子も同様ってムカシから言われてる。たっぷり食べてくんな。オヤ、今日は蜆汁に大根の煮付け、目刺もついてやがる。コイツは豪勢だ。俺も一緒に食おう。りえ、俺の分もよそってくんな」
「あいよ。おまいさん。あたしもご相伴しようかな」
「そうとも、そうとも。メシは皆一緒の方が美味ェ。この卓袱台囲んでヨ、喰らうべえ」
十手持ちに変身した鉄斎改め哲次はとても暖かい。一弥はいっぺんにこの暮らしが気に入ってしまった。長屋の自宅に帰ると心地よい疲労から、一弥は煎餅布団に包まってぐっすり眠った。藩邸ではあり得ぬことである。いつも奥女中から衣服を着せてもらい、風呂では女が背中を流したり、身体を洗う。食事も魚は骨を抜いた冷え切ったもの。長屋住まいは気楽だ。誰に気兼ねすることなく、のうのうと気侭に暮らせる。朝一番で井戸端で顔を洗い、早速哲次親分のところへ顔をだす。
「おはようございます。あれ、りえ様。もうお掃除ですか?姉さん被り、とても可愛らしいですぜ」
「まあ、かず。早いのね。朝ご飯用意してあります。今朝はネ、葱と油揚げのお味噌汁と、蕪の浅漬け、それに納豆ですよ。たんと召し上がれ」
「へい。ご馳走さんでござんす。親分は?」
「もうとっくに済ませて、お前が使う十手を磨いています。黒皮巻きで赤い十手紐のついたお洒落なものです」
「何から何まで有難うござんす。これであっしも立派な十手持ち。きっちり働かせて頂きやす」
「おう、かずか。早えな。今日はナ、同心の永井様にご挨拶に行く。そのナリじゃみっともねえ。りえ。押し入れに俺の以前着ていた唐桟の着物がある。それ出してやってくんな」
おかみさんは綺麗に折りたたんだ紺地に白い矢羽根模様の洒落た着物をかずに着せて見る。
「似合うじゃねえか。誂えたみてえだ。この濃紺の角帯しめて、十手差しな。ぱっちにハゼ付きの足袋だ。おう、立派だ」
「親分。ぐすん、ぐすん」
「泣くなよ。一丁前の岡引の出来上がりだ。さ、早ェとこ行こうぜ」
「へ、へい」
厩橋から同心屋敷のある八丁堀は近い。吟味方筆頭与力川田晋左衛門配下の定廻り同心、永井秀柚木の屋敷はずらりと並ぶ同心屋敷の中程にある。百坪ほどの地所にこじんまりした門の奥に、手狭だが手入れの行き届いた庭もあり、瓦葺で漆喰壁、腰を焼き杉で覆った飾り気のない典型的な武家屋敷だ。哲次は慣れた様子で玄関に入らず、裏手の勝手口に向かう。
「御免なすって。旦那はご在宅ですか」
「これは、これは、哲次さん。生憎お勤めで外出しておりますが、もうじき戻るとおもいます。こちらの方は?」
「へい。お内儀。これはかずと申す、今度私の下っ引きに雇い入れた、棒手振りの八百屋でござんす。以後、お見知り置きを」
「まあ、そうだったの。賢そうな顔しているわ」
「おい、かず。ご挨拶をせんか。こちらは永井の旦那のお内儀、幸江様だ。旦那とはついこの間、駆け落ち同然で連れ添われた恋女房」
「哲次。余計なことは言わないで」
可愛らしい二十歳そこそこのおかみさんに、かずはおずおずと挨拶した。
「お、お初にお目に掛かりやす。手前かずと申します。歳は二十三になりやした。へい。奥州は和賀郷、江釣子村っちゅう、どえらい辺鄙な田舎に生まれ育ち、つい一月ほど前、このお江戸に出てめえりました。西も東もわがりまっせん。どうか、お手柔らかに願ェます」
「あら、私も武州溝口の在ですよ。かずさん、仲良くしましょうね」
小者に役所の書類を担がせ、永井秀柚木が戻ってきた。痩せぎすの体におどおどしたどんぐり眼。お世辞にも色男とは言いかねる。
「幸江。只今戻った。御用繁多での、忙しくて堪らぬ」
「旦那様。お帰りなさいませ。丁度哲次が来ておりますよ」
「座敷に上がって貰いなさい。幸江。着替えを手伝ってくれ」
同心特有の黒紋付の着流しを脱いで、普段着の結城木綿の筒袖に着替え、座敷に出る。
「待たせたの。与力の川田晋左衛門殿が中々離してくれんでな。大したことでもないのにくどくどと念を押す。いつものことだ」
「旦那。相変わらず愚痴っぽいですね。本日は今度手下に雇い入れた、このかずのご紹介で参ェりました」
「ほお、それがこの男か・・ん、この男どこかで見たことがある・・はて、思いだせんが・・ぎ、ぎえっ!と、と、と、殿様では御座いませんか。か、か、一弥狗羆様。て、鉄斎殿。貴殿より戯れに岡引に身をやつすから、手札を呉れという、お申し出があったことは、存じておりますが、まさか殿様までが、斯様な出で立ちをなさるとは。如何なる存念があってのことでしょうか」
「存念もクソもない。只、余は退屈でノ、鉄斎に頼み斯様な格好で、市中を歩きたいだけじゃ」
「し、しかし、殿。市中にはとんでもないワルもおります。そんな姿をしていれば、いつ何時賊に襲われるやに知れませぬ」
「構わぬ。ワシはノ、そのような悪者を引っ括る役目を仰せ付かったのだ。左様心得よ。以後、下っ引きに相応しく取り扱ってくれ・・永井の旦那」
「だ、旦那と言われてもナ・・解った。では容赦なく命じる。それで良いのだな」
「へ、へい。永井様。目一杯働かせて頂きやす」
「そうか。では早速御用の筋だ。今川田様からキツク申し渡された。お前も聞いたこともあろう、今、江戸市中を騒がしておる、緋牡丹お雪っていう女盗賊がいる。昨夜も蔵前の米問屋、岩手屋に押し入り、主人、番頭、手代を縛り上げ、隠してあった小判二千両を強奪した。名前だけは知られているが誰もその姿を見たこともない。尻尾を丸で掴ませぬ、稀代の大悪党だ。そのお雪を何としてでも、捉まえろと言われた。手がかりも無く捉まえろなんて無茶苦茶だ。哲次。なんとかしてくれ」
「左様で。畏まりました。かずと一緒に精々探索に努めましょう。蔵前って言えばあっしの縄張りでござんす。地元でノオノオと盗みを働いたとあっちゃあ、許しちゃおけねえ。ようがす。旦那。必ず良い知らせ持ってめえりましょう」
「親分。いいんですかい。そんな安請け合いしちゃって」
「かず。おめえは黙っとれやい。俺の言う事さえ聞いていればええ」
永井同心は安堵の表情を浮かべる。与力の川田様はとても厳しく、失敗は絶対許さない。その代わり命じることはいつも不可能に近い事柄ばかり。哲次親分の俊敏な手助けが無ければ、とっくのとうに馘首されている。哲次は肯んじたことは必ずやり遂げる男だ。永井は全幅の信頼をこの男に寄せている。
「哲次。それにかず。時分時だ。夕飯を食っていけ。おいっ。幸江。今日はこの二人を夕飯に招待した。いいだろう?」
「殿様。急にそんなことを言われても、準備が出来ません。でも他ならぬ哲次親分と可愛い子分のかずサンが、久しぶりに訪ねて下さったンですもの。宜しゅうございます。用意致します。その前にお二人でお風呂を行ってらっしゃいナ。その角を曲がった左側に湯屋、夏油があります。さっぱりしたところでご飯にしましょ」
「いいんですかい。お言葉に甘えて」
「無論です。か・ず・さん」
「おい。幸江。慣れなれしすぎるぞ。なんだ、その甘ったれた声は」
「甘ったれは貴方の方ですよ」
二人は手桶、手拭を借りて湯屋に向かう。広い湯船に浸かりのんびりする。洗い場に出るとかずは親分の背中を流しながら、ふと腹を見ると深い傷跡。
「お、親分。どうなすったんで。その傷」
「見られたか。ふむ、これはな、先年日頃の不養生が祟っての、腸閉塞という誠に厄介な病の罹ってしもうた。幸い近くに蘭方医の玄庵という先生がおられての。その先生に腸の悪い所を切り取って貰った時の傷だ。その時の苦しみはそれこそ七転八倒。傷跡が癒えるまで、動けずにいたのだが、その時にナ、梨絵様から献身的な看護をしていただいた。それで更に二人は仲良うなった」
「叉のろけですかい。少々聞き飽きた」
「生意気言うんじゃねえ。これからもたっぷりと聞かせてやる」
湯屋から戻ると永井の役宅には既に夕餉の支度が整っている。
「お疲れ様。さあ、たんと召し上がってくださいな。お口に合いますか少し心配です」
「ひえっ。美味そうじゃないですか。お刺身が付いている。煮しめも味噌汁も我が家とは大違いのご馳走だ」
「いつもはこんな贅沢はしませんよ。今日は特別」
永井と奥方は差し向かい。哲次とかずも膳を囲んで、自然に笑みが零れる。
「んめっ。ンめっす。こったらンめえもん、喰らったの、生まれて初めてでごんす」
「ま、かずさんたら、岩手言葉丸出しよ。可笑しいわ」
「面目ねえっす。奥様。おらこげな暮らし憧れておったンだす」
「おい、かず。おめえひょっとすると、こちらの奥様に懸想したのではあるまいな」
「おい。そんなことが、仮にもあったらば、ワシは許さんぞ。ただちに叩っ切る」
和気藹々、冗談を言い合って食事が終わる。
「旦那。そのお雪ってえ盗賊、何にもわからねえンでござんすか」
「うむ。単なる噂に過ぎぬのだが、何でも歳の頃は二十歳前後。侠気があって面倒見がいい上に色気たっぷりの非常な美貌で男勝り。盗賊仲間にゃあ、大人気」
「大枚のお宝、獲って若い身空、一体ェ何に遣うんでござんしょうねえ」
「そこだ。博打が三度の飯より好きってえ、話もある」
「ふむ。博打ねえ・・・。おい、かず。江釣子藩下屋敷が下谷にあるな。あすこの足軽長屋じゃ、毎晩陸尺や奴共、不逞の輩が集まって、開帳していると聞く。おめえ、あすこに潜り込んで、他の博打場の噂、探って来い」
「あっしがですかい。博打なんていうもんは、見たことも聞いたこともねえ」
「あんなもんは簡単だ。要するに丁か半かだ。賽の目が偶数か奇数か当てりゃいいんだ。いいか、潜り込んだら度胸を決めろ。オドオドしてたんじゃ、すぐ叩き出されちゃう」
かずは騙されたとも知らず、不承不承旦那と親分の指図に従い、翌日夕刻、下谷下屋敷に出むいた。門番に話を通してある。足軽長屋は門脇の汚い藁葺きの大きな建物だ。
「ちぇっ。親分ときたら人使いが荒ェ。したけあの貫禄にゃ、負けちまう。親分が歩くと街歩ってる人間は皆丁寧に挨拶するし、若い女共は親分サン、寄っていかないなぁんて声掛けちゃう。永井の旦那は意気地がねえし、だらしねえ。所帯を持ったばかりだっちゅうに、もう奥様の尻に引かれてやがる。そこ行くと親分はてえしたもんだ」
独り言をブツブツ言って、待っていると、髭もじゃの大男の足軽がぬっと顔を出す。
「おめえか。丁半やってみてえっちゅうバカは」
「へ、へい。あっしはかずっちゅう三下でござんす。思わんとこから、一杯ェオアシを手に入れましたんで、ちょっくらアソバして頂こうかなんて思いました」
足軽はいい鴨が来たとほくそえんだ。
「おうよ。一元サンは入れねえって決まりじゃが、哲次親分の紹介じゃ、仕方あんめえ。入ェっていいぞ。こっちだ」
饐えた臭いのする一際汚い土間の一角に、これまたヒドイ悪相の男達が盆茣蓙の周りに集まって、博打の真っ最中。
「新入り。こっちだ。おめえはここに座れ」
「へ、へい。ば、博打は初めてでごんす。お手柔らかに願ェます」
「やいっ。三下。手前ェ、おタカラ幾ら持って来た?」
「へ、十両でござんす」
男達は皆にやりとする。精々百文の賭け。十両もあれば十年遊んで暮らせる。寄って集ってこの男の金全部を巻き上げるのだ。暫くすると、忽ち持って来た金は掠め取られてしまう。
「お、親分サン方。結構面白ござんした。あっしはこう見えてもヤサに澤山、オアシを隠しもっておりやす。生意気言って申し訳ござんせんが、もうちっと、でっけェヤマ踏みとうなりやした。何処かご存知でしょうか」
「貴様。何をでけえこと抜かすンでい。そうさナ、おいら三日前に回向院下の賭場でよ、それこそ百両、二百両の掛け金が飛び交うの見たぜ。場を仕切るのは、後家殺しの哲ちゅう関東一の大親分。客筋も凄ェ。おい、聞いて驚くナ。今江戸市中を騒がす、アノ、緋牡丹お雪がナ、真中にどっかり座って、張っていたのよ。一回に張る金はナント五十両。驚くじゃねえか」
とんでもない情報を掴んだかず。飛ぶように哲次親分の家へ駈け戻った。
「お、親分。てえへんだ」
「なんでい。かず。そんなに慌てやがって、何か仕入れたか」
「仕入れたかなんてモンじゃございやせん。正に金的。大当たりでごんす」
「精しく話して聞かせろ」
「まずはお茶を一杯」
「ずうずうしい野郎だ。りえ。こいつに出がらし飲ませてやってくんな」
「まあ、かずサン。汗びっしょり。これで拭きなさい。お前の好きな塩瀬の大福がありますよ。お食べなさい」
「へい。有難うござんす。おかみさんも一緒に聞いてください。親分の言いつけ通り、江釣子藩下屋敷に出向きました。やはり賭場が開かれており、あっしはわざと目一杯負けました。したら、気を良くした足軽が、とっておきの話を聞かせてくれました。旦那方が必死に探索している、緋牡丹お雪が回向院下の荒れ寺の賭場に、姿を現しました。現しただけでなく、大枚の金子を張って、博打を楽しんだそうです」
「でかした。かず。良くやった。りえ。酒だ。夕飯はお頭付にして、目一杯食わせてやれ」
「あれま。かず。親分は今日一日、大層気を揉んでいましたよ。お前のことが心配で落ち着きませんでした。どやしつけて下屋敷に行かせたものの、悪い奴に殴られてイヤしないかと、オロオロ」
「へい。親分さんは貫禄があるようで、実は気の小さなヒトだったんですね」
「バカ。言わせておけば」
豪華な夕飯を済ませた三人は、額を寄せて作戦会議。岡引と手下が賭場に乗り込んだら、皆すぐに逃散してしまう。大店の旦那と丁稚。それに妾の三人連れに変装し、お雪が出没しそうな時間に出向くことにした。この前お雪が賭場に現れたのは、多分岩手屋で強奪事件のあったい五日後。今度盗みを働くのはいつごろなのか。それまでは周辺の聞き込みを丹念に行い、荒れ寺の所在やお雪の動向を探ることになった。哲次は岩手屋に出向いて、盗賊の忍び込んだ時の精しい有様や行動を確かめる。
御用のあるとき以外、かずは野菜売りに精を出した。生来の女好きである。先日伺った永井の奥方幸江様の可愛らしくも愛嬌のある顔が忘れられない。ついつい、足は屋敷のある八丁堀方面に向かってしまう。
「奥様。こんにちは。今朝はいい蕪と茄子を持ってめえりました」
「あら、つややかでいい色ネ。頂くわ。かずサンの持ってくるお野菜、とっても新鮮で美味しいの。明日も叉来てネ」
「へい。幸江様.。今日は特にお美しいです」
「まあ、本当?お世辞でも嬉しい」
そんなふうに毎日、幸江と言葉を交わすのが楽しみでしょうがない。時には朝、昼、晩と一日三回も顔をだす。密かに藩邸に戻り、郷里江釣子から早便で送ってきた、猪の肉を手にいれると、大根、牛蒡、人参、白菜、蒟蒻、豆腐、シメジを笊にいれ、もう一方の笊に藩邸の台所から持ち出した鉄鍋と一升徳利を入れ、意気揚揚と永井の屋敷に出向く。永井が留守である昼前にだ。
「幸江様。いいものが手にへえりました。本日は手前が美味しい猪鍋をお作りし、奥様にご馳走して差し上げます」
「猪鍋?話には聞いたことはあるけど、実際食べたことは無いわ。かずサンが拵えてくれるの?本当?嬉しいっ」
「へい。可愛い奥様の為なら、何でも致します」
「か、可愛いだなんて。じゃ、お言葉に甘えさせて頂きます。かずサン。そのままでは着物が汚れてしまいます。私の普段使っているお前掛けを着けて下さいネ。私もお手伝いしましょう。竈に火をいれます」
甲斐甲斐しく、幸江様はたすきを掛け、かずは前掛けを着けて、並んで土間に立つ。
「まな板はコレですね。まず、包丁で肉を切り分けます。一分くらいの厚さに薄く削ぎ切りします。わたしが手を添えて差し上げます。さあ、切ってみてください」
「出来るかしら。あら、曲がってしまいました」
「大丈夫ですよ。幸江様の手、滑らかでしっとりしております。ずっと触っていたい」
「だめよ。そんなことしてたら、お料理が進みません。あらっ、いけません。貴方の手今度は私のお尻触っていますよ。お料理に関係あるんですか?」
仲良く材料を切り、抱き合うようにしながら鍋を火に掛ける。
「肉を湯通しします。次に鰹節は削ってありますね。ユキちゃん。それを煮立った湯に入れましょう。大根は短冊、牛蒡は笹がき、葱と白菜はブツ切り、蒟蒻は手千切りです。出来ましたか」
「ユキちゃんだなんて。嬉しいっ。はいっ。できました。これでいいの」
「お上手です。肉をさっき作った出し汁に入れ、ついで野菜を固いものから順次入れます。暫く煮込み、柔らかくなったら、砂糖、白味噌、赤味噌で味を整えます。簡単でしょう。その間にご飯を炊きましょうネ」
「貴方がこの前持ってきてくれた、ひとめぼれですね。あれ美味しいです。かずサンってやさしいわ。宅の永井なんて何にも手伝わないし、第一ブ男でしょう。あんな人のお嫁さんにならなければ良かった」
「さあ、出来ました。食べましょう。その前に一杯如何ですか。岩手の美味しい酒です」
「わたしそんなに飲めないの」
「いいじゃありませんか。まぁ、一杯」
薦められるまま、幸江は杯を重ねてしまう。いつかかずは奥様の隣に座り、腰を抱いている。
「さあ、肝心の鍋を食べましょう。ユキちゃん。食べさせてあげる」
「お肉柔らかいわぁ。野菜も味が沁み込んでとっても美味しい。もっとたべさせてェ。あ〜ん」
「はい、はい。今度は口移しして上げましょう。ユキちゃんのお口、フワフワです。舌を入れますよ。貴女もご自分の舌を、私の舌に絡ませてくださいネ」
「あたし、少し酔ってしまいました。胸、撫でてください。張ってしまったのよ。疼くのです。ヤサシクね」
「ちわっス。どなたかいらっしゃいますか?」
「げっ。親分の声だ」
がらっと玄関の戸が開き、哲次が居間で絡み合っている二人を見てしまう。
「おいっ!かず。手前ェ自分の今やっていることが解っているのか。その方はな、俺に手札を下さっている永井様の奥様である。こともあろうに奥様とこのような不義を働くなんて、情けねえ」
「ま、まだシておりやせん。奥様がお寂しそうなんで、お慰めしていただけでごんす」
「て、手前ェ、言い訳ならもうちっと気が利いた台詞言えってんだ。バカ野郎。永井様に知れたら大変なことになる。この場は俺にまかせろ」
「へ、へい。親分さん、ホンの出来心でござんす。それに幸江様もおいらのこと憎くからず想ってお出です。永井様はこんなお綺麗な奥様を放って、仕事ばかり」
「解った。そのうち何とかする。いいか。今日のことは見なかったことにする。お前ェもこちらには来ていねェ。そうですね、幸江さま」
「親分・・・私、かずサンの次に親分のことが好き。永井はキライ」
「これまた、はっきり仰る。よござんす。このこたぁ、あっしの胸の内に仕舞っておきやす。かず。良かったな。お前ェは今、やらなきゃいけねえ仕事がある。そっちへ戻れ」
言うまでも無く、盗賊お雪の探索だ。これまでの調べで賭場が開かれる荒れ寺の所在は解った。問題はいつお雪が盗みを働き、賭場に現れるかである。永井を先頭に哲次は手下と共に警戒を強め、日本橋や京橋などの大店に張り付いてお雪が現れるのを待った。昨晩予想外に叉も地元蔵前の幕府お金蔵が破られ、小判三千両が消えたとの知らせがあった。与力川田晋左衛門は南町奉行遠山左衛門丞に呼び出され、大目玉を食った。お叱りは下に下がるほどきつくなる。岡引の哲次まで降りてきたときは、それこそ天地がひっくり返るような大叱責。こうなると賭場に入り込む筈のお雪をしょっぴく以外に方策はない。
かずは荒れ寺の前を流れる竪川の茂みの中に、じっと菰に包まって待つ。お雪がやってきたら即座に両国橋を渡って、日本橋の料理茶屋で泊り込んでいる、哲次とりえのところまで走る積りだ。梅雨時で毎晩雨。菰は雨が通って芯までびしょ濡れ。盗みがあった五日後の晩を過ぎても誰も現れぬ。
「あ〜あ、ユキちゃんの肌が恋しい。ヤりたいよお」
独り言を呟いていると、正にそのユキが握り飯の差し入れを持ってきてくれる。
「ご苦労様。おツトメ大変ね。頑張ってください。昨日ネ、主人に貴方のこと話したわ。そしたら、モオ、びっくり。もし、もしもかずの働きで、盗賊が捕らえられたら、主人は私と別れてかずと一緒になってもいいと言ったのよ」
「ほ、本当ですか。でも何故、恋女房のユキちゃんと別れてもいいなんて言うンですか」
「あの人、筆頭与力の川田様に一昨日、呼び出され叉大目玉。川田様はお雪を召し取れなければ、永井は切腹。こう申されたのよ。ですから、もう必死。哲次とかずに賭けているの。かずが頑張る為、私を差し出すつもりなのよ」
「そ、そうなんですか。あっしは死に物狂いに頑張ります。貴女と一緒になるために」
「うれしいわ。もう行くね。人に見られると拙いから。お別れよ。口付けして」
その晩も何事も無く空しく過ぎた。茂みに隠れて七日目の晩のことである。じとじと降り続いた雨が、夕方に止み、辺りにちらほら火の灯る頃、動きがあった。人気のない筈の荒れ寺に、何時の間にか明かりが見える。暫くすると子分を大勢引き連れた、背の高い総髪の痩せた男が中に入った。噂に聞く後家殺しの哲らしき男。大した貫禄だ。
「・・・ぐびっ。ひょ、ひょっとすると壷振りの女郎蜘蛛の理慧も表れるかもしんね・・・」
豪勢な飾りをつけた、大きな駕籠が着いた。夜目にも鮮やかな派手な衣装に身を包んだ大柄の美女が出てくる。抜いた袖から真っ白い肩を露わしている。物凄いお色気だ。肩に真っ赤な女郎蜘蛛の刺青。
「げっ、やはり女郎蜘蛛。今夜はお雪も現れるに違ェねえ。こうしちゃいられねえ。ご注進、ご注進」
かずは眠気を吹っ飛ばすと、飛び起き料理茶屋まで疾走する。
「お、お、親分。で、出ました。哲と女郎蜘蛛。お雪もじき、表れるに違いありやせん。急ぎましょう」
「やっと表れたか。待たせやがって」
哲次は大店の主人らしい豪華な紬の衣服、りえは芸者崩れが着るような派手目の服、かずは丁稚らしい木綿の縞柄の丈の短い着物に股引姿に着替える。
「俺は日本橋の海産物問屋、和賀屋主人徹兵衛。妾のりえ、丁稚かずの名はそのままだ。しくじるんじゃねえぞ。行くぜ」
呼んであった駕籠二丁に主人とりえが乗って、かずは大きな長持ちを背負って徒歩。荒れ寺は目と鼻の先だ。寺の前には人相の悪い子分達が出入りの人間を改めている。
「ちょっと、待った。お前ェさん方、見かけん面だ。どちらさんで」
「わたしのことですか。わたしは日本橋は室町で海産物問屋をさせていただいております、和賀屋徹兵衛と申します。見張りご苦労様でございます。どうぞコレをお収めくださいませ」
哲次は見張り役の元締めらしい、髭面のやくざの袖に紙包みを入れる。男は中を改め仰天した。二十両入っている。下っ端に耳打ちする。
「おい、親分サンに注進しろ。門前に徹兵衛とかいう、金を一杯持った、妙な爺が来た。通していいか聞いてみろ」
やがて下っ端が走り出る。
「親分が直に面通しされるそうだ。裏口にご案内してくだせえ」
「よし。徹兵衛さんとやら。親分が会われる。こちらへ」
哲次等は寺の中に招じ入れられびっくりした。外側は軒は傾き、障子は破れ、壁も黒ずんで、見る影もないが、中はすっかり改装され、畳、襖の新調は勿論、柱、造作、壁も一新して、豪華な造りになっている。三人は調理場脇の十二畳ほどの方丈に案内される。座布団三枚重ねの上に、銀煙管を燻らした後家殺しの哲。寄り添うようにしな垂れかかる女郎蜘蛛の理慧。
「お前ェさん。和賀屋徹兵衛とか言われるそうだが、近頃ショウバイの方はどうでい」
「やくざ者に答える筋合いでもないが、ま、何とかやっている。郷里の岩手、三陸に産する干鮑、干貝柱、鱶鰭、蝦、海鼠、昆布などの海産物を、持ち舟三十隻に積んで江戸に運んでおる。一航海で凡そ十万両の稼ぎだ。年に十航海は楽にこなす。百万両ほどの揚がりじゃ。日本橋の本店はお陰様で間口五十間で、江戸一番の大店。こんなところで博打場を開帳しているオマイさん方は、知る由も無かろうが」
「ほオっ。一回十万両たあ、てえした商いだ。そちらさんは?」
「あたしの事かい。元は辰巳芸者サ。今は旦那の世話になってるりえっちゅうもんだ。お見知りおきを」
「おい、理慧。お前ェも確か、辰巳で芸妓やっていたな?この女知っているか?」
「あたいが、芸妓はっていたンは、十年も前ェのこと。知らんナ。それにしても顔が似てる。身体つきもそっくりだ。イヤだねえ」
「マア、いいだろう。今日はたっぷり遊んでいきなせえ」
「初めて遊ばせて頂くのに、生意気申し上げますが、私はあまり時間がない。二両、三両のケチな勝負はやりたくありません。大きな勝負、二、三回でお暇させてください」
「そうか。丁度いい。今日はお雪サンっちゅう、気風のええ姐さんがお出でだ。野郎共、お雪以外の客断っちまえ。こちらの旦那とサシの勝負していただく。よござんすね」
子分達はパァっと散って、夫々の持ち場につく。やがて、目立たぬ黒色に塗った忍び駕籠がひっそりついた。図体のドでかい子分が三人付いてきている。
「アネさん。着きやした」
「そうかい。辺りに人はおらんよね」
「へいっ。誰もおりません」
油断無く廻りに目を配る子分達。ゆっくりした足取りで黒い留袖に浮かび上がるは夜目にも鮮やかな緋牡丹。言わずと知れた緋牡丹お雪。長い黒髪を結い上げ、金簪で留めている。唇、手指の爪を赤い濡れ色に染め、黛は濃青色。年の頃は二十歳には届かぬ、稀に見る美貌。出迎える哲の身内も丁寧にご案内する。
「お雪様、ご到着です。さ、さ。こちらでございます」
四面狩野探幽の襖絵に飾られた、長二十畳の広間は中央に細長い総漆塗りの卓、卓の左右に分厚い絹座布団がずらりとならんでいる。卓正面に尾形光琳筆と見られる五双の金屏風。前に大座布団が五枚積み重ねられ、後家殺しの哲がふんぞり返って座っている。
「緋牡丹の。遅かったじゃねえか。本日は普段と違う場、張らせてもらう。この和賀屋徹兵衛とのサシの勝負じゃ。壷はいつもの女郎蜘蛛が振らしてもらう。いいな」
「おいっ。哲。いい度胸してるじゃねえか。この緋牡丹お雪はナ、そん所そこらの小金持ちにゃ、興味がねえ。このクソ爺、何処の誰だか知らねえが、あちきと勝負するキンタマぶら下げてんのか」
「威勢のいい小娘だな。如何にもワシはあんまり人様には知られていません。しかしな、お雪さんとやら、一航海で十万両もの稼ぎのある商人は他にはおらん。ワシは毎期確実にそれ以上の見入りがある。しかもその金をチマチマ貯めこまず、一晩で散財するのが楽しみでの。ほっ、ほっ、ほっ」
「へん。でけえこと抜かしやがったナ。いいだろう。このお雪が、手前ェのアブク銭、そっくり頂戴してやらあ。ケツ巻いて逃げ出すなよ」
「言わしておけば、いい気になりおって。そっちこそ、素っ裸にヒン剥かれて泣き喚いてもしらんぞ」
「どうやら、ご両人、やる気になったようだ。そろそろ勝負、ぶっぱじめようか。おいっ、理慧。盆用意してくんな」
「あいよ。おまいさん」
卓上に白絹が敷かれ、西陣織の広縁と極上本井草を織った三尺角の盆茣蓙と藤蔓を編んで和紙を張り柿渋で固めた壷を置く。賽は一寸角もある鹿の角で作った一品。理慧は肩袖ばかりか、諸肌を脱ぎ、透き通った紫紺の襦袢から豊満な双の乳房を覗かせ、肩膝を立てると、真っ白な太ももが露わになる。肩の女郎蜘蛛の刺青は、白肌から浮き上がり、今にも這い出しそうだ。理慧の前は卓を挟んで、和賀屋徹兵衛と緋牡丹お雪が並んで座る。徹兵衛の横はりえ姐さんとかず。お雪の脇は引き連れてきた巨漢の子分達三人が膝詰で座る。理慧の両脇は哲の主だった子分達が油断無く見張っている。
「だ、旦那。姐さんのアソコ、見えそうです」
「かず。おみゃーは黙って勝負見とくんだ。見とれ、今度はお雪が競り合って脱ぐゼ」
「げっ、本当だす。お雪サン、全部脱いじまいました。ぐびっ」
若いかずには目の毒。お雪は諸肌脱ぎどころか、襦袢も下ろして丸裸。耳と臍には金剛石が嵌め込まれている。そのままゆっくりと髪を掻き揚げるものだから、かずの目は点だ。
「おい。坊主。見るんじゃねえ。あちきが勝った暁にゃ、観音様拝ましてやる」
「か、か、観音様って?」
「何れ解るサ。それよりも女郎蜘蛛。毛転がしなんてやらかすンでねえぞ」
「バカにおしでないよ。このあばずれが。こうみえても、この理慧はナ、いかさまやるほど落ちぶれてはいねえ。正真正銘、真っ向勝負で勝ち負け決めておくんなさい」
「二人ともいい加減にせい。胴元のワシから申す。勝負は三本。賭け下限は五百両。ゾロ目は二倍。ピンゾロは五倍とする。ご両人共金はふんだんにお持ちのようだ。テラ銭は〆て五百両。よござんすネ」
「私には異存はない。只、お雪サンのは自分の金では無いようだ。だから上限もあるのでは無いのか」
「爺ィ!しゃら臭ェ。あちきのおっぱい見てトチ狂ったのか」
「確かにお前の胸は立派だ。だが同じ胸でも理慧姐さんのモノの方が、格段とカタチが良さそうだ」
「胸自慢はそれくらいにして、と、ぶっぱじめますぜ。理慧始めろい」
「定めによりまして、まずは口上述べさせていただきやす。手前生国と発しますは房州は上総、長柄にござんす。幼ェ時分より天から授かったこの美貌、あまた擦り寄る男衆共を手玉に取ってめえりました。此度、関八州にその名轟かせる、この哲親分サンのご贔屓に預かり、情婦として役目果たしております。賽を転がすのは、赤子時分より得意の技でござんす。人呼んで女郎蜘蛛の理慧たあ、あちきのことでござんす」
後ろ向きになって、薄物の襦袢を肩から滑り落とさせる。純白の柔肌の背中一面に艶やかに掘り込まれた刺青。極彩色の地獄蝶が今正に真っ赤な女郎蜘蛛に食い殺される瞬間を描いた図柄。
「ぐびっ。蜘蛛が蝶を食っている。それにしても凄ェお色気」
「お二人さん。勝負は三本。恨みっこナシ。始めさせていただきやす」
腰の廻りに晒を巻いただけで、上半身素裸の理慧は、賽を左手小指と薬指、中指と人差し指の間に挟んで、眼前に掲げる。右手には飴色に光る壷。熱気で白肌が桜色に染まり、顔は紅潮。壷と賽を二三度素早く交差させたかと思うと、瞬時に賽を壷に投げ入れ、茣蓙に伏せる。乳房がぶるんと振るえる。壷を静かに振って中の賽を落ち着かせ、キッと眦を上げ前の二人を睨む。
「駒、入りました。張ったり、張ったり」
「徹兵衛。お前ェが先だ」
「半方、五百」
「お雪、今度は手前ェだ」
「丁。五百」
「丁半駒揃いました。勝負!」
伏せた壷を理慧が真っ直ぐ上に引き上げる。
「二、六の丁!」
「へん。口ほどもねえ、田舎成金メ。このお雪と勝負すんなんて十年早ェ。尻尾巻いて帰ェんな」
「勝負は始まったばかり。馬鹿アマ、調子に乗ンな」
「二番勝負!」
再び理慧が見事な手捌きで賽を振る。掛け金は双方千両。これも雪が取る。
「どうやら、爺ィ。年貢の納め時なようだ。理慧姐さんとあちきの色気に、すっかり毒気を抜かれ、単なる色呆け爺に成りやがった。そろそろお開きにして家帰ェってセンズリでも掻きやがれ」
「こくなよ。これからだ。最後に俺が勝つ。筋書き通りだ」
「ふん。そういうの年寄りの冷や水っていうんだ。ケツの毛抜かれ、泣き縋ってもオナサケはかけねえから、承知しとくんだノ」
「二千両ずつの大勝負。お二人さんヨ。宜しゅうござんすね。理慧、やれ!」
「お言葉に寄りまして、最後の大勝負、駒振ります」
流石の姐さんも計四千両という目も眩む大金が賭けられた、一世一代の勝負、緊張が隠せない。暫し、瞑目し気を落ち着かせる。
「おい、これを飲みナ」
酒を並々と注いだ茶碗を差し出す。ぐいっと一気に飲み干すと、忽ち背中の女郎蜘蛛が紅蓮に染まって、動き出す。妖しい隠微な光景。
「お待たせ致しやした。行きます!」
壷に賽が投げ込まれ、からっと音がして激しく揺すられ、瞬時に伏せられる。
「駒入りました!」
「丁」と徹兵衛が鋭い声を上げる。雪は「半」を張る。
「よござんすね。駒開きます!勝負!・・・・・・ピンゾロの丁!勝ち。徹兵衛方、定めに従い金二万両!」
「うぬっ。爺ィ。やいっ、手前ェら、ボケっと突っ立っていねえで、この爺ィをブチのめして、さっさとずらかろうゼ」
「りえ、かず!今だ。召し取ってフン縛れ。御用だ!」
ぎらりと十手を抜き、徹兵衛、りえ、かずの三人が立ち上がる。
「て、手前ェ、御用聞きだったンか。逃げろ」
「もう逃げられねえ。この寺、十重二十重に捕り方が囲んでいる。やい!お雪。お前ェ今江戸中を荒らし回っている大盗人だな。証拠は挙がっている。ワシはのお、和賀屋徹兵衛たあ、仮の名。その実、厩橋が縄張りの御用聞き、蔵前ノ哲次って言う岡引だ。よおく覚えとけ」
哲次が呼子を鳴らすと、外がぽっと明るくなって、四方から「御用だ」「御用だ」の声が騒がしく聞こえる。りえが懐に隠し持った取り縄をするするっと投げ出した。縄は蜘蛛の糸のように粘って、お雪の首の廻りに巻きついた。りえが縄を引き絞る。お雪は堪らず前にのめる。
「それっ!かず。ぐるぐる巻きにしちまえ」
そうはさせじとお雪は短筒を取り出し、ズドンと一発。硝煙が立ち込め、轟音で何も聞こえない。
「か、かず。大事ないか」
「お、親分。あっしは無事でやんす。親分は?」
「俺も無傷だ。じゃ、弾は誰に当たった。お、お、おいっ!り、り、りえっ!!あれ、りえじゃねえ。理慧姐さんが撃たれた。き、傷は浅いぞ。しっかりせい。かず。お雪は人を殺めやがった。やっちまえ!」
かずは渾身の力を込め十手をお雪のこめかみに打ち下ろす。げェっと唸って忽ち失神。かずは縄をうつ。
哲親分が泣きながら理慧姐さんを抱えている。
「り、理慧。死んじゃなんねえ。お前ェは不幸な女だった。芸者に売られ荒んだ暮らししてたのを、俺が請け出してやった。お前ェの幸せはこれからだっちゅうに、ここで死んじゃなんねえ」
「おい。まだ息があるぞ。弾は心の臓を逸れている。かず!お雪は俺が抑えておく。お前ェ、俺の傷直した玄庵先生呼んで来い」
捕り方が踏み込み、お雪は永井に引っ括られ、大番所に連れて行かれた。かずが老医師玄庵を引っ張って連れてくる。方丈に運ばれ布団に寝かされた理慧。出血多量で呼吸が定まらない。哲は枕元でオロオロ。狼狽しきっている。行きがかり上、りえ、哲次も見守っている。
「理慧。おい、理慧。頑張れ。死ぬな。お前ェが死んだら俺も死ぬ。医者はまだか?」
「医師の玄庵だ。そこをどけ」
「せ、先生。理慧は助かるんでしょう?助けておくんなせえ」
「弾は脇腹を貫通しておる。幸い肺や胃には当たっておらんようじゃ。今止血し特効の秘薬曼荼羅華を擦り込む。今晩が山場だ。そこの男。付き添って看病してやれ。そうだ、そこの女。お前も手伝え。激しく身体中が発熱する。裸になってこの女に被さり冷やすのだ。身体が熱くなったら水を浴び、自分の身体を冷やし、叉覆い被さるのじゃ。これを繰り返せば、熱は下がる」
「そ、そうですか。理慧姐さんはアタシと何もかも似通っている。何かの縁だ。宜しゅうございます。目一杯看病しましょう」
「あ、ありがてえ。親分サン、子分サンもどうぞ宜しく願ェます」
「よございます。おい、かず。りえ姐さんに水掛けてやれ」
全裸になり水を被ったりえが理慧に覆い被さる。すると不思議、胸も尻も手足も上下ぴったり重なって、まるで鏡に映したようである。一晩中何度も繰り返し身体を冷やすと、明け方漸く熱が下がって、呼吸が落ち着いてくる。
「もう大丈夫だ。あとは自ら傷が癒えるのを待つだけだ。気がついたら滋養のある、消化の良いものを食わせてやれ。若い娘だ。きっと良くなる。安心せい」
「あら、哲サン。この子気が付いたみたいよ」
「・・・ここは何処?・・・・助かったの?」
「そうだ。お前ェはすんでの所で助かった。哲次サン、かずサン、それと一番中身体を張って骨折り下さったりえ姐さんのお陰だ」
「理慧さん。気分はどう?でも不思議。私貴女と全てが同じ。ねえ、貴女は房州長柄の生まれって言ってたけど、本当なの?私、死んだ母から、お前には、幼い時分生き別れになった双子のお姉さんがいるって聞いていました。もしかして貴女、私のお姉さんじゃない?名前も同じですもの」
「・・・もし姉妹なら、太ももに蜘蛛に似たアザがあるはずよ。私には、ほら、はっきりとここにあるの」
「あら!私もあるわ。じゃ、お姉さんなのね。逢いたかったわ」
ひょんなことから双子の姉妹と知った二人。看病に熱が入り十日もすると立って歩けるようになった。一方、哲次とかずはお雪逮捕の翌日、連れ立って与力、川田晋左衛門を表敬訪問した。川田はお雪捕縛に大きな功績のあった、二人を賞し約束どおり、かずと幸江を娶わせたのである。