Scene.1 シリウス
人口五千人、海に面した丘陵の裾野に、風浦町はあった。
筒見晴彦は、いわゆる心臓やぶりの坂を、自転車で越え、日丘高校に通っていた。片道一時間。そろそろ原付の免許がほしかった。
通うのに一苦労だが、坂の上にあるだけあって、そこからの眺望は素晴らしい。星空も綺麗で、天文部があるが、望遠鏡に“のぞき”のイメージがあり、よく揶揄されていた。そんなことだから、一年の部員は晴彦だけで、複数の部活を兼部しており、一度しか顔を出したことがなかった。
晴彦は息を切らしながら、駐輪場に自転車をとめる。冬の海風はあまりに寒く、朝の日差しは心もとない。自転車をこいだおかげで体が温まっているが、もし原付で来ようものなら、凍え死んでいるだろう。
考えを改めよう。何度目になるか、そう思った。
校舎に向かう途中、校庭では人数の足りない野球部が、朝練をしているのを見た。
「朝から大変だな」
友人の姿を見て、思わずそうもらした。
「おはよう」
不意に後ろから声をかけられる。振り返ると、頭一つ下に、防寒具完備の少女がいた。
「おはよう」
それに犬井奈緒子は、すぐに横をすり抜けていく。学年あたりの人数は百人もいない。クラスも三つ。半分近くが、小中学校からの顔見知りで、犬井もその一人だった。
会えば挨拶する程度の仲。それ以外の接点を上げれば、委員会が一緒だということぐらいだった。
委員会は押し付け合いである。一部の人気部署は、さっそく立候補者で埋められるが、図書委員だとか、面倒くさそうな委員は、「あいつでいいんじゃない?」という誰かのつぶやきで、ほぼ強制的に決められる。
晴彦は、広報委員に「暇だろ?」という理由でさせられた。反論しようにも、空気に押し負けた。自分は少し、気が弱いのかもしれない。
地学の堀田先生は、中年男性らしい、腹の出た体型だが、童顔で愛嬌がある。天文部の顧問だが、それ以外にも理科部、バードウォッチングのサークルの顧問をしている。晴彦は理科部で、ウーパールーパーの繁殖を手伝っていた。理科室の壁際に水槽が縦に横に連なり、数十匹のウーパールーパーが飼われている。可愛い容姿に反して肉食で、それとは別に、餌用のメダカも育てている。
堀田先生の授業は、よく脇道にそれる。日食だかの時は、教室をぬけだして、クラス全員で屋上に見に行った。準備がいいもので、ガラスを火であぶって焦がしたものを、もんなでサングラスがわりにした。
その堀田先生が、また脱線する。
「みんなは宇宙人はいると思うかい?」
挙手を求めてくる。大半が「まあ、いるんじゃないか?」だった。晴彦も“いる”派だ。
「この前ね、ヨーロッパが打ち上げた探査衛星が、はじめて太陽系の外にある、岩石で構成された星を発見したんだよ」
「へぇ」
と誰かが相槌を打つ。
堀田先生は、なおも続ける。
晴彦は、いたら面白いだろうな、程度に聞いていた。
放課後、委員会に向かう。
各クラスから二人ずつ、三年生をのぞく二学年だから、人数は十二人。本来なら。
二年生は、たまに顔を出す先輩がいたが、常駐は委員長の斉木十郎だけだった。同学年は、最初から顔を見せていないクラスもいた。
もはや委員会としての活動はままならず、斉木の独壇場となっている。顔を出さなくてもいいのだが、律儀さという名の気の弱さと、同じクラスのもう一人が、犬井だということで、晴彦は参加していた。
犬井もよせばいいのに、毎週顔を出し、それ以外の活動も参加していた。晴彦はそれについていく形だ。
今日も空き教室に集まり、晴彦らを含む一年生四人と、委員長の斉木、計五人で集まっていた。
きわめて危うい委員会だが、委員長の斉木でもっていると言っても過言ではなかった。去年まで実質、何の活動もしていなかったらしいが、斉木が二年で広報委員になってから、毎月ポスター大の広報誌を、高校の掲示板に貼りだしていた。記事のほとんどは斉木が引っ張ってきて、一年がポスターに書き込んでいた。
斉木の引っ張ってくるネタは、港町特有の海洋汚染だとか、話題になっているニュースを題材にしていた。さらには工場への反対運動に潜入し、それを記事にするなど、行動派だった。
それだけみれば真面目というか、堅物のイメージがわくが、本人はいたって気さく。
「お前ら、宇宙人信じる?」
二年の授業でも、堀田先生が話したのだろう。
「もしだぜ、宇宙人いたら、友達なれると思う? こう指先あわせて、ト・モ・ダ・チって」
「その映画、見たことないです。まあ、なれる気がしないですね。侵略される気がします」
「それはあると思うね。だって俺ら、月まで行くのがやっとなわけだし、向こうにしてみれば原始人みたいなもんだろうな」
そこで犬井が口を挟む。
「次の記事、星なんかどうですか?」
「おお、いいね! 星座とかいいんじゃないか?」
「そうじゃなく、宇宙人のいそうな星とか」
それに斉木はきょとんとして、すぐに笑いだす。馬鹿にされたと思ったのか、犬井はむすっとする。
「よし! それじゃ、宇宙人が住んでそうな星さがそうぜ」
本気で言っているのか分からないが、斉木は言い切る。
そうして図書館に行く。図書委員の委員長は、斉木の親友だった。部活も一緒らしい。確か犬井も同じ部活だった。犬井が毎回委員会に出席しているのは、そのつながりかもしれない。
斉木は慣れた様子で、天文関係のコーナーに向かう。
「とりあえず、みんなで目を通そうぜ」
無造作に、ごっそり本の束を渡される。
手近な机を占拠して、本を広げる。そんな宇宙人について書かれたページなどなく、さらっと触れているぐらいがせいぜいだ。とりあえず人海戦術で読みあさる。
とうの斉木は姿を消していた。
ものの十分ほど、一人平均七冊は目を通した。そこへ斉木が、二冊本を持ってくる。
「こういう時は、神話に頼るのがいいんだぜ」
そういって椅子を引き寄せて、“お誕生日”席に座る。
「キリスト誕生の時、東方の三博士を導いたベツレヘムの星はUFOだって言うし、世界最古の文明のシュメールでは、星の配置を記した粘土板が発見されているんだ。星のイメージと宗教は密接だ。この本には――」
そういって持ってきた一冊の本を開く。
「西アフリカに住む部族、ドゴン族は、天文学に関する膨大な知識を持っていた。19世紀までシリウスが連星だということは知られていなかったのに、彼らはすでに知っていた。彼らの神話では、彼らの文明は“ノンモ”という半魚人の神に与えられたという」
そんな話を、斉木が大真面目に話すのは意外だった。どこかいつもより、生き生きとしている。
「このノンモは、母なる星、シリウスAをまわる、エンメ・ヤという星の、衛星に住んでいる。このエンメ・ヤはシリウスCと呼ばれるが、その存在はまだ発見されていない」
「じゃあ、ないんじゃ」
「いや。ドゴン族はシリウスが連星だということを知っていた。母なる星の伴星に、ポ・トロ、シリウスBを言い当てていた」
「へぇ」
素直に感心した。何かわくわくする話だ。
「そしてノンモは、シリウスCの衛星、ニャン・トロから地球にやってきた」
「にゃん?!」
ふざけた名前に、思わず吹きだす。他のみんなも失笑している。
「ああ。ノンモは半魚人で、水辺に住む。そして世界の文明の発祥の地は、水源を中心にしている。シュメール神話で、彼らに文明を与えたオアネスという神も、半人半魚。エジプトのスフィンクスも、かつては水に浸っていたのだから、ピラミッドをつくったのはノンモかもしれない」
斉木の中に、火が点いたようだ。
「それで、どうするんですか?」
おそるおそる聞く。次の広報誌は――
「ノンモ特集だ!」
斉木の決定は絶対だ。
そこで犬井が、
「せっかくだから、そのシリウスを見てみたい」
「ああ、確かに」
「今なら、冬の大三角が見られるから、その一つのシリウスも、見頃なんじゃないですか?」
「よし、写真に撮って、広報誌に載せよう! よそから引っ張ってくるよりも、そっちの方が“やった”感があるからな」
「で、筒見くん」
「うん?」
急にふられて驚く。
「天文部だよね?」
「ああ……」
そういえば。
「望遠鏡、借りられないかな?」
「いいんじゃないか。堀田先生も食いついてきそうだな」
「おお、いいね! みんなで天体観測しようぜ!」
そんな流れで、寒空の下、望遠鏡をのぞく羽目になった。
広報委員の五人と、堀田先生、噂を聞きつけてきた一年生が数人で、星空を観察した。
晴彦はおでんを食べながら、堀田先生が望遠鏡にカメラをくくりつけるのを見ていた。
晴彦は駐輪場を出ると、校門に犬井がいるのを見た。犬井は電車通学で、ここから駅まで二十分はかかる。
冬の夜は深く、街灯の少ない帰り道は危ない。
「送ってこうか」
みょうに喉がつっぱるのを感じた。少し緊張して言った。
犬井は微笑み、
「ううん、大丈夫」
「駅まで遠いぜ? 暗いし」
「大丈夫。先輩が送ってくれるから」
「ああ、そう」
頓着せず、晴彦は自転車にまたがり、駆け去る。内心では自分を罵った。いくらなんでも恥ずかしすぎるだろ、と。
夜の冷気が、頬を切る。手袋と袖の隙間、手首にも入り込んできた。
がむしゃらに自転車をこぐ。そして坂を下った。
視界がいっぱいに広がった。満天の星空を、遮るものはない。前を向いているだけで、まるで空を流れているような、そんな錯覚を覚えた。急に怖くなって、ブレーキを掴み、下を向く。このまま落ちていってしまうような恐怖感を覚えた。
流れ星を見たら、何を願おうか。
もしかしたら流れ星と見えたそれは、案外宇宙人の乗り物かもしれない。
今現在書いているので、完結までもう少し、よろしければお付き合いください。
この文量で、五章ぐらいで終わらす予定です。