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朝靄の中



「gi,gi gi,ghi!」

「gihi,gihiiiiiiiii!!」




 金属が擦り合うような不愉快な音が、それの鳴き声だった。

 ――――蜘蛛―――にそれは、よく、似ていた。

 だが、それはもっと、生々しく、さらに奇怪な、不快な、見た目をしている……。

 ギョロギョロと、不気味に大きく目を動かせて、視界を覆い尽くす程の濃い朝靄の中に見失った獲物の姿を探している。

 その頭部についているのは複眼ではなく、人間のそれのような白眼と瞳のある目が一つ。それがより一層薄気味の悪さを引き立て、まるで本当に蜘蛛に人間の眼球を移植したようだった。

 姿こそまったくよくよく似ているが、それは蜘蛛でも、まして他の虫でもありえなかった。そもそも、それらの生物は体の構造上これほどの大きさに成長することはできない。自分の体重を支えきれないため潰れてしまうのである。

 だから違う、というものでもないが、この不気味な連中は、蜘蛛や昆虫などとは決定的に、遥かに違う存在だ。

 見たものにまず本能的な恐怖と嫌悪感を与える姿をした“こいつら”は、蜘蛛が「人間程」の大きさに進化したものでも、その大きさの生物が蜘蛛のように変形したものでもない。

 全く違う由来と進化をもつ生物だった。

 この星の上で己の意志を持って繁栄を図り、動き回るもの全てを生物と呼ぶならば。

 わざわざこんな言い方をするのは、……そうでも言わない限りきっと、人間はこいつらを生物と呼んだりしないだろうからだ。

 ―――――では、こいつらは何なのか?




 “化け物”だ。




 人類統一見解、正真正銘の。

 一言、有体な、しかし的を得た言葉で表すのならば。


 そう……、こいつらが、こいつらこそは、この世界における

 “全人類の敵”。


 数えきれないほどの無辜の民を、何の思うところもなく己の食餌しょくじにするためにあっさりと殺して回る、それはそれはわかりやすい糞虫どもなのだ。

 こいつらの存在は、そう、言いおいてみればファンタジーにおける魔物モンスター。SFにおいておけば侵略者エイリアン

 生かしておいて良い事など、尋常な、善良な人々にはこれっぽちも有り得無いし、為政者たるものが世界の総人口を増やし、かつ枕を高くして眠らせようと思うのならば、手始めにこいつらを一匹残らず殲滅し、駆逐し、全滅させる工程を避けては通れない。

 同じ空を仰ぐことなどは絶対に不可能な、人類の、“不倶戴天”の敵。

 それが―――――奴らだ。


 とはいっても、その“敵”は全部が全部このなんちゃってのような蜘蛛の如き個体、あるいは群体のカタチをしているわけではない。むしろこんなものは奴らの進化のカタチの、ほんの一端でしかない。

 奴らはもっと多様で、しぶとく、厄介で、性質が悪い。


 そうそれは、まるで人間の様に。



「ghi!!?」


 便宜上“ギグモ(擬蜘蛛)”とでも呼びおこうそいつの瞳の動きが驚愕に停止した。

 一瞬の事だった。

 霧の中から突如として出現した一振りの刀が、ギグモの頭胸部と胴体の間にある僅かな間接を正確に刺し貫いていた。あっさりとした音と共に起こったそれは実に自然な光景で、まるで最初から、これのそこからはこんなふうに刀が飛び出ていたかと思える程に。

 生物のような有機物とも、鉱物のような無機物とも見える、あるいは二つが混ざりあっているような、寒気を覚えるような奇妙な体にざっくり開いた傷穴から、じわりと青い体液が漏れ出す。ギグモの体表は通常の蜘蛛と違い、金属のような甲殻で覆われているが間接部は例外だ。有機的な肉が体を接合していた。

 ほんの一瞬の間だったが、きっとそいつには走馬灯ほども永く感じられた一時、ギグモは呆けたように自分に刺さった刃物をまじまじと見ていた。知恵が有るのか無いのか、自分に何が起こったか確認しようとしているのはいいが、この瞬間が呆れるほどに隙だらけだと気付いていないのだろうか。

 いやしかし、このギグモという化け物がどうしてこんなに気味が悪いのか、ようやく合点が入った。こいつらのありさまには“表情”が感じられてしまうのだ。なまじ人間じみた眼が付いているために、視線や眼球の動きかたから、人のそれのような驚愕や恐怖の感情を読み取ってしまえるように感じる。錯覚してしまう。

 蜘蛛の見た目をしたものが、いや、もっとおぞましくて卑しいもののくせに、人の表情や感情を模倣しているように見える。それが、どうしようもなく気色が悪いのだ。 ――と、云っても。伝え聞いたところで。こんなおぞましさ伝わるものでもあるまいか。



 では塞き止めていた時間は奔流となって流れ出す。一気呵成に。流れ落ち、流れ切る――――。




 ―――――――――暴走寸前の勢いでアラートを鳴らす生存本能に従って、ギグモが動き出そうとする、その刹那。

 ぞっ、と体に突き立った刀が閃き、一瞬で頭と胴を半分切り離す。まるでまな板に乗った食材を捌くように正確な動きで、微塵の淀みもなく刃を進ませ解放した。

 素早く刀の主がギグモの脇から飛び退くと、さっ、と霧の中を青い血飛沫が舞う。そして僅かな肉を残し、自重でぶちりとちぎれた頭が地面に落ちた。

 そのわずか一瞬の出来事すら眺めもせず、疾く、捷く、人影は走り出す。

 彼のそれはネコ科の狩猟者達のようなわずかしか足音のしない疾走。そしてその身のこなしも、彼らに習うように驚くほど軽い。細身のシルエットが鞠のように躍動し、軽々と街路を駆け抜けていく。

 そしてまったくといってよいほど視界の利かない霧の中で、しかし人影の動きには何の停滞もなかった。

 俊敏に迷いなく新たな標的の下へ辿りつき、一拍の躊躇なく死神の如く白刃を振るう。

 目を見張るほどに器用に、寸分の狂いもなく甲殻の隙間に白刃の煌めきを通し、振り抜くまで全く速度を落とさずに規則のような一つの動きで進めきった。その振るわれた刃が幻想だったかと思わせる一瞬の空白の後、時間の流れが思い出されたようにしぱっ、と鮮血が吹き出す。

 感銘もなく軽く剣を振って真っ青な血糊を落としながら、人影はステップを踏んで流れるように横へ移動する。

 人影がたった今生命を絶ったそれは、先ほどの個体とほぼ完全に同じ姿をしていた。命令を伝える機関を切断された体は崩れ落ち、痙攣している。

 人影は未だ存分に舞い続ける朝靄の流れの中、顔に嵌めたゴーグル越しに、更に街路の奥へと続く無数のギグモたちの姿を捉えていた。数えきれぬほどの瞳が仲間の死骸に感慨もなく、爛々と、そして、どろりと――――彼を見定めている。

 彼は今、人々が暮らす街の上で、同時に人食いの蜘蛛の群れの直中ただなかにもいるのだ。


 人と同等の大きさを持つギグモ達の数は、彼がたった一人で挑むことなどまさに無謀を感じる程、多い。

 おそらくは数十にも至るように見える。

 岩のようなその体がわらわらと、車のようにコンクリートの上を埋め尽くしていた。

 ――――が。人影はその光景に微塵も恐怖を感じていないらしい。


 殺虫剤をかければ簡単に死ぬ害虫が、己に一網打尽にされる為にわざわざ目前に集まってくれている、と、そんな考え方を感じるぐらいに彼の纏う濁りのない空気は不遜だった。

 そして彼は、眼前の化け物どもが己にとって駆除の標的程度の無価値な存在でしかないと、まさにこれより証明をしようとしていた。

 目の前で、今、流れ落ちる血液と共に命そのものを喪いつつある最中のギグモの眼球に、手の中の刀をぞぶりと突き刺す。

 耳障りな高音の悲鳴が響くが、人影には顔色一つ変えた様子もない。彼の意識は全く別の所に飛躍していた。その口が、静かに言霊を紡ぐ。


「是なる異形をにえに捧ぐ。」


 凛と澄んだ彼の言葉と共に、白刃が反射する光が輝きを増す。いまや刀はそれ自身がひとりでに輝いていた。同時に、刀身の周囲を囲むように幾何学模様の光が発現し、幾重の円を為す。それは方術の式が編み込まれた陣だ。


「雷鳴よ、我が敵を穿て。」


 熱の籠らない冷え切った声が象徴する、実に短い詠唱が完成した。

 しかしその威力は、そんな簡素な儀式が引き起こすとはとても思えないほど凶暴だった。

 ばりばりと、音のみで既に鼓膜を焼きそうな剣呑な響きと共に、ギグモの死骸を電流が包む。いや、包むというよりもそれは、ギグモ自体が電流へと変化していた。電流がその勢いを増すのと反比例し、死骸の質量は減りつつある。

 苦悶を体現するようによじれ、悶える体を支え合うように幾条も絡まりあって伸長した、電流。

 イカヅチと呼んで差し支えない規模に成長したそれは、この世に呼び出された怒りを晴らすようにいよいよ生命に牙を剥く。




 それは何万分の一の一瞬にとっても一瞬の出来事。




 生を焼き切る膨大な熱量たる電流が、ギグモ達の間の空間を真っ直ぐに駆け抜け、肌が粟立つような轟音と共にさらに四方へ弾けた。

 結果残る光景――――電流という名の無慈悲で苛烈な死神は――――あるいは、ギグモ達の体を水のように蒸発させ――――――あるいは分散する力が造作もなく彼らを吹き飛ばし、弾き散らし、消し飛ばし――――――あるいは内側から神経を焼き切って――――――逃れようのあろうはずもない、不可避の、絶対的な死を荒々しく、狂おしいほどに振りまいて、何処へとも知れず虚空に消えた。

 駆け抜けたエネルギーは熱の動きから空気の流れを生み、その通り道の周囲だけ、朝靄を吹き晴らす。

 文字に直せば多少の量を生むが、詠唱の完成からここまではほんの瞬く間でしかない。

 耐える方法も逃れる方法もない、まさに必殺の術式だった。


 そして、晴らされた霧の中、僅かな間だけ朝の陽光の差し込む空間に、己が為した破壊の爪痕を平然と眺める人影が立っている。


 渦巻く霧の流れが人影を呑みこむまでの間、未だ薄い陽光が、けれど確かに人影の姿を浮かびあがらせていく。

 薄明りに照らされる人影の、なるほど、その体が細身なのも当然だった――――。



 驚くべきことに、そこに立っていたのはたった一人の少女だったのだから。


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