序
至る所に残酷な描写や、人の死を肯定する表現、極端な論理が含まれますことを、不愉快な思いをなされませぬようここに明記しておきます。
作者は中身が未だ子供でありますゆえに極端な話が大好きなのです。
生まれ生まれ生まれ
生まれて生の始まりに暗く
死に死に死に
死んで死の始まりに冥し
――――空海―――
「がはっ」
吐息と共に吐き出したものは血の塊だった。
浮遊するような疲労感が身を包む。
意識を失った一瞬前と状況は何一つ変わっていない。
鮮やかな真紅に染まった目の前には、相変わらず愛想のないあの化け物が、物も言わずに重々しく立っていやがり、とっくの昔に痛みすら感じなくなった体からは抜け落ちていく熱だけがわかる。
「あーあ」
まったく溜息が出る、ねぇ。
どうして俺の死に際にこのくそ化物の阿呆はこんなんなのか。
影のように黒一色の巨大な体が、自分で磔にした俺の姿を黙って見据えている。
ただじっと立ち尽くすようにそこにいるだけだが、それだけで十分苦しい。
吐き気がする程重々しい殺気を吐息のように纏い、熱も寒気も感じない冷たい闘気がそれを人間でないものだと教えてくれる。
「ぐ」
震えて不明瞭なそれだとしても、声が未だに出せたことは多分、奇跡に近いんだろう。
気を抜けば霞む視界。
足は自分の意志ではなく、俺の預かり知らないところで、ひとりでに立ってくれていた。
やれやれ。
「気持ちいいなあ」
それがきちんと声になっていたのか、耳鳴りがするせいで、もはやわかりもしないんだが……俺は心の底からそう呟いていた。
言ってみれば、蓋を開けたばかりの煙草を吸った感想のようなものだ。
ため息じみた吐息とともにその味を噛み締める。
ああ―――これが、死か。
これが、俺の成れの果てか。
これが俺の求めたものなのか―――――
………………これで終わりなのか?
―――――――否ッ!!!!!!
どうしたもんだというのか
自分でも流石にもう十分だと思うのだが、すかすかになっちまった腹からはふつふつと煮えたぎるような餓えが登ってくる。
まだ足りない。
まだ!
まだまだ満ち足りてはいない!!
―――――――――有るはずだッ!俺が未だ足を踏み入れていない世界がッ!!
「カカッ!」
ヌルヌルと気色の悪い鉄の味が満たされた口がひとりでに歪む。
腹から肩からを好き勝手に打ち破った奴の刃を辿り、呼吸すら感じられない化け物の腕を、俺は掴んだ。
「なァんだぁ」
動いたことで自ら片足が落ちたようだが最早気にするほどのことではない。
死して尚届かぬなら――――――――
地獄を這いずっても“そこ”へ辿りつくのみ!!
「死んでも、動けるんだな。」
がぶり。
暗闇を編んだような奴の腕甲に、確かに俺の歯は突き立った。
永年忌々しく目の前を塞いでいやがった、今こそがあの鬱陶しい丘を踏み越える絶好機なのだ。この千槍の、無愛想な化物ならば、俺が“そこ”へ至るまで付き合ってくれるに違いない。
―――――屍山血河の地平線まで!!
「へへぇっ……」
……惜しむらくは、俺の意識がそこで再び途切れてしまったことだ。
嗚呼 くそ、畜生……。
こんなに楽しくてしかたねぇのに。
寝てる場合じゃ、ないだろ……。 ち くしょ……
“――――戦って。戦って。戦い抜いたその先に。……一体何がある……?”
未明
京、九龍城郊外
「やれやれェ。」
未だ夜の匂いを残す早朝。一寸先も定まらぬような朝靄の中、その男は、街路の脇のブロックに腰かけ、静かに煙草を蒸かしていた。
「どォーもこの季節にしちゃ濃い霧が出てやがんなぁオイ。」
それは、例えば狭いトンネルの中で喋ったような奇妙な反響を含んだ声だ。
それもそのはず。
空を見上げて平然と呟く男の姿は、目撃したもの全てが我が目を疑うほど朝の空気に似つかわしくないものだった。
――――――――異形――――異様―――――
……それが男の姿をもっとも端的に表した言葉だろう。
「いやいや、“祭り”が近い時はこんなもんだったっけな?」
何がそう楽しいのか、上機嫌そうに男は呟く。
男は、……一揃いの鎧に身を包んでいた。
これからこの平和な往来で、天下を分かつ大戦でも始まるのかと疑いたくなるほど完璧な、顔すら見えない物々しい甲冑に、だ。
男の呑気な態度と物見遊山に来たかのような言葉が、その厳つい姿と反目しすぎている。
丸まり、尖り、戦闘の為に特化して進化したその男の姿。
その意志を具現したような不吉な兜からは、後部に向かって角と獣の毛のような材質の白い飾りが伸びている。
飾りは長い上に量も多く、一見すると伸ばした頭髪が兜の後ろからはみだしているようにも見えた。背には身の丈ほどもある太い大太刀を佩き、鎧全体は主に暗めの赤と黒で染色されていた。
「さてぇ、そろそろだとおもうんだがなァ……」
擬、と金属が軋む音を立て、男の体が立ち上がる。
ゆっくりと、静かに街を流れる朝靄の中、影と混じって立つ男の姿は一つの幻想をイメージさせた。
それは――――鬼。
鎧が伝説のそれの雰囲気に似ているというだけではない。
その立ち姿が、薄い香水のように身に纏った空気が、男は戦いの鬼で、どうしようもない人殺しで、容赦も情もどこかに忘れてきた救いがたい異端者なのだと、根拠もないのにそういう印象を植え付ける。
きっと犬や猫はこの男には近ずくまい。
もし男が道のそれらを捕まえて貪り食っていても、それは異常で、気味が悪く、出くわした時点で吐き気を催しながら逃げ出さなければならないような怪奇な光景なのだが、この男がやるならどこか納得してしまいそうな、この男ならあり得る姿なのかもしれないと、そう。例えるならそういう雰囲気を身に纏った男なのだ。
「今度の噂が本当じゃなけりゃ、そろそろ飢えで死ーねそーうだ~」
まるで他人事のように独り言を呟く。男が此処にいる意味は、どうやらこれから始まる何かを待っているらしい。
太陽が昇り、完全に朝になれば間違いなく男の姿は不審だ。何をするにも人の視線を浴び、その姿で行うような事を為すには不便この上ないだろう。
男が大方の人間が抱くような彼の印象に反し、平和な大道芸人であったというのでなければ。
故に、男の言葉からも男の待つものはそう遠からずおとずれるのだと思われる。
……それにしても、だ。
奇妙なことが一つある。男の姿ではなく、もう一つ。
鎧の隙間から、煙草の煙が漏れ出ているのだ。まるでひび割れのような、目の箇所のわずかな穴、奥に赤い眼光だけが淡く見えるそこから煙が立ち上っている。煙草は確かに男の口にくわえられ、吐き出す瞬間以外はすべて男の体内に取り込まれているはずだのに。
鎧の顔の構造が複雑で、鼻からでた呼気が他所から出るようになっているのだろうか。
しかし……何の為に……?
「飢えのせいで死にそうになったら…そうだねェ、人でも食ってみるとしようか?そういやあ、まだ試してなかったし、な」
男があまりに剣呑な言葉をのたまった瞬間、それは起こった。
「!!」
男が素早く己の踏みしめる地面に視線をやる。そこには今まで無かった微弱な振動が走っていた。
常人なら全く気付かぬであろうその振動。しかし男にとってはその揺れの存在を知ることも、それが何を示しているのか知ることも、呼吸をするように容易い。
男は行住坐臥それの事を思い、それを嗅ぎつけるためだけに人の群れの中にいるのだから。
――――――どおォォ、ン……ッッ!!
もはや男でなくともその振動には気付いただろう。
街ごと震えたのではないかと錯覚するような凄まじい爆発音が響き渡る。
「ヒヒヒヒヒッ!おおーゥ、派手にやりやがるなあ――――!!」
腕を組み、音のした方向を向いて、緊張をどこかへ忘れてきたような男の独白。男にとっては今日の予定が滞りなく進んでいるのだ。すこぶる機嫌も麗しい。
「しかしこの音よォ、先客がいるってのか?……まあイイヤ。騒がれたら叩っ斬っちまえばすむ話だ、ぜ。なァ」
とん、とん、と背中の太刀の柄を握るように叩き、抜きはせずに手を下す。
ぞっとするような言葉と殺気を放った男の兜の、牙のついた口許が一瞬笑いを浮かべたように見えた。
……無論、鎧が笑うなどあり得ない。兜の意匠は角度によっては笑っているようにも見えるのだろう。
「さあて、それじゃあ張り切っていくとしようか。」
そう呟いて男は歩き出す。歩みには特別な気負いや興奮は感じられず、ある意味、のんびりとした毎日の散歩にいくような風情に近い。いや、どちらかというと子供の遠足だろうか。
それを証明するように男は大きなあくびをしてみせた。口許を手で隠していないため、口の中が丸見えだ。
いや、待て――
……無い…?
……無い…。
…………無い…ッ…!
信じられない、この鎧には――――――――
“誰も、―――――入っていない!!!?”