珈琲とあの人
高校時代文芸部に所属していた時に書いていたものです。
お見苦しい点などあるかもしれませんが、何とぞご理解の程をお願いします。
「あ、またあの人…」
注文の品を運び終えてカウンターへ戻ろうと足を向けた時だった。
ふっと視線を店の入り口に向けると、そこには以前から気になっている常連の彼が今まさに店に入ろうとドアのバーを握ったところだった。
カランカラン…
心地良いドアベルが店内に響く。
すぐさま出迎えると、彼はいつものように茶封筒を小脇に抱えていた。
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「ああ」
「では、お席にご案内します。こちらへどうぞ」
愛想良く笑顔を浮かべて、彼をいつもの席へと誘導する。
席に着いて小さく息を吐いた彼はスッと私を見上げた。
「カフェオレとハーブチキンサンドを一つ」
これまたいつもの注文。
彼がこの店に来るときは、時間帯も席も注文もいつも同じだ。
以前、別の席に案内したところ席を変えてもいいかと申し出されたことがあった。
それ以来、この時間帯のこの席は彼の特等席だ。
「かしこまりました、少々お待ちください」
暗黙の了解のように伝票にボールペンを滑らせ、軽く礼をするとその場を後にした。
「ハーブチキン一つ入ります」
「はいよ!」
やや高めの声でオーダーを告げる。
すると、奥で調理をしている店主、通称タカさんの威勢のいい声が返ってきた。
鼻歌を歌いながら調理に取りかかるタカさんは後ろ姿だけ見てもとても楽しそうだ。
相変わらず料理が好きなんだな、そんなことを考えながら注文のカフェオレを作りにかかった。
「ねえ。今のオーダーってまたいつもの彼?」
数少ないバイトのウエイトレスで、同い年の海咲(みさき)が声をかけてきた。
「うん。今日も一人みたい」
「そっか。どんな仕事してる人なんだろうね」
海咲も私と同様、どこか不思議な雰囲気を醸し出す彼に興味を持っている。
タカさん曰く、開店してすぐの頃からの常連さんだそうだ。
タカさんもそれ以上は知らないらしく、未だに職業は愚か名前すら分からない。
だが、そんなミステリアスな印象が一層好奇心を掻き立てるのだろうか。
以前よりも彼の来店を心のどこかで待っている自分達がいた。
「見たところ二十代後半って感じだよね」
「うん。でもこの時間帯に来るってことは会社員じゃなさそうだね」
彼がこの店を訪れるのは決まって平日の昼ニ時頃。
もちろん自分もこの時間帯にバイトを煎れるのは午後に講義が入っていない日だけ。
だが、他のバイトの子やタカさんに聞いても、彼が平日のこの時間帯に来ない日はないらしい。
「香織ちゃん、ハーブチキンが上がったよ!」
「はい、今行きます」
カウンターから顔を出したタカさんに返事をし、盆にカフェオレの入ったカップを乗せる。
そのままカウンターでサンドを受け取り、彼の待つ席へ運んだ。
「お待たせしました、カフェオレとハーブチキンサンドです」
「ああ、ありがとう」
左腕に盆を乗せて、テーブルの上に置こうとカップに手を伸ばす。
その時、いつもとは違う光景に手が止まった。
いつもならブックカバーを付けた本を黙々と読んでいる彼。
そのため、本以外はテーブルの上に何もないはずなのだが、今日は違った。
テーブルの上にあったのは3、4枚の原稿用紙。
彼の右手に握られているのはミントグリーンの綺麗な万年筆。
それで書かれたのであろう、“日溜まりの中で”という文字が原稿用紙の最初の行に並んでいた。
「あの…何か?」
「い、いえ。失礼しました」
私の視線に気付いた彼が気まずそうに訊ねてくる。
慌てて詫びると、テーブルの空いているスペースにカップとハーブチキンサンドを置いた。
「あの…作家さんなんですか?」
そのままこの場を離れるのも気が引けて、私は思い切って聞いてみた。
彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「まだ駆け出しだけどね」
「そうなんですか」
「なかなか筆は進まないけど、この店に来ると凄く心が落ち着くんだ。
見晴らしもいいし、この時間帯は静かだからね」
「そうですか、ありがとうございます」
口に出した後でお礼を言うのも変かと思ったが、彼は特に気にしていないようだ。
「それでは私はこれで。ごゆっくりお過ごしください」
「ああ、ありがとう」
軽く礼をし、持ち場に戻った。
その後、店内のモップ掛けや窓ふきをしながら、チラチラと執筆を進める彼を見ていた。
筆を止め、何かを考えるように口元に手を寄せ、また筆を走らせる、といった動作を繰り返している。
先ほどのことがあるため、あまり凝視しないようにした。
だが、微かに聞こえてくる万年筆のカリカリという音が私にはとても心地良く感じた。
夕方になると、講義を終えた大学生がやってきて店内にまた賑やかさが戻ってきた。
すると、レジに立っていた私の元へ伝票を持った彼がやってきた。
「いいものが書けましたか?」
「まあとりあえずね。また寄らせてもらうよ」
「はい。お待ちしてます」
手早く代金を支払い、彼は微笑んで店を出ていった。
早速彼が使っていたテーブルの後片付けに取りかかる。
だがテーブルを拭いていると、椅子の下に小さなメモ用紙が落ちているのに気付く。
何かと思って広げてみると、そこには木の下で体を丸めている猫の絵が描かれてあった。
「何これ」
思わずプッと吹き出したが、しばらくそれを眺めた私は綺麗に折りたたんでポケットにしまった。
こんな小さなことでも彼と接点ができたことに喜びを感じながら片付けを済ませた。
次に彼が来たら何を聞こう、そんなことを考えながらその日の閉店まで私はずっと上機嫌だった。
――Fin…
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