アルセイスの吸血鬼
その言葉を聞いた瞬間、俺は心臓を鷲掴みにされたような気がした。
「またあの吸血鬼が人を襲ったそうね」
そう不穏な話題を切り出したのは、俺の妹のエミリアだった。普段はおしとやかな王女の珍しく棘のある口調。数人の王侯貴族による優雅なディナーが繰り広げられていた大広間は、束の間、水を打ったように静まり返った。
「……吸血鬼というと、例の?」
返答したのは、いとこのルークだ。つねに颯爽としていて俺が吐きそうになるくらいの好青年である。
「ええ、例のね。昨夜、ワイル通りでトマス男爵が、その吸血鬼に背後から剣で斬られたのよ。そのあと、しばらく噛みついて血を吸っていったらしいわ」
「やはり、“アルセイスの吸血鬼”なのかな?」
ルークが問うと、
「フードをかぶり、仮面をつけていたそうだし、アルセイスの吸血鬼でしょうね」
と、若く美しい白皙の顔に嫌悪と恐怖の入り混じった表情を浮かべてエミリアが答えた。
アルセイスの吸血鬼。
王都アルセイスの貴族どもの夜を戦慄という暗黒色でどす黒く塗り潰している化物。仮面とフードというやや喜劇じみた格好で正体を隠し、夜に現れて貴族の生き血を吸っていく悪魔である。だが――
「そいつってことは、その男爵も殺されてはいないんだろう?」
頼まれてもいないのに俺がぞんざいな声音で口を挟む。
エミリアは無言の流し目で俺に訴える。シオン、あなたに話しているわけではないんですけど、とでも言いたげに。今宵も兄妹仲はよろしくない。
「確かにアルセイスの吸血鬼は殺人はしていないからね。今のところはだが」
と、代わりに応じてくれたルークが、The最高王族というようないつもの優美な微笑を浮かべ、
「もしかしてシオンは、アルセイスの吸血鬼に肯定的なのかい?」
「まさか。暁王国の王子たる俺が吸血鬼を肯定なんてするはずがないよ。ただ、奴が標的にしてるのは悪名高い貴族だけだろ。だから、そこまで嫌な感情は覚えないかな」
「そうだとしても、気味が悪いわ」
なおもエミリアは嫌悪を表明し続ける。これには避けがたい理由がある。俺とエミリアは異母兄妹で、彼女の母親は吸血鬼に殺されたのだ。それはアルセイスの吸血鬼ではなかったが、それ以降、妹が吸血鬼という種族を蛇蝎のごとく憎むことになったのは当然でしかない。
そうですとも、気味が悪い、と同席している他の者たちもエミリアに追従する。
「もし、あなたがその吸血鬼に襲われても同じことが言えるの、シオン?」
冗談の色をふくめながらも、エミリアはほぼ真剣に俺に聞いていた。
「おいおい、俺は悪とは無縁の好青年そのものじゃねえか。襲われる筋合いないね。でももし、俺が襲われて死んじまったら、そのときは兄を思って涙を流してくれるのか、妹よ?」
俺は笑いながら冗談で返すしかなかった。
そうやって露見しないようにごまかしていたのだ。実は俺こそが、そのアルセイスの吸血鬼だと知られないように……。




