【3/12】積ん読について、所信を表明する<ギレン・ザビ風に>
家の近くの書店が次々と潰れてゆく。大型のツタヤも撤退した。仕事の合間のサードプレイスだったのに。まだかろうじでブックオフがあるから、生きながらえている。ギリギリで生きている。
この散々たる結果を、正気で分析するのなら。つまりさぁ、俯瞰の鳥瞰、メタ視点で己を見つめ直すなら、そりゃぁ「Amazonで買いすぎ」なのでしょう。書店で予約してもいいが、Amazonなら予約の行為=購入になって、家に届くもの。なんなら当日に。
という、文明と近隣住民たちが意図せずに招いた「本がいつでも買えて便利で、ますます本が好きなのに、リアル書店が消えて行く」というパラドックスがここに蜷局をまいて、鎮座まします。
つまり、本が好きなだけで、書店がつぶれる ってことだ。どういうこと。ラーメン好きなだけで、ラーメン屋がつぶれる、似て非なるか。
それはちがうな
そういうこと=書店が近所から消えた、ということもあって、仕事でもプライベートでも街に出ると書店に行くし、必ず一冊はなにか買う。するとだな、手持ちの本が増えるんだよ。まだ読んでない本がたんまりあるのに。
もう、本買わないともったいない=ディズニーランド行ったのに、乗らないともったいない的な
狭い我が家にて、僕にあてがわれた書棚エリアは寝室の一角。文庫で100冊+ハードカバーで30冊ほどのスペースをいただいている。そのなかには読み終わったものもあり、当然積ん読たちも指定席にでーんと位置取りしている。
まだ読む本があるのに、本を買う。書店が近所にないから、ここぞ!とばかりに買うというわけでもないな、というのが最近の気づき。何か、効用があるのだ!ぜっっつううたいに!(絶対にの比較級ぐらいのかんじ)
本を買うだけで、「読んだ気になっている」のだ。そうでなければ、900円ぐらいの文庫を買って、そのまま3年ぐらい、知らんフリなんてことはないだろうに。もうそれは、冬眠のために溜め込んだドングリのありかをわすれるリスのごとし。ドングリを隠すことが目的化しているのと、積読は同じかもしんない。
いや、本を買うだけで、意味があるはずだ!
で、最近の気づきを整理すると
・STEP1:本を買う・STEP2:読んだ気になる・STEP3:知的情報量が増えた気になる
という、ハイパーポジティブのメンタルヘルス効果があるのだ。そういえば、本を定期的に買っていると、心の調子がいい。(あのラムネを薬と言われて飲んでるみたいなやつ?=プラセボ効果)
「今度アレを読むんだー」という気持ちにもなれる。アレを読むってことは、読む時間があるってことで、未来の自分に時間的余裕があるんだという、確変確約ぐらいの気持ちでいられる。落ち着くのだ。心がね。平和なのだ。人生がね。サウナ並みに整うのだ。
ということで、本を買うってことは、最後まで読んじゃえば、・STEP4:なんか面白かった(そうでないときもある)=心が動くに到達できるのだ。
お得じゃない?まぁ、なんてお安いというか、コスパのいい趣味なんでしょ。
そう言う意味でも、積ん読の諸君たちには、ひとこと伝えておきたい。
わが所信を表明したいのだ。
(ギレン・ザビ風に)
我々は1つの書店を失った。これは敗北を意味するのか?否、始まりなのだ。
我が書棚の面積は小さく、読み終わらぬ本は山の如し。それでも今日まで積ん読生活を楽しめているのは何故か。諸君、我が積読の目的が正しいからだ。
便利な通販に慣れた民たちは、近所の書店を見捨てた。だが、それで積読国民が滅びるとでも思うか!
私の愛する、諸君らのかつて通った近所の書店は死んだ、何故だ!
それは文明と生活者たちが、本を買いやすくしすぎたからである!されど、積読国民よ、嘆くな。書棚に積まれし文庫たち、ハードカバーたちよ、その存在こそ我々の心を安らげ、未来への希望を与える!
近所の書店の死は、諸君らの知的好奇心を目覚めさせるためにあったのだ!
積読生活はこれからである。
我々の書棚はますます積み上がりつつある。積読国民の心は、この平安を失うまい。
諸君の友も恋人も、積読の前に圧倒されるのだ。この楽しみも悦びも忘れてはならない。
それは、近所の書店の死が、我々に積読という喜びと安寧を示してくれているのだ。
国民よ立て! 悲しみを悦びに変えて、立てよ積読国民!書棚は諸君らの力を欲しているのだ!
国民よ、積め! 積むのだ!ツーンドク!
今読んでいる本はこだまさんの『けんちゃん』です!




