【3/11】近所の喫茶店に入れた
ついに!
入れましたよ!!!近所の喫茶店!
初めて入ってみたが、中は広く、落ち着いた雰囲気。マスターと奥さん、他にお客さんが数人。うるさくない、穏やかな時間。
プリンケーキなるものをもしゃもしゃ食べながら、ちびちびとコーヒーを飲んだ。
それにしても、入ってしまえばなんてことない、つまり「やっちゃえば、どーってことない」ことは大人になってからもあるということだ。
僕は52歳で、人生で言うと折り返し終わり(人生100年だとしても、真ん中は越えている)。初もの自体もうだいたい終わっているモノだと思っていたけど、人生ってそう狭くない。
僕の生きる道学でいうと、「人生は広大で、さほど深さを求めてこない」です。
広く浅くというと、頭が悪そうだけど、深くないからというのがわかったこと。極めるみたいなことを言い出す人もいるけれど、何かを極めるとそれをわかってくれる人やわかっている人があまりいないってことなんだよね。
何かにこだわること自体はいいことなんだけど、それを深いことと思って取り組んでいると、ただただあるところから何も変わらないゾーンに達すると思うのよね。そうなったら、広く広く生きた方がいいと思うのよ。
それよりも、アレコレ手を出している方がいいと思う。僕はその方が性にあっている。やりたいと思うことをね。
人生のメモ帳
ともかく、近所の喫茶店に入れないを克服したのだ。大人が大人になったと感じた時、あぁ、これ以上はないなぁと思うのよね。近所の喫茶店を克服するというその我が命題に、より深いエッセンスがないのです。
もしかしたら、マスターと知り合いになる、常連客になって勝手にケーキセットが出てくる、厨房に入って皿を洗ってる、試作レシピを食べてと言われる
といった、「近所の喫茶店・発展進化編」がこの世にはあるのかもしれなけれど、「近所の喫茶店に入れない→入れた」に勝るとは思えないのだ。もう、入店した=克服した先の出来事は、オプションでしかないのだ。
これが、僕の言う「人生は広大で、さほど深さを求めてこない」というものなのだ。
なぜなら、この話どうです?
へーぇーー
ぐらいの感想じゃありません?
だとしたら、深さがないのです。広いかはともかく、浅いのです。この浅さをいくつか作っていると、それがひとつの穴になるんだよなーとよく思います。抽象的? はい、だいぶと例えになっていない例えですから。
自分の小さな設定(目標というには憚られる)を越えたら(克服というには大げさだ)、次ちがうこと考えた方がいい。その方がおもしろくない?
浅いシメで、今日のところはこの辺にしといたろ。




