【1/11】バタ塩くんへ
自分のお気に入りがこの世からなくなるという悲劇。アイドルや俳優に歌手といった推し、本屋に床屋に居酒屋に喫茶店といったなじみの店、手にフィットするペンに、ちょうどいい質感のスマホケースに、肌に合う洗顔フォームに、耳あたりのいいメガネといったフィットするモノ。
このお気に入りたちが、現時点でなくなる!ってのは、なかなか切実な問題だ。自分の生活インフラとして組み込まれている。
「そんなもの、あってもなくても困らないでしょ」
なんて無粋で人でなしのコトバを無造作に放り投げてくる人もいるが、当時者にとっては、それこそ「デッドオアアライブ」生きるか死ぬかの問題なのだ。
そのなかでも、食べ物だったら、無粋で人でなしにも同情してもらえるだろうか。
ローソーンのバター香る塩パン。僕の通称バタ塩。店頭で見かけなくなった。行きつけのコンビニはローソンなのだが、去年改装していて陳列棚の位置などが大きく変わった。
パンコーナーは売り場拡大となっていて、パン好きとしては善きことぐらいの感想だったのだが。
「バタ塩」がいない!!!
店内で声が出そうになる。欠品?売れるもの、あれはうまいからな。人類の至宝だ、開発者はなんかいろいろ賞をもらっていいと思う。シンプルすぎるそのフォルムとちょうどいい大きさ。バターがじゅわっと香り、鼻腔をやわらかく通り過ぎる。
「ちょっと前ごめんやす」ぐらいに、満員電車の二人席(京阪電車とか思い出して、関西の人へ)で窓側の人が降りる時のあの感じ。申し訳なさそうに隣の人の膝前を通る。降りなければならないという強い意思をもちつつ、そのスタンスはしなやかにして、麗しきもの。
京都で開発されたわけじゃないけども、このしなやかさと凛とした強さを兼ね備えているバタ塩にひときわ京都らしさを感じていたのだ。もうこれは、京都の観光客に京都土産として出したらいいんじゃないかというほど。
つまり、バタ塩は僕にとって、食べ物を越えた精神的支柱なのだ。
(軽くトーストすると最高だぜ!トマトジュースとの相性は最高だぜ!)
朝、仕事でやる気が起きないとき、散歩の帰りにローソンに寄り、バタ塩を買う。帰ってトーストして、トマトジュースと一緒に楽しむ。トースターからのバターのまろやかなコクのある香りが、朝飯を食ったばかりのキッチンに広がる。
そう、僕は朝飯を食ったのにもかかわらず、その2時間後にはバタ塩とイチャイチャしていたのだ。朝食に対する不貞行為。
タマゴを挟んだり、チキンサラダを挟んだり、ハムとレタスを挟んだりも楽しめる懐の深さがいい。トーストしなくてもいいし、トーストしてもいい。
「なにこれ、もうパン界の始祖みたいなやつじゃん」
と僕とバタ塩は蜜月を過ごしていたのだ。朝飯に悪いとおもいつつも。
そんなバタ塩が、ないんですよ。翌日ローソンに行っても、その翌日に行っても。店内をウロウロしすぎて、店員さんに「何か落とし物ですか?」と聞かれそうな勢い。
【妄想劇場・探し物は何ですか?】僕太字で
「何か落とし物ですか?」と店員
「落とし物じゃなくて、探し物というか」
「それは、落とし物ではなくて?」
「ええ、探し物」
「何をですか?」
「バタ塩を…」
「バタ塩??」
「あ、塩パン」
「あぁー、バター香る塩パンですか、それは…」
と、聞くのもなんだかコッパズカシイ。というか、聞いて
「廃盤です」とか「当店入荷しません」
みたいになったら、もう絶望じゃん。だから泳がせたい。いつかで会えると思いたい、とかれこれ2か月ぐらい見ていない。
人が好きなモノ、お気に入り、推しに対して、ずいぶんと寛容な世の中になったと思う。寛容になったのか、無関心になったのか、本当のところはよくわからないけれど。好きなものをスキという、世の中。ん?そんな歌詞あったなAKBに。
そうか、「会いたかった」だ。
会いたかったと言える状況、それは「会えた」ということと同義だ。
早く会いたいものだ、塩パンに。もし、ローソンで会えたとして、愛情がだだ溢れるかもしれない。でも、他にも「会いたかった」と思っている人がいるかもしれない。だから、買い占めない。一つだけ、買う。しかも、賞味期限が一番近いものを。
決して廃盤にならないように。うちのトースターも、その開口部を大きく開いたまま待っている。
あとでお店で聞いてきます。




