【11/26】人生初「鼻につく」、って言われた件
タイトルのとおり。仕事にて、電話越しに「鼻につく」と言われた。ついこの前。何か言い返そう、と思ってもこういう時って言葉が出ませんよね。だから書くんだけども。※バナーのイラストは「鼻」ですが、なにかわからないっすね。
鼻につく:相手の言動がなんとなく気にさわる・嫌味に感じられるという意
身近にある鼻につく言い回しは
合意 → コミット
やり直す → 巻き取る
責任 → ボール
ライブハウス → 箱
ギター → 竿
配置する → 落とし込む
任せる → パスする
結論→ゴール
改善→チューンする
と、まぁ、電話越しに「鼻につく」と言われたのだ。仕事の内容にかかわるから、詳細は書けないけれども、人に「鼻につく」なんてことを言う機会はそうそうない。
感情の外側に理性のない人に出会ったときに、どうする?
僕だって52年も生きてきたけれど、そのチャンスがまだ訪れない。もしかしたら、訪れたのかもしれないけれど、理性でスルーしているのだ。
そう、理性
今日のエッセイテーマは「理性」で感情をコントロールするというお話だ。
コピーライター・編集者・インタビューア・プランナーとして、仕事柄、僕は僕という経歴や考え方を会話の中にねじ込む。かれこれ30年を越えるキャリアともなると、それなりに経験値も増えて、やり方なんかも自分流になるものだ。
一方、クライアントも様々だけれど、自分の思い通りに相手をコントロールしたいタイプって人が一定数いる。キャリアを積んでいる人ほど、そういう傾向にありがちだというのは、僕の出会った経験上で。
コピーライター・編集者・インタビューア・プランナーと自分の仕事の顔を宣言したが、どんな仕事だって、自己流を極めていくものだ。基本の上に積むのは、自分で捕まえた経験によるものだから。
それは時に「引き出し」なんて言われることもある。
引き出しに入っているモノも、さまざまで。引き出し自体も一段じゃなくて何段もあるものだ。相手の引き出しの中身については、クライアントが選んでどうのこうの指示を出すだろう。だけども、引き出しの開け方やタイミング、どの段の引き出しを開けるか、なんてのは、相手に任せるものだとおもうのだ。
相手に仕事を頼むってこと、これはフリーランスじゃなくても会社員同士でも(上司から部下、同僚同士)同じことで、感情の外側を理性で包んでおくというものだ。
そうでないと、仕事場ってのは、血の海になりかねないのだ。
つまり、理性の厚みを増やして、感情を内側に閉じ込めるってことができないと、人間関係積むなんてことはできっこないのだ。
とにかく、理性だ
鼻につく、その真意はどこにあるのか?
お笑い芸人のロバート・秋山氏のネタで、「抜いときゃいいじゃん」ってのがあった。下ネタでもあるけど、ある意味真理だなぁと。男女問わずだけど、性的トラブルはどんな肩書でも、レッドカードもので退場となる。
だから、出かける前に「抜いときゃいいじゃん」ってわけだ。
下ネタだけど、感情や欲が、理性の外側に出てきそうになるってわかってるからこそ、このネタは笑えるしナルホドと膝を打つのだ。
「鼻につく」電話越しに言われた僕は、言葉を失った。相手は言い放ったみたいな後には引けないのか、「これ以上はいけない」と制止するものを失い、連続して矢を放つ。
詳細は書かないけれども。この相手は、理性で感情を制することもできなければ、何かしら抜いて膨らんだ感情を抑えることもしないのだ、ということなのだ。それは、スキルというか、社会人の道徳というか。
何度も書くが、「鼻につく」なんて言葉は、相手に投げかけてはいけない。それは、僕たち言葉を仕事にするものからすると、言葉の危うさや怖さを知っているはずなのに。ボクサーが試合や練習以外で、殴ることはしない、それは、自分の拳が凶器だとよくよく知っていて、理性で封じられるからだ。
だったら、ディレクターとしてどう言うのが最適か?
逆の立場で考える。自分語りをする取材ライター。少々自慢に聞こえる(鼻につく)話。取材が広がるかもしれないけれど、取材対象の機嫌を損ねるかもしれない。という前提。※実際、取材対象となる人は緊張しているものなので、ポジティブな取材では怒りの感情を出すことはまぁそうそうない(経験上ね)。
悪いことした人への取材は、どうしても詰問されているみたいに思われがちだけども
「●●さん、この前の取材は悪くなかったんですが、お相手への敬意を高めた状態でお聞きするのがいいと思うんです。そう意識されているのは、重々現場でも伝わってますが。ですので、もう少しオブラートと言いますか、他の方のお話を引用されるときも、お相手を高めるようにしましょうか」
うーん、まどろっこしい。でもこれくらい、遠回りした言葉で伝えないといけない気もする。ストレートに白か黒か、そんな言いぶりは、放つ方が気持ちいいだろう。だが、それは、言葉で相手を殴りつけているだけで、理解を得ようとすることからは、うんと遠いのだ。
ということで、玄米を炊いて、僕は心身ともに健康でこの「鼻につく」という下品な言葉を迎え撃つのだ。




