【10/22】孤独をクッション材にする
五十に入る前あたりから、友達を整理し始めた。友達を整理する、別に抹殺して回るわけではなく、通信手段を消し去るのだ。LINEはブロックすると判定する方法があるらしいから、非表示に。酔っぱらったり、妬んだり、そねんだり、僻んだりして不要な連絡をしないための予防線だ。
特に、女性と言う女性はかたっぱしから、非表示にしてこちらから連絡できないようにした。仕事でどうしてもの人は残しているが二人ほどだが、チャットワークスやスラックに変えてもらった。(まぁそこから連絡したら同じだけども、モバイルでもアプリを立ち上げる決心がいるから。他の仕事が見えて、うんざりするから)
コロナによる社会的影響・このまま夜に酒飲んで無駄話して生きてていいの?というライフマネジメントのパラダイム的なシフトもあり、飲みに行かなくなった。年賀状は10年前に終了宣言している。
となるとですね、ホンマに誰もいなくなる。家族以外の誰ともプライベートな付き合いはなくなるという事態に発展するのだ。いやこれは進化と呼ぼうか。
思いのほか快適だ。インスタとフェイスブックで、楽しそうにつるんでる知人を見かけても、心が揺らがない。その時間は私、読書してました。という読書マウンティングで楽しそうな輩たちを消しさるのだ。
そんななか、ふと思い出した。フリーランスになるにあたって、税金のことやら仕事のことやらチョイチョイ雑談・相談していた友人のことだ。かれこれ足掛け三十年弱ほどの付き合いだが(長らく会っていない時間も含む)、彼女はフリーランスの先輩だ。新卒で入った会社で同期、しかも数多くいる新卒の中でたった二人のコピーライター・プランナー職。
彼女は本社で一年目から大活躍、僕は東京支店でポジを複製しに堀内カラーに持ち込んだり、銀座のボンカラーに行ってレンタルポジ借りに行ったり、人形町から馬喰町までチャリでクライアントから版下原稿(A2)を抱えて帰ったり。
周りのからよく比べられた。屈辱的なことはなかったけれど、ずっとトレぺ(トレーシングペーパー)を版下に当てて、ラフを書いて写植屋さんに頼んで、文字だけのチラシを作って、たまに攻めたコピーをこそっと置いて、そんな仕事をしていたときに、彼女は大きなプロジェクトに参加していた。
コピーを1本書くのに三日かかっても、まともにかけず。ヨウヤクひねり出してもOKはもらえず(あたりまえだけど)、そんな二十代だった。そんななか、上司が「青山のコピーライター養成講座(宣伝会議主催)」に行って来いと。半分会社持ちで、夕方18時に会社を出て茅場町から青山方面に通っていた。週1回の講座、眠い。たまに休んでしまう。土曜日にビデオ補講あるが、起きられない(しんどくて)。
なんとか卒業し、その年宣伝会議賞に応募。後にも先にも、そのビギナーズラックで1次通過した。1次通過のみで終えた初年度、同期の彼女にも宣伝会議賞応募したら?と初めてのマウントをとるも。翌年、彼女は入選する。
そういうものだ。約三十年後、フリーランスのライター三年目の僕に対して、彼女は七倍ぐらいのキャリアがある。もはや、遠くを走っている。
唯一の友人ではあったが、これこそ危険だ。不用意に雑談をしてはいけない部類だ。ひがみ、ねたみ、そねみ、いやみ、が出てしまわないうちに、連絡手段を断った。
よく考える。自分は何をしているのかと。
もしかしたら、コレは友人との関係を維持するためにしていることでは?と気づいた。これ以上の発展はない、だがこれ以下になることもない。大人になってコジラセテいるわけじゃぁなくて、ここは五十代からは大切な人との関わり方だなぁと思うのだ。
そういう意味で孤独は自分を護ってくれる、クッション材のようなものかもしれない。波風が立たない平和を選ぶ、うしろ向きに見える人もいるだろう。でもそれは、僕にとっては前進も前進、超前進なのだ。




