猫と鈴の音
⚠︎︎少し重たい話だと思うので、読む時はご注意ください。
どうしてわたしはまだ、存在しているのだろう。
人々が煌びやかな通りを歩き、暖かい服を着て温かいご飯を食べている。
お腹の虫が鳴るが、それらを口にすることは叶わない。だが、そんなのはわたしにとっての当たり前だった。
人に嫌われ蔑まれ、理不尽に汚され、暴力を振るわれて、言われようのないことを言われても尚、どうしてまだここに居るのだろう。
いくら周りを見渡しても、わたしの居場所はどこにもない。
私が生きる意味とはなんだろうか。
学のない、弱い頭で考える。が、その理由は何も思い浮かばない。
煌びやかな通りから、少し横道に逸れた場所にわたしがいる。通りからは、少し目を向けるだけで見える位置だ。
しかし、誰一人としてわたしを見向きもしない。
当たり前だ。
こんな暗がりに、汚らしい子供が縮こまっているのだから。たまに、ふとこちらを見る人もいるけれど、いずれも鼻を押えて早々に立ち去っていた。
「わたしは……いらない子……」
掠れた声でなんとか言葉にするが、誰も聞いてはいない。
久しぶりに言葉を発した気がする。
話し相手すら、私にはいないのだから当たり前だ。
手足の震えも次第に分からなくなった。この白い結晶はわたしの命を削っていく。
このままわたしは死んでいくのかな。それでもいいか……
わたしは、膝を抱えたまま横に倒れた。
もうなんでもいい。生きる意味なんてないんだから。もう自分がどうなったって構わない。
もし神様がいるのなら、早くわたしを連れて行って。
重い瞼に逆らうことなどせず、そのまま身を任せた。
「にぁーぉ」
誰だろう。私のそばで鳴く声がする。
気になって重たい瞼を無理やり開けた。
すると、そこに居たのは1匹のやせ細った黒猫だった。目の前で、お座りしてこちらを見ている。
「にゃー」
また鳴き、今度はわたしの頬を舐めた。何度も何度も舐めてくれた。それはなんだか温かく感じた。
「君……どうしたの?なんでここにいるの……?」
「にゃーぉ」
猫はそれしか言わない。それもそうだ。猫なんだから人の言葉なんて話したりしない。
しかし、それでも必要とされていない自分に話しかけているような気がした。
「君も……一人……?」
「にゃーぉ」
返事をしたように思った。
きっとそんなことは無いのかもしれない。それでも会話ができたのかな、と思うのには十分な理由だった。
わたしは重い体を起こして、その黒猫に向き合った。
するとその猫は、わたしの懐に入り込んで丸く小さくなった。
「温めて……くれようと……してるの……?」
「にゃーぉ」
とても嬉しかった。こんな小さな体で、一生懸命温めようとしてくれているような気がしたから。
わたしはお礼に、その黒猫を温めるようにして抱き抱えた。
「にゃーぉ」
しばらくの間そうしていると突然、黒猫はモゾモゾとして抜け出す。そしてなにか言いたげに私を見つめた。
何が言いたいんだろう?
黒猫を見つめていると、黒猫がどれだけやせ細っているのかが垣間見えた。
お腹は凹み、あばら骨も見えている。顔も痩せこけ、全身を覆う毛もごわついて、本来の綺麗な毛並みが失われていた。
もしかして……。
「おなか……すいたの……?」
「にゃーぉ」
わたしもお腹空いた。でもこの子に罪は無い。
わたしは重い体に鞭打って、立ち上がる。
「ご飯……持ってくるから……待っててね」
「にゃーぉ」
わたしは歩き出す。
煌びやかな通りを汚らしい私が歩くのは気が引けたが、あの子のためにも少しでも用意したい。
一際美味しい匂いのするお店の前に行くと、中から女の人が出てきた。エプロンをして髪を一つにまとめている。
ドアをあけられたせいで、更に中からとても美味しそうな匂いが押し寄せてきた。
「う、くさっ」
「あの……お願いです……ほんの少しでいいので……食べ物を……」
「あっち行って。あんたのせいで客が来ないじゃない」
シッシッと払われてしまう。
やっぱり、こんなわたしにあげるものなんてないよね……
項垂てその場から立ち去る。
他にも何軒か美味しそうな匂いのする所があるので、回ってみよう。
「ちょ!汚いっ!こっち来ないでよ!」
「お前のような小汚いやつにやる飯なんざねーよ!」
どこに行っても門前払いを受けた。
何がいけないの?わたしなにかしたの?ちょっとだけだとお願いしただけなのに。それすら許されないの?
最悪の場合盗むことも考えた。
ただ、盗んでどうなる?今のわたしには、走る体力が残っていない。盗んだところで、すぐに捕まってしまうのが関の山だろう。
そうだ!捨てられたものなら誰にも咎められないよね。どうせ捨てるものなんだから、少しくらい貰ったっていいはずだ。
わたしは早速裏口へと向かった。
そこには、大量のゴミが山のように積まれていた。中にはまだ食べられそうな物もある。
わたしは無我夢中で漁った。この小さな手で抱えられるだけ抱え、そしてできる限り急いで持ち帰る。
これならあの子もおなかいっぱい食べられる。
すれ違う人達に奇異の目を向けられたが、今のわたしにはなんにも感じない。
「にゃーぉ」
急いで戻ると、そこには座って待っている黒猫がいた。
「よかった……待っていてくれたんだね」
わたしは持っている食べ物を、全部黒猫の前に置いた。
「たーんと……お食べ?」
「にゃーぉ」
黒猫は、それにかぶりつく。
わたしはただそれを見つめた。これでこの子が元気になったらそれだけで嬉しい。
「にゃーぉ」
黒猫はそれらを全て食べ終えると、わたしに寄り添い頬ずりをした。
なんて可愛らしいんだろう。
黒猫を撫でる。触り心地は決して良くないけれど、ずっと撫でていたい気持ちになった。
わたしはなんとなく自分の腕につけていた、唯一大切にしている鈴を黒猫の首にぶら下げた。
「あ!」
黒猫は満足したのか、突然走り出しあっという間にどこかへと消えてしまった。
鈴の音だけを置き去りに、取り残されたわたしは寂しい気持ちになった。心のどこかでいつまでも一緒にいてくれるようなそんな気さえしていた。
置いていかないで。
今更言っても、もう遅い。
けれど、あの子が走れるほど元気になったって言うことだよね。わたしは寂しい気持ちと嬉しい気持ちで、心がいっぱいになった。
この瞬間まで、生きててよかったとさえ思った。
しかし、その後はまた孤独が待っていた。風の冷たさが肌を突き刺す。
口からは白い息が出ていた。
でも、心だけは温まっていた。
急に体の力が抜け、倒れ込む。
さっきまで動けていたのに、今はもう指一本動かすことも出来ない。最後の力だったのかな。
わたしは段々、意識が遠のいて行った。
遠くから足音がする。
誰だろう。
けれど、目を開けることすら叶わない。
わたしはまた殴られるのかな。こんな所で寝こけちゃって、悪い子だもんね。
しかし同時に、聞き慣れた鈴の音が微かに聞こえた。
「君を助けにきたよ」
その声は、とても優しい声だった。
どうしてわたしを?そんな疑問が脳裏を横切る。
「君が僕を助けてくれた。その恩返しがしたいんだ」
声の主がそんなことを言った。
助けた?わたしが?
そんな記憶はなかった。
何も出来ないわたしが、誰かを助けたことなんてあるはずがない。出来たのは、小さな黒猫にご飯をあげたことだけ。
「君が望むなら僕は君を助けたい。君はどうしたい?」
目を開けることは疎か、声を出すことも出来ないわたしに何を望めというの?
でも本当に望んでいいのなら、わたしは……
「いき……たい……」
声を絞り出して言った。
小さすぎたその声が、言葉が声の主に届いたかは分からない。届いていなくても、それでもよかった。
そうか……わたしは生きたかったんだ。生きる理由を見つけて、精一杯生きてみたかったんだ。
けれど、そんな思いもきっともう遅い。
わたしは意識の途切れる直前、黒猫のことを思った。どうか君は、精一杯生きますように。
目を開けると、天井が見えた。何故か上質そうなベッドの上に横になっている。
汚らしいわたしがこんな場所にいたら汚れてしまうと焦って自分見る。しかし、何故か自分も綺麗な服を着ていた。
ここはどこ?それにこの体は、本当にわたし?
傍に知らない男の人が座っていた。誰だろう。
「今日からここが君の家だよ」
その声は、聞いたことのある声だった。
彼の腕につけられた鈴がチリンと鳴った。
読んでくださりありがとうございます!
読み手の解釈によって、複数の終わり方があるような作品を書いてみたくて、挑戦した作品でした。
少しだけ楽しんでいただけていたら幸いです。